踏切の逢瀬

にゃしん

1

 その日もやはり遮断機が下がった状態で踏切の前に立った。

 通学路に指定されたこの場所は随分と前から噂の所謂、開かずの踏切として有名であった。どれほどかといえば、報道番組の一部に組み込まれている特集・全国の踏切調査で紹介されるくらいには一定の認知度があり、放送の度に繰り返し名前があがるくらいであった。

 決して自慢話にできる事ではないのだが、この街にはこれといったものなど特になく、悪名に近い形で街の認知度に一役買っていた。

 

 前田俊まえだしゅんはため息を漏らしながら、学ランから取り出した携帯を触り始めた。慣れたてつきで次々と指で操作をしていき、友人の会話などを確認する。

 右左交互に点滅しあいながら絶えず鳴り続ける踏切音も聞き飽きた。

 苛立ちも今やなくなり、耳に入ってきてもすぐに反対へと抜けていく。

 進行方向機は右矢印を示しており、それが何時来るのか俊には見当もつかない。

 待ちわびる人の中にはしびれを切らし、遮断機を無理やり押上げて線路内に我が物顔で危険を顧みず足早に駆け抜ける者の姿もある。

 一人始めればそれにつられて二人、三人と増える。

 極めて危険な行為であるが、それを咎める者は誰ひとりとしておらず、我関せずとばかりに俊同様に各々、携帯に熱中している。

 鳴り始めたばかりだし、まだまだ時間がかかるなと遮断器を確認すると肩を叩かれた。

「俊」

 それと同時に気の知れた声が聞こえる。

 しかし俊は返事をすることなく、淡々と携帯をいじりつづけた。

「俊」

 そんな俊のつれない態度を催促するかのように相手はもう一度、今度は踏切音に負けないぐらいの大きさでいうものなので、思わず眉間に皺を寄せた。

「聞こえてる。おはよう」

 一旦の区切りをつけ、携帯をポケットに入れた後、横に立つ友人に目を向けた。

 薄いそばかすに見事なスポーツ刈りの友人が白い歯を見せていた。

 俊よりも背丈は大きく、陸上部の主将を務める友人は肩同士を軽くぶつけた。

「今日は約束してたゲーセン、行くんだよな?」

 期待に満ちた明るいトーンで聞いてくる。

「行く行く」

 俊は素っ気ない返事をした。

 あまり乗り気ではなかったが、受験勉強の合間には息抜きも必要だろうということで友人と交わした一週間前の約束を思い出していた。

 勉強漬けの毎日では精神もすり減ってしまう。

 俊を追い込む理由は、両親の存在であった。

 親は二人とも有名高校に進学し、そのあとも名前があがるぐらい有名な私立大学を卒業している。そのためか、中学3年生になったばかりの俊に日夜問わず、口酸っぱく受験の事を言うので安心させるために一応の受験勉強を始めた。

 本日ゲーセンに行く事は親に伝えていない。

 知られたら少し厄介になるかもしれないが、その時は上手く言い訳をするつもりであるが、あまり心配は掛けたくはないので早めに切り上げるつもりで考えている。

「よしっ。じゃあ最初は俺に付き合ってくれよ」

 先に学校があるというのに友人は今すぐにでも行くつもりのような表情で浮かれていた。その姿を見て何だか悩むのが馬鹿馬鹿しくなり、気が楽になった頃、向こう側に現れた人影に俊は意識をもっていかれた。

 髪を肩で切り揃え、遮断器から数メートル離れた所に女子中学生が立っている。

 俊の通う学校とは違う制服で学生鞄を両手で持ち、一人静かに佇む姿が印象的だ。

「俊。お前は何で遊ぶ?」

「え?あ、ああ。何でもいい」

「何でもって……」

 友人の会話に生返事で応えながら、目線は少女に釘付けであった。

 一度も話したことがない上に名前も知らず、どこの中学の服装かさえ分からない相手だが、落ち着いた清楚な雰囲気と物静かに一点を見つめるその姿にいつしか少女の事を想うようになっていた。

「お、電車きた」

 左から電車が現れるやいなやものの数秒で走り抜けていった。

 最後に風圧が俊達を煽り、巻き起こる土埃に目を瞑る。

 鳴り響いていた踏切は急に大人しくなり、遮断機も重い腰をあげるかのようにゆっくりと昇り始める最中、人々は止まっていた場所から一斉に動き始める。

 互いに立場を入れ替えるように各々、目的を持って進み続ける中に俊達の姿もあった。互いに肩がぶつからない寸前で踏切を渡る。

 そして向こうからやってきている少女に俊はすぐに気づいた。

 少女の顔は決してこちらを向いてはおらず、道の先を見据えている。

 少しでも眼中に入りたい、俊は無意識から足が自ずと少女とすれ違う方へと進む。

 近づいたかと思えば、すぐにすれ違い去っていった。

 足を止める余裕もなく、俊は胸の内で淡い想いを留める。

 ただの気の迷いだと。



 久しぶりのゲーセンに思いの外熱中してしまい、帰宅した際にその件で親に咎められたが、急な腹痛を理由に難を逃れることができた。我ながら情けない言い訳だと思うが、二度目も通用するならうまく利用したいと考えてしまう。

 そして休み明けの月曜日となり、今日も今日とてあの踏切の前まで来たが何やら様子がおかしい。

 踏切正面に虎柄の長いバリケードが横一直線に置かれ、聞き慣れた警報音は息を潜めている。人影もほとんど無く、俊と同じ様に異変に気づいた者はその場で右往左往しながら困り果てていた。

 そのうちの一人がバリケードの奥左手に設置された看板を一読すると、困惑していた表情が和らぎ、納得したものへ変わると来た道を引き返していった。

 俊もそれに倣って立てられていた看板を読み始めるが、すぐに内容がわかった。

「撤去……」

 唖然としてしまい、思わず口からこぼれる。

 看板下部の小さく書かれた詳細を見るからに、まさに本日より始まるようで迂回路を示す地図が丁寧に描かれている。

 詳細な内容や施工業者などは全く頭に入ってこないが、日々耐えていた市民の声がようやく反映される結果となったことは分かった。

 俊は迂回路を忘れぬよう携帯で写真を撮り、それを拡大表示させる。

 目線で道を辿ると、来た道を戻る必要がでてきた。

 一体いつまでの予定なのかと、再び詳細を読み始めるも工事期間は未定と書かれいた。

 未定――俊の脳裏にあの少女の事が浮かぶ。

 彼女との唯一の接点があるこの場所がなくなれば、最悪、卒業まで会えなくなる可能性がある。相手も自分の事をそう思ってくれていたらいいなとありもしない妄想を抱き、後戻りを始めた。 

「はぁ……」

 足取り重く、深いため息を吐きながら地図に描かれた道を進む。

 地図によると、踏切の五メートル手前を左折することで隣の踏切へと通ずる道があるようで、俊には初見であった。

 歩きをするのは通学の時だけで、休日の出かけは決まって電車かバスを利用してでの移動のみである故、住み慣れた街ながら知らぬ場所がかなり多い。

 知らない土地を歩くようで沈んでいた気が幾分か楽になる。

 歩く周りの人々の中には踏切で見覚えのある顔ぶれが散見される。

 おかげで緊張せずにすむ、慣れ親しんだ道を進んでいるかのような錯覚を覚えた。

 時折、画像を見ながら道を確認していると、背中に平手が入った。

 思わず驚いて携帯を落としそうになる俊の姿を見て、友人が可笑しく笑う。 

「撤去されるんだってさ」

 背中に痛みを少々残し、俊は残念そうに言ってしまった。

 少女との唯一の逢瀬を失った事は俊の心に影を落としていた。

 


 それからあっという間に夏休みを迎えるも、俊が望む形でのものではなかった。

 本来なら心待ちにしている長期の休みの殆どが受験勉強につぶされ、ロクに遊びにも行けずじまいで呆気なく終わってしまった。

 二学期となってもなお踏切撤去の進捗は芳しく無く、バリケードが設置された当初と様変わりしていない。

「いつになったら終わるんだろうな」

 もう慣れた迂回路を残暑厳しいアスファルトの照り返しを受けながら通学する。

 首に掛けたフェイスタオルで顔中から浮き出る汗を拭い続けるも止め処無く湧き続ける。隣の友人も犬のように舌を出して苦しそうにしている。

 早く涼しくなればいいのに、と俊は額に手をあて太陽を見る。

 雲一つとしてない晴天を我が物顔で居座る姿が憎たらしい。

 明日にでも曇りになればいいのにと願うも、今朝のニュースによれば猛暑日は10月の頭まで続くと予報で出ていた。

 受験勉強も後半戦へと突入しており、俊もそれなりに焦りを感じている。

 毎日欠かさず机に向かっているので、決して悪い方へは向かっていないはずだが、いかんせん昔から自分に自身が持てない。

 その上で変な所にプライドがあり、逃したチャンスは勉学に限らず多い。

 友人に受験勉強のことで伝えるも、考え過ぎだ、と笑われてしまった。

 父に相談すると、多感な思春期だからと劣等感を理解しているかのように言ってくれるが、本意ではないと感じており、あまりアテにはできない。

「はぁ……」

 ため息をつき、入試なんて明日にでも行われれば良いのに、俊達の周りの学生たちに聞かれまいと胸の内でこぼした。

 でも――そうなるとあの子とはもう会えなくなってしまう。

 撤去工事が始まって以来、一度も見かけていない。

 二学期も始まり二週間が経とうとしている。

 何処へ行ってしまったのだろうか。

 こんな事になるなら、連絡先ぐらい聞いておけばよかった。

 だが、間違いなく自分にそんな度胸はない。

 己の不甲斐なさに再びため息が漏れてしまった。

 顔を俯かせ、苔の生えた側溝の蓋を数え始めた瞬間であった。

 眼の前の乾いたコンクリートの路面に水滴が突如浮かびあがった。

 次いでその数は無数に増えていき、俊の頭に小さく何かが当たり、立ち止まり髪をかきながら確認しようとした時、土砂降りが始まった。

「雨なんて聞いてねぇよ!」

 無数の大きな雨粒の中、地面を叩く音で友人の声がくぐもって聞こえる。

 通学鞄を頭の上に置き、すぐ近くに見える軒の長い場所へと逃げ込んだ。

 クリーニングに出したばかりの学ランに雨水が染み込み、独特な臭い匂いが漂ってくる。持ってきて良かったとばかりに、首のタオルで濡れた髪を拭き、次いで顔をふく。

 汗くさい臭いを感じるが、風邪をひく可能性を考えれば我慢できる。

 友人も同様に部活鞄に入れていたタオルで顔についた雨水を拭き取りながら、豹変した空を見上げていつ止むかを考えている。

 俊もそれに倣っていると、隣の建物から黄色い声が打ち付ける雨音の中から聞こえてきた。

「あれ、あの子らもこっちなのか」

「え?」

 気づけば友人が額に手を水平にしてひさしを作り、雨中の中で見つめる先に見覚えのある姿があった。

 その人物も軒の下、友人と楽しげに会話をしながら豪雨が遠のく事を待っている。

 降り続ける雨筋のせいで鮮明に映らないが見間違うこはなく、あの少女であった。 

 俊は友人の一言がひっかかり躊躇わず聞くことにした。

「お前、あの子達の事知ってるのか?」

「ああ、隣の陸星中だよ。あそこは確か女子校だったはず」

 その名前に聞き覚えがあった。

 俊の妹が目指している私立の中学校で母親が口を酸っぱくして怠け癖のある妹を叱責する際に使う単語であった。

 事ある毎に言うので何とはなしに頭の隅に残っていたが、まさか彼女がそこの在校生とは驚いた。

 服装を眺めていると彼女の持つ革製の高そうな鞄の留めの部分に陸の文字が描かれていた。

 よく見れば彼女の他にも複数の同じ服装の女子生徒がまちまちに歩いており、今まで俊は気づいてこなかった。

「ということは、頭が良いんだな」

「うちの県だと上から数えたほうが早い」

「マジか……」

 俊は決して頭が悪い方ではないが、その意味はすぐに理解できた。

 不釣り合い。そんな言葉で頭が一杯となる。

 少女は俊が思う以上に遠い存在であった。



 結局、少女と出会えないまま俊は高校へと無事、進学を果たした。

 妹も志望していた陸星中に進学でき、両親共々に心配のタネがなくなり、厳しかった我が家に平穏が訪れている。

 そんな妹が今日は家に先輩が来るから部屋から出るなというので俊は仕方なく言う事を聞くことにした。

 もう思春期なのかなと、過去を思い返しているとチャイムがなった。

 リビングにいた俊は慌てて二階へ駆け上がり、入れ替わりで妹が勢いよく下へと降りていく。

「絶対でてこないでね」

 低く威嚇するような声に俊は妹が少し怖くなった。

 玄関前でなにやら黄色い楽しげな声が聞こえてくるも、俊は友人に借りた漫画でも見ようかとベッドに横になった。

 壁一枚を隔てて妹の他にもう一人の声が聞こえてくる。

 聞き耳を立てるつもりではなかったが思わず、漫画の内容よりもくぐもった壁伝いの声に意識がもっていかれてしまう。

「えっ。先輩好きな人がいるんですか」

「しーっ。声でかいよ美香ちゃん」

 女の子同士の恋話かと馬鹿馬鹿しくなり、漫画を読み進める。

 会話はなおも続き、俊はふと喉の乾きを覚え、お茶でも飲もうかと部屋を出た。

 まさにその時、下にあるトイレをすませた妹の先輩が階段をのぼってくるところであった。

 そして、俊は一瞬でその場で凍った。

 妹の先輩――あの少女であった。

 両者共に固まり、俊は赤面してしまう。

「あっ」

 その一言だけを発し、逃げるように再び自室へと入った。

 扉の前で息を切らしながら、ベッドへ飛び込む。

 枕元を顔にうずめ、消えてしまい気持ちで過ごした。

「美香ちゃん、私もうかえるね」

「えっまだ来たばかりですよ?」

「ごめん、用事おもいだした」

 そんな会話が聞こえてきてしまう。 

 まさか妹の先輩があの少女とは世間は狭いというか、あまりにも衝撃的であった。

 隣の部屋の扉が開き、軽い足音が幾つか聞こえてくる。

 玄関で靴が移動する音が聞こえ、やがて静かになった。

 俊はもういいだろうと廊下へでた。

 ちょうど妹がのぼってくるところであった。

「先輩さんかえった?」

「うん。なんか用事があるんだってさ。てかさ、先輩好きな人がいるって」

 聞こえていたと言いそうになる口を抑える。

「へえ。相手は誰何だ?」

「いや、あんまり知っている人じゃないんだってさ。ただ、いつも同じ場所であう人でお兄ちゃんと同じ中学校の人っていってた」

 それを聞いて俊は自分のことかと考えた。

「同じ場所ってどこ?」

「今は撤去工事してるあそこの踏切。開かずの踏切のやつ」

 俊の考えは確信にかわった。

「ああ、そうかそうか。あそこか」


 俊の声色は変わり、続きを言おうとした妹を無視して部屋へともどった。

 そうして再び枕に顔を埋める。

 きっと今、自分は気持ちの悪い顔をしているに違いない。

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