30. こうして母は目覚めた
発作を抑えようとしたが、父のビジョンは下腹部の全体へと溢れ出していた。芯の部分に絶え間なく注がれる父のビジョンは、芯を冷やして熱を持ち、その熱を持ったまま下腹部へと溢れ出して、発作の波と一体化していった。父のビジョンはと一体化して勢いを増した発作の波は、それを押し止める堤防がいったん決壊してしまえば、ぼくの人格それ自体をまったく違う場所に押し流してしまうだろう。
だが、ぼくの芯は冷え切って固まってしまった。
そのタイミングを見計らった父は最後にこう言った。
柵の外の羊は、見えない羊だ。
誰からも見えない、透明な羊だ。
誰にも気づかれない。声も届かない。
とうとうその羊は、じぶんがもう死んでしまったのだと信じるようになった。
父が口をつぐんで、沈黙がオフィスを支配したとき、狭まっていたぼくの視野が突然広くなった。その視野は、真っ白な光で満たされた。部屋の壁は一面真っ白だった。窓もドアも見当たらなかった。その部屋の中には父の姿はなかった。父の代わりに、夢で見た、真っ赤なシャツを着たぼやけた顔をした男が目の前に立っていた。
ぼくは夢の中にいるのだと思って必死で目をこすったが、その部屋から出られなかった。
男は口を半開きにしてぼくを嘲笑しているようだった。その口の中ははやりぼやけていたが、血のように真っ赤だった。その表情のままで男が近づいてきてぼくに強い口調で尋ねた。
「あなたは誰ですか?」
ぼくは答えようとしたが、口を開くことができなかった。肺から逆流してきた空気が口から排出されず、頬が膨らんだ。
男は「ここで何をしているんですか?」と同じ強い口調で尋ねた。
どうしても口を開いて答えることができなかった。唇が縫い合わされてしまったようだった。
だが、いったいぼくは何と答えようとしているのか。
口を開くことができないのではない。
ぼくは答えを持っていないのだ。
赤いシャツの男はそのことに気づき、大きな口を開け、腹を抱えて笑い始めた。笑うと、男の顔の半分がそのおうとつのある真っ赤な口で占められてしまった。男の笑い声は、純粋な笑いだけが含まれた音声だった。男は笑いながら、壊れたスピーカーのように何度も何度も「あなたは何をしているんですか?あなたは誰なんですか?」と純粋な音声で繰り返した。
その耳鳴りのような声から逃れるため、ぼくは耳を塞いだ。だがいくら耳を塞いでも、その声は消えなかった。
あまりの不快さに大声をあげようとしたその刹那に、真っ白な部屋も赤いシャツの男が消え去った。
胸が強く掴まれたようにぎゅっと萎み、後頭部が何かに殴られたように痛み始めた。再び視野が急速に狭くなって父が遠くの方で小さくなっているのが見えた。「父さん。父さん」と言おうとしたが、ぼくの声は像を結ばずに、空疎な音声信号として空気を揺らすだけだった。
息苦しかった。懸命に息を吸い込もうとしたが、どうしても空気を肺に取り込むことができなかった。肺胞がすべて縮んで固まってしまったかのようだった。
遠くに見えている父はぼくに向かって、何かを言っているようだった。だが、ぼくは何も聞こえなかった。聴覚野への通信路が何らかの理由で遮断されてしまったようだった。
「父さん行かないで」と何度も言おうとした。だが、ぼくの口は空気をわずかに揺らすだけで、どうやってもメッセージを音声に変換することができなかった。
父と手をつなぎたかった。父と手をつないであるきたかった。空き缶サッカーをして、和菓子屋の前のベンチに腰掛けて一緒に団子を食べたかった。だが、手はだらんとしたまま動かなかった。体と魂をつなぐ配線が切れてしまったのだと思った。
そのまま視野は狭まっていき、視野が漆黒で覆われた。
その次の瞬間、再び真っ白な光の中にいた。だが、壁はなく、男もいなかった。
風も無ければ音もしなかった。自分の鼓動も呼吸も感じなかった。
白い光だけがそこにあった。ぼくの体すら消えてしまったようだった。暖かさも寒さも、喜びも悲しみも、憎しみも慈しみも感じなかった。
ただひとつ感じていたのは『存在そのもの』だった。他の何も感じなかったから、存在そのものをくっきり鮮明に感じとることができた。存在そのものに触れ、存在そのものに浸り、存在そのものに溶け込んでいる、それらが同時に展開した。
そこでは、何一つとして具象を見つけることはできなかった。ありのままの抽象がむき出しになって存在していた。個々の具象は、むき出しの抽象として存在していた。ものの名前も属性も関係も種も要素も全体もむき出しに存在していたし、プロセスや行為や出来事すらも同じようにむき出しに存在していた。
抽象は分離していたし溶け合ってもいた。滑らかに溶け合って一つになった抽象は、ごつごつと節くれだった別々の抽象であることが把握された。全てが一つに溶け合っていることと、一つ一つが分節化されていることが、無矛盾に調和していた。椅子とテーブルとビアジョッキの抽象が、向かいの公園や芝生やぼく自身の抽象と一緒に、分節化されると同時に一つに溶け合っていた。それは、理性を説得する合理性と、宗教的な権威や美を兼ね備えていた。
これこそが概念だと思った。概念が意味を持って存在するとはこのことだったのだと思った。これは母と一つになっていた時に埋め込まれた記憶に違いなかった。母から切り離されたぼくが、それでもまだ母と一つになっているときに埋め込まれた記憶を、思い出しているのだと思った。
ぼくの中には初めから母がいた。父がそれを目覚めさせたのだ。
全ての抽象つまり概念が、節くれ立ちながら融合している真っ白な光の中に、父の見つけた理論も存在していた。その理論は、他の抽象概念と比べて一段と節くれだっていて、うまく溶けることができないように感じられた。
その理論は、概念の本来の様相を拒絶しているように見えた。母から継承した記憶と調和していなかった。その理論は完璧に正しかったが、父の理論の縄張りを表す柵の中には、母の世界の一部しか存在していなかった。節くれだっているけれど調和して溶け合っているということ、それが足りなかった。
それは捨てずに利用すればよい。ただし、父の理論を節々ごとに立て、その無数に立てた個別の理論を、ひとつにまとめてしまえば、母の記憶を表現する理論になる。その計算をいまできないことがもどかしかった。
母の世界の完全な表現を得られるのか、ぼくは忘れているだけで知っているのだ。ぼくを突き動かしているのは、ぼくに思い出されるのを待っている、母が埋め込んだ記憶だ。
その記憶を蘇らせる作業。それは問いと回答の往復運動の繰り返しだ。自分の記憶を思い出すには自分自身と対峙するしかない。自分の中の別の人格と戦い続けるという、私的でマゾヒスティックな営みだ。振り上げた刀を、目の前の自分の左肩に入れ、わずかな抵抗を感じながら一瞬で右腰から引き抜く。それとまったく同時に、目の前にいる自分が振り上げた刀が、ひやりとした冷たい感触とともに自分の肩に入り、次の瞬間には真二つになっている。そして視野が鮮血の赤から虚無の黒へと反転する。
自分の中の記憶を引きずり出す行為は、とどめを刺したばかりの鹿の腹を割き、手を突っ込んで、まだ暖かい内臓を取り出す行為にも似ている。
鋭いメスで自分の柔らかい腹を割いて入り口を作る。その入口から内臓の中へと頭から潜り込む。そこは、生暖かい臓物で出来た木々が密集した、むっと湿った空気で満ちた森になっている。体にまとわりついてくる生暖かい臓物を、手で掻き分けながら前に進んでいく。蔓のような長い
だから、記憶を引きずり出す行為には経済合理性は微塵もない。
しかし、残念ながら、ぼくの生は自分の記憶を引きずり出すという自傷的な行為に縛られている。
それが不幸に至る道だと理解している。それでも、いつか記憶を見つけられると信じて内臓の森を進み、何度も同じ場所に戻ってきてしまう徒労感に耐えねばならない。吐き気のする終わりなき繰り返しがぼくの生活であり、その生活を支えるために片足立ちで踏ん張り続けねばならない。母を目覚めさせるための生を、母がぼくに埋め込んでしまったからだ。
つまり母は、希望ではなく、ぼくの生を縛る制約なのだ。
終
*
あとがき
本作は、友人である渡辺和人氏(仮名)へのインタビューを元に構成したフィクションである。インタビューを元にしてはいるが、主人公である渡辺氏を除いてはモデルとなる人物はいないし、類似した出来事も存在しない。また、作中では渡辺氏が精神疾患を抱えていたような描かれ方をしているが、そのような事実もない。
私は、渡辺氏の心の中の葛藤を描き出したいと思い、その葛藤を表現するために最善を尽くした。氏に降り掛かった出来事を記すならば、事実を忠実に記述するべきだが、事実を列挙するだけでは氏の葛藤を十分に描くことができなかった。仕方なく、自身の筆力を顧みず、フィクションを構成することを通じて、氏の心を描き出すことを試みた。
この試みの成否は、氏に尋ねる他はないのだが、それは叶わぬ願いとなってしまった。既報の通り、この作品の執筆中に渡辺氏が逝去されたからだ。享年43歳だった。ここに深く冥福をお祈りすると共に、本書を墓前に捧げたい。
渡辺和人氏は、高校を中退した後、独学で高度な数学と物理学を学びながら、世界的にも類を見ない独創的な研究を進めていかれた。その間、表に出て研究活動をすることは一切控えておられたので、亡くなる直前に公表された論文一遍を除いて、世に知られた業績は存在しない。
どうも30歳までに複数の研究成果を得ていたようだが、公表しなかったようだ。ご本人が成果に納得していなかったかららしい。私がインタビューでその内容を尋ねても、とても恥ずかしくて見せることはできないとおっしゃり、その内容を明かそうとはしなかった。(数少ない渡辺氏の親しい友人によると、どれだけ小さく見積もっても、大学で職を得るには十分な成果であったと言う。)
氏は、高校生の頃に、世界の客観的真理の不在を知り絶望したという。この絶望を乗り越えるための理論を構築するには、あらゆる組織から独立した研究者でなければならなかったそうである。氏は私にこう言ったことがある。
「絶望は主観です。個人の主観と組織の価値観が一致するかは運次第です。運の気まぐれに支配された生こそが絶望そのものだと私は思います」
彼は、独力で理論を構築することによってしか、彼の絶望から逃れることはなかったのかもしれない。
氏が命を絶った翌日、私の元に内容証明郵便が氏から届けられた。そこには、遺書の原本と、もしインタビューが世に出ることがあれば、その巻末に遺書を掲載して欲しいという希望が書かれていた。本作の編集担当者とも相談の上、故人の意向を尊重し、ここに遺書を全文掲載することとした。氏の遺書は次の通りである。
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