名探偵シャーロックちゃん

恐怖院怨念

大往生殺人事件

 ここは絶壁島。

 つい先日出来たばかりのリゾート地で、招待客の集うホテルの一室だった。

「シャーロックちゃん! またまた殺人事件が起こったよ!」

 自称『シャーロックちゃんの王子さま』こと和十村純わとむら じゅんは、騒々しくわめき立てながら家達沙羅子いえたち さらこの部屋へとやってきた。

「またかぁ……」

 沙羅子は頭を抱えた。先週も箱根の温泉宿で連続殺人に巻き込まれたばかりだった。先々週も、その前の週もなにかしらの事件の渦中にいた気がする――。

「僕達、なんだか殺人事件と縁があるよね。名探偵の宿命ってやつかな!?」

「冗談はやめてよぉ」

 笑えない。花も恥じらう女子高生がどうして行く先々で血なまぐさい事件に遭遇しなきゃならないのか。

 趣味のネット懸賞で毎週どこかしらの旅行プランを引き当てるのだが、行くと必ず不幸が起こる。そのため友達の間では『不幸製造マシーン』と呼ばれ、今では彼女の旅行につき合ってくれるのは、幼なじみの和十村しかいない。

「私は普通の女子高生でいたいの。旅行をしたら普通に観光を楽しんでいたいの。遊びたいの。美味しいものを食べたいのっ。殺人事件の犯人探しなんてしたくはないのよホントはーっ!」

「僕は毎週シャーロックちゃんと旅行が出来て幸せだけどなぁ」

「ワトくん、お願いだから黙ってて……」

 かくして沙羅子は今日も殺人事件のただ中に放り込まれたわけである。

「行こう、シャーロックちゃん!」

「ねえ、その呼び方はやめて。せめて沙羅子って呼んでよう」

 和十村に手を引かれ、沙羅子はしぶしぶ部屋を出ていった。



 廊下を歩きつつ和十村は話を続ける。

「すでにみんなには話してるから。シャーロックちゃんがかの有名な高校生探偵だということ。そしてこれから警察の代わりに捜査をするっていうことを」

「現場の保存とかはいいの?」

「僕のお父さんは警視総監だからね。万が一のことがあっても大丈夫。全部もみ消しちゃえばいいのさ!」

「い、いいのそれで?」

「いいんだよ、それで。万が一なんて起こらないから」

「ね、ねえ、やっぱり殺人事件なんて警察に任せない? どうせ明日には船が迎えに来るんでしょ?」

「そうはいかないよ。もたもたしてると犯人が証拠を隠してしまう。なにせここは絶海の孤島なんだから。それに僕はまた見たいんだよ! シャーロックちゃんの華麗で鮮やかなる推理をね!」

 透き通った青空のようにさわやかな笑顔で言われ、沙羅子はため息をつくことしかできなかった。

 認めたくはないが、今まで数々の事件を解決してきたことは確かなのだ。

 死体なんて嫌で嫌でたまらないはずなのに、いざ目の前に来てみると張り切ってしまう。

 本当に悪い癖だった。

「さあ、これが殺害現場だよ!」

 和十村が芝居がかった身振りで前方を指さした。

 そこはホテルの中にしつらえられたアトリエの一室だ。

「被害者の名前は島風暁しまかぜ あかつき。画家だね。仕事中に背中から一突きされて即死したっぽい。死体の様子から死後一時間も経ってないよ、たぶん」

 和十村はてきぱきと現場の調査をはじめる。

 彼はこう見えてなかなか有能な男だった。

 高校生のくせに法医学に長けているし、法律にも詳しかったりする。自前の道具ツールを使って鑑識捜査までこなしてしまう、嘘のように便利な完璧超人だった。

「シャーロックちゃんのサポートが出来るならどんな技能だって取得するさ!」

「その才能をもっと別のことに使おうよ……」

 と言いつつ沙羅子も室内を見渡す。

 二十畳ほどの部屋の真ん中に大きなキャンバスが立てられ、島風はその下の床でうつ伏せに倒れていた。

 仕事中だったのだろう。パレットの上に盛られた絵の具はまだ乾ききってはいなかった。床の上には他にも色とりどりの潰れたチューブが散らばっている。

「ん?」

 沙羅子は床の一点に注目した。

 そこには文字が書かれていた。

「『大往生』?」

 キャンパスに描かれた空と同じ青色の絵の具で、書きなぐるような筆跡だった。文字間隔のバランスが悪く、とても読みづらい。

「これは犯人が残したのかしら?」

「たぶんね。ダイイングメッセージにしては懲りすぎてるし」

「ずいぶんといびつな形の文字ね」

「筆跡をごまかす為にわざと崩して書いたのかな?」

「そうかもしれないし、そうじゃないのかもしれない……」

 現場を目の当たりにし、沙羅子の目つきは変わっていた。探偵のさがなのか、血の匂いをかぐと雑念が消える。頭が澄み渡ってくるのである。

 沙羅子が陥るこの【トランス状態】のことを、和十村はいつもこう呼んでいた。

「ふふふ。シャーロックちゃん。現場に【酔ってきた】かい?」

「……うん。不本意だけど放っておけない。こんなひどいことをする犯人は絶対に私が捕まえてやるから」

「容疑者は三人。医者と坊主とミュージシャンなんだけど……話を聞いてみる?」

「お願い」

 二人は並んで容疑者の集まるロビーへと向かった。



 ロビーでは三人の男達が待っていた。

「殺人事件が起こったんだって? 詳しい状況は?」

 部屋に入るや、神経質そうな男が和十村に詰め寄ってきた。医者の柳川人仁やながわ ひとしだ。

「事件の話を聞いて、この部屋から出るなと言われてずっと待ってたんだ。状況をきちんと説明してくれ」

「今から話します。どうか落ち着いて」

 和十村は柳川を後ろに下がらせ、「こほん」と一つ咳払いをした。

「さきほど島風さんの遺体が発見されました。これは殺人です」

「え……島風が?」

 皆の顔色が変わった。誰が殺されたのか、どのように殺されたのか、現場の状況を知っている者は誰一人いないようだった。

「背中をナイフで一突き。即死です。遺体のそばの床には『大往生』と筆と絵の具の筆跡で書かれていました。これも多分犯人の仕業でしょう。全くふざけてますよね」

 和十村は悔しそうに眉間にしわを寄せた。

 沈みきった雰囲気の中、沙羅子が口を開いた。

「みなさん、聞いて下さい。私の名前は家達沙羅子。名探偵です」

 沙羅子は『名探偵』のところを特に強調した。

「殺人なんて許せない。犯人は必ず私が見つけ出して報いを受けさせます。覚悟して」

 トランス状態の沙羅子は普段よりも気が強く、自信家で好戦的だ。

 挑むような視線で容疑者達を見渡した。

「それでは一人ずつ、話を聞かせてもらいましょうか」



 まずは医者の柳川人仁やながわ ひとしを部屋に呼んだ。

「お茶、どうぞ」

 和十村が湯呑みを差し出すと、柳川は右手で受け取り一口だけお茶を飲んだ。

 沙羅子は話を切り出した。

「死亡推定時刻は今から約一時間前ですが、柳川さんはそのとき何をされてました?」

「残念ながらアリバイはありません。部屋で読書をしていました」

「ほう」

「遠くで何か物音が聞こえたような気もしましたが……確証はありません」

「そうですか。他に何か気になることはありましたか?」

「床に大往生って書いてあったんでしょ? それ、きっとダイイングメッセージですよ。大往生と言えば坊主。馬場さんがやったに違いありません」



 続いて住職の馬場仏ばんば ぶっだとのやりとり。

「お茶飲みます?」

「おや、ありがたい! いただきますぞ!」

 馬場は両手で湯呑みをひったくると一気にお茶を飲み干した。

「馬場さんは一時間前には何をされてました?」

「その時間は部屋で写経をしていました。証人だっていますぞ。この仏像が見てました!」

 そう言って、馬場は木彫の小さな仏像を取り出す。沙羅子はひきつった笑みを浮かべた。

「ぶ、仏像ですか……」

「神――いや、ブッダの声が聞こえるっ! わしにはわかる。サタンだかガブリエルだか知らんが、そいつが犯人だ! 南無阿弥陀物! アーメンっ!」



 最後はミュージシャンの天使我振得あまつか がぶりえるとの会話だ。

「お茶、いります?」

「……」

 我振得は右手人差し指と親指で湯呑みを摘んで鼻先まで近づけたが、口はつけずにそのままテーブルの上に戻した。

「天使さん。一時間前は何を……」

「俺は、生まれた時からずっと独りだった……」

 我振得は感情を込めて、かすれた声を絞り出した。

 どうやらアリバイはないらしい。

「では何か気づいたことは?」

「蒼天色の文字サイン――。そこにキーがあるはずさ。秘密の扉を開けばWOO……。誰だってそう思うだろ? 幻影に浮かぶ顔……。柳川って奴が犯人だ」



「――なかなか個性的な方達でしたね」

 ひと通りの尋問を終えて、和十村はお茶の入った湯呑みを「どうぞ」と言って沙羅子の前に置いた。

「シャーロックちゃん。なにかわかった?」

 沙羅子は湯呑みを取って一口唇を湿らせると小さくうなずく。

「一人、怪しいのがいたわね」

「お? もう犯人がわかったの?」

「断定は出来ないけど。彼が事件に関わっているのは間違いない……と思う」

「さすがだね、シャーロックちゃん! さすが僕のお姫さま!」

 和十村の言葉を完全に無視して、沙羅子は中空を見つめた。

「ねえ、もう一度確認するけど、事件が発覚して今までの間、誰も現場には足を踏み入れなかったのね?」

「うん。それは保証するよ。誰一人現場は荒らしてないし、細工なんて出来なかったはずさ――犯人以外はね」

「そっか」

 沙羅子は湯呑みを強く握りしめてつぶやいた。

「大往生か……ふざけてるわ」



 沙羅子が腕を組んで事をしていると、和十村が満面の笑顔を浮かべてすり寄ってきた。

「シャーロックちゃん! ふふっ!」

「どうしたの気持ち悪い」

「実は僕、ひそかに容疑者全員の指紋をとっていたんだよ! 指紋の残りやすい湯呑みを用意してね! 気づいてた?」

 しかし沙羅子の反応はそっけなかった。

「ごめん。今回の事件、指紋いらないわ」

「えええっ! せっかく苦心して取ったのに! 僕の鑑識能力が台無しだよ!」

「だっていらないんだもん」

 がっくりとうなだれる和十村を無視して沙羅子は話を進める。

「今回のポイントはね、やっぱり大往生の文字なの――」

 和十村が手のひらを立てて沙羅子の言葉をぴしゃりと遮った。

「待って待って。僕にも考えさせてよ……わかった!」

「……言ってみて」

 あんまり期待はしてないけど――と、言わないのは沙羅子のせめてもの優しさだろうか。

 和十村はこと推理にかけては三流以下の腕前だった。

 下手の横好きというか。

 とにかく彼の推理はたいてい外れる。

 和十村は嬉々として話を続けた。

「大往生と来れば……犯人は坊さんの馬場さん!」

 やっぱり……。

 溜め息も出てこない。

「――と思いきや、柳川さんだよね?」

「ふうん。どうして?」

 少しだけ、沙羅子は興味をそそられた。

「大往生の文字はやっぱりダイイングメッセージだったんだ」

「被害者が書いたの?」

「一部分はね」

 和十村は得意げに胸をそらす。

「柳川さんの名前は『人仁』って言うんだよね。これにいくつか線を付け足すと……」

「大往生の文字になる?」

「そう。被害者は死ぬ直前に犯人の名前を書き残した。柳川さんはそれに気づいて大往生と書き換えた。馬場さんに容疑が向かうように――どう?」

「ワトくん。完全に犯人に踊らされてるね」

「え!? 違うの!?」

「私が犯人だったらそんなごまかし方はしない。文字は全部塗りつぶしちゃう。だって怖いじゃない。細工をしたとはいえ、現場に自分の名前が残されているのよ?」

 和十村は頭を抱えた。

「え? え? ということは……? じゃあ誰が犯人なの?」

「今回の事件で一番ひっかかったのは『何を書いていたか』ではなく『何で書かれていたか』よ。大往生の文字は何色だった?」

「青だね」

「蒼天色よね」

「空の色なんだねっ!」

 沙羅子は小さくため息をついた。

「……まだわからない? 容疑者の三人は殺害現場には足を踏み入れてないんでしょ?」

「それは間違いないよ。何度も言ったけど」

「現場の状況を説明する時も文字の色のことは言わなかった。あの三人は知らないはずなのよ。それなのに一人だけ、大往生の文字の色を『蒼天色』と表現した人物がいた」

「あ……」

「天使我振得――彼にはもう少し話を聞かせてもらわないとね」

「さすがシャーロックちゃん! 天才だね! 愛してるよ!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

名探偵シャーロックちゃん 恐怖院怨念 @landp90

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ