飛ぶ鳥と潰れた蛙①
「なんか、もっとこう、怒りとか、そういうのをぶつけなくていいの?」
完成した私の遺書を読んで、南さんはなんだか不満げだ。
「うん。怒ってるわけじゃないから。でも、南さん、ありがとう。書いてよかったよ、遺書」
「話してる時から思ってたけど、君は自分を責めすぎだよ。この遺書だってそう。でも君がいいならそれでいいよ。遺書は書くことが大事だから。どういたしまして」
どうして南さんはこんなにも遺書にこだわるんだろう?
触れてはいけない訳がある気がして聞くことが出来ない。
「遺書は靴の下に置いておこう。風で飛ばされないように」
促されるままに靴を脱いでその下に遺書を置き、南さんにエスコートされ、グラウンドに面する側の柵の前に歩いて行く。
「ここからなら高さは十分だし、下は硬いコンクリートだから、確実に即死できるよ」
南さんが地面の方を指差す。
柵越しに下を覗き込むと、あまりの高さに身がすくんだ。
15mか20m、それくらいはあるだろうか。
ここの真下は丁度正面玄関の前で、確かに硬いコンクリートで舗装がされている。
南さんの言う通り、ここなら確実に死ねるだろう。
50㎝ほどの高さの基礎の上に柵は立っていて、基礎の上に登ると丁度柵が腰の下あたりの高さになった。
少し身を乗り出せば、飛び降りることができそうだ。
南さんが隣で柵に背をもたれて私のことを見ている。
「頭から真っ逆さまに落ちたほうがいい。大丈夫。目を瞑って落ちれば、気持ちよく飛んで、気付きもしないうちに死んでる」
「ん……わかった……」
足元に目をやると、遥か下方に地面が見える。今からあそこに向かって飛び降りる。
深呼吸をして、目を瞑る。
“気持ちよく飛んで、気付きもしないうちに死んでる”
大丈夫。怖くない。
心の中でそう唱え、上半身を大きく前に乗り出す。
瞬間、頭の中にイメージがよぎった。
猛スピードで地面に向かって落下する自分。
どんどん地面が迫ってきて、とうとう大きな音と共に激突する。
私は、冷たいコンクリートの上で身体を動かすこともできず、自分の血でできた海が広がっていくのをただ眺めている。
私のもとに、近づいてくる足音が聞こえ、視線を上げると……、
そこには、南さんの姿があった。
死にきれなかった私を不憫そうに見つめる南さんと目が合う。
その瞬間、私の胸にある一つの感情が沸き起こり、私は我に返った。
とっさに上半身を起こし、私は柵の淵をぎゅっと握りしめた。
どうして?今更こんな気持ちになるなんて……。
目を開き、荒くなった息を整える。
「……雪乃ちゃん?」
「南さん……。言ってたよね、私のことずっと見てたって。でもどうして?私なんて、ちょっと勉強ができる以外に何にもない人間だよ。運動はからっきしだし、見た目だって南さんみたいに綺麗じゃない。どうして私のことなんか見てたの?それだけじゃない……。いくら私の自殺願望を見抜いてたからって、ふつうここまでしないよ。どうして私の自殺を手伝うの?どうして私の自殺を見届けたいの?」
「……そんなこと、今聞いてどうするの?」
「私を見てたって聞いた時から、ずっと気になってた……。私、どうせ死ぬ人間だよ!お願い!最期に教えてよ!」
私の隣で、南さんはしばらくの間沈黙していた。
教えたくないのか、それとも教えられないのか。
それとも、こんな会話で自殺を先延ばしにする私の浅ましい企みを見抜いて、軽蔑しているのか。
「……君はさっき下の屋上で、私とは初めて話すと言ったよね。けど、それは違うよ。君は……、忘れているかもしれないけど、私は覚えてる。
この学校の合格発表の日、その帰り道で君は車に轢かれて死んだ猫の死骸を見てた。その猫は脚が三本しかなくて、あばらが浮き出るくらいに痩せてた。餌がうまく捕れなかったんだろうね。
他の受験生と保護者は、猫を見て気の毒がったり、気味悪がったり、縁起が悪いと言って目を背けてた。でも君は……、君はその猫を撫でた。それから『死んだから可哀そうなんてみんな勝手だよね。生きることの方がよっぽど辛かったよね』って、そう言ってた。後ろで聞いてたんだよ……」
「あっ!……そうだ、思い出した!あの後、ポニーテールの子が私に『手に血がついてるよ』ってハンカチを貸してくれて……!あの時の……!」
「そう。あれ以来ずっと君のことが気になってた……。だから、君と同じクラスだと分かった時はうれしかった。でも、今日まで忘れられてたとは心外だな……」
南さんが少し拗ねたような顔でそんなことを言うので、私も慌てて言い訳する。
「最初にあった時はポニーテールで服装も違ったし、雰囲気も今と全然違うし!!そ、それにあの時は猫のことで頭がいっぱいで!!」
「もういいよ。そのことはもう許してあげる。さ、これが私が君をずっと見つめていたわけ。納得できた?」
「それは分かった。でも……、もう一つの質問にはまだ答えてもらってない!なんで自殺を手伝うの?そこまで、気にしていたなら普通は自殺を止めるんじゃない?なん……」
南さんの怒りの形相に気が付き、私は言葉に詰まった。
二人の間にまたも沈黙が流れた。
「……君にだってその方が都合がいいよね?私が隣で自殺を助けた方が、君にとっていいはずでしょ?なんでそんなこと気にするの?雪乃ちゃん、……君、ほんとに自殺する気あるの?」
沈黙を破ったその声色は、いつも通り落ち着いていたが、やや低いトーンで形容しがたい凄みを含んでいた。
南さんが、怒りのオーラを纏い、私を睨みつけている。
どうやら私は彼女の逆鱗に触れてしまったようだ。
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