飛ぶ鳥と潰れた蛙②


「た、確かにすごく助かってるよ!この場所のことも、遺書のことも!でも、分からないよ!南さんは、なんていうか、私の自殺を手助けしたいっていうよりも、私に自殺をしてほしいみたいに見える……」


「……何が言いたいのかな?」


「それは……、その、南さんはなんか、全部計画通りにやっている気がして、だとしたら、それって、お、おかしいよ!」


南さんはややうつむいて、静かにため息をつくと、今度は打って変わって優しい表情で私を見つめる。


「雪乃ちゃん……、私は君の苦しみをわかってる。君は今まで酷い境遇の中必死に生きてきた……。そして、自分の努力が決して報われないことに気が付いた。誰も君を必要としない。君は自分が無価値だと確信して、絶望した。だから自殺したいんでしょう?違う?」


彼女は柵の基礎の上に登り私の隣に立つと、優しく肩を抱き寄せ覗き込むように私の顔に顔を近づける。


「私が自殺を止めないのは、君があの猫に言った言葉と同じ理由……。死よりも辛い生があることを知っているから。死に救いを求めることを悪だと思っていないから。私にはやましいことなんて何もない。だから、あなたは安心してここから飛べばいい……。」


南さんのこの気持ちに嘘がないことは分かる。

でも、彼女は決して核心には触れず、私を煙に巻こうとしている。

どうしたら、何をすれば、彼女の本心を引き出せる……?


その瞬間、私の脳裏に一つの疑念がよぎった。

あの時の彼女との会話……、一つ引っかかる部分があったはず。

まったくの無関係化もしれない。でも可能性はある。


「よ、4年前の自殺と何か関係があるのかな……?ここに昇ってくるとき、話してたでしょ?4年前の自殺について。南さんはすごく詳しく話してたよね?飛び降りた場所、即死じゃなかったこと……。」


自分で話題に挙げておきながら、彼女の反応が怖い。

彼女から顔をそむけてしまう。


「……話の繋がりが見えないよ。それに、高校生が学校で飛び降り自殺したとなれば、ニュースになってテレビや新聞で報道されるでしょ?私が詳しく知っていても不思議じゃ……」


「それはおかしいよ!確かにニュースにはなると思う……。でも普通、落ちた場所とか即死じゃなかったこととか、そこまで詳細な報道はできないはず!南さんの話は、まるで実際にその場所に居合わせたみたいに詳しかった……。その自殺した人と南さんは関係があるんじゃないの?」


「…………。君の言いたいことはわかった……。でも、まずもう一度聞かせて。」



「君は、……?」



南さんの息が耳にかかる。

私はこの瞬間、彼女に対して初めて明確に恐怖心を抱いた。

背筋は凍り付き、足が微かに震えだす。

だけど、私は知りたい。彼女の真実を。


「し、死にたい……。今……。」


正直、この答えが自分の本心なのかどうか、私にはもう分からなくなっていた。

今この瞬間、私にとって最も重要なのは自殺することだろうか?

それとも……。


「雪乃ちゃんの想像通りだよ。当たり。4年前の自殺者は私の知ってる人だったし、自殺の瞬間にも立ち会った。自殺の現場について詳しく話せたのは、全て見ていたから」


彼女は意外なほどにあっさりと質問に答えてくれた。だが逆にそれが不穏さを感じさせる。

でも、私が本当に知りたいことは、彼女が私に筋書き通りの自殺をさせたがる真の理由。

きっと、4年前のことに関係があるはず。それをはっきりさせなければ。


「じゃあ、南さんが私の自殺を…」


「もう黙って。私は全てを話した。君にお願いされたから。君がこれから死ぬ人だから。今度は君の番。さあ、飛んでよ!」


「待って、私まだ南さんに聞きたいことが…」


「飛んでよ!これ以上は何も話さない!飛んで!!」


南さんは語気を荒げ、私の肩を掴む手に力を込めた。

彼女の指先が痛いくらいに肩に食い込むが、あまりの剣幕に私は声を上げることすらできない。


もう一度、はるか下のコンクリートを見つめると、そこに落下の衝撃で潰れた自分の死体がある様をありありとイメージすることができた。

恐ろしい。

私は死ぬのが恐ろしい。南さんのことも恐ろしい。

でも、無価値で空っぽな自分として生きていくのも恐ろしい。

死にたい。消えてしまいたい。飛んで楽になりたい。

でも、



「ごめんなさい、南さん。私今は死ねない。だって私南さんのこと…」



南さんの顔を見たとき、“鬼”という言葉が頭に浮かんだ。

表情には一切感情が表れていないのに、どうしてこんなにも恐ろしいんだろう。

鬼という生き物が存在したのなら、きっとこんな顔をしているはずだ。

私は震え上がった。


「……嘘つき。……最初で最後?……どうせ死ぬ人間?……今死にたい?全部嘘だった。こんなの許せない。絶対に許せない」


彼女は私の肩から手を離すと、今度は私の制服の背中側を掴み、引っ張り上げた。

そして、そのまま凄まじい力で私の上体を柵の向こうに突き出した。

私はとっさに両手で柵にしがみつき、体を柵の内側に戻そうと試みた。

しかし、彼女の力のほうが圧倒的に強く、ちっとも体を起こすことができない。

力が強い人だとは思っていたけど、こんな膂力りょりょくを隠し持っていただなんて。


「や、やめて……!!嘘じゃないの!!南さん話を聞いて!!」


「許せない。飛び降りて。君は今ここで死ぬの。飛んで」


「お願い……!!離して!!本当に落ちちゃう……!!」


抗うことができず、私の体はどんどん柵の向こうに押しやられる。

柵を掴む指は痺れだし、足は今にも宙に浮きそうだ。

あぁ、死んでしまう。どうすることもできない。もう終わってしまう。


「飛び降りてよ。私のために。ちゃんと、死んでよ。私の目の前で」


彼女は淡々とした口調でそう言った。

“私のために死んで”

きっとこれが彼女の本心だ。

その言葉に隠された真実の全てを知ることは、もうできないだろう。

でも、最後に本音が聞けた。

この時、私が感じていたのは諦めとささやかな満足感だった。


ついに両足が宙に浮いた。

次の瞬間、私は自分の体が重力に従って下方に向かい始めるのを感じた。

事故の瞬間がスローモーションになるという話は本当だったんだな。

全てがゆっくりになって、音がよく聞こえない。

ゆっくりと体が地面に近付きだす。

私は自分の運命を悟り、目を閉じた。



その直後、ぐいと体を引き上げられ、その勢いで南さんの胸に飛び込んだ。

そして抱きしめられたまま、二人で屋上の床に激突した。

体が痛いけど、柵の向こうに飛び降りるよりはマシに違いない。


南さんは泣いていた。


「ごめんなさい……。君を殺したかったわけじゃない…。本当にごめんなさい……」


私もいつの間にか泣いていた。

暫くの間、私たちは床に転がったまま抱き合っていた。

南さんは消え入りそうな声で「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返し続けた。

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