ZEAL -五分の魂-

snowdrop

クイズ大会決勝戦

「川崎部長、よろしくお願いします」

 お腹から声を出し、窓側の解答席に立つ部長に頭を下げた。

 半袖の白いシャツが眩しかった。

 背が高く細身で、手足が長い。

 何でも掴めて、何処へでも行ってしまいそう。

 だけど、ようやく追いついた。

 出会ってから三年。

 やっと、ここまで来た――。



 教室の机をロッカー側へ移動させ、スペースを開けたところに机を二脚、一メートルの間隔をあけて横に並べ置かれている。

 部長は「よろしく」とだけ返してくれた。

 声が聞けてニヤけそうになるも、気を引き締める。

 そうだ、対戦はもうはじまっているのだ。

 周りから聞こえる声が騒がしい。

 壁際に立ち並ぶ二十六人の部員に「私語は控えてください」と注意したのは、教卓前に立つ出題者役の部員。彼から意気込みを聞かれた。

「ここまで来られて夢のようです。私の想いを込めて全力で部長に挑み、勝ちたいと思います」

 対して部長は、「若い芽を摘むのが先輩の務めなので、遠慮なく後輩を叩き潰したいと思います」ニコリと微笑んだ。

 出題者役の部員からボタンチェックを促される。

 廊下側の解答席前に立つ私は息を吐き、机上の黒くて四角い早押し機に震える手を伸ばす。ボタンを押せば、ピコーンと音が鳴って早押し機の赤ランプが点灯。続けて川崎部長もボタンを押す。

 確認し終えると、出題者役の部員がスマホ片手に「これより決勝戦をはじめます」と宣言。「問題文を読み始めると当時にカウントをスタートします」

 私は、押しやすいよう脚を左足を半歩前に出して腰を落とす。

 垂れ下がる横髪をかきあげた右手を耳にそえ、上目遣いで前を向く。早押しボタンに乗せる指先に即打を任せ、視線は教卓前に立つ出題者の口元、ただ一点を集中。

 横を振り向くな、浮かれるな。

 この五分間に己がすべてを懸けろ。

 今日このとき、この場所に辿り着きたくて、誰よりも懇願し、切望し、研鑽を積んできたのは他でもない。私なのだ。



「問題。どんな弱小なものにも、それ相応の意地や考えがあって、馬鹿に」

 読み上げられる問題文を、耳から脳へと注ぎこむ。洗練された湧水のごとく言葉が脳に染み渡り、考えるまでもなく指先が早押しボタンを押す。

 ピコーンと高らかに音が鳴る。

 赤ランプが灯ったのは、手元の早押し機ではなかった。

「一寸の虫にも五分の魂」

 よどみなく言い切る声に、思わず横目で隣を覗く。

 高身長の背筋を伸ばし、銀縁メガネをかける彼こそ、クイズ研究部川崎部長。部内最強のクイズプレイヤーである。 

 ピコピコピコーンと軽妙な正解音が鳴り響き、部員たちから拍手が上がる。

「正解です。どんな弱小なものにも、それ相応の意地や考えがあって、馬鹿にしてはならないという諺はなにか。で、答えは一寸の虫にも五分の魂でした」

 出題者役の部員が説明するのを聞きながら、歯噛みする思いで、私も勝者にむけて拍手を送った。

 わかってたし、押した。

 でも、部長の方がわずかに早かったのだ。

 私はなんて、弱くて、非力で、臆病なんだ。

 このままでは部長に叩き潰されてしまう。絶対、五分の魂で一矢報いる。クイズ大会に部長後輩、男女差なんて関係ない。持てる知識と早押しの技術、躊躇なく挑む勇気と時の運が勝敗を決める。最も体育会系に近い文化系部活、それがクイズ研究部。私が選んだ場所なのだ。

「問題。不動産の表示に関する公正競争規約施行規則によって決められている徒歩」

 公正競争規約ってなに?

 考えようとした途端、隣の早押し機のランプが点灯した。

「四百メートル」

「正解です」

 正解音が鳴る中、顔を上げて川崎部長の表情をみる。

 親指と人差し指、中指の三本で、銀縁メガネを軽く上に押し上げていた。

「今の問題は、駅まで徒歩何分かについての問題だと思いました」

「そのとおりです。不動産の表示に関する公正競争規約施行規則によって決められている徒歩所要時間において、徒歩五分は何メートルかという問題で、答えは四百メートルでした」

 あっと声が出そうになる口を手で覆った。

 確かに『徒歩』と聞こえた。

 聞こえていたのに、押そうともしなかったなんて。

 下唇を噛みつつ、不甲斐ない自分を恥じた。



 今回のトーナメント制クイズ大会は、五分間耐久戦。

 出題される問題を早押しで解答。正解すれば一ポイント。誤答しても減点なし。負ければ脱落。敗者復活なし。相手より多く正解ポイントを獲得した人の勝利となる。

 通常は出題数が決められているが、今回は時間。つまり、競い合う出題数が誰にもわからない。計算問題の難問なら三問、テンポよく進めば九問までもつれるかもしれない。

 そしていつものことながら、クイズ大会に優勝した者は勝者としての栄誉と、次回大会のシード権が与えられる。

 私が部長と対戦するのは今回が初めて。シード権のある部長と対戦するには、とにかく勝って勝ち抜いて、優勝決定戦に挑まなくてはならなかった。

 出題される問題文は、くじ引き形式。出題者役の部員が問題文ボックスに手を入れ、無作為に一枚選び取って読み上げるのだ。

 実はこの問題文、部員全員で作問したものである。作問ノルマが与えられており、規定数以上作れなかった部員は、問題文を読み上げ正否を判定する出題者をする約束となっている。

 今回は『五分』にちなんだ問題を一人五問以上、作るのが参加条件。対戦時に自分が作った問題が読み上げられることもある。その場合、答えがわかっているのだから相手より先に解答できる。つまり、多く作問した人が勝つ確率が高くなるのだ。

 どうしても勝ちたくて九問も作ってきた。しかも、接戦のタイミングで、運良く私の作問が出題されてきたのだ。

 運も実力の内。おかげで、なんとか決勝にまでこぎ着けた。

 私の作った問題が出題されたのは、これまで八問。答えがわかる問題はあと一問しかない。

 こんな私が、本当に部長に勝てるだろうか?



「問題。米一に対して水七の割合で炊くのが七分粥ですが」

 ――しまったっ。

 余計な事を考えていて、反応が遅れた。

 気づいたときには、部長の早押し機のランプが赤く点灯していた。

「十」

「正解です」

 続けて三ポイント先取。

 さすが部長。よどみなく答えている。

「五分粥とは米一に対して水の割合はいくつで炊くか、と続く問題で、答えは十でした」

 部長に拍手を送る。と、すぐさま気持ちを切り替えた。

 一度の失敗は一度の成功で贖えばいい。

 人の命以外、償えないものなどありはしないのだから。

 自身に言い聞かせては、吐いては吸ってをくり返す。

 これ以上押し負けたら、逆転なんて無理。

 そしたらもう、部長の隣に並んで立てない。

 次もその次も勝って、もっと部長と一緒にいるんだ。

 だから今、今だけは、余計なことを考えるな私。

 出題される問題だけに集中しろっ。

 右手を耳に、左手を早押しボタンにそえて、出題者の口の動きに注視する。

「問題。一インチは約二十五・四ミリ」

 ――来た! 私の作問っ。

 考えるより先に指が動いていた。

 弾くように腕を振り上げたとき、部長の手が動いたようにも見えた。赤ランプが点灯したのは、どっちだ。

「文峰さん、解答をお願いします」

 出題者に促されるまで、押し勝ったことに気づかない自分がいた。

 喜びも束の間、五秒以内に解答を答えなければ負けてしまう。

 答え……なんだっけ?

 やばい。

 出てこない。

 考えろ。

 思い出せ。

 焦るな。

 まだ時間はある。

 額に手を当て、思考から靄を払い除け、ノートに書いて作問を作った記憶を思い出して意識を集中させる。

「……九ミリ」

 すぐに音が聞こえない。

 出題者の小さく挙げた右手が止まってる。

 間違えた?

 それとも、どっち?

「正解です」

 ピコピコピコンと響き渡る正解音が、一瞬笑い声に聞こえ、思わず出題者を睨みつけたくなった。タメは絶対わざとだと文句が出そうになったとき、

「いまの押しは早かったね」

 部長の真摯な態度と言葉に我を取り戻す。

「あ、ありがとうございます」

 部長の声を聞いて、ぱーっと胸が熱くなる。

 浮かれるな、私。まだ一問しか正解してない。

 これから反撃だ、と言い聞かせて気持ちを引き締める。

「問題文の続きは、一インチの八分の一は一分で約三・一七五ミリですが、五分刈りは何ミリか。答えは九ミリでした」

 出題者の説明のあと、

「五分は何ミリか、と思わせておいて、髪型の五分刈りを問いかけるですが問題……ひょっとして作問した問題だった?」

 川崎部長に聞かれ、素直にうなずく。

「だよね。でないと、あのタイミングで正解するのは難しい」

 これで私の作問は全部読まれた。

 でもいい、ここからだ。

 早押しボタンに指を乗せながら、高ぶる気持ちが心地よくて仕方ない。なぜなら、この日が来るのを長い間ずっと待ち焦がれてきたのだから。



 川崎部長と出会ったのは、いまから三年前。

 クイズ好きな友人に声をかけられて部活見学に訪ねたときが、最初の出会いだった。

 テレビ番組でみたような早押し機を使って遊んでいる部活にしか見えなかった。だけど、どの部員も最後まで読まれる前にボタンを押して解答していく。どうして答えがわかるのか、さっぱりわからなかった。

 ひと際目についたのが、誰よりも早く押し、間違うことなくクールに答える川崎部長。勝利したときにみせる、幼子のような無邪気に歯を見せて笑う屈託のない表情に心を奪われていた。

 一目惚れ、だった。

 部長と話すきっかけが欲しくて、「どうしたら強くなりますか」と質問していた。正直、クイズなんてどうでも良かった。

「早押しクイズに勝つ為には、意識する五つの秘訣がある。問題文から導き出すことで答えが一つに定まる確定ポイント。助詞の使い方。ですが問題。読ませ押し。頻出知識を身に着ける。これらができるようになれば、もっと楽しくなるよ」

「できるようになるには、どうしたらいいですか」

「勉強と同じだよ。反復練習。何度もチャレンジを続けるのさ」

 飽きっぽい性格の私に部長は、いつも声をかけてくれた。

 部長と話すのがうれしくて、だからクイズ勉強をし続けた。

 だけど部長は三年生だったから、受験勉強のために部室から姿を消し、そのまま卒業。その後私は、必死にクイズで勉強し、川崎部長が入学した高校を受験。クイズ研究部に入部して再会したのだ。

 部長と過ごしたあの時間が、私の人生を変えさせたのである。

 三年ぶりに再会できたのは嬉しかった。でも、部活があるのは二週間に一度。しかも、部員数がめちゃくちゃ多くてろくに話す機会がない。唯一話せるチャンスが、部内のクイズ大会。部長と話すには、勝ち上がって部長と対戦するしかなかったのだ。

 ようやく、部長の隣に立てた。

 横顔を黙ってみているだけで、なぜか落ち着いてくる。彼の見つめる向こう側を一緒に見つめる、この瞬間がたまらなく好きだから。

 実力で押し勝って「あなたのおかげで強くなった」と伝え、頑張ったねと彼に褒めて欲しい。そのためにも、私の気持ち、あふれる想い、心を込めて次の問題、必ずボタンを押すんだ。



「問題。『私は、私の眼、私の心、私の身体、すべて私という名の付くものを」

 指先でボタンを弾く。

 部長の手も動いていた。

 でも、手元の早押し機の赤ランプが点灯してる。

「こころ」

 身震いしながら、解答を口にする。

「正解です」

 ピコピコピコーンと正解音が、張り詰めた緊張を和らげていく。

「問題文の続きを読みます。『五分の隙間もないように用意して、Kに向ったのです。』が作中に出てくる夏目漱石の代表作の一つは何か。答えは、こころでした」

「授業で勉強したのを思い出せた……」

 ふう、と一息。知識で勝ち取った一勝だ。

 川崎部長は小さく手を叩いてくれていた。が、次の瞬間には眼鏡の奥の眼光は、獲物を狙う猛禽類を思わせるほど鋭くなっていた。

「問題。英語で『upsides』」

 ピコーンと聞こえ、横目で見る。

 部長の手元の早押し機のランプが、赤く点灯していた。

 正解すれば二点差。

 私の……負け?

 部長は顎をしゃくる右手の肘を左手で抱えて立っていた。

 出題者の五秒カウントがはじまる。

「……三、……二、……一」

 不正解のブザー音が室内に鳴り響いた。

 ――嘘っ、部長が答えられなかった⁉

 ひょっとして、私の快進撃が部長に圧を与え、押すタイミングを早めさせたのかもしれない。逆さまだけでは答えを類推するのが難しかったんだ。けど、誤答に減点はない。かわりに解答権はなくなる。つまり、私だけが最後まで問題文が聞ける。

「もう一度読みます。問題。英語で『upsides』『toss up』『fifty‐fifty』といえば、日本語では何でしょうか」

 私は迷わずボタンを押す。

「五分五分」

「正解です」

 これで同点。まさに五分五分だ。

 顔がほころぶも、隣に立つ部長のクールな表情をみて、思いとどまる。浮かれるのはまだ早い。やっと追いついただけだ。

 スマホ画面を一瞥する出題者の「時間も迫っていますので、次の問題が最後となります」言葉を聞いて、部長と私は前傾姿勢になりつつ、早押しボタンに指を乗せた。

 私と彼だけが参加できるラストクイズ。

 全身全霊を込めて、この早押しにすべてを懸ける!

「問題。第二次大戦において無条件降伏を拒否し、地下都市を拠点に人口二十六万人になっても国連軍相手にゲリラ戦を続ける誇り高き戦闘国家を描いた芥川賞作家・村上龍の」

 ピコーンと鳴り響いた音が耳に届く。

 視界に入る点灯する赤ランプ。

 早押し機――私のだ。

 気づいた瞬間、はじまるカウント。解答までに与えられるシンキングタイムはこの世で唯一人、私だけに与えられた永遠の五秒間。

 たとえ部長でも、奪うことはできない。

「五分後の世界」

「正解です」ピコピコピコーンと高らかに鳴り響く正解音に出題者の彼が手を叩く。「芥川賞作家・村上龍の作品タイトルは何か。答えは五分後の世界。お見事でした」

 勝者を称えて拍手する部員たちの中、私は部長にむかって両手を広げて抱きついた。

「やりましたよ、部長」

 私に驚きながらも、ポンポンと頭を撫でてくれた。

「クイズが……大好きな先輩を追いかけて、ここまで来ました‼」

「嬉しいよ。本当すごかった。修練したんだね」

 川崎部長の胸の中で、三年分の想いを込めて私は泣き続けた。

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