第33話
「50年⁉︎」「そうよ」
どこまでも広がる草原の中を二人は並んで歩いている。すっかり歳を重ねたフレンは、少年のままのライルにそれまでの出来事をかいつまんで話していた。
まずはドラコとフォルマ。ライル消失後、二人は和解し、紅翼と白斬の不仲を解消するべく働いた。だが何十年も続く不和はそう簡単には治らない。抗争の火種は団長の知らぬ所でも幾らでも爆発し、あわや戦争間際まで発展した。
そこで二人は、敢えて火種を起す事にした。騎士団対抗の競技大会という名目の下、恨み妬みではなく、対抗意識に火をつけたのだ。
エイト王がプロモーターとなり、大会は国民の熱狂と感動を生む一大行事となっていた。今は、差別意識はなりを顰め、互いに高め合える良い好敵手という関係に変わっていた。
既に団長二人も引退し、白斬はフォルマの孫弟子が、紅翼はドラコの息子が継いでいる。
「ちなみに、ドラコ団長の息子さんはフォルマ卿の直弟子よ」「何ぃッ⁉︎」
エイトは今も国王を続けていた。彼の放浪癖は治っていないようで、ふらっと王城を抜け出しては、民衆の声を直に聴き、帰ってくると関係各所を呼び出し、協議させる。
この50年、エイトが手掛けた仕事は興行を中心に、地方へのインフラ整備、競争の自由化、医療体制の強化など多岐にわたる。勿論その全ては、国民のための治世である。
なお新聞屋には”1000回目の失踪まであと5回‼︎”というカウントまでされている。
「この間は浮浪者と乾杯していたところを捕まってたわ」
「50年経っても臣下を困らせているようじゃな……」
穏やかな風が草原の草花を揺らしている。どこまでも広大で、どこまでも続く地平線を、二人は進み続ける。ライルは、すっかり小さくなったフレンの背中を見つめた。
「……アークはどうなった?」
「……それを話さなくてはね……彼が居なければ、また貴方と再会できなかったもの」
フレンは、憂いの色を浮かべながらも口を開いた。
ライルの消失後、アークはフレンと共に王城へ降った。そこで彼は、自らの罪をエイトへ懺悔した。全てを聞いたエイトが決断したのは、アークの生存だった。
エイトは、彼を歴史家アルクとして雇い入れ、王国の正しい歴史を書物にまとめさせた。
ライルの言う通り、エイトにはそれだけの度量があったのだ。だが、それはアークにとって救いではなかった。魔人族と人族の歴史を纏めた書を完成させると、彼は自害した。
遺書には、エイト王への感謝の言葉と、消えていった友人への想いが綴られていた。
「これまでの、そしてあの時の魔人災害で失われた命は数万に及ぶわ。なのに自分だけは生きている。その矛盾に、もう彼は耐えられなかったのだと思うわ」
「……そうか。だが、歴史書は遺った。アークはやり通したんだな」
「ええ。今では彼の書いた書物があらゆる教育機関で使われている。間違いなく、彼は正しい歴史を示したのよ」
フレンは小高い丘の上で立ち止まると、くるりとライルを見下ろした。
「それだけじゃないわ。貴方を救うための方法を教えてくれたのはアークなのよ」
「……ほう。そうだったのか」
ライルも丘を登る。頂上から見えたのは、どこか見覚えのある街並みだった。
「……もしかして、メイルルートか」
長い一本道に石造りの門。その奥には石畳の坂道と丹精に並ぶ建物たち。一度焼け落ち、50年経とうと、街の造り自体は変わらない。少年は懐かしさに「ほぉ」と息を漏らした。
「こっちよ」と言って、フレンは進む。
やがて門の前まで来ると、椅子に座っていた守衛が立ち上がった。
「剣神様! お帰りなさいませ!」
(剣神様……?)と、訝しむライルをよそ目にフレンは「お疲れ様」と返した。
「オーレンは来た?」
「ええ。まだお探しでしたよ」
「はっはっは、あの爺さんがまた来たら伝えといて。大人しく家で待ってろ、ってね」
にこやかに守衛を通りすぎ、門と街を繋ぐ通路へ入る。
「フレンよ。色々と気になるんじゃが、いいかげん教えてくれんか?」
「そうね。そろそろ頃合いだし。かいつまんで説明するわね」
通路は長く伸びており、出口は外の光でぼやけて見える。
出口へ向かって歩きながら、フレンは語り始めた。
「アークによると、貴方は零の魔力そのものと溶け合って世界中に散ったらしいわ。魔装は魔力の本質と一体化する法術。過度に使えば肉体は戻せない。救済の花がいい例ね」
「それをやった本人だ。それくらいワシにも分かっておるよ。分からないのはワシがどうして元の形を取り戻したのかだ……フレンよ。お前さん、何を犠牲にした?」
「……ふふっ、生き返ってもそれ? いつまでも人の事ばっかりね、貴方」
「大事なことだぞ。これから生きる上で誰に感謝するべきか知っておくのはな」
「……安心して。大した犠牲なんか出てないわ。強いて言うなら、私の時間、かな?」
「時間?」
「貴方の零は世界に溶けた観測不能の魔力よ。これを元に戻すには、理論上、零を観測してライルを再定義するしかない。それが出来るのは世界で唯一、弟子である私だけよ」
「待て、零を観測だと? 観測出来ないものをどうやって……」
「どうすればいいか、武神様には分かるでしょ?」
フレンの問いに、神木老人は思い至る。零が脱力を極めた先だったように、彼女もまた極めたのだと。それこそ、人生の半分が消し飛ぶほどに。
「……それじゃあフレンよ、50年間、お前は……」
「修行してた。もちろん、貴方が遺した神木流をね」
出口の手前で振り返り、フレンは軽やかにライルの手を取った。
「さあ、行きましょう、ライル!」
彼女に引かれ、ライルの目にメイルルートの街並みが飛び込んでくる。
並ぶ屋台と煙、絢爛な広場の噴水。王都に負けない人垣が、見渡す限り広がっている。
辺境都市だった筈の故郷の変わりように驚いたが、それより彼は、ある看板が気になった。特に街に入って一番に見える看板だ。
「ようこそ、武術の街メイルルートへ……おい、こりゃ、一体どういう事だ……?」
フレンへ顔を向けたが、彼女は咄嗟に目を逸らした。
「……違うわ。私のせいじゃない。修行してたら色々あって……」
淑やかな老婆の仮面が剥がれ、以前の子供みたいな口調で言い訳を始めた。
「色々って、変わりすぎじゃろ! 何じゃあの派手な看板、無駄にカラフルな建物!」
カラフルな建物は、どう見ても道場だった。赤白青金と、無駄に装飾された胡散臭い風体である。厄介なのが、そこに掲げられた『神木流教えます』という登りだ。
「金か⁉︎ 拝金主義なのか⁉︎ 神木流を出汁にして金儲けかーー‼︎」
「もう! 私もこんな事になるとは思わなかったの! あんな悪趣味、私も嫌よぉ‼︎」
大声で言い合っていると、人々の視線がフレンに集まっていく。皆口々に、「もしかして」「あれって……」と声を顰め合っている。
「あ、やばい」そうフレンが呟いたその時だった。
「あの、もしかして剣神、フレン卿ですか……?」
気が付いた頃にはもう遅く、彼女の元に人が雪崩れ込んでいた。
ライルは群衆の中を泳ぐように上手くすり抜けると、フレンが人集りへ顔を向ける。
「……剣神って、まさかフレンの事かぁ?」「そうよ。悪かったわね!」
いつの間に現れたのか、足音一つ立てずにフレンも人の山から抜け出てきた。
「……まあ、私なりに人生を駆け抜けた結果かしらね、これは」
街の喧騒を困ったように見つめながら、元女騎士は微笑んだ。
「……のう、フレンよ。武に費やした時間に後悔はないのか?」
ライルは溢れ出た不安をそのまま口にした。
彼女は逡巡に頭を捻ったが、やがて陽光にも似た笑顔を見せる。
「…………全っ然!」
二人は長い街並みを抜け、街の東端まで来た。
そこに広がる森林と草原はアルトと駆け回った思い出の場所。
ここだけはライルの記憶そのままだった。そして、平原にポツンと建てられた古めかしい教会も。
確か焼け落ちて立て直されている筈だったが、以前と何一つ変わりない。
むしろそこに、50年という時間の残酷さを感じた。
「この街に来て、一番に私を助けてくれたのがシスター・サリヴァンだったわ。彼女はずっと、あの教会で身寄りのない子供たちを育てて暮らして……」
フレンは回りかけた口を止め、ライルの肩にそっと触れた。
「……それじゃあ、私は街に戻るわ。いつでも道場に来てちょうだい」
彼の震える肩から手を離し、フレンは道を引き返して行った。
約束をした。
世界に平穏を取り戻すと。そして必ず帰ってくると。
片方だけはもう守れないと思っていた。
少年にはそれだけが心残りだった。
シスターは彼にとって紛れもない母親だ。
彼女に受けた恩義と、愛情と、温もりが、少年の平穏な13年間を作っていた。
返しきれない恩がある。話したい事も沢山ある。
少年は走り出し、黒い鉄柵を潜り、教会の大扉を開けて声を上げた。
それこそ、あの平穏な時間に戻ってきたように。
「――ただいま!」
武神転生〜したはいいが、魔力ゼロで生まれてしまった達人が武術で無双! 十条建也 @jujotateya2
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