第3話 甘い罠
「信乃。クマがでた」
夏休み最終日、部活も忍者修行も終え、夕方の水やり当番で再び学校へ向かっていると、師匠から連絡が入った。
「え、クマですか?」
「さよう。どうやらお主の学校方面へ向かったらしい。忍びネットワークから捕獲依頼もきておるが、信乃には早い。遭遇せんよう気を配れ」
情報提供をありがとう師匠…… しかし人はこれを「フラグ」と呼ぶ。
電話が切れた直後から、嫌な予感が胸の中を迫り上がってきて、僕は走った。
オレンジピンクのローズアーチを潜り抜け、ベリーのような甘い香りが漂う学園花壇に向かうと……
いた、アオイちゃん!
駆け寄ろうとしたが、全身に悪寒が走り、思わず足と息を止めた。
2メートル以上はある大きな褐色のクマが、アオイちゃんと睨み合っている。
あのクマ、胸元にお月さんマークがないじゃん。
ヤバっっ‼︎
アイツは陸の哺乳類でも最大級、ヒグマだ。
ニンニン!
全員大至急戻れ!
僕は、公園、河原、図書館、雑貨屋、それぞれデート中の分身たちに号令をかけた。
5分の1の力じゃ刃がたたない。せめてひとつになって立ち向かおう。
といってもクマに弱点はない。
襲ってきたら急所を守る防御体勢をとって、助けを待つのみだ。
アオイちゃん、今助けるよ。
そして、どんな困難にあっても生き延びるのが栖流の忍者だ!
パァンッ
両手を合わせて大きな音を出す。
よし!
クマの視線を釘付けにすることに成功した。
ここからだ。
「アオイちゃん、ゆっくり逃げて」
固まっているアオイちゃんに声をかけ、僕は臨戦体勢をとる。
華やかな勝利なんて要らない。
クマの目を見る。
そこにあるのは、憂、恐、驚。
怒りは無い。
忍者の力はコミュニケーション。
ならば。対話を。
「大丈夫、怖くない。何もしないよ」
僕は落ち着いた声で優しく話しかけた。
しかし、クマの怯えが消えない。
クマをもう一度観察して僕はハッとした。
「ねぇ、前に会ったよね」
そう、以前は三角帽子を被ってた!
この子は、ロシアサーカスのクマだ!
だったら……
「ズドラーストヴィチェ」
声をかけると、クマが反応した。
表情が軟化。
よしきた!
「スパシーバ」
もう一押ししてみた。
クマ、ちょっと嬉しそう。
僕は優しい声でロシア語の「こんにちは」と「ありがとう」を繰り返した。
知っている言葉に安心したクマは、喜、楽といった表情を見せ始めた。
ALTのマリア先生に感謝。
「色んな国の『こんにちは』と『ありがとう』を覚えましょう」
ってそんなのダルいと思ったけれど、今めっちゃ役にたっています。
後ろを見ると、クマから距離をとったアオイちゃんが何処かに電話をかけていた。
良かった……助かりそうだ。
なんてホッとしたのも束の間。
カチカチカチカチ
どこからか恐怖のカウントダウンのような音がした。
これは……日本最恐の野生動物「スズメバチ」の警戒音。
刺激しちゃダメだ。
最良の対処法は静かに立ち去ること。
しかし、クマにはそんなこと関係なかった。
ブンッ
クマは思い切り腕を振って蜂を払う。
スズメバチは
なかまを よんだ!
ブゥーーン
危険な羽音が聞こえる。
クマは蜂なんてへっちゃらだろうけれど、僕は……。
遠くから黒い塊が飛んでくる。
くっ、ここまでか。
アオイちゃんを守れたからいいか。
と思ったらアオイちゃんがこちらに駆けてくる。
何やってるの⁉︎
そして
「「「「「絶対に君を守るから」」」」」
僕のセリフが取られた。
モモちゃん?
ユキちゃん、ワカバちゃん、ヒマちゃんまで⁉︎
いつの間にか全員集合。
一体何事⁉︎
僕に迫った蜂は、ユキちゃんの放った棒手裏剣に撃ち落とされた。
手裏剣が舞い、煙が踊る。
一拍おいて、黒尽くめの忍者軍団が現れた。
蜂は追い払われ、熊は引き取られていった。
僕は、突然の出来事呆然として目の前の5人の彼女をみつめた。
「これは……?」
「ニンニン」
アオイちゃんが呟くと、モモちゃんが消えた。
ユキちゃん、ワカバちゃん、ヒマちゃんも消えていった。
残ったのはアオイちゃんだけ。
「ごめんなさい。私…… 黙ってて」
項垂れる彼女の手を、僕はそっと握った。
「助けてくれてありがとう」
「怒ってない?」
「うん。ぜんぜん。僕こそごめん」
僕らは眉を下げて微笑み合った。
ちゃんと考えれば気づいたはずだ。
君だから好きなんだ。
本が好きで、動物が好きで、勉強も頑張っていて、本当はちょっぴり感情的で、そして優しい君が大好き。
僕はずっとアオイちゃんの術中で、くのいちの甘い罠に捕らえられちゃっていたのかな。
けれど、それでも良いやと思える。
ただし、僕も負けないよ。
捕らえ囚われるのが「恋」かもしれないね。
モテ期を乗り切るために忍者に弟子入りしたのだが 碧月 葉 @momobeko
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