二人目:父方の祖母

 父方の祖母は、私が小学校を卒業する前に亡くなった。


 元看護婦であったと聞く。祖母の娘(私にとっては伯母にあたる)も看護士であったかは分からないが、医療関係の仕事であったと思う。思う、というのは、私自身が身内に対して詳しくないからだ。

 この「身内に詳しくない」というのが、取り返しのつかない自分の最大の後悔である。

 もっと話を聞きたかったと、今更になって強く思うのだ。そうして、今、このエッセイともフィクションともつかない文章を綴っているくらいには。


 父方の祖母は静かな人であった。口数も多くは無かったように思う。声を荒げて怒った姿など一度も見たことが無かった。だが、私の面倒をよく見てくれていたようで、私自身も祖母の話を聞いていたり、祖母を頼った思い出が多い。

 古いビデオテープの記憶がある。

 私の産湯の様子が収められたビデオテープだ。ゆっくりと小さな体にお湯を掛ける手は祖母のものだった。私はおとなしいもので、寝ているのか起きているのかよく分からない。

 何かを話しかける祖母の声と、柔らかな水音が続いていた。

 場面が切り替わり、ソファに座る祖母と抱かれている私と、その隣にテンションの高い小さな姉が座っている。

 謎ではあるが姉は室内に傘を持ち込んでおり、謎のハイテンションのまま傘を開く。開かれた傘の骨の先が私の頭の近くを掠めるので、祖母が慌てて私の頭を守るように手をかざしていた。

 そういうときでも、祖母は姉を怒ることはせず、「危ないから、閉じなさい」と静かに窘めるのだった。

 静謐な人だった。私の祖母への一番のイメージは、そこに尽きるかもしれない。


 そのイメージが少し変わったのは、母から祖母の一つのエピソードを聞いた時だった。

 少し変わった環境だったと思うのだが、私の実家は母方の実家の物理的に隣にある。父方の祖父母とは同居し、母方の祖父母とは隣近所という状況だ。(そのため、「夏休みに田舎に帰る」というイベントが無かった)

 母方の祖母はお喋りで元気な魅力的な女性だった。お節介の一つ手前くらいで面倒見がよく、姉が生まれた頃はよく預かって貰っていたという。

 そのため、姉はどちらかというと母方の祖母に懐いていたらしい。

 そうして生まれた私を、やはり同じように面倒を見ようとした母方の祖母へ、この静かな祖母は言ったのだそうだ。

「大丈夫です、私が看ますから」


 可愛い人だと思った。

 いや、きっと強く思うことがあり、それを通す芯の強い人でもあったのだろう。多くを語らず、しかして頼り寄りかかる人を支えるだけの強さを持った女性だったのだ。

 祖母が亡くなったとき、祖母の傍らで母が呟いた言葉が忘れられない。

「私の話を静かに聞いてくれる人が、いなくなってしまった」

 思えば、私が初めて人の死に触れた人でもあった。


 祖母が亡くなった後、夢で一度だけ祖母に会ったことがある。

 いつもの朝のリビングテーブル。正面に祖母が座っていて、静かに笑っていた。

 私は何か話そうとして、気づいてしまう。祖母はもう亡くなっている───

 私が不思議に思ったところで、祖母は椅子から立ち上がり、そのまま部屋を出て行ってしまった。

 それきり。

 彼女は、私の夢に出てこない。


 いかにも祖母らしいと思っている。(思ってしまっているから、これきり出てこないのかもしれないが)

 どこか私の中で神格化されてしまっている感も否めない。「理想の女性」を挙げろと言われたら、私はこの祖母をまず挙げるだろう。

 それは随所に私の創作の中でも表れているので、もし気づかれた際にはニヤリと笑って頂きたい。

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枯骨徒然草 もちもち @tico_tico

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