31. 本当の遺書
遺書
このたびは皆様に多大なるご迷惑をおかけいたしました。深くお詫び申し上げます。特に、生前お世話になりました友人の皆様、お仕事をご一緒させていただいた皆様、近親者に対して深くお詫びする次第でございます。
私は皆様にお伝えせねばならないことがございます。
母を殺害した犯人は私です。
これまで、このことを公にすることができず、申し訳ございませんでした。
何の言い訳にもなりませんが、私はつい一月前まで自分でもこのことを忘れてしまっていました。患っていた精神疾患の治療の一環として受けたカウンセリングにより、忌まわしい記憶を思い出したのです。
私は父の子ではないのだと母から知らされました。初めはまさかと思いましたが、私と父は才能がまるで違いましたからすぐに納得したのです。母は私の出生について洗いざらい話しました。それを語る母は淡々としていて薄笑いさえ浮かべていました。その出生の由来は当時の潔癖な私には耐え難いものでした。そうして、私は母を手にかけてしまったのです。
父はきっとそれを知らなかったはずです。ご承知の通り、父は長く米国の大学で教鞭を取っており、その実直で教育熱心な人柄で知られています。もし父がこのことを知っていれば、決して隠し立てをするようなことはなかったと誓って言えます。
私が遺書という形でことの経緯をお伝えすることの意味は、皆様のご想像に委ねたいと存じます。これまでのご厚意に感謝申し上げます。
渡辺和人
*
最後に、逝去する直前に発表された氏の理論の、私なりの解釈を申し述べたい。
氏の証明した不等式はこうであった。
ΔS≥D
これは、エントロピーの増大⊿Sが、正の値Dよりも常に大きいという主張である。従来のエントロピー増大則である⊿S ≧ 0 は、Dがゼロで無い限り達成することができないのである。
Dとは、関係性から生じる量である。世界の構成要素が互いに作用しあい、複雑に絡み合っていく。複雑さの嵐の影響でDが大きな値を取り、世界は熱力学第二法則が主張するよりも厳しい状況に陥ってしまう。私たちはその複雑さの嵐の中で生存せねばならない。つまり、恒常性を維持していかねばならない。
その困難さのなかに、知性の意義が生じてくる。知性が世界の複雑さを解きほぐせたとき、Dは消滅し、熱力学第二法則が主張する平和な世界へと我々は戻ることができる。生命は、極めて複雑な環境下を生き延びるために、知性を育んできたのである。
そして、このDが示唆する「世界の至る所で我々の観測を待っている内部相関」こそが、我々人間が「意味」と呼んでいるものであると、私には思われるのである。
知性はつまるところ観測と制御である。理解と働きかけといってもよい。高校生の氏は、真理に到達できないことに絶望した。それでも氏は、世界の意味を理解し、世界に働きかけることこそが知性の本質であり、義務であると喝破したのだ。
氏の理論はこのように私に訴えかけてくる。改めて渡辺氏の冥福をお祈りして筆を置く。
著者
*
*
*
おーい、おいおい、ちょっと待て!授業の終わりのチャイムが鳴ったみたいな、ホッとした表情をするんじゃあない!
いや、絶対にホッとした顔をしたぞ!オレは、これを読んでいるお前をずっと観察していたんだからな!
そんなの嘘っぱちだろうって?ふん。まあいいよ。じゃあ、勝手に喋らせてもらうからな。
いま、お前は「こいつは誰だ」って思ったな。絶対に思った!
わからないか?最初にお前に話しかけただろう?覚えてない?
オレだよ、オレ、あ・く・まだよ、悪魔!
あ?お前のことなんて知らないって?そんなわけないだろう!
最初のページを見てみろよ!
ほら、やっぱり書いてあったろう?そういうところが大事だよな。世渡りってのはさ、注意深さと慎重さが肝心だからな。
で、なんだって、また最後にオレが出てきたかって、そう顔に書いてあるぜ。やっと読み終わってホッとしてたのにって。
だって、オレの話はまだ完結してないじゃないのよ。だから出てきたんだよ。
さあ、ここにちゃんと書いておくからな。じゃあな!
*
問題 本文に即して次の問に答えよ。
(1)和人の母を殺害した犯人は誰か。次から選び、その理由を答えよ。
a. 和人
b.父
c.大黒先生
d.ダニエルとビルのカップル
e.サラ
f.サラの母
g.鈴木さん
h.母は自殺した
(2)この文章で作者が一番言いたいことは何か答えよ。
*
*
*
(1)および(2)の模範解答。
この世界には客観的な真理は存在しない。
ーーー悪魔
そこでは私は、私にとって明晰なものだけを信じることにしようと思う。
ーーールネ・デカルト「省察」より
ホモ・アド・センサム ー意味を付与する者ー す @sssan
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