13/13

†††


「気が付いたかい?3日も意識を取り戻さないものだから流石に目覚めないのかとおもったよ」


「事情はある程度彼から聞いてるよ。にしても、あれだけの傷が数日で殆ど完治しかけるなんて、君の生命力と回復力は最早魔法の一種だねぇ。その身体を与えてくれた御両親と世界に感謝しなさい」


知らないベットの上で目を覚ました赤い少女に矢継ぎ早に声をかけてくれたのは、草臥れた白衣をだらしなく着込んでいる、自身をしがない名医と名乗る初老の男性であった


「‥‥‥どこだ、ここは」


警戒か敵意か。男性を無意識にか睨みつけながら少女は問いかけるが、男性はそんな事など歯牙にも掛けずに淡々と質問に答える


「僕の家だよ。血だらけだった君たちを‥‥アリス君が運んで来たんだよ」


「何処から拾ったのか、あんな荒くれ者共を後から後からわんさか人を連れてこられたお陰様で、開院以来の診療所満員御礼さ」


参ったと言わんばかりに医者はわざとらしく手を上げて首を振る


「君とほら、そこにいる2人は僕の家のベットを診療台代わりに使ってもらっている。」



医者が指差した先には、全身包帯巻きのミイラ擬きとフレメアが各々ベットで静かに寝かされていた


「他に質問はあるかな?」


「わたしは化物だぞ。どうして治療した」


「医者の前に怪我人を連れてきておいて、それが治さない理由になるのかい?」


「‥‥‥世話になった。金はないからツケで頼む」



「もう貰ったから大丈夫さ。」


紅い髪の少女は立ち上がる為にベッドに取り付けられた手すりにゆっくりと手を伸ばし掴む


まるで息を吹き返すかのように全身を痛みが襲うが、少女は僅かに顔をしかめるものの、気にせず立ち上がる


「ああ、そういえばアリス君だけど」


「別に聞いてない‥‥!《ギュウウウルルウウウウ!!》」


少女の言葉に被さった音の正体は腹の音である。俄かには信じられないが腹の音なのである

どんな腹の虫を飼っていたら、こんな音が出せるのであろうかと医者は気になった

何とも自己主張が激しいが、敢えて、誰の腹の音かを追求しない辺り立派な紳士だろう


しからば、腹が鳴ったという事はそれ即ちお腹を空かせているということでもある


「よければ、何か食べていくかい?料理は得意なんだ」


「‥‥‥」


男性の慈愛に満ちた問いかけに、羞恥の余り石像の如く硬直していた少女の首がゆっくりと上下する


(聞いてたよりも随分と素直な子供だな)


その反応は医者がそんな診断を下すのは十分であった

男性は後は特に何も言わずに部屋を出て行く。恐らくは料理を作りにいったのだろう


「‥‥」


静寂が満ちていく中で少女は恨めしそうに自身のお腹を1度殴りつけ、ゆったりとベットに腰掛け項垂れる


「化物もお腹が空くのね。誰か食べられないか心配」


少女をせせら笑う声に緩慢ながらも宝珠を思わせる少女の瞳が声の方へと反射的に動く。声の主はフレメアであった。先ほど目を覚ましたのか上半身だけ起き上がらせて、痛みに顔を顰めている


体が相当に傷むからなのか、少女を心中複雑そうな面持ちの中、凝視しているので、なにを思っているのか些か察し辛い


「生憎だが、わたしに人を食べる趣味はない。それに食べる側にも選ぶ権利はあるだろう。お前を食べるとお腹を壊しそうだ」


「へえ‥‥‥」


皮肉めいた返しにフレメアは目を丸くして驚いている

対して興味が失せたと言わんばかりに紅い髪の少女は視線をフレメアから隣の窓に写る景趣へと移す


「あなた‥‥森で会った時とは随分違うのね」


「そうか?」


フレメアの言い分には誰もが同意するだろう。まるで別人のようだ。外観がではなく、中身がだ

あの瞬間の少女は憎悪と絶望で瞳を焦がし、誰彼構わず不幸を振りまく存在。まさしく化物だ。フレメアが抱いた印象はそんなものだった


(彼がなにかしたのかな)


唯、形貌にも以前とは違う点が一つ現れている。それは少女の瞳の色であった。片方は前より深く青みがかかり、どこまでも吸い込まれそうなブルーアワーを思わせる幻想的な青い瞳だ。対照的にもう片方の瞳は艶かしさを感じさせながらも、何処か儚さを内包した蠱惑的な茜色の赤に彩られている


「でも、きっとそれだけじゃ‥‥」


フレメアは幾分か逡巡して、結局答えを口にはせず勝手に納得する。代わりに毒気でも抜くように静かに溜息を吐いた



「それよりもあなた。これからどうするの?」


現実を突き付ける言葉に少女の表情が僅かに曇る


「化物の心配をするなんて思ってたより優しいんだな。目つきは悪いが」


なんてことはなかった。平然と彼女は払いのけてみせる


「大丈夫だよ‥‥‥」


「わたしは全然大丈夫だから」


力強いその言葉が。屈託無く笑うその笑顔が。弱々しく心細そうに強がってるようにフレメアの目には写って見えた

けれど、彼女に何もしてあげられない。俯いて沈黙するしかなかった


町医者の家に溜め込まれた1週間分の備蓄が底をつく程に、食べ物という食べ物を無慈悲に容赦無く、暴食の限りを尽くして食い荒らし、満腹中枢を存分に満たして腹の虫を黙らせた後、少女は意気揚々と外に出ようとしたが、フレメアに引き止められた


『もし見つかったらまた騒ぎになる。出るなら夜中にこっそり出て』


色々と世話になった相手に迷惑を掛ける様な事は流石に少女も望む所ではない


その言葉に従って少女が町の外に出たのは結局皆が寝静まった深夜であった


町を出たといっても、少女にとって行くべき場所。帰るべき場所は一つしかない。待ってる人など誰もいないけれど。それでも、少女にとっての居場所は彼処しかない。帰るべき在り処はあの家しかないのだ


「少し冷えるな」


昼間ですら薄暗いこの森では、夜になると視覚があまり役に立たなくなる。常人には一寸先すら見えない暗闇に侵食された森の中を少女は慣れた歩調でゆったりと歩きながら、町医者から貰ったマフラーと羽織物に体を埋めていた


僅かに露出している肌の部分と髪を夜風が優しく撫で回してくる度に擽ったそうに顔を綻ばせる


「だけど」


銀色にたなびく雲が過ぎ去り、青白い月光が淡く森を照らす。夜空に浮かぶ星々と月を見上げて、少女は愛おしそうに告げる


「今日も良い夜だ」


森はとても静かだ。物音一つせず、夜の闇に紛れて少女が独り木の葉を踏み締める音と息遣いだけが微かに響いている


(そういえば、小さい頃にここら辺でかくれんぼしてたら、迷子になって、夜になって、そのまま泣いてたっけ)


『ヒグッ‥‥‥うっ‥‥‥ううっ!おとうさぁーん‥‥‥おかあ‥‥‥ウううッ!』


『いや、私のこともちゃんと呼べよ。何か寂しいだろ』


『‥‥‥!!なんで、ここにいるの‥‥‥』


『なんでって、おまえ、そりゃ‥‥‥』


『私は母親だから。自分の子供が泣いてたら、そりゃ世界の裏側からだって駆けつけるに決まってるだろ』


『ほら帰るぞ。今日の晩御飯は私が腕によりをかけて作ったんだ。まっ、政のつくった料理には負けると思うが、我慢しろ』


『‥‥うぐっ。おと‥‥うさん。料理上手だもんね、おかあさんと違って』


『一言多い!』


微笑みながら少女の手を優しく惹いてくれた思い出の母親の手の温もりを思い出すように手を重ねるが手は冷たい

誰にも見られてないことを確認してから、少しだけ、少女はむせび泣いた 





どれくらいの時間をかけて歩いたのだろう。唯、其処に辿り着いた時、少女の僅かに充血した大きな双眸は更に大きく見開かれた。これから先の光景を恐らく少女は一生涯忘れることはないだろう


村は無かった。代わりに美しい幻想郷が少女を待ち受けていた。辺り一面には色が満ちていた。赤と白の彼岸花が敷き詰められているようだ


緋色と純白が入り混じった彼岸花が悠然と咲き誇り、月下に見守られながら照らされて激しく輝き色を競い合っている。その様は絢爛華麗と言う他ない。初めこそ困惑した少女も次第に状況を飲み込んでいく


突然に少女の背中を風が強く吹き抜けていく。追い抜いた風に驚いて花々が舞い上がった。赤い彼岸花が真紅に燃える花火の様に夜空で花弁を美しく散らせて、白い彼岸花は零れ落ちる月明かりを集めて、死者を慈しむ灯籠の様に流れていた


燦然と完成されたその花天月地の光景を少女は素直に美しいと思えた


────とても綺麗ね


感傷に浸っていた少女に不意に届いた言葉が、反射的に視線を呼び寄せる。そして少女は静かに息を呑んだ


其処には見覚えのある女性が佇んでいた。少女をそのまま大人びさせたと思えるほどに女性は少女に酷似していた。いや、そうではない。少女が彼女に似ているのだ。何故ならば、彼女は少女の母親なのだから


母だけではない。傍らには父である政宗も寄り添うようにして立っていた


無いものが見える。つまりはこれが幻想なのだろう。頭では理解している少女はそれでも、その奇跡に向けて歩き出し、手を伸ばさずにはいられなかった


恐る恐るだが、冷えた手がゆっくりと彼らに触れ合う


「温かい‥‥‥」


確かに感じるその温もりに少女の瞳から自然と大粒の涙が落ちる

そんな少女を見つめる2人の顔はとてもとても辛そうだった


────ごめんね。独りにして


第一声に謝罪を口にしたのは母だった。なぜ謝罪されるのかはわからない。彼らの手を握る指先に自然と力が篭っていた。それだけで、少女は彼らがこれから何を口にするのか察せてしまった


「‥‥謝らないで。独りにしないで」


震える唇から無意識的に言葉が漏れ出る


────。


有無を言わせない強い語気を感じて彼ら2人。とりわけ母の呉葉の方は困った様に口を噤み隣の政宗へと視線を寄越す


────紅葉


父である彼が静かに少女の名前を呼ぶ。まるで遠い昔に無くした物を取り戻したかのように、ハッとした様子で、紅葉は自身の父である政宗を力無く見やる


彼の顔は紅葉以上に涙でみっともなく歪んでいた。いや、父だけではなく、気丈な母も涙を必死に溜めて堪えている。嘘だ。我慢できずにすすり泣いている。それでも何方も精一杯へたくそな笑顔を浮かべようと努力していた


この話を聞いたら、彼らと会えるのはこれで最後になると紅葉は感じ取っていた。当の二人なら殊更それを分かっているだろう。それでも、伝えたい言葉があるというのだ


そんな決意を示す彼らを前にして、駄々をこねるような子供地味た事が紅葉には言えなかった。彼らの子供だからこそ向き合わねばならない。応えてあげねばならないと思った


────僕たちは死にました


覚悟はしていたが、何かが強くのしかかってきて心が軋むのを感じる


────もういません


もしも。喉を枯らす程に千の言葉を連ねれば。万の言葉を尽くせば。或いは、感情を剥き出しにして、否定をすることが出来たらどれだけ楽になれるのだろうか


────だけどね、紅葉


思いは募るばかり。


────その事を気にして、君が下を向く必要はないよ


一瞬、紅葉の中に自分が不幸だという考えがちらついて、そんな自分に無性に腹が立った。被害者面をして自分が不幸だと嘆く権利などない。そんな権利ありはしない。

本当に不幸なのは、こんな自分に関わることとなってしまった彼らの方なのだ。


────だから‥‥‥




政宗は僅かに悲しみに喉を詰まらせながらも、自身の愛娘の心を見透かすように告げた


────君は、幸せになっていいんだ



良くも悪くも、周囲の人を巻き込んでしまう存在というのは確かに存在して、そして、紅葉の場合は圧倒的に後者であったというだけの話だ。彼女は他よりも特別な生まれだ。だがそれだけだ。なんの罪がある。なんの咎がある。


自罰的という程でもない。ただ、もう、世界が化物としての在り方を臨むというならば、もうそれでいいのだと、救いを求めることすら紅葉は諦めた


けれど、それは酷く独り善がりな自己満足だったのかもしれない。自暴自棄なその行動が紅葉のことを大切に思っている者たちのことをどれだけ深く傷つけるのか考えもしていない


だってそうだろう。紅葉が自身をゴミか何かのように粗末に扱えば扱うほど、そんな少女を大切にしてきた、彼らは。彼女らは。ゴミの為に死んだ愚か者ということになってしまうではないか




────あーあ。こういう時ばっかり毎度全部持っていっちゃうんだから。まったく、そういうのは母親である私に言わせてくれよ‥‥


呉葉が大袈裟に、ガクンと肩を落として項垂れるのを尻目に悪びれた様子なく政宗はくつくつと笑いを噛み殺していた。こういったやり取りは彼らにとっては、飽きるほどに繰り返されて、酷く見慣れたものだった


────まあいいや、私からも最後に一つ


呉葉は仕切り直しにコホンと咳払いをして、わざとらしく喉の調子まで整え始め笑いを誘う。

少しの間をわざとだけ置いて


────紅葉。私たちは、貴女のことを、ずっと愛しているよ


そう告げた。臆面もなく面と向かってそんなことを言われては、流石に恥ずかしい。思わず顔が熱くなるのを、紅葉自身感じていた


「あ、う、あ‥‥‥」


直視出来ない。視線が揺れ動き、口はパクパクと泡食ってしまう。顔を隠すように咄嗟に俯いた。だが、これで最後だと気付き、恥ずかしがっている場合ではないと直ぐに顔を上げた


「わ、わたしも!」


彼らに。彼女らに。伝えよう。言葉にして。微々たるものかもしれないが、安堵してもらおう。少しでも紅葉なりに恩返しがしたかった


「貴方たちのことを────」



視線を戻した先に、幻想郷は消えて無くなり、もう二人はいなかった


一瞬、風に溶けるように、音が消える


何かが出てきそうな感覚に襲われるが、出してはいけないと思い、苦しい胸元を無理やり抑えつけてソレを呑み込む。彼らの居た場所に墓碑が置かれてあった。墓碑に刻まれていたほんの数文字を無意識に目が辿った


『あなたが生まれてきてくれてありがとう』


かつての思い出が想起されていく。いつだって二人は傍にいてくれた。もう、本当にいないのだと実感した時、今度こそ紅葉は限界だった


「ぅぅぅ‥‥‥」


小さく呻きながら、力が抜けて身体が崩れ落ちる。溢れ出てくるものに耐え切れずに紅葉の口から吐き出された。まるで縋るように溢れ出たそれには僅かに湿り気が混じっていた


「独りに、しないでよぉ‥‥‥」


二人の前では強がりを見せていた。けれども当然だろう。紅葉は子供だ。どれだけ物分かりがいい子供を演じていても、そんなに簡単に本心は納得してくれない。誰にぶつければ良いのかも分からず、行き場のない全ての感情がその言葉に込められていた


「しないよ」


不意に返事が返ってきて顔を上げる。顔を上げた先には、いつからか彼が立っていた。あの青年アリス・アンドレア・ピサロが物憂げな表情で佇んでいた


随分と経ってから、紅葉は震える言葉で言った



「‥‥‥教えてくれ。幾ら考えても分からないんだ。わたしはこれからどうすればいい。どこに行けばいい‥‥‥」


アリスは「僕もわかりません」と軽く相槌を打って「だから」と言葉を続ける


「僕と一緒に世界を旅しませんか?」


脈絡無い突然の誘いに紅葉は硬直する


「‥‥‥旅に出れば、何か変わるのか?」


涙を拭った紅葉はか細い声で問いかけるが、当のアリスも困ったように笑う


「それを知るためにですよ」


「気に入りませんか?」


アリスは意味有り気に眉尻を上げて、紅葉の反応を伺っている


「‥‥‥ありがとう。アリス」


「それは同意と受け取って良いんですか。」


アリスは意地悪そうな含み笑いを浮かべるが、紅葉は不貞腐れたように顔を背ける


「女の子に言わせないでよ」


アリスが手を差し伸べる


「これから宜しくね。紅葉」


初めて森の外の人間に名を呼ばれて紅葉も目尻に皺を寄せて、口元を弛緩させる


「こちらこそよろしく アリス」


紅葉は差し伸べられた手に掴まって、ゆっくりと立ち上がった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

勇者の後物語 歯軋り男 @walkers613

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ