第4話

 人を始末するなら埠頭の倉庫に限ると、連中も思っている可能性は非常に高い。シャツの内側の防弾チョッキも心もとない。


 この間来た時よりもさらに寒くなっている気がするが、今日は一人で倉庫のど真ん中に突っ立っているから余計にそう感じるのだろうか。ポケットからキャンディの袋を取り出して開く音が、やたらと響く。

 ざらっと手に出して、二つ一気に口の中に放り込んだ。ガリガリ噛んでいると頭の中が程よくうるさくて、こんな一人で手持ち無沙汰な時には案外良かった。作り物のフルーツの味で口の中が甘ったるい。


 がらんとした倉庫を吹き抜ける風に体が震えた。こんなところで死にたかないな、と考えながら、目はこの間殺した男の血痕を探している。何が起きるかも大体わかるし、何を言うかも決まっているから、本当にただ待っている時間が暇でしょうがない。

 車が止まる音が、自分がキャンディを噛む音の向こう側で聞こえた。


「サムの真似ですか」

「いや。ローディがくれたから」


 噛んでいたキャンディをローディがしていたように一気にかみ砕いて飲み込んでしまう。

 歩いてきた男がニコラスかどうか、俺は一瞬自信が持てなかった。顔だって見るのは久しぶりだし、声もレコーダー越しに聞くのとは違って聞こえる。

 だがニコラスなのだろう。こんなに憎悪に満ちた目で俺を見ているのだから。


「なんでローディがいないかって聞かないんだな」

「半々とまでは言わないにせよ、可能性はあると思いますよ」

「お前俺の顔ちゃんとわかってるんだな」

「知ってますよハンク・ドナー。あんたはサムの横に陣取って、サムのことなら何でも知ってるって顔をしてますけど、」

「知ってるさ」


 復唱するように断言してやるとニコラスは露骨に嫌そうな顔をする。ニコラスのことは好きにはなれないが、特段苦手でもないな、と気づいた。

 こいつは見るからにまともでないし、それに俺のことを端から嫌いなやつには何言ったってかまわないと思うと気楽でしょうがない。


「何でも知ってる。お前があいつのそこそこのお気に入りで、お前も俺に嫉妬するぐらいにはあいつのことが気に入ってるってことも。お前があいつに何言ってるかもな」

「盗み聞きですか、悪趣味ですね」

「ローディから聞かされてるかもしれないだろ」


 キャンディの袋の口を適当に折ってポケットにねじ込む。


「お前は何を学んだんだ、だっけか? お前こそ訊かれたんだから答えてやれよ、いけ好かねえな」

「ハンク、あんたこそ答えてやっちゃいないくせに」


 ぎらっとニコラスの目が鋭くなった。


「あの甘ったれのガキに気に入られたくて良いように言うばっかりで、本当のところはサムの話なんてどうでもいいんでしょう? 甘やかすばかりでまともに向き合おうとしない奴に、俺は、」

「なるほど」


 心底の納得から出た言葉だったが、額面通りには受け取られなかったらしい。

 ひとが理性を失うのにクスリなんかいらない。必要なのは怒りだけだ。そういうやつは山ほど見てきた。それと同じ目を今ニコラスはしている。


 でも怒っているのはお前だけじゃないし、まともじゃないのもお前だけじゃない。


「あんたは結局何を学んだんです?」

「『ダメなものはダメ』だ」


 一歩ニコラスに近づく。その足音さえも耳につく。

 ポケットの中で、ローディにもらったキャンディの袋がぐしゃりと鳴った。

 ここに来ると決めた時から、俺はずっと考えていた。ローディが何て言われたいかではなく、俺が何を言いたいかを。


「取り返しがつくとかつかないとかどっちも大して変わりゃしないとかそんなのはどうでもいい。ダメなものはダメだ」


 こいつは全部俺の勝手だ。

 俺が勝手に怒っている。俺に、あるいは俺のことがお気に入りのローディを取り上げかねないこいつに。


「ハンク、あんたも連れていくって言ったら?」

「お前がダメだ」

「おお、迷いが無い」

「言ったろ、ダメなものはダメだ」


 視線だけをそっと少し上にやる。倉庫のど真ん中の位置からは、明り取りの天窓が丁度よく見える。


 小さな窓に、ちらりと何かが光った。銃口だろう。

 さあ、どっちだ。



「あとローディはガキじゃねえ、俺よりひとつ年上だ」



 合図を決めていたわけじゃないし、あれはローディ本人じゃないだろうから、言いたいことを全部言えたのは偶然だろう。


 炸裂音が、空っぽの倉庫に響いた。


「俺の方がよっぽどガキだよ」


 目の前に立っていたニコラスの体がぐらりと傾いて、一拍置いて右目のあたりから頭が弾けて血を噴く。血しぶきがびしゃりと俺の顔や服に飛び散って、頭を撃たれたニコラスの死体が床に倒れ込んだ。

 甘ったるいキャンディの香りを乱暴に上書きする血と汚物の生臭さ。


 別にいつだって嘘を言ったつもりなんか一つもない。俺は本気で、ひとは見かけによらないし、幼いころに得られなかったものに永遠に執着すると思っている。

 ローディよりも俺はずっとガキで、俺を満たしてくれたローディに執着し続けている。


「なにぼーっとしてんだよ、珍しいな」


 いつの間にか隣に来ていたローディが、軽く俺の脛を蹴り飛ばす。スイッチが入ったみたいに急に意識のピントが合う。

 目の前には片付けないといけない死体が転がっている。ニコラスの死体。ローディの方を恐る恐る窺うと、「何だよ」と言いながら頬を撫でられた。


「派手に汚れてんなあ、顔洗うか」


 ゆっくりと首を横に振る。耳にざわめきが流れ込んでくる。倉庫の周りにいたニコラスの仲間とやりあっていた連中だろうか。


「いつからいた?」

「『ダメなものはダメ』から、倉庫の入口のとこで見てたよ」

「こういうのは普通頭から見てるもんだろ」

「お前のために雑魚掃除してやってたんだぞ、ありがとうは?」

「ありがとう、愛してる」


 おざなりに両手を広げてやって、あとはローディがふざけて抱き着いてくれば完璧だったけれど、そうする代わりにローディは俺の前に真面目腐った顔つきで立った。


「ハンク、お前は正しい」


 その目は俺を見ているのか俺の後ろのニコラスの死体を見ているのか分からない。ニコラスを見ていてほしいとも思った。あいつに言うセリフならそれでもいいと思ったから。俺が正しくてあいつが間違ってて、だから俺を選ぶんだと宣言するなら。

 でもそういう話じゃない。


「お前は正しいし俺ももうガキじゃない」

「別に俺は、」


 俺はローディにそんなことを言わせたかったわけじゃない。俺は正しくなくてよかったし、ローディを無理やり大人にするつもりもなかった。聞かれたくなんかなかった。

 もう甘ったれじゃないお前に、多分俺はいらない。


「正しいってことにしとくんだよ、俺はお前がいいんだから」


 ローディは勝手に俺のポケットに手を突っ込み、キャンディの袋を取り出すと、緑のキャンディをひとつ摘まみ上げて口に放り込んだ。

 ばきん、と潔くキャンディを噛み割る音が響く。

 気づくと首根っこを引き寄せられて、唇同士がぶつかる。ローディの熱い舌はたちまち俺の唇をこじ開けて、半分に割れたキャンディの片割れを押し付けていく。あんまり性急すぎて頑丈な歯同士ががちりとぶつかって、どちらともなく笑いが漏れた。

 笑ったまんま唇を離して、ローディはキャンディを呑み込んだ。


「帰ろう」

 


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ロストボーイ ギヨラリョーコ @sengoku00dr

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