絶対悪について

この世には、悪と呼ばれる行為や思想があります。


盗み、殺し、国家転覆とまあそれら法律に禁止されてること全般が悪しき行為になるでしょう。


読者の中には、『なぜ盗みや人殺しが悪いことなの?』と疑問に思ったことがあるって人もいることでしょう。


正しい答えが用意されてるわけでもないけど、自分の考えとしては、【人同士が社会の中で暮らす中で、他人・社会に害を与える反社会的行動】こそが悪と定義されているのだと思っています。


金持ちからお金を取る、自分にとって邪魔なやつは殺す等、それらの行為は個人的に見れば得なのです。


しかし、そんなのがまかり通れば集落や国家などは作れません。


これがおそらく法律が生まれた考えの根底なのだと思います。


そして、悪が生まれた瞬間でもあると考えてます。


……悪って、本当にあるの?


いや、まあ、ここまでのことを書いておきながら、悪なんてないって話するのはおかしくない?? ってなるとは思いますけどね。


しかし、これが本題でもあります。


悪なんて本当は無いんじゃないかって話です。


いや、待ってくださいと思う人のほうが多いでしょう。


どっかのプーチンさんみたいに、虐殺行為を働く人もいて、なぜ悪なんて居ないんだと思えるのか、と。


最初の方で、悪の生まれた理由を語りました。


人同士が暮らしていくために、やってはいけない行為があって、それを様々な文明が、法律という形で明文化し、反した者に罰を与えました。


じゃあ、人が生まれてくる前はどうだったのでしょうか?


人がいない世の中に、なぜ悪が無いのでしょうか?


ちょっと長くなりますが、一から順番に、そして壮大に語ります


まず宇宙はビックバンから始まり、様々な星が生まれました。


その星の一つに地球があって、様々な生命が誕生しました。


それらの結果、宇宙の中には様々な何かが存在することになりました。


その存在をもっとシンプルに、たった二つに分類されるであろうことを知ってほしいのです。


宇宙には、【自分】と、【自分以外】が存在する。


これがすべてです。


【自分】に入るのは様々で、今執筆してる私という【自分】もいれば、この文章を読んでくれているだろう読者の方々という【自分】もいます。


宇宙に存在する原子の数だけ【自分】がいて、その【自分】からみれば【自分以外】しか存在しないのは当然の話でしょう。


さて、何が言いたいのかというと、【自分】と【自分以外】との間に生じる現象について、皆さんに教えたいのです。


その現象の名は、【経験】なのです。


自分たちが朝起きて歯を磨いて学校行って働いて食って寝る様々な生活をしているそのすべてが経験です。


自分と自分以外があるからこそ、今を経験し続けているのです。


僕たちが呼んでいる正義とか悪とかも、【経験】にカテゴライズされます。


子供を苦しめて苦しめた末に殺す児童虐待も経験です。


人々を銃器で撃ち殺すのも経験です。


度し難い悪を行う人々を、正義によって断罪するのも経験です。


経験とは、悪、なのでしょうか?


いいえ、経験は、善も悪もそのすべてを内包した、ただの経験に過ぎません。


そもそも命を奪う行為が悪なら、肉食動物は皆、悪です。


そしてイルカなどのように知性が高ければ、同族をいじめたりレイプしたりして、快感を得る動物だっています。


人間にだけ悪があるのは、社会的な都合で、悪という存在があったほうが便利だったからです。


適当にここまでをまとめます。


人の社会には悪があります。


けど、宇宙規模(神様目線?)から見れば悪なんて存在しないということです。


そ・し・て・


これから話すことが、真の本題、創作論についてです。


結論を言います。


創作の世界には、【悪】が存在します。


……これが、現実と創作に存在する壁。


越えられない壁です。


創作の用語では【絶対悪】と呼ばれています。


現実には【絶対悪】はありませんが、創作の世界には【絶対悪】があります。


これには理由があります。


創作者は、己の哲学を創作世界に反映するからです。


暴力を憎む創作者は、大きく2パターンで話を作ります。


暴力シーンを出さないか、暴力反対を作品のテーマにするか、です。


作品の世界が誕生した瞬間に、作者の価値観が吹き込まれ、その価値観に沿わないキャラクターは出てこれないか、悪役という立場で登場することになります。


そしてその価値観は、作品のテーマとしてストーリー展開、キャラクター、世界観を一つの作品にまとめられ、読者に提示されるのです。


皆さんにとっての、絶対悪とは何でしょうか?


自分にとっての絶対悪は、他人の心を弄ぶことです。


昨年自分が書いた長編小説、【小卒~】では、他人の心を弄ぶ連中を悪役として出して、その全員が破滅していく話を書きました。


いわゆるざまぁ物であり、勧善懲悪な話です。


ここで前半の話を思い出してください。


本当は現実に、悪なんてものは存在しません。


例えですが、自分から見て死んでくれたほうがいいと思うような人がいて、本当にその人が極悪人だったとします。


ですが、別の人にとっては、『この人が狂おしいほど好き』『心の底から愛してる』と思うような人がいたりするものです。


さて、本当にこの人は死んだほうがいいのでしょうか?


本当に悪役は死ぬべきなのでしょうか?


自分なりの創作論の結論として、はっきり言います。


もし、勧善懲悪を作りたいのであれば、本当の悪は存在しないと知った上で作った方が、悪役に厚みを出せます。


なぜなら、本当に死んだほうがいい人間とは何か? を問いかけながら作ることができるからです。


死ぬべき悪役に必要なキャラ付けは、全員が見て、その全員が心の底から『こいつは死んだほうがいい』と思うような、残忍で卑劣でゴミクズで、反社会的かつ邪悪な哲学の持ち主にしなければ、その悪役の死を、読者は心の底から喜ぶことができません。(低俗な性格の持ち主でない限り)


盗みをした程度・絡んできたチンピラ程度・主人公を馬鹿にして追放した程度のやつらは、警察に捕まえられるがせいぜいで、これ以上を行えば、やり過ぎとしてドン引きするのは当たり前です。


そんな死んだほうがいい悪役なんて居るわけねぇ!! と思いながらも、『もし、こんな奴がいれば、死んだほうがいいな』と思う人格を想像してみてください。


もし、自分の良心が痛むようであれば、その悪役を死なすのではなく、警察に捕まるとか、国家を追放されるとか、そのような結末に持っていってください。


(作者にとっての)悪を行ったキャラクターに、適切な罰を与えることこそ、勧善懲悪の本質でありテーマなのだと自分は考えています。


以上が自分なりの創作哲学になります。


……まあガンダムのように、悪役なんて居ない作品を作れればいいのですが、難易度が高いうえに、下手に作ればあまり面白くないという問題が起こりかねないのが悲しいところですよね。


とはいえ、ごちうさのようなほのぼの美少女動物園書いたら、結末をどうするか問題とかもあるし……(そもそもネタとか思い浮かばないし)


とはいえ、悪役を書くのは楽しいですので、みんなも自分だけの最高の悪役を作ってみてくださいね!


全くの余談ですが、自分の中で低俗なキャラクターを主人公にした作品を作ろうかと思って作っています。


が、テーマが反社会的過ぎて、カクヨムの本アカに出すのをためらいそうで怖いです。


ノクターンとかミッドナイトでUPしてたら、日和ったんだなと思っちゃってください(笑)


あと、星が欲しいです!


上げちゃってもいいなら星1で構わないのでください(笑)









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人には教えたくない創作哲学について シャナルア @syanarua

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