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フレメア・シュメルは先程起こった凡そ信じられない不可思議な現象に我が目を疑った。何故ならば、あの青年、ピサロが何もない空間から突然現れ、そしてどういった理屈かは分からないが、彼がまるで水でも掻き分ける様に両手を動かすと、たったそれだけで、天を轟かせ地を震わせる、あの災害の如き現象の全てが自分たちを避ける様に『捻じ曲がった』


それは正に人知を超えた神の御業だろう

唖然としてしまったフレメアの抱いた疑問が開いた口から飛び出してしまう


「‥‥‥貴方は何者?」


その問いにアリスはまるで隠し事が見つかった子供の様にばつが悪そうにはにかむばかりだった。彼は手を翳した

化物が漸くして気付く。この場に彼と自分の2人しかいない事に


「なにをした」


いつからだ。化物は1秒たりとも目を離したつもりはない。にも関わらず、フレメアとハイドリヒの両名が煙のように消えた。まるで初めからいなかったかのように、忽然と紛れもなく目の前から消失したという異常な事態に対して疑問を率直に投げかけると、隠し立てすることもなくアリスは直ぐに答える


「村の方まで移動させただけですよ。僕の魔法でね」



実に簡単そうに言うが、物質を物理的法則を無視して他の場所へ移動させる。そんな事が出来る魔法など一つしかない


「くはは。空間干渉の魔法が使えるとか本当に何者だよ、お前」


魔王が死に。最早失われたとさえ云われる原初の魔法。その一つに数えられる空間魔法を使えるなど並大抵の者ではない

そんなアリスは僅かに肩を竦めて、どこか申し訳なさそうにしながらも、それでも表情を変えずに一拍の間を置いて嘯く


「勇者‥‥といったら信じてくれますか?」


そのたった二つの文字の羅列に対して抱く感情は対極に別れると言っていい。尊敬と羨望の感謝の気持ちか、でなければ殺意と憎悪を混ぜた嫌悪の気持ちか


酷く無機質な声で赤い化物はゆっくりと沈黙を破る



「勇者‥‥勇者ね。最後の最後でそうきたか。くはは‥‥」


穏やかな仮面を貼り付けていた顔付きが次第に憤怒の色に染まって剥がれ落ちていく


「■■■■■!!!」


口から言葉にならない獣の様な咆哮が爆発したかのように辺りの空気を震わせた


激昂した感情に感応するように翼が更に荒々しく膨張する。そして、翼を今度は左右両方からシンプルに力任せに彼にぶつけた。ただそれだけだった


勇者。その呼び名と数々の武勇は、あの時代を知らず、尚、世界から隔絶された村で生きてきた者たちですら知っていた


「お前は勇者じゃない‥‥」


何故なら、父が少女に教えてくれたから。母が少女に伝えてくれたから

魔王が死んで戦争が無くなり平和な世界になったと村の皆が口を揃えていつも感謝していたことを覚えているのだから


「違うよ。そんなはずない。だってわたしみたいな化物にもお前は手を差し伸べてくれたじゃないか。そんなお前が勇者だって言うなら‥‥‥!」


けれど実際の所はどうだったのだろうか。平和と呼ばれている筈の世界で。化物だと糾弾され差別され迫害され窮屈な森に閉じ込められて、日陰者としか生きていけない、こんな世界が彼らには。いったいどんな風に写って見えたのだろう


「なんで」


「こんな世界になっちゃうんだよおぉぉぉぉ!!」


それでも。彼らが限られた世界でささやかな幸せを享受しようと懸命に笑って生きていた事を何より知っていた。化物はそんな些細な幸せすらも許されないほど罪深い存在なのか。ならば何のために。彼らは。彼女らは生きていたのだ。


「本当にどうしてこうなっちゃったんだろう」


晴れない粉塵の中からアリスの声が飛んでくる。至って平静に

考えてみれば当然だ。空間を操れる彼に物理攻撃の類が届くはずがない。だが現れた彼は生きてるのが不思議になるほどに全身を猩猩緋で染め上げていた。少し重い足取りながらも煙の中から出て来て、歩み寄ってくる


「‥‥‥僕にも分からない。目指していた世界はこんなはずじゃなかった」


弱々しく言葉を紡ぐアリスは今にも潰れてしまいそうな程、儚く悲痛そうな声を上げていた


それはまるで勇者とは縁遠い負け犬の泣き言の様だった。その姿を化物は無性にやるせなく感じた


「何悲観してるんだよ!お前勇者なんだろ!」


「だったら泣き言なんて言ってんじゃねぇよ!今度は‥‥今度こそわたしたちみたいな化物でも生きていける。そんな世界に‥‥変えてみせるってくらい言えよ……!

言えーーー!!!」


「勝手なことを言うな!!」


血のあぶくを吐き出しながらアリスは驚く程の声量を出して化物の声をかき消す


「‥‥買い被らないでよ。僕じゃ駄目だった。僕じゃ届かなかったんだ」


「皆が笑っていられる世界だったらって思うよ」


「種族の垣根無く皆が手を取り合って生きていける。争いのない。そんな世界だったらって思う」


「けどそんな世界は来なかった」


「どれだけの血が流れても。どれだけの命が消えても。望んでも。願っても。来なかった‥‥来なかったんだよ」


「分かってる。確かに望んでいた世界とは違う‥‥‥夢見ていた世界ともかけ離れてる‥‥‥醜い世界なのかもしれない……」


「だけど!だからって在りもしない未来に縋って!今を簡単に否定したら‥‥‥あの戦いで犠牲になった奴らは、いったい何のために死んじまったんだよおおおお!!」



歩みを止めるアリスと化物の距離は既に互いの手を伸ばせば触れ合える距離にいた


けれど、その手がお互いの手を取ることはない


少女はそんな言葉を吐き捨てて勢い任せに青年を殴り倒した。翼ではなく拳で直接殴らなければ気が済まなかった


「今なら世界を滅ぼそうとした魔王の気持ちが分かるよ」


馬乗りになりアリスを殴る殴る殴る。殴ってる拳が痛むほどに殴り続ける。そうでもしないと、化物の怒りに任せてこの森全土を灰燼に帰していただろうから


「勇者はその手段を間違えていると否定した」


「じゃあ教えてくれ」



『過去』に大きな犠牲があるから『現在』ある小さな犠牲はどんなに理不尽だろうと耐えなければならないのか?


肯定のためにその小さな犠牲と切り捨てられている存在がどんな気持ちで犠牲になっているか1度でも考えたことはあるのか?


「この気持ちはどうしたらいい?わたしには殺された家族を忘れて、ヘラヘラ笑って生きていくことが正しいなんて、どうしても思えない」


誰も彼も考えたことがあるはずがない。本当にその立場に立ち考えたことがあるのなら否定はできないからだ。


「なあ!教えてくれよ。何が正しいのか。勇者あああぁぁぁぁぁ!!!」


黒い。どこまでも真っ黒な翼が蒼天を飲み込むように覆って行く


そして、黒く染まった空がゆっくりと森に滝のように落ちた

きっと誰にとっても現実離れした光景だったに違いない

黒いどこまでも真っ黒な果てしない闇が降り注ぎ全てを塗り潰して行ったのだから。


耳障りな濁流は直ぐに化物から音を奪った。次に光。次第に全身の感覚さえも朧気になり、自分という存在が希薄になる


これが自身の終わりだと、直感的に理解した。この闇はおぞましさが余りあって死が満ちすぎているのだから。全身が孤独に死に包まれるのは言い知れぬ恐怖を感じた


咄嗟にアリスが自身の下にいたことを思い返し必死に手を伸ばす


だが分からない。指先が崩壊していく感覚は伝わってくるが、アリスのあの穏やかな温もりはどこにも感じない


音が無いのに何かが聞こえる気がする。闇が嘲りながら歌を耳元で歌い上げていた。それは気が狂いそうになるほどに脳みその中を掻き回し木霊する


文字通り声にならない悲鳴を精一杯上げた。そんな叫びすら誰にも届かない。そして、孤独と死がこんなにも恐ろしいとは思わなかった化物は最早、感覚すらない自分の手を、前か後ろかすら分からないどこかへ向かって縋るように伸ばした


ギュッ!と誰も掴むはずのないその手が確かに握られる感じがした。そして遥か昔だと懐かしさすら覚える温かさを取り戻していくと共に見えるはずのない目に誰かが写り語りかけていた


「君のために何をすればいいのか何を伝えたら良いのか僕にはまだ分からない」


聞こえるはずがない声が聞こえてきて、次第に自分の存在がはっきりしていく。アリスが背負っていた剣を抜いていた。それは太陽よりも眩しく光り輝いていた


「でも自分たちが今こんなに苦しいんだって。助けて欲しいんだって。叫んでくれよ。その叫びは、まだ『世界』には届かないのかもしれないけれど」


そして気付く。声の主が先ほどから自分を抱きしめている事に


「その叫びはきっと『誰か』に届いているから。だから‥‥‥」


何が起こったのかは不明だ。だが闇が霧散するかの如く光に振り払われて行き、見覚えのある空が直ぐに顔を出してくる


未練などない筈の世界が、どこか愛おしく感じたのは何故だろう。少女は疑問に思いながらもゆっくりと異様に抗い難く重たい瞼を閉じる


アリスが何かを語りかけて、身体を揺らすが、次第に意識が闇に溶けて遠のいて行った

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