ラブレスレター

芦田朴

ラブレスレター

最近、毎週金曜日にポストに僕宛に手紙が一通届いている。今日も届いていた。今日で三回目だ。封筒の裏を見ても差出人は書いていない。正直言って、気味が悪かった。


僕は机に座り、ハサミでその封筒を開けた。いつも通り二つ折りにした便箋が一枚入っている。便箋は特に絵柄もない、薄茶色の極めてシンプルなものだ。開くとその真ん中に一行だけ、こう書いてあった。


『失敗しても、立ち上がれ』


その手紙にはいつも、一行だけ僕への説教が書いてあった。誰か友達のいたずらなのか。今日で三通目だから、いたずらにしては手が込んでいる。ラブレターなら愛のメッセージでも書いていそうなものだが、それはこれまでのところなかった。それで俺はそれを面白おかしく勝手に『ラブレスレター』と呼んだ。


ちなみに一通目は『考えてから話せ』で、二通目は『楽ばっかりするな』だった。どれも衝動的で怠惰な性格の自分によく当てはまるものだった。という事は差出人は僕の事をよく知っている人物という事になる。封筒にはきちんと切手が貼ってあり、郵送されている。消印はこの町のものだ。考えても考えても差出人が誰なのか、何のためにこんな手紙を出して来るのか、さっぱり見当がつかなかった。


 放課後、家に帰ろうと廊下を歩いていると、野球部のタクヤに呼び止められた。


「悠真、帰んのか?」


悠真は僕の名前だ。

まずい奴に見つかった。僕は高校二年になってからというもの、ずっと部活には顔を出していなかった。タクヤとは同じ野球部で、中学生の頃からレギュラーを競い合っていた。僕は高校一年の終わりに右肩を痛めてから、いい球が投げられなくなり、いつしか部活から足が遠のいていたのだ。


「野球、やめんのか?」

「かもね」

「悠真は才能あんのに、もったいねーよ」

「家帰ってゲームしたいから」


僕はそう言って背中を向けて、手を振った。

ある考えが突然頭をよぎって、足を止めた。

あの手紙の差し出し人は、もしかしてタクヤか……?野球部のユーレイ部員になった俺をこっそり励まそうとしているのか……?確かにタクヤなら昔からの付き合いだから、俺の性格はよく知り尽くしている。俺は振り返り、タクヤに言った。


「あのさ……」

「何?」

「お前、俺に……手紙なんか書かないよな?」

「は?書くわけないじゃん。なんだよそれ、気持ち悪いな」

「だよな。気にしないでくれ」

「お前……大丈夫か?」


タクヤは俺を怪訝そうな眼差しで見つめた。

俺はタクヤが書く汚い字を知っているから、筆跡からして、差し出し人はタクヤじゃなかった。


------


今日は金曜日だから、手紙が来てるかもしれない。四通目になると、手紙が届いているかどうかを、かなり意識するようになっていた。


家に着くとポストを開けた。今日もポストの真ん中にドスンと手紙が入っていた。部屋に入って見るのが待てずに、玄関の前で乱暴に手で破いて封を切った。便箋を開くと、こう書いてあった。


『真面目に部活に行け』


僕はそれを見て玄関の前で一人で爆笑した。僕の行動を見ているかのようなメッセージだったからだ。

「コレ、マジウケる」

今日の俺の行動を見透かしたようなメッセージ。消印は昨日のものだから、今日の僕を見て書く事はあり得ない。文字は右上がりの力強い丸い字で、明らかにタクヤの字じゃなかった。この字……どこかで見覚えがある気がしたが、どうしても思い出せなかった。


次の週の金曜日も、学校が終わると走って家に帰った。また面白いメッセージが届いてないか、朝から気になっていた。家に着くとすぐにポストを開けた。意外な展開に俺は目を丸くした。


「えっ?」


今日は入っていなかった。ポストの内側に張り付いてないか、手で確認し、のぞき込んでよく見回したが、やはりなかった。手紙が来てない事に、かなりガッカリしている自分がいる事に気づいた。


玄関を上がると、台所に直行し冷蔵庫を開けて、牛乳をラッパ飲みした。三歳下の弟が自分の部屋がある二階から降りて来て、こう言った。


「牛乳はちゃんとコップに注いでよ。僕だって飲むんだから」

「あぁ、ごめん、喉が渇いてたから。お前、今日帰るの早いんだな」

「来週から試験だから、今日は部活休み。それはそうと兄ちゃん、こんなの着てたよ」


弟がニヤけた顔で手にしていたのは、例の手紙だった。今日も着てたんだ。僕は弟の手からそれを慌てて奪い取った。


「兄ちゃんが好きなんてマニアックな人もいるんだね、ラブレターでしょ?」


弟はニヤニヤしながら、冷蔵庫を開け、箱ジュースを取り出した。


「違うよ。ラブレスレター」

「なにそれ?」


弟はテーブルの椅子に座り、コップにジュースを注いだ。僕は立ったまま、弟の前で無造作に手紙の封を切った。いつもと同じ二つ折りの便箋が一枚入っていた。便箋を開くとこう書いてあった。


『みんなの期待を裏切るな』


俺はそれをテーブルに置いて、弟に見せた。弟は「何これ?」と言って便箋を覗き込み、眉間に皺を寄せ「気味悪いね」と言った。


僕はこの機会に、弟にこれまでもこういう手紙が来てた事、差出人が誰なのかわからない事など洗いざらい話した。そして自分の部屋から、これまで届いたすべての手紙を持って来て、テーブルの上に広げた。


「この字、見覚えないか?」

「ないなぁ……。でも内容からすると、これ書いたのって兄ちゃんの事、よく知ってる人だよね」

「そうなんだよ」

「順番は?」


弟にそう言われて、届いた順番に手紙を並べてみた。


『考えてから話せ』

『楽ばっかりするな』

『失敗しても立ち上がれ』

『真面目に部活に行け』

『みんなの期待を裏切るな』


弟はそれを見て、腹を抱えて笑い転げた。


「すごい的確なダメ出しだな、兄ちゃんの性格めっちゃ知ってる人じゃん」


弟は笑いすぎて出た涙を人差し指で拭い、もう一度噛み締めるように、すべての手紙のメッセージをつぶやくような声で読み上げた。


「でもなんか、懐かしくない?」

「何が?」

「みわちゃんだよ、兄ちゃんをいつも叱ってたよね」


僕には辛島美和という幼なじみがいた。彼女は気の強い女の子で、同じ年のくせに、いつも僕を弟扱いして、「あれしちゃダメ、これしちゃダメ。こうしろああしろ」と口うるさく言っていた。弟にそう言われ、彼女のことを思い出した。


突然弟が「あーっ!」と大声を出した。弟は僕を見た。その目は何か大事な事に気づいた、というメッセージを伝えていた。


「なんだよ、デカい声で」

「わかったよ、差出人が!ほら、手紙を届いた順に並べて、メッセージの最初の文字を縦読みするんだよ」

「えっ?」

「か、ら、し、ま、み。最後の一字が足りないけど。辛島美和。これ違う?偶然?」


弟は続けて「いや、絶対そうでしょ!コレ!ビンゴでしょ!」と興奮して言った。

僕は急いで二階の自分の部屋への階段を駆け上がった。机の引き出しを引っ張り出し、一番下の引き出しの一番奥に放置されていた、小学生の時に使っていたノートを引っ張り出した。それを持って再び階下に下り、弟の前でそれを広げた。小学生の頃、辛島美和は俺のノートに、テストの問題の正解を書き込んでくれていたのだ。俺と弟は興奮しながら、筆跡鑑定した。


「この大きくて力強い字、やっぱりみわちゃんだよ、間違いない」


弟は言い切った。


僕が小学校六年の時に、隣町にある今の家に引っ越してから、辛島美和とは会う事はなかった。弟は自分を落ち着かせようとするように、ジュースを飲み干した。そして少しトーンダウンしてこう言った。


「でも、それはあり得ないよね?」


なぜなら、辛島美和は先月死んでいたからだ。

そしてそれを最後に手紙は届かなくなった。


------


あの気の強い辛島美和が泣いたのを見た事が、一回だけあった。あれはまだ小学五年生の時の事だ。放課後、学校のグラウンドで隣の小学校と野球の試合をしていた。その試合は僕らチームは相手チームにかなりの得点差をつけられていて、逆転は不可能な状況だった。ボロ負けだった。

 最後の九回裏ツーアウトの場面で僕に打順が回って来た。僕はもう負けは確定だと思い、やる気のない態度でバッターボックスに入った。どうせならウケを狙おうと、お尻を突き出したりして笑いをとっていた。僕の打順でついにスリーアウトになり、相手チームの勝利が確定した瞬間、辛島美和は観客の中からから走り出して来て、勢いよく僕の胸ぐらをつかみ、地面に押し倒して馬乗りになった。辛島美和はすごい形相で僕を睨みつけて言った。


「なんであきらめた?」

「ど、どう考えたってさ、逆転するの無理じゃん」


僕は辛島美和の迫力に圧倒されて、声が震えた。


「最後のチャンスにしがみつけよ。なんだよアレ、情けないなぁ」

「だって……」


僕が反論しようとした瞬間、辛島美和の目から涙が溢れ出し、僕は驚いて口をつぐんだ。辛島美和の力強い目から僕の頬にボタボタと涙が落ちた。


「チャンスがあれば、逆転できるんだよ。なんですぐあきらめんだよ」


僕は言葉を失い、黙って辛島美和の顔を見上げた。

今思えば、辛島美和はこの時すでに、病気に冒されていたのかもしれない。


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あの手紙の差出人が辛島美和なら、最後の『わ』の字から始まる手紙がまだ一通残っているはず。しかししばらく経ってからも一向に手紙は届かなかった。


僕は土曜日、意を決して辛島美和の家に行ってみることにした。もしかしたら行けば何かわかるかもしれないと思えたからだ。うちから自転車で二十分の所にある団地に辛島美和は住んでいた。

 僕ら家族もこの団地に小学六年生まで住んでいた。その団地は十棟ほど立ち並んでおり、その6号棟の4階に辛島家族はいた。

 団地の前には小さな公園があって、近所の子どもたちといつも遊んでいた。あの頃と何も変わらない風景がそこにはあった。まるであの頃にタイムスリップしたかのような感覚に襲われた。

 辛島美和の家には何度も遊びに行っていたので、場所ははっきりと覚えていた。湿気で湿った階段を上がり、所々錆びた金属製のドアの前に立った。

 胸がドキドキした。僕は辛島美和の葬式には参加していなかった。彼女の死が僕に知らされたのは、ほんの一週間前で、葬式はとうに終わっていたのだ。

 実のところ、僕は辛島美和の母親が苦手だった。愛想がなく、話し方もつっけんどんで、団地の中でも孤立していた。彼女は僕の事は覚えているだろうけど、僕を見てどんな反応をするのだろう。緊張と不安で、胸の鼓動が止まらなかった。

 ついに意を決してドアの横にある呼び鈴を押した。部屋の奥から「はい」という辛島美和の母親の低い声がした。ここに来た理由を何て説明したらいいんだろう。緊張で顔がひきつった。

 

 ドアが開くと、そこには辛島美和の母親が立っていた。明らかに頰がこけ、痩せていた。娘を亡くしたばかりであるせいなのか、時の流れのせいなのかは分からなかったが、確かに以前に増して生気がなかった。辛島美和の母親は僕に軽く笑みを浮かべて、こう言った。


「悠真君、待ってたわよ。どうぞ」

「えっ?待ってたって、どういう……」


辛島美和の母親は、それには答えず僕に家に上がるように、手を差し伸べた。


 居間に入ると、辛島美和の写真が至る所に飾られていて、辛島美和はやはり死んだんだという事を改めて実感させられた。僕は近所で買ってきた花を母親に手渡した。彼女は小さな声で「ありがとう」と言って、台所に持って行った。小さなちゃぶ台には辛島美和の大きな写真が置かれていた。写真の彼女は満面の笑みを浮かべていた。胸がえぐられるような痛みを感じた。

 辛島美和の母親は僕に紅茶を入れてくれた。居間に置かれたテーブルを挟んで僕と美和の母親は向かい合って座った。そして僕にこう言った。


「手紙、見たんでしょ?」

「えっ?」


あの手紙の事を辛島美和の母親は知っていた。ということはあの手紙の差し出し人は辛島美和の母親……?美和の母親は続けた。


「手紙は気味が悪かったでしょう?あれは美和が書いたものなの。死んだ人から手紙が来たら、気味悪いわよね」


母親はそう言うと、力なく笑った。


「私が美和が書いたものを毎週一通ずつ出してたの」

「なるほど……」

「美和が、私が死んだらそうしてくれって言われてたのよ。ごめんね」


辛島美和の母親は優しかった。美和の母親が恐いなんて、僕の勝手な思い込みだったのかもしれない。それにしても僕は差し出し人の謎が解けて、少し安心した。辛島美和の母親に勧められて、ティーカップに口をつけた。


「美和わね、悠真君の事が好きだったんだと思う」


僕は驚いた。驚きのあまり、手に持った紅茶をこぼしそうになった。辛島美和は当時そんなそぶりは微塵も見せなかったからだ。


「気が強い子だったけど、ああ見えてすごく恥ずかしがり屋だったからね。悠真君の事がすごく気になるのに、悠真君に手紙を書くのは恥ずかしかったんだと思う。バラバラに書いた自分の名前に気づくかどうか、悠真君の自分への関心を確認したかったんじゃないかな」

「……」

「悠真君が引っ越した後も、悠真君の学校のクラスメイトから、悠真君の様子をよく聞いていたのよ」


そう言うと、辛島美和の母親はおもむろに立ち上がりタンスの引き出しを開けて、僕にポストカードを差し出した。そこには僕の似顔絵が描いてあった。


「美和が死ぬ前にね、悠真君がもしあの手紙に気づいて、うちに来たらこれを渡してって言われてたの。病室で一生懸命、これを描いてたのよ、嬉しそうに。」


 そう言うと辛島美和の母親は、ボロボロと涙をこぼし始めた。僕は美和が人生の最期に描いたという似顔絵を黙って見つめた。

 そして僕はおもむろに似顔絵が描かれたポストカードを裏返した。そこに手書きのメッセージが小さく書かれているのに気づいた。


『わたしのことを、たまにでいいから、思い出してね』


なんだよ、最後だけ僕への説教じゃないのかよ。

僕の両目から次々と涙が溢れ、僕はカードを握りしめたまま、声を殺して泣いた。


------


月曜日の放課後、僕は久しぶりにグラウンドにいた。体育館の階段に座り、シューズの靴紐を結び直していた。僕の背後からタクヤが現れ、僕の肩に手を置いた。タクヤは笑いながら言った。


「なんの気まぐれだ?」

「考えてから話せ」

「なんだよそれ」


僕は立ち上がり、タクヤの肩にグーパンチをした。青く澄んだ空が、ビルのずっと向こうにまで広がっていた。







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