出逢ってひと月のGW。チキンの俺は、合宿中に彼女に告白できるのか?!
深海くじら
いい感じの友だちと彼氏彼女を分かつ谷で、橋の架け処を間違えない奴は神。
好機
なるほど、そりゃそうだ。チャンスに的確な手を打ってこそ大きな成果が得られるというのは、古今東西その通り。何事に置いても、手を打たない限り先のステージには上がれない。
しかし、だ。俺は敢えて彼らに問いたい。好機っていつのこと? 好機とそうでないときの違いは、いったいどう見分ければいいの、と。
時刻は午後5時を過ぎたところ。3泊4日のゲームサークル『戯れ会』春合宿は明日でおしまい。72時間ボードゲームリーグ戦という意味不明のテーマで行われているこの合宿も、最終第9ターンの終盤戦を迎えている。
目の前にある北米地図のボードを俺と一緒に囲んでいるのは、4年の宮ノ森ナイル先輩、同期で2年の天津原涼子ファインモーション、それに新人の中嶋弥生という女子3名。別の2つのコテージにも、それぞれ別のボードゲームを同じように囲んでいるカルテットがいる。
男子8名女子4名の全12人が、3日間で9種類のボードゲームを興じて獲得ポイントを競う、という大学生ならではの馬鹿合宿だが、これがなかなかに楽しい。総合優勝者には豪華賞品(今年は手抜きでアマゾンギフトらしい)が贈呈される他、各日の集計結果で上位4名はその日の夜と翌朝の食事の支度が免除され、下位4人は晩飯、中間4人は翌日朝食の準備という罰ゲームも用意されている。
学年も性別も無関係の公平なこのルールは、実に文科系サークルらしくて気持ちがいい。
初日、二日目と連続トップの涼子が、スペリオル湖を横断する長い線路を押さえてきた。どうやら奴さんの手の裡には、シアトル-NYという大物路線のカードがあるようだ。あそこに線路を敷かれると、俺の虎の子、バンクーバーーモントリオール路線の開通が危うくなる。
Ticket to Rideというこのボードゲームとは、サークルに入って初めて出会った。サイコロやルーレットを使わない点や、実際の地図がベースなところなどが俺のツボに嵌って、去年の一時期はこればっかりやっていた。だからそこそこ自信はあったのだが、よりによってここで涼子と当たるとは。俺は止む無く、う回路としてスーセントメリーとダルースを結ぶ3コマ線路を確保した。
「あーーーー」
向かいに座る弥生が声を上げた。どうやらオクラホマに繋がる路線カードを持っていたようだ。だとすると、確かにここは生命線。
「あら~、いっくん、そこ押さえちゃうの? 弥生ちゃんが泣いてるのに」
右隣のナイル先輩が涼子の呼び方を真似て揺さぶってくる。
「俺は勝負に私情は持ち込まない主義なんです」
「私情? 『私情』ってなに? 弥生ちゃんになんか思うところでもあるのかな、いっくんは」
ナイル先輩がにやにやしながら突っ込んでくる。このひとは、自分が安全地帯にいるもんだから、嬉々としてそういうネタを振ってくる。
「弥生ちゃんカワイソー。せっかくコツコツ育ててるのに台無しにされて。いっくんはイジワルだよねぇ」
やめろっつーの! そのいっくん呼びは。ていうか、ナイル先輩どこまでわかってるのよ。
お察しの通り、俺、田中逸郎は中嶋弥生が気になってますよ。つか、はっきり言って、好きですし。ええ、ええ。いつ告白すりゃいいのか、常日頃悩んでますって。でもそれ、誰にも言ってないよね。なんでそういうぶちかまししてくんのかなぁ。
南部の牙城を固めるナイル先輩のあと、弥生が仕方なさそうにフリーカラーの複線に客車を並べた。それを確認した涼子は、んふん、と含み笑いして4枚の石炭貨物カードを切った。
ちょ、まて。そこはお前……。
「代わりにお仕置きしてあげるね、弥生ちゃん」
そう言いながら、涼子は綺麗な指で、俺のう回路の先に自分の白い客車を並べやがった。3対1とか、勝てるわけないじゃん。
その後グズグズになった俺はそのまま不良線路を継ぎ足すだけで、大物路線の開通を達成することも虚しく3位に終わった。本日の順位も12人中6位。好成績なはずもなく、かと言って最下位争いをするでもない、実に俺らしくも中途半端な結果。
3日目も優勝は涼子。これで3日連続だ。総合優勝も確定してる。ちなみに弥生は最下位だった。
最終日の今日はくじ運も良く、3ターンすべてで弥生と同組だったにもかかわらず、なんの糸口も見つけることができなかった。このままでは3年前の玉砕と同じくBSS人生まっしぐらになってしまいそう。
「いっつろーくん」
いつもの呼び名でナイル先輩が声を掛けてきた。さっきは2位だった彼女だが、その前の2ターンが連続で最下位なので、本日の順位は9位。その先輩が、いったい俺になんの用か。
「お姉ちゃんが代わってあげよっかぁ、夜の炊事当番。並んで台所に立てるよ。ほら、最後のチャンスだしぃ」
にししし、と笑うナイル先輩。
「いっつろーは自炊してるから料理男子だよね。他のふたり、たくちゃんは昨日一緒にやってカンペキ無能が実証済みだし、シンスケも寮生だからほぼ役立たずでしょ。ほら、彼女とふたり並んで仲良くカレーつくれるよ。今夜はお目付け役も勝ち抜けていないから、チャンスチャンス」
お目付け役って原町田のことか。
「そんなん言って、ナイル先輩がやりたくないだけでしょ。てか、ふたり並んでとか、意味わかんないし」
「ほへー。そーゆー中学生みたいな誤魔化し方するんだ、いっつーは。二十歳過ぎじゃなかったっけ」
「はぁ。おかげさまで成人してます」
もう降参です。やっと姉貴から離れられたと思ってたのに、こんなベタベタの姉属性先輩に懐かれて早や一年。いじられるのはだいぶ慣れたが、最近は弥生ネタがしつこくて。
とは言え、この提案は確かにありかもしれない。台所での共同作業が親密度アップに好都合なのは間違いない。ナイル姉ちゃんの掌の上ってのが癪に障るけど、ここは受けとくのが正解かも。
「わかりました。有難くお受けします。代わりに明日の朝食はお願いしますよ」
「まっかして~! キャベツの千切りならお手のもんよ」
厨房が狭くなるという理由で、菅原先輩とシンスケをダイニングで待機させた俺は、弥生とふたりで12人分のカレーを作り始めた。いつもつくる箱入りカレールーは10皿分と書いてあるけど、実際は6~7食で食べ切ってしまう。だからその倍作れば問題ない。そう結論付けた俺たちは、通常の2倍以上の具材を並べた。
じゃがいも剥きが苦手な俺はそっちを弥生に任せて、米の仕込みと飴色玉ねぎを担当する。
薄めに切った大量の玉ねぎを熱くした鍋に流し込み、蓋をして弱火。少し手が空くので人参でもと思い、先を見ないで手を伸ばした。指先が固い人参の表面とは違う柔らかく温かい何かに触れたが、勢いでそのまま掴む。
息を飲む気配に振り向いた俺は、己の狼藉に気づいた。握っていたのは、袖を肘捲りした弥生の手首だった。
「うへえ!」
奇声を上げて手を離した俺は、後退りして背中を冷蔵庫にぶつけた。弥生は耳まで真っ赤にして固まっている。右手には包丁を持ったまま。ダイニングのふたりは雑談に夢中で気付いていない。
「ごめん! 俺、見てなくて。とにかく、まずはそれを置いて……」
俺の言葉で包丁を思い出した弥生は、すぐにそれを俎板に置いた。そして、蚊の鳴くような声でこう言った。
「びっくり……しました。まさかこんなところでいきなりだなんて、思っても見なかったんで」
「ごめん。ごめんなさい。俺の不注意です」
俺は土下座しそうな勢いで謝った。
「あの、嫌だったわけじゃないんです。ただ、凄く吃驚しただけで……」
狼狽している俺は、彼女が言っている台詞の意図がよくわからない。とにかく平謝りの一手に尽きる。アメフトで言えば、手の不正使用で10ヤードのロスだ。この後退を取り戻すために俺は何をすればいいのか。
「男のひとに腕握られるの、初めてだったから」
ヤバいヤバいヤバいヤバい。10ヤードどころじゃ無い。これは自陣エンドラインまでの後退だよ。今前に出たら、それは死を意味するじゃん。
もうこれは、黙っておとなしくカレー作るしかない。
そのあとは、なるべく近づかず無駄口は控え、ただ粛々と作業に専念した。
ちらっとだけ見た弥生の表情はなんだか不満そうに見えた。それほどまでに悪い印象を与えてしまったのか、俺は。
食事のあとは、感想戦という名の飲み会だ。最後の夜だから、明朝のホットドッグ分だけ残して食材を食い尽くそうという流れになったので、俺は率先して厨房に籠ることにした。時折放たれる、俺を非難するような弥生の視線が怖かったのだ。告白しようなど、お話にすらならない。
喧騒を背に淡々とじゃがいもを揚げていた俺の背後に人の気配がした。気にせず作業を続けていると、あの、という控え目な声が届く。振り向くと、そこには弥生が立っていた。瞬時に緊張した俺に、弥生が話しかけてくる。
「先輩、私のこと嫌いですか?」
展開に着いて行けてない俺は口も利けずに、とにかくぶんぶんと首を振る。
「じゃあなんで、さっきカレーを作ってたとき、途中から全然話しかけてくれなくなっちゃったんですか。私、イツロー先輩と一緒にご飯つくれるの、凄く楽しみにしてたのに」
え? 俺、拒絶されたんじゃなかったの?
「とにかく、私にも何かお手伝いさせてください」
思考停止している俺に構わず、弥生はずんずん近寄って、俺の横にある冷蔵庫の中身を確認しだした。
冷凍の海老を取り出した弥生は、それをボウルに開けて水を注ぐ。
「しめじもニンニクもブロッコリーもプチトマトもあるし、アヒージョ作っちゃいましょ」
俺、嫌われてるわけじゃなかったんだ。
心底安堵した俺は真横で並んで作業しながら、いつの間にか、普通に話をするいつもの関係に戻っていた。
「イツローシェフと弥生シェフに敬意を表し、改めてかんぱーい!」
鵜沼会長の音頭に合わせ、全員が思い思いの飲み物を掲げた。俺たちがつくったツマミをアテに、陽気な宴会は日付が変わるまで続く。その間中、俺の隣には麦茶のグラスを片手にした弥生が座っていた。
お目付け役の原町田もシンスケや涼子と話すのに忙しく、今夜は邪魔しに来ない。賑やかなところは苦手と言っていた弥生も、上気した頬を染め、柔らかな笑顔で楽しげなみんなを眺めている。
「煩いの、大丈夫?」
俺の問いかけに、弥生は首を振って答えた。
「こんな宴会なら、私、全然平気です。凄く楽しいし、気持ちもゆったりしてる」
そう言って、少しだけ俺に近づいてきた。二の腕同士が触れているのに気付いているのだろうか。
散会し、全員がそれぞれのコテージに戻っていった。会場となった部屋に居残って簡単な片付けをする俺に、同期のシンスケが話しかけてくる。
「イツロー、弥生ちゃんといい感じだったじゃん。これはもう、チャンスとしか言いようがなーい」
息が酒臭い。てか、なんでみんな俺の隠し事知ってんの?
「もういいから、お前も早く寝ろ。朝メシに起きれなくなるぞ」
部屋の灯りを落とした俺は、シンスケを強引にベッドに運んだ。
帰りのバスの中、シンスケと並んで一番後ろに座った俺は、ふたつ前の通路側に座る弥生の小さな頭ばかり見ていた。窓側の原町田が機関銃のように喋るのを、ときどき頷きながら聞いている。
肩に乗ってくるシンスケの頭を反対側に押しやっているとき、不意に振り向いた弥生と目が合った。笑いかけてくれたその顔は、だがしかし、原町田の呼びかけですぐに前を向いてしまった。
その瞬間、俺は電撃的に理解する。これこそが『好機』のサインなのだ。
先人たちの教えに従い、俺は決断する。今日バスを降りたら、弥生に告げよう。君が好きだ、と。
もう3年前の轍は踏まない。三ヶ月以上想い続けた挙句、三日掛けて書き上げた恋文を手渡した前日に、当の彼女は出会って数日の他校男子からの申し出を受けて付き合い始めていたという、間抜け極まりないエピソードを。
駅西口の、この街では珍しい高層ビルの前にあるロータリーでバスは停まった。各自が荷物を受け取れば、あとは三々五々。会長とナイル先輩は、ボードゲームを載せた車で帰って既にいない。バスを降りる先輩たちが車中で挨拶を交わし、そのまま夜の街に消えていく。
弥生も立ち上がり、俺に手を振ってから出口に歩いて行った。でも、そのまま帰るわけじゃない。バスの腹に収納されていたスーツケースを受け取るはず。前の人の緩い歩みももどかしく、俺は出口へと急いだ。
外に出て振り返ると、弥生はちょうど手荷物を受け取るところだった。
俺は自分の半券をシンスケに押し付けて弥生に走り寄る。彼女の荷物を奪い取ると、少し離れたところにある鯨の尻尾のようなモニュメントの影まで先導した。
微妙に不安げな、でもそれ以外の光も見え隠れする瞳で俺の次の動きを見届けようとする弥生。
スーツケースを間に立てて弥生と正対した俺は、大きく息を吸い込んでから、大事な言葉を告げる。早口にならないようできるだけゆっくり、と意識しながら。
「中嶋弥生さん。俺はきみが好きです。俺と、付き合ってください」
バスの中でいろんなセリフを考えた。中には使えそうな思いつきもあった。でも、本番で口から出たのは、陳腐で凡百で、ただ真っ直ぐなだけの言葉。
驚きが占めていた弥生の表情が緩み、笑顔の予感が見えた。その慎ましやかな唇が何か言葉を発しようかというそのとき。
「探したよ、まーや! そんなとこに居たのね。もおっ。勝手に帰っちゃったのかと思った。ぷんすかだよ」
空気を読まないいつものテンションで、原町田由香里が走って来た。
「ありゃ。イツロー先輩じゃないですか。こんなとこでなに佇んでんですか。そんな意味ありげな立ち姿してると、告白でも目論んでるんじゃないかって勘違いされますよ。ただでさえキャラ建ち不足で微妙なんですから、誤解されないよう気をつけた方がいいですよ、ホントに。じゃ、お疲れ様でした。ほら、行くよ。まーや」
嵐のようにやってきた原町田はその勢いのまま、返事する直前の弥生を連れ去って行った。
取り残され、モニュメントの前でひとり立ちすくむ俺に、離れたところから声が掛かる。
「イツロー! お前の荷物、ここに置いてるぞー! で、どうだったぁ?!」
シンスケのボケ。でかい声で機微情報を喚くな。どうだったもなにも、結果聞く前に消えちまったよ。
俺は自分にしか聞こえない声でそう呟いた。
ふたつの荷物を足元に置いたシンスケに歩み寄った俺は、こう答えてやる。
「延長戦になった。決着は、次回の合宿打ち上げコンパだな」
(了)
※本編『駅弁大学のヰタ・セクスアリス』は、「ノクターンノベルズ」で連載中
出逢ってひと月のGW。チキンの俺は、合宿中に彼女に告白できるのか?! 深海くじら @bathyscaphe
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