第3話


「なんで笑うんですか。『中学生探偵オレ』の推理に間違いはありませんよ!」


 江刺家えさしか先生は時計に視線を向けた。


「四時間目が終わるまで残り5分です。こんな茶番は早々に終わりにしましょうか」


 江刺家先生は眼鏡を外すと前髪をかきあげた。いつもは隠れて見ることのできないその瞳は、ギラギラとしていて鋭い矢のように、おれの心臓に突き刺さった。それはまるで邪悪な生き物のように見えた。おれは蛇に睨まれたカエルみたいに身動きが取れなかった。


(嘘だろ? 先生なのか?)


 背筋がゾクゾクとした。冷たい汗が流れていくのがわかる。これはヤバイ、と思った。


「まず一番重要なのは、『密室はいかにして作られたのか』ということです」


「ですから、それは現場を見て——」


 江刺家先生はクツクツと不気味な笑い声をあげた。


「事の真相はこうでしょう。先生は音楽教師でありながら、とてつもなく指揮が下手でした。合唱部員たちはみんな口々に『彼の指揮は、まるでたぬき踊りで、何を意味しているのか理解し難い』と言っています。

 ところが、そんな先生の元に市民フェスティバルの指揮の依頼が舞い込んだのです。彼は焦りました。イベントで演奏する曲目は、なんとモーツアルトのレクイエム。ここ一か月、彼は朝から晩まで準備室にこもって、秘密の猛特訓をしていたようです。準備室が施錠されていたのはその為だったのです」


「密室を作っていたのは、先生自身だった、というんですか」


「ええ、そうですよ。昨日の夕方、僕は先生に用事があって準備室を訪れましたが、その時も鍵がかかっていましたね。僕が扉をノックすると、先生は気恥ずかしそうに『秘密の特訓中なの。内緒だよ』と言っていましたから」


(そうならそうと、最初に言えよ!)

 

 江刺家先生は本当に性格が悪い。


「ちなみに、キミが主張するモーツアルトのレクイエムについてですが、近年では依頼主の名が明らかになっていて、謎でもなんでもありません。音楽家である先生が、いつまでもそんな迷信じみた戯言を信じているとは思えません」


 密室の謎と残された楽譜の謎は、簡単にまとめられてしまった。なんだか悔しい。おれは必死に次の言葉を探した。


「密室のトリックが明らかになったからといって、事故とは言い切れませんよ。たまたま密室になってしまっただけで、やっぱり薬物を盛ったのは、犯人かもしれないじゃないですか」


 江刺家先生は愉快そうに笑みを見せたまま、おれを見ていた。


「おやおや。では薬物はどうやって先生に害を及ぼしたのでしょうか。ジュースは出勤前に本人が購入してきたもので、薬物を混入する暇などありません。先生が指揮の練習中に人を中に入れるとは思えません。僕ですら廊下で門前払いでしたからね。買ってきたジュースに他人が触れることは、かなり不可能なことなのではないかと考えます」


(くそー)


 おれは必死に考えを巡らせた。


「じゃあきっと、ジュースじゃないんですよ。ああそうか。毒が入っていたのはジュースではない。ほら屋根裏からね、犯人は下に座っている金田先生の頭めがけて、皮膚から吸収されるような猛毒を垂らしたんです」


 これは先日、読んだ推理小説のネタだ。江刺家先生は声を上げて笑った。


「中村くん。キミのその思考の飛躍には脱帽ですね!」


 江刺家先生は両手を叩いて笑みを見せるが、半分バカにされているみたいで、面白くなかった。むっとした顔をして見せると、先生は肩を竦めた。そのしぐさはまるで、この事件のことを全てお見通しだ、と言わんばかりの自信に満ちている。


「薬物の種明かしをしてみましょう。先生は高血圧症を患っていたのではないでしょうか。高血圧症になると、顔が赤くなったり、火照ったりします。それが『タコ助』と言われる理由です。先生は高血圧症であり、その治療を受けていた。高血圧症は朝に血圧が高くなる場合が多いので、朝食後に薬を飲むように指示されます。

 つまり先生は、高血圧症の薬を服用してから出勤した。もしくは準備室で朝食を摂ったついでに薬を服用した、と考えられます。

 高血圧症の薬には種類によって、一緒に飲んではいけない飲み物があります。それが柑橘系のジュースです。一般的に言われているのはグレープフルーツジュースです。これには薬の作用を強める働きをするフラノクマリンという成分が入っているからです。先生は薬局から説明を受けてそのことを知っていたはずです。

 ところが、彼が飲んでいたパックジュースは『はっさくまったく うまうまジュース100%つぶつぶ入り』でした。先生は、このジュースはグレープフルーツではないので安全である、と勘違いしたのでしょう。実はフラノクマリンという成分は、はっさくにも多く含まれているのです。

 ——ということで、先生は高血圧症の薬とジュースを飲んだおかげで、急激に血圧が下がり、そして意識を失った。さしずめ救急隊が薬物の話をしていたのは、その件だったと思います」


 おれは言葉を失って江刺家先生を見つめていた。彼はかきあげた前髪をおろす。すると、今までのギラギラとした瞳は消え、穏やかな先生に戻ったのだ。


「ってことは——」


「つまり。今回の件は事件でなく、ただの事故。先生自身が、自分で飲んでいる薬のことをよく理解していなかったことによる、ただの事故だ——ということです」


「そんな。そんなことで金田先生は命の危機に瀕した、ということなんですか」


「おやおや。『そんなこと』とは心外ですね。薬と食べ物の組み合わせや、薬同士の飲み合わせは、命取りになることもあるのです。実際に薬の飲み合わせによって、死亡事故が出ているくらいです。薬とは諸刃の剣。キミも仮病ばかり使っていると、不用な薬を処方されて痛い目に遭いますよ。気をつけましょう」


 おれはぐうの音も出ない。今回ばかりは江刺家先生に完敗だ。


「ああ、それから最後にもう一つ。気になったことがあります」


「な、なんですか。まだ何かあるって言うんですか」


 江刺家先生は真面目な声色で言った。


「キミのそのネーミングについてです。『中学生探偵オレ』って……、センスがないとしか言いようがないですね。もっと捻ってみたらどうなんですか? キミは思春期特有の中二病という病におかされているようです。原因はテレビや漫画などのマスメディア媒体を過剰に閲覧している、ということでしょうね」


「う、いいじゃないですか。そんなことは……」


「中学生探偵オレ、敗北なり——。現実では、そう事件など起こらないものですよ。もう少し思慮深くなりたまえ。探偵くん」


 四時間目のチャイムが鳴り出す。給食の時間だ。


「きー、悔しい」


 おれはこぶしで自分の膝を叩いた。それを見ていた江刺家先生は、にこにこと笑みを浮かべるばかりだ。


「ああ、午前中の僕の仕事は、半分も進みませんでしたね。まあ、いいでしょう。気分転換になりました。それに、キミのお腹の痛みも治まっているようですしね」

 

 指摘されて、はったとする。推理に夢中になっていて、お腹が痛いことになっている、という設定を忘れていた。慌ててお腹に手を当てるがもう遅い。江刺家先生はにっこりと笑みを見せた。


「給食でも食べてらっしゃい。午後から昼寝に来るのは禁止です。僕はこれから出張なものでね。キミの相手はしていられないんです」


 おれは、あっという間に保健室から追い出された。


 悔しい気持ちになる。いつか絶対に江刺家先生を推理で負かして見せる、と心に固く誓った。なにせおれは『中学生探偵オレ』なんだからな!


(おっと! その前に、なにか事件が起きないことには、勝負にならないぞ)


 おれは学校内でなにか事件でも起きないかと、期待に胸膨らませるのであった。





—了—

 

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謎解きは保健室で~『中学生探偵オレ』の事件簿~ 雪うさこ @yuki_usako

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