甘い囁き

 

甘い囁き

「君は十分頑張ったよ。本当はもう楽になりたいんだろう。大丈夫、今から来る電車に飛び込めば、君の体は木っ端微塵になって、現世の苦しみから解放されるよ」


 電車を待っていると、ふと変な声が聞こえてきた。周りを見渡しても誰もいない。幻聴かと思っていたら、また謎の声が僕に語りかけてきた。


「君は自殺したら、無間地獄に落ちると思っているだろうけど、決してそんなことはない。そんなのあまりに哀れじゃないか。自殺も病死も等しく死だ。区別されてきたのは、法律で自殺は裁けないからだよ。大丈夫、自殺しても地獄になんて堕ちない。それは、社会が考え出した自殺を防ぐための一種の手段だ。だから、安心して飛び込むといい」 


 その声は、とてもやさしく僕に語りかける。大学に進学したが、どんなに真面目に勉強しても単位が取れない。就活も上手くいかない。もう死んでしまいたかった。だから、僕はその声に促されるまま電車に飛び込んだ。





「やぁ、初めまして。新入りさん」


 黒髪の男が僕に声をかけた。気がつくと、僕は雲の上に横たわっていた。


「ここはどこですか?もしかして天国?」


「自殺した分際でよくそんなことが言えたね。ここはあの世だよ。あと、さっきも言ったけど天国や地獄なんてものは存在しない。」


「あなたは誰ですか?」


「俺は君の教育係。今から君には、自殺したいと思っている人間を自殺に導いてもらう。そうすることで、君は晴れて成仏して生まれ変わることが出来る。わかったかい?」


「嫌ですよ、そんなの。自殺教唆なんてしたら、警察に捕まります」


「馬鹿だねぇ、君は。ここはあの世だ。警察なんているわけないだろう。それとも、一生ここで彷徨い続けたいのかい?」


「それでも構いません」


「じゃあ、お手並拝見といこうじゃないか。あそこにいる彼の自殺を止めてみなよ」


 下を見ると、僕が飛び込んだホームに一人の男性が佇んでいた。体は黒い靄のようなもので覆われている。


「自殺したいと思っている人は、あんな風に体中に黒い靄がかかるんだ。君が声をかければ、彼だけに聞こえる仕組みになっている。ほら、やってごらん」


「辛いと思っていても自殺なんてしちゃダメだ。生きていれば必ず幸せになれる。だから、今は我慢して。大丈夫、頑張っていれば、人は必ず報われるよ」


 電車が轟音を立てて、駅に入ってきた。男性は電車が来ると、すぐさま線路に飛び込んだ。辺りには血や肉片が飛び散った。


「すごいね。最速記録だよ。初めてなのに、自殺させることが出来るなんて。君には自殺教唆のセンスがあるよ」


 黒髪の男は、僕に向かって嬉しそうに言った。


「……僕のせいだ。僕のせいで死んでしまった」


「気にすることないよ。確かに、彼は君の言葉で死を選んだのかもしれない。でも、人はいつか死ぬ。決まりきったことじゃないか。そして、今日が彼の命日だった。ただ、それだけのことだよ」


「全部お前のせいだ。お前が僕を唆したせいで。そのせいで僕は死んで、彼もあんなことになったんだ」


そう言って、僕は男を睨んだ。


「酷いなぁ、そんなこと言うなんて。確かに、俺は君の背中を押した。でも、決断したのは君自身じゃないか。それなのに、他人に自分の人生の責任を負わせようとするだなんて、責任転嫁もいいところだよ。それだから、君は幸せになれないんだよ」


「もう嫌だ、早く死にたい」


「ははは、なかなか面白い冗談だね。でも、君はもうとっくに死んでいるじゃないか」






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甘い囁き   @hanashiro_himeka

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