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ーーー†††ーーー


空気を切り裂く金切り声を上げながら一度に幾つものチャクラムが森を所狭しと駆け抜けた


触れれば人の身体をバターより容易く切り裂く円月輪の標的はーーー紅い。どこまでも真っ赤な少女だった


「はっ」


迫り来る死を前に立ち尽くしていた少女は、臆すことなく前に走り出す

タイミングを測って右脚で踏み切って前方に飛んだかと思うと、少女は投擲されたチャクラムの間を縫うように通り抜けた


「なっーー!?」


ハイドリヒの驚愕に包まれた眼と、少女の殺意を灯した瞳が結びつく

赤い少女とハイドリヒの交差は一瞬だった


「ぐっ!!」


ハイドリヒの右肩が浅く抉られ、削られた肌膚の隙間からは薄ピンク色の肉を覗かせる

が、しかし、身体を血に染めたのはハイドリヒの方だけではなかった


「やるな‥」


ぼそりと言葉を漏らして少女が熱の篭った腹部に触れると、熱がそのまま形になり掬い取られたかのように、べっとりと手に血が付着している


「で、どういうトリックだ?」


攻撃に移ったのは赤い少女の方が確実に速かった。何よりハイドリヒの手には武器など握られていなかった

しかし互いの痛み分けという腑に落ちない結果に終わってしまっているのは赤い少女ではなくても疑問に思うだろう


「こういうことさ」


何も手には握られていないがハイドリヒが少女に向かって何かを投擲する


視覚では捉えられない攻撃。だが聴覚が或いは全身の皮膚が僅かな空気の揺れから危機を察知して少女は理解する


「なるほど」


舌打ちをして咄嗟に横に飛び跳ねると少女の胴体の代わりに後ろの樹木が切り倒される


「つまらん。どんなものかと思ったら不可視の武器か」


興が削がれたと言わんばかりに吐き捨てる少女を前にハイドリヒの口元がひくつく


「いちいち態度がでけえなあ化物。流石にムカついたぜ」


戦いにはその者が最も力を発揮できる間合いがある

赤い少女は徒手空拳で有るが故に至近距離の肉弾戦

ハイドリヒはその武器の性質上、中距離から遠距離の間合いでの戦いに持ち込む必要があった



肉体的なポテンシャルは紅い髪の少女に人間風情が及ぶべくもない。故に近距離なら少女が。遠距離ならハイドリヒが制す。そのはずだった


「そう上手くはいかねぇな」


赤い少女が今の状況に対して忌々しそうに毒づく

現在2人はお互いの体が触れ合わんばかりの超至近距離での打ち合いに興じていた。少女の間合いである以上はハイドリヒを圧倒していなければおかしい


だがどうだ?その天秤が少女ではなくハイドリヒの優勢へと傾いていっているのは誰の目から見ても明らかだった


少女の右拳がハイドリヒの顔面を捉える。人骨など簡単に粉砕する威力の拳がインパクトすると、ハイドリヒの首が千切れんばかりに無理やり捩じられていく。ぶちぶち首の筋がおかしな音を上げている


だが少女は手応えを感じなかった。ハイドリヒの体は流れに身を任せるように首と共に体を即座に一回転させ、お返しと言わんばかりに、そのままチャクラムを握り締めた手を横薙ぎに振るう


「中途半端に避けるなよ。痛いだけだぞ」


少女の首を狙った手刀は、少女が身を屈めて首に当たりこそしなかったが、少女の前髪と共に額に横一門にザックリと切れ目を入れていた


「うるせえ、よ!」



傷に構わず少女はハイドリヒの懐に潜り込み下から突き上げる様に拳を放つ


「おっと」


拳が当たるより早くハイドリヒが上へと飛び、拳が体に届くより先に片足を器用に拳に乗せ、勢いを殺すように宙で何度かクルリと回りながらゆったりと着地する


「どうした化物 動きが悪くなってきているぞ まさかもう限界か?」


ハイドリヒは余裕を感じさせる笑みを浮かべるのに対し、赤い少女は睨みつけるので精一杯で肩で息を整える


(くそ‥‥)


力でも速さでも、少女のソレはハイドリヒより遥かに上だ

しかし少女は知らない。知る筈がない。力と速さで劣る人間が代わりに何を持っているのか

或いは道具。或いは技術。或いは知恵。


そして最も大きな差を生んでいるのは、冒険者として様々な死線を潜り抜け殺し合いに投じてきた人間と今の今まで蝶よ花よと育てられ戦いとは無縁だった化物との差であった


「距離が出来ているぞ」


ハイドリヒは距離があるとすかさず、身体中に仕込まれた幾つものチャクラムを四方八方から少女へ向けて投擲する


「ぐ‥‥あ!」


何とか躱そうとするが、今度は先ほどの様に完璧に避けきる事は出来なかった。少女の露わになっている白い肌が容赦無く赤い線で苛烈に塗り潰されていく


僅かに身体がぐらつくが、それでも少女は倒れない。既に全身という全身が丹色で彩られても歯を食いしばりがむしゃらに拳を握って奮い立ちハイドリヒに向かっていく


「おいおい、やぶれかぶれの特攻かよ」


だが、ハイドリヒが少女の攻撃を避けざまに一閃すると、これでもかという程に少女の切り口から生臭い血流がドバドバと噴き出した


傷口を抑えながら少女はそれでも何歩かおぼつかない足取りでハイドリヒの方へ立ち向かっていこうとするが、風に軽く押される。それだけで少女の身体は力なくばたりと倒れてしまう


「うごけ、うごけーー!」


意志に反するように少女の身体はもう指一つ動かすことが出来なくなっていた。血を流し過ぎただけじゃない。それに加えて肉体が耐えられない怪物としての力を長時間出し過ぎたのだ。拍車を掛けたのが本来ならば意識どころか命さえも失っている程のダメージだ


ぐったりと地面に寄りかかりながらも意識を保ち生きていたのは彼女の肉体の異常な生命力と強靭な精神力のお陰だろう

けれど形勢は既に容易には覆らないほどにハイドリヒの方に傾いてしまっていた


「んじゃ終いだ。化物」


ハイドリヒはチャクラムを構え直す。だがハイドリヒは何時迄もチャクラムを振り下ろさない。今になって手心を加えるなどという、そんな馬鹿な話があるわけもない


少女は流れる様にハイドリヒから隣の男へと目を移す


少女の思考が思わず停止する。その男は先ほどまで自分とハイドリヒの殺し合いを怯えながら只何もせずに見ていて、そして自分の全てを奪った原因の1人だったはずだ


そんな最も憎むべき筈の男に、許してはいけない筈の男が今、自分を守るために剣を握っていた


「剣を向ける相手、間違ってるぞ」


命乞いではなくハイドリヒは男に忠告をするが、クダンはそれでも剣先を依然突きつけたままだ


「もううんざりだ。目の前で誰かが死ぬのは‥‥もう逃げるわけにはいかねえんだよ!」


その言葉がどういう意味かハイドリヒには分からなかった。男も正しく意味を伝えたいわけではないのだろう。只、分かっているのは男は化物である少女と誰かを重ねてみていることだった


「そ。じゃあ殺すけど恨んでくれるなよ?」


男からの返事はなかった代わりに這いつくばっていたフレメアがやめてだの。殺さないでだのと煩く騒ぎ立てていたので、ハイドリヒも口を閉じて無視を決め込む


一迅の風が流れるとまるで示し合わせたように男の剣とハイドリヒのチャクラムが同時に動き出した


決着は一瞬だった


「ガフッ‥‥」


ハイドリヒのチャクラムがクダンの持つ剣ごと両断すると口から血が吐き出され、後ろに何歩かよろめいて木に背中を預けるとズルズルという音と共に膝から崩れ落ちる


一撃とはいえ、傷は深く既に致命傷だ。放っておいてもじきに死ぬ人間をわざわざ殺そうとは思わず、ハイドリヒは男から無様に這いつくばる殺すべき少女へと視線を移す


「あ!あいつどこいきやがった。逃げたのか?」


血溜まりがあるだけで少女の姿がない。どこにも見当たらないので逃げたのかと辺りを見回すと、ハイドリヒに背中を向ける形で少女は先ほど切り捨てられたクダンの顔を心底不思議そうに覗き込んでいた


「いつの間に‥‥!」


そもそも動ける傷じゃなかったのに、どうやって彼女は動いた。嫌な汗が彼の背中を流れた


「なあ、なんでお前わたしを守ったんだ?」


少女の問いかけに男は答えることはない。既に声を出すほどの余力もないのだろう。口を静かに動かしながら無言で力なく男は少女を見つめていただけだ


少女も、ただじっと男の口元を見ていただけだった。男は語り終えたのか口が動かなくなると程なくして呆気なく物言わぬ骸と成り果てた


「死んでもよかった。だってわたしは化物だから」


少女は彼の小さく見開いた瞼をそっと閉じてあげ、ゆっくりと立ち上がる

仇の1人が目の前で死んで、手を叩いて喜ぶべき筈なのに少女はやろうと思えなかった

それ所か喪失感や虚しさにも似た何かを感じていた

親や仲間の仇を自分の手で殺さなかったからなのか。それとも1人ではなく、全員が死ねば満たされるのだろうか


少女にはもう分からなかった


赤い少女は、まるで今の状況など取るに足らない些事と言わんばかりに、ただ何処を見るわけでもなく呆然と立ち尽くしたまま沈吟し思索に耽っていた


誰の目から見ても、上の空で隙だらけに見えるだろう。簡単に首を落とせると考えてしまうだろう


だが、だからこそ、この状況に似つかわしくない少女の異常さを。異様さを。異物さを。フレメアは敏感に感じ取る


「兄さん!逃げて!もうその子は!」


その言葉は逆にハイドリヒを後押ししてしまう


(ヤバい!)


対峙していた時から、ハイドリヒは薄々感じていた。この目の前の敵を放っておけば人類にとって或いは世界にとっての新たな魔王になるという直感的確信が。それが今形になっていくのを


( ‥‥出方を見ている余裕はなさそうだ)



全身を持って挑まなければならない。全霊を持って臨まなければならない。その本能が逃げるのではなく、戦いへと彼の身体を突き動かした


「シッ!!」


ハイドリヒは持てる武器。つまりはチャクラムを自身の技量で打ち出せる限りに瞬時に全て打ち出す

数百に届くであろう刃の雨が、空間を埋め尽くし、回避不能の圧倒的な数の暴力は少女のいる一帯を等しく切り刻む


「な、に」


この攻撃により、ハイドリヒの目に写る全ての形ある物は薙ぎ払われている筈だ


その筈だった


幾百の刃は彼女ごと空間を斬殺していなければならない筈なのに。寸断していなけばならない筈なのに。彼女を含めた一帯は唯の一刃すら届くこともなく無傷だった


「な‥‥んだ。それは」


原因は明白だった。それを目にしたハイドリヒは思わず言葉を失った。彼女の背中からは黒い翼が生えていたからだ


────否。それは翼ではなかった。彼女の背部より噴出した圧倒的な力を内包した黒い炎が翼のように錯覚させているのだ


「化物め‥‥‥!」


忌々しく吐き出したその言葉に反応するかの様に、直後に少女はゆっくりとハイドリヒへと顔を向けて失念していたのを思い出す。そんな表情を一瞬浮かべて彼を認識する。認識というよりは目に入ったという言い方の方が適切なのかもしれない


「おわり」


次の瞬間ハイドリヒの身体が宙を舞っていた

例えるなら、人間が地べたで動き回る蟻をたまたま見かけて興味本位で踏んづけてみよう。彼女にとって黒翼をハイドリヒにぶつけたのはその程度の認識だった


だが、彼女の思惑がどうあれ黒翼に内包された圧倒的な力を脆弱な人間がその身に受けて生きていられる訳がない


「くはは、悪運だな」


それでもフレメアの目前に落下したハイドリヒに息があることを赤い少女は分かっていた


黒翼は直接当たってはいなかったからだ。制御が難しく、振るわれた翼は運良くハイドリヒの目の前の地面に落下し大きな亀裂を入れただけだ。そして、その余波が彼の身体を吹き飛ばしただけだったのだ


しかし、余波で彼の全身の骨が幾つもへし折れ、伝わった熱で全身を焼かれた状態で虫の息ではあるので、ハイドリヒに起き上がる様子は見受けられない


(どうする‥‥どうすれば)


フレメアはこの状況で何か打開策を考える。だが思い浮かばない。戦力差は既に覆りがないほどに開いてしまっている。逃げることすら出来はしない。一言で言えば、この状況は詰んでしまっていた


「祈れよ。もしかしたら、誰かが都合よく駆けつけて助けてくれるかもしれないぜ?」


「‥‥はは。そうね。助けてくれるの‥‥‥かもね」


赤い少女もフレメアも知っていた。そんな都合の良い存在がいるわけがないという事を

本当にそんなのがいるなら、そもそもこんな状況になどなる筈がない


だからこんな世界に期待などするだけ無駄であると少女は唐突に理解した。


「くは‥‥‥ははははははは!!」


紅い化物はその答えに目元の方を片手で隠しながら嗤う。口元の笑みはまるで愉しそうに泣いてるようにも見え、悲しそうに笑っているようにも見えた


嗤い声を掻き消す様に、黒翼は動けないフレメア達を叩き潰すように上から下へ振るわれた


その一撃は、宛ら台風のように風を唸らせ、局地的な大地震のように森一帯の地盤を陥没しかけるほどに震えていた

砂埃がマグマのように噴き上がり、化物の視界は遮られる。今の攻撃の中心にいた2人が無事であるはすがない


ゆらりと人影が立っていた

粉塵が次第に晴れていくとそいつは立っていた


「は」


いつ現れたのかは分からない。どうしてあの攻撃の中で無傷で生きていられたのかも分からない


「はは‥‥かっこいい現れ方だな。」


フレメアとハイドリヒの両名を背にし青年、アリス・アンドレア・ピサロは勇者のように立っていた

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