暗い子ちゃん―南視点のお話―

 もう3月だと言うのに、今日は雪が降った。空はどんよりと厚い雪雲にも覆われている。合格発表の掲示を見に来た多くの人にとって、この天気は喜ばしくないことだろう。私にとっては、天気なんてどうでもいい事だが。


 私が受験番号の並ぶ掲示板の前に着いたのは、そろそろ掲示も終わろうかという時間帯で、人もまばらになっていた。親と共に合格を喜び合う人、落胆し肩を落とす人、繰り広げられる人生ドラマを掻き分けて、私は自分の受験番号を探していた。


「365……、あった」


 とりあえずひと段落、と言ったところか。ひとまずは喜んでおこう。今日は、私にとって色々な意味で達成の日となったのだから。そう思うと自然と笑みが溢れる。


 しかし、私にとってこれはゴールではなく、あくまで新しいスタート。全てはこれから始まるのだ。私は、成すべき事を成す為に、またここから進み続けるだけ……。


 帰ろう。これから、面倒な事が待ち受けているのは確定事項なのだ。帰って、さっさと済ませてしまおう。


 校門を出て、並木道を歩いていると、私の前を歩く人々がざわついているのに気が付いた。彼らはどうやら私と同じ受験生やその保護者のようで、この狭い歩道を大袈裟に避けながら歩くのを見るに、恐らく道に何かが落ちているのだろう。


 ざわめきの中心地に近付いていくと、歩道に落ちているものが見えて来た。予想はついていたが、やはりそれは猫の死骸だった。予想外だったのは、この現場のあまりの惨たらしさだ。


 死骸からははらわたが溢れ、血が広範囲に広がり歩道を汚していた。道行く人があれ程大袈裟に避けていたのも頷ける。


 あの子に気が付いたのは、私が死骸を避けようとした時だった。制服から見るに私とは別の中学の子、肩につかないくらいのショートヘア、斜め後ろのこの角度からでは表情は窺い知れない。彼女は横たわる猫を見つめたまま、そこに立ち尽くしていた。一体何をしているのか気になり、彼女の後ろで私も足を止めた。後ろを歩いていた人々が、猫と彼女と私を避けながら通り過ぎていく。


「縁起悪すぎ」

「うえぇ、グロッ」

「せっかくの日が台無し」

「キャッ!」

「かわいそうに…」

「気持ち悪い」


 追い抜きざまに文句を言う声や悲鳴が聞こえる。たった今聞こえた「気味が悪い」は猫だけじゃなく、あの子にも向けられているんだろう(もしかしたら私にも)。私がもう帰ろうと思った時、彼女は急にしゃがみ込んだ。一体何をするつもりだろう?私は緊張しながら、彼女の行動を見守った。


 彼女は亡骸に手を伸ばすと、それを優しく撫で始めた。ギョッとしたものの、私は何故かその行動から目が離せなかった。そして、今まで死骸の悲惨さのせいで気が付かなかったが、その猫の脚が三本しかない事と肋骨が浮き出て痛々しいまでに痩せている事に気がついた。


「死んだから可哀そうなんてみんな勝手だよね。生きることの方がよっぽど辛かったよね」


 いつの間にか、私達を追い越す者はいなくなっていた。並木道の静けさに響く彼女の呟きが、私の耳にも届いた。労りと慈悲心に満ちたその言葉の響きは、以前にも聞いたことがあるものだった。そう、4年前にあの人が私に教えてくれた言葉。あの人の祈り。


 思い出のフラッシュバックと共に、堰を切ったように感情が溢れる。懐かしさ、悲しみ、怒り、憎しみ、その全てが私の中で渦巻き、ぜになる。私は、この奔流に飲み込まれないように、爪が掌に食い込む程にきつく拳を握り締めなければならなかった。


 そうこうしているうちに、追悼を終えたショートヘアの彼女は向こうへ歩き出していた。追いかけないと!何か、一言でもいいからあの子と話したい!私は小走りで彼女に追いつくと、肩を叩いた。


「ねぇ、君!」


 彼女がビクッと大きく飛び上がったので、私も一瞬驚いてしまう。


「……は、はい?」


 振り返った彼女は、不審そうにこちらを見ている。その顔は、世の不幸を一身に背負い込んだような、暗い表情だった。作り自体は決して悪くないように見えるのに、まるで積年の苦労や疲れが滲み出て元の良さを覆い隠しているかのような……そんな印象を受ける。


 そう言えば、何と声をかけるか考えていなかった。どうしようか、このままでは用も無しに肩を叩いた不審者だと思われてしまう。ふと、彼女の手元に目をやると、血が付いているのに気が付いた。きっと、猫を撫でている時に付いたのだろう。


「君、手に血がついてるよ。これ、使って」


 ポケットからハンカチを取り出して、彼女に差し出す。


「あ、ほんとだ……。でも……、悪いですよ。ハンカチ汚れちゃうから……」


「いいよ。そうするためのハンカチだから。遠慮なく使って」


「じゃ、じゃあ……、使わせてもらいますね……」


 彼女はおずおずとハンカチを手に取った。どうやら押しには弱いようだ。それにしても、なんだかとても生きづらそうな子だ。


 私には、見ただけでわかる。この子は、何か大きな咎を背負って、ままならない人生を送っているに違いない。私はこの目を知っている。深い闇を湛えたこの目を。と同じ、大きな苦しみを自分の内に押し隠した人間の目だ。


 市内放送が小学生たちに帰宅の時間を告げる。しまった。早く帰って面倒ごとを片付けたかったのだった。急いで帰らないと。


「それじゃあ、また!」


 きっと、この子にはまた会うことになる。それどころか、この出会いはもっと大きな縁に繋がっているような気さえする。私は彼女に手短に別れを告げて、足早に立ち去った。



「あ、待ってください!このハンカチ、どうしたら…………行っちゃった……」



―――――――――――――――



 あれから一ヶ月……。今日は入学式の日だ。私は、昇降口のクラス分けの掲示を見て、自分の教室に向かっている所だった。

 

 あのショーヘアの暗い子は、そもそも合格していたのだろうか?少なくとも、あの時の表情には合格の喜びは見て取れなかったし、彼女が不合格だった可能性は否定できない。あの時は、彼女との縁を確信してあの場を去ったけど、名前くらいは聞いておけば良かった。


 1年生の学年棟は校舎の4階にあり、階段で登って行くのはまあまあ面倒だった。更に、4組の教室は学年棟の端にあり、私の教室はこの校舎で最も昇降口から遠い場所にあるということになる。同級生達にとって、遅刻に不利なこのクラスに組み分けされたのは不幸なことだろう。私は遅刻なんて全く気にしないので、どうでもよかったけど。


 ドアを開け教室入り、自分の席を確認する。左から2番目の列の最後尾、ドアにも近いしラッキーだ。自分の席について教室を見渡すと、まだ人はまばらで空席も多かった。入学式もまだ始まらないことだし、スマホで調べ物でもするか。正直、入学式だってどうでもいいのだ。退屈な式だったら途中で抜け出してやろうかな。


 そんなことを考えながら、調べ物をしていると、正面のドアから誰かが入って来た。私が席に着いてから既に何人もが教室を出入りしていたのに、視界の端に捉えたその人の事がやけに気になった。スマホの画面から目を離して、その人に目をやる。


 その人は、ショートヘアで、世界の不幸を一身に背負い込んだような顔で、深い闇を湛えた目をしていた。合格発表の日のあの子だった。まさかあの子と同じクラスになれるなんて!やっぱりあの時感じた縁は本物だったんだ!


 彼女の席は一番左側の最前で、この席からは彼女の様子がよくわかる。教室にいる限り、好きなだけあの子を観察していられる。あぁ、もっとあの子のことを知りたい。もっと見ていたい。だって、彼女こそが私の運命に決着を付ける最後の鍵、私とを救う救世主……。きっとそうに違いないんだから……。

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死にたい子ちゃんと悪い子ちゃん 皀龍胆 @yuri_no_hito

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