元の木阿弥
枯れ尾花
第1話奪われて完成、男は空を飛んだ
どうやら僕は口をどこかに落としてしまったようだ。
口を落としたってそんなの気づくだろと思うかもしれない。
いや、そう思うのが当たり前だ。
だがそういうあなたは口を落としたことがあるのだろうか。
道端にはたまに常識では考えられない物が落ちている。
口を落とした僕が言うのもなんだが財布を落とす奴なんて考えられない。
つまりは常識というのは個々人の物差しの中でしか測れない物であって押し付けていいものではないということ。
あぁ急に説教を始めてしまった。
どうやら僕も動揺しているらしい。
朝、家を出る前にはあったから・・・・・・・・絶対家の中にあるはずなんだけど。
今は感染症ウイルスが蔓延る時代。
そのウイルス自体はかなりうざったく僕たちの生活を制限してくる。
ウイルスがというよりかは政府がといってもいいのかもしれないがそれは無粋だ。
あっちの方々も頑張っているんだろう。
たぶん、きっと、とまぁ僕たちはそれを願うしかできないんだけど。
虎は死して皮を留め人は死して名を残すというが、ウイルスは人を殺して名を残すというまさに極悪人のような存在である。
それも無差別的に、無辜な人々から死んでもいいような・・・・・じゃなくて誰かに心の底から死ねと思われて・・・・・・・・これもよくないか。
まぁとにかく手あたり次第って感じに。
だがしかし見方を変えればというか、無理やりにいいところを探そうとするならば少なからずいいところを見つけることはできる。
例えば、これは本当に例えばなんだが可愛い女の子が増えた。
・・・・・・・・いや、違った。
可愛く見える女の子が増えた、というのが正しい表記だろう。
今この世は顔の半分がマスクで覆われる時代。
顔が大きくても、顎が出ていても、歯並びが悪くても、鼻毛が出ていても、息が臭くても、おたふく風邪でも、親知らず抜きたてでも・・・・・・・・目元が可愛ければ可愛く見える!
目元が以下略!
大事なことなので2回言いました。
ぱっちりした目にきりっとした眉。
これさえあれば憂いなし。
そう断言できる。
そしてその影響は思わぬ形で僕に作用したわけで。
口を落とした僕は合法的に、誰にも怪しまれることなく口元を隠すことが出来た。
・・・・・・・・口元って僕、口ないんですけどぉ!ヨホホホホォ!
・・・・閑話休題。
学校生活は概ね良好。
そんなことを言ってみたい人生だった。
僕にはこの学級の中で鳴動することもできない。
捨て鉢の気分。
表現するならばまさにそれ。
だがまぁ今日のこの事件に関して言えば僥倖。
それもとびきりの。
僕に話しかける人間なんて親族くらいのもんだ。
その親族ですら僕を煙たがるってんだから、当然このクラスの人間が話しかけてくることはない。
話さなくてもいい。
なら、口がないことなんてバレるはずがない。
・・・・悲しい事実だが、安心した。
「これ、後ろに配って」
僕の手元に数枚のプリントが届いた。
先生が列ごとに支給している生徒会からのお知らせプリントらしい。
はぁ、ほんと資源の無駄だよなぁ。
こんなもんいらねぇんだよ。
この分の予算をユニセフかなんかに募金する方がよっぽどマシじゃないか。
僕は心の中で毒づきながらも、彼女の手からプリントを受け取り、自分の分を抜きながらまた後ろの席へ送った。
少し辺りがざわついた。
・・・・・・・・は?
も、もしかしてバレた?
マスクの隙間から見えたとか・・・・・・・・
僕は素早く前へ向き直り、寝たふりを試みようとした。
「あ、あんた・・・・」
驚愕、そんな2文字が似合う表情を浮かべながらプリントを手渡してきた女が僕に話しかける。
なんだこいつは。
やはり口がないことが・・・・・・・・
よし、もしバレてたらこいつの記憶を消そう。
サングラスをして、このペン型の光の出る機械で・・・・なんて冗談を言っていられないよな。
「なんか落ちてるもの食べた?」
至極真面目に、そんな眠たい冗談めいたことを質問してきた。
なんだろう、ジャブかな?
食べるも何も僕に口はない。
まさか、わかっていておちょくっているとか?
でも、そんな渦中にいながらも僕には反論することも、言い訳することもできなかった。
ただただ首を傾け、とぼけることしか出来なかった。
背中に冷や汗が滴り、頭の中では何通りものシュミレーションを重ねショート寸前。
ほんの数秒で僕は憔悴した。
「そんなわけないか」
彼女は僕の意向を読んだのか、はたまたそもそも何も気づいていなかったのか1人でに何かを納得したような顔を見せた。
僕は大きく何度も首を縦に振り、前髪を揺らす。
「おぉ。なんだか今日は仕草が可愛いねぇ」
彼女は僕を茶化す。
どうやらとぼけることには成功したらしい。
というかそもそもバレてないのか?
僕の心配は杞憂に終わったみたいだ。
「それにしても今日は病的に口数が少ないね。もしかして口でも落としたのかな?」
目がかっぴらく。
視界は良好。しかし未来への雲行きはかなり怪しくなった。
視界が広がって見えないものが見えたわけではない。
ただ、彼女の的を得た質問に面白いくらいに分かりやすく動揺しただけだった。
ポーカーフェイスとは無縁のようだ。
「なによその顔。おちょくってるの?」
彼女は少しムッとした、けれど冗談めいたその口調で僕におどける。
僕の心臓はそんな彼女にときめいているかのように波打ち、僕の顔は能面のように苦い笑顔が張り付いているだけだった。
まぁいいわ。
彼女はそんな捨て台詞を吐き、前へ向き直った。
時間にして数分。
されど、何時間も詰問されたかのような疲れがどっと溜まった。
そして僕の中で何とかしなければと、さらにきつく決意した瞬間だった。
昼ご飯は食べなかった。
というよりも、言うまでもなく食べられなかった。
鼻からも食道へはつながっているらしいが、僕にそんな勇気はなかった。
もとより、そこまで枯渇しているわけではない。
まぁ少し喉が渇いているという事実は否めないが。
いつもは黙々と1人で食べている昼ごはんはやはり孤独感が拭えなかったが、昼ご飯を食べないというのも何だか別の意味で孤独感を感じた。
・・・・・・・・けれど。
今日は疎外感を感じることはなかった。
酒池肉林、肉山脯林、乱痴気騒ぎ。
・・・・・・・・・・・・大げさだろうか。
しかし僕としてはめったに経験のない・・・・見栄を張った。
初めての光景過ぎてどうも素晴らしくエッチなものに見えてしまった。
「あんたってさぁ、ほんと喋らなかったらいい男だよね」
「ほんとそれ!普段1人でぶつぶつなんか喋ってるし、すぐ先生に突っかかるしさ。おまけに言っちゃいけないようなことまで言って先生を泣かしたこともあるしね」
僕は目の前で行われている自分自身の品評会にただただ頷くことしか出来なかった。
・・・・・・・・もちろん悪い気はしない。
半分以上が今の僕に対して肯定的で、好意的な意見だったからだ。
だが、それと同時に教室には僕たちだけがいるわけではない。
ほかのクラスメイト、まぁ僕にしては有象無象ってとこだが。
そいつらの視線が痛い、というか、陰口が僕の耳にクリアに伝わる。
人間は1つの器官を失えばほかの器官が発達すると言われている。
例えば目が悪い人は耳がいいというのが代表的な例だろう。
どうやら僕もそれに伴って耳が普段より良くなっている。
僕の口は後天的なものなのに。
前述したものとつながりがあるのかどうかは不明だが、まぁ経緯はどうであれ結果が全てである。
僕の耳は教室の中のわずかな声でさえ拾ってしまうようだった。
「それにしてもあんた、かっこいいわね。プリント配るとき憎たらしいんだけど、どうしてもわざわざ後ろ振り返っちゃうのよね」
そうだったんだ。
僕は俯き、なぜか何もないリノリウムの床を見下げた。
「じゃあ、また明日」
彼女は席を立つ僕にそう告げた。
僕は彼女に手を振り、その言葉に反応し教室を後にした。
そして僕は走った。
廊下を、階段を。
迫りくる人を避け、一直線に自宅へと向かった。
口がない分いつもよりかなり呼吸は苦しく、僕の体は明らかに酸素が欠乏しているのが分かったが、僕の足は止まらなかった。
罪悪感?
そんな大それたものではないはず。
でも、彼女の目が僕にはつらかった。
目の前に広がる見慣れた光景に安堵する。
現在、普段よりも脆弱な僕の心肺機能は必死に酸素を送り込み二酸化炭素を排出しようとしていた。
3階建ての一軒家。
都心から少し離れたベッドタウンのこの町のこの時間は学生と、忙しなく町中を走り回る主婦、そして暇を持て余す老人たちで町の色を作っていた。
そんな中・・・・・・・・そんな町に・・・・というか僕の家の前に・・・・厳密には僕の両親が建てた家の前にそいつはいた。
いたというより存在したという方が正しいのかもしれない。
この町に、いや、どの町にもそぐわない風貌。
深い緑色のモッズコートに身を包み、足元はスニーカーでも革靴でもなく下駄。
顔の彫は深く、しかしどこかだらしない。
そんな見てくれのやつが僕たちの家の塀に体を半身預けてだらしなく立っていた。
僕は迷わず、臆する様子を決して見せずいつも通り玄関扉へ向かう。
やはりというか、予定調和というか、ある意味この世から造反者であるとみなされそうな男は僕に話しかけてきた。
わざわざ下駄で2回足踏みをし音を鳴らしてこちらに注意を向けるという面倒な行為をしてまで。
その快活な音は残念ながら僕には不快でしかならなかったけど。
「おやおや、どうも気分の良さそうな顔をしているね。僕の登場はいささか不愉快なものだったかな?」
揣摩推測したんだけどねぇ、と首を傾げながら半笑いで僕に語りかける。
無論、僕は無視。
小さい時から教え込まれた、知らない人と話さないという何とも素晴らしい教育に則ってのことである。
お父さん、お母さん、僕立派に成長しているよ。
とまぁ、天に向かって言っているようだが、母は現在家の中に父は仕事場にいる。
そんな僕を引き留めるかのように男はもう1度下駄を大きく鳴らした。
「いやはや、すまない。これは非常識だった。今は人とのビジネスだもんね。ノックは3回。なら
「どうして下駄なんだよ」
しびれを切らした。根負けした。
僕はこいつのペットか何かか?
どうして足踏みなんかで呼び止められなきゃいけないんだ。
そう。つまり、これは反撃の狼煙・・・・・・・・え?
「僕の商売相手はどうも見てくれにうるさくてね。大きく下手に出ないと話もしてもらえないんだ。だから僕は足元で自分を下品で駄目な人間ですって表現してるんだ。だから下駄。靴なんて履いた日には僕の命はないね。僕はあくまで人間さ。あっちの世界では通用しないからね」
あっちってどっちだよとかお前の足元は思想が強すぎだとか、色々言いたいことはあるけれど、僕の口から紡ぎだされたのはもっと自己中心的で詮無い・・・・・・・・「口がある」といったまともな人間なら自分の口を触って言わないであろう痛々しい言葉だった。
「いやぁーほんとにごめんね。無理やり奪う形になってさ。僕もなるべく早く返そうと思ってたんだけどね。不都合が起きたんだよね」
男はまるで自分の失態を照れるかのように頭をかく仕草を織り交ぜ、ヘラヘラと頭を垂れた。
その姿からはまるで反省の色はうかがえない。
「ちっ、これだから適当な人間は嫌いなんだ」
「おぉ。流石だねぇ。直接的で刺々しい。僕は嫌いじゃないよ」
「2度目だが、僕はお前みたいな人間が1番嫌いだ」
「いやはや、片思いは辛いねぇ」
そう言って男はハハッと快活に笑う。
僕の言葉は男の耳、いや、心にはまるで届いていない。
というか男は僕の言葉なんか気にも留めていないといった感じだった。
まぁでも、と男は続けて言う。
「君の言葉は口と同様にすごく軽いから僕以外にも誰にも届かないだろうけどね。痛感してるでしょ。君も」
「は?」
「まぁ、僕は今日のことで無理やりという点において多少罪悪感を感じているから君の軽い口からホイホイ出てくる軽い言葉を拾ってあげてるんだけど」
「何が言いたい?僕にはお前に聞きたいことがいくつかあるんだ。言いたいことがあるなら簡潔に言え」
「僕に聞きたいことかい?うーん・・・・・・・・まぁいいよ。その権利は君にあるしね。さぁなんでも聞きたまえ」
男は・・・・・・・・ってさっきからニュース番組みたいになっているけど僕はこれからもこいつを男と呼ぶことにする。
男はあくまで上から、懊悩する僕を挑発するかのようにヘラヘラナヨナヨと話す。
「あぁうぜぇ」
男は笑顔を絶やさない。
「お前、さっき僕の口を奪ったって言ってたけどあれはどういうこと?」
「うーんと、そのままの意味だけど。つまり、僕の取引先がどうしても人間の口が欲しいって言ったから、近くにあった1番軽い君の口を拝借したってわけ」
「人間の口は取り外し可能じゃないはずだ」
「そうだね。たしかにそうだ。口は外せない。それは君のような軽い口も然りだ。でもね口という概念を取り外すことは可能だよ。僕のような人間限定だけどね」
僕は、僕自身でもわかるくらいにきょとんとしていた。
そんな僕に呆れた顔をしつつ、男は続ける。
「君は僕に会うまでに1度でもその口を触って確認したかい?」
「しなくてもわかるだろ。だって現に僕はさっきまで話せなかったんだから」
「いいや、違うね。君は途中から話すことを避けたんだ。さっき不都合が起きたって言っただろう。あれは君が君の口を拒んだからなんだ。潜在意識の奥底で。あっちの世界とこっちの世界では何もかも違うんだ。もちろん時間軸も。だから僕は取引が終わった直後に君の口を返そうとしたよ。でもそれを拒んだ。どこか思い当たる節があるんじゃないかなぁ」
「・・・・・・・・そんなこと誰が証明できるんだ。僕はお前と世迷言を話したいんじゃない。時間軸?あっちの世界?僕はそういった非現実的思想がとことん嫌いなんだ」
「僕だって君の好き嫌いを知りたいわけじゃないさ。君のママじゃないんだから。それに君って本当に頭が固いというか、柔軟な発想ができないよね。口は軽いくせに。思い込みが激しいというか、被害妄想甚だしいんだよね」
被害妄想だと・・・・・・・・無許可で自分の口が奪われることが被害じゃなければ何なんだ。
立派な窃盗罪だ。
なのに。なのにこいつは。
「あぁ、そんなに怒らないでよ。いい夢見してあげたじゃないか。だからこれからも今みたいに何も話さないでいればいいんじゃないかな?そうすれば人が寄ってくるんだしさ。・・・・・・・・・・・・まぁ今度は返ってくる保証はできないけどね」
僕の沸々わく怒りを前に男は姿を消した。
どうやって?
飛んで。
元の木阿弥 枯れ尾花 @hitomu
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