最終話「嫁と娘」
それからのことを少し話す。
俺は引っ越しの手続きを済ませ、亜弥のマンションへと越してきた。
あれだけ揉めていた引っ越し問題だが、当面の間はまだ引っ越さずにこのままの状態を維持することで決定した。
この家には俺にとっても、亜弥と、夏海ちゃんとの思い出がたくさん詰まった場所だ。
だから簡単に手放したくはない。
まあこんなことになっているけれど、多分引っ越しの話は結局亜弥の頭からはなかったことになるのではないだろうか。
そして春休みの間に亜弥のご両親、そして旦那さんである俊さんのご両親にも挨拶に伺った。
両家とも俺に対してすごく歓迎してくれて、その様子を見ていると緊張の糸がするりとほどけた。
特に亜弥のご両親から「娘をよろしく頼む」と言われた際は、なんだか嬉しくなって体の芯が温かくなる。
もちろん俺の両親も二つ返事でOKしてくれた。
夏海ちゃんに対しても嫌な顔せず迎えてくれて、むしろ「孫が見れて幸せ」と母はニコニコした様子で話す。
両親の様子に亜弥もホッとした様子だった。
「私、どちらかの両親に反対されたらそのまま逃避行するつもりだった」
帰ってから家で亜弥がそんなことを言うものだから、少し肝を冷やしてしまった。
そんな事態にならなくて本当に良かった、とほっと胸を撫で下ろす。
俺の引っ越しだが、あのプロポーズからすぐに亜弥と協力して荷物を彼女の家に運んだ。
業者に頼むと引っ越しシーズンと重なり、かなりの金額がかかってしまうために避けた。
それに、家電系はほとんどもう使わないものばかりだから、運ぶのは日用品や衣類などばかりだから、自家用車で事足りる。
「えっちな本はないかな~」
なんて亜弥はうっきうきで探すものだから、ない、と何度も言うのに亜弥は「いいや絶対ある」と話を聞かない。
「だって俊の時もなかったんだもの。そんなのつまらないわ」
「君は一体何に面白さを見出しているんだ」
それにもう亜弥がいるからそういうことには困らないだろう。
そんな臭い言葉を思いついてしまったが、口にしたら最後、気持ち悪いという罵倒が飛んできそうだ。
まあ、引っ越しも済ませ、挨拶回りも終え、夏海ちゃんの高校入学と同時に俺達は籍を入れた。
佐伯亜弥。
佐伯夏海。
それが今日からの2人の新しい名前だ。
面倒だったのが、学校での手続きだ。
入学手続きは旧姓で行ってしまっているから、それの変更届がまあまあ面倒だった。
それでも入学式前だったということもあり、彼女の学校生活にはほとんど影響はなさそうで安心した。
夏海ちゃんは俺達のエゴに振り回されているのではないか、と思ったけれど、そんなことは杞憂だった。
彼女は今まで通り俺と親しく接してくれる。
柔らかくなった彼女の表情を見ると、こっちまでなんだか嬉しくなってきた。
形式は変わっても、俺達は変わらない。だって俺達は、家族なのだから。
そして夏。インターハイ全国大会1回戦。
全国大会の会場は地区大会とは比べ物にならないくらいの多くの人が集まっていた。
その半数はチームの応援のために地元から駆けつけてきた人たちなのだろうけれど、中には縁もゆかりもないのにただ観戦する人もいるのだから、やっぱり改めて全国大会のすごさがわかる。
「すごいですね、全国大会」
俺の隣で、聖良さんがキラキラと目を輝かせる。
会うのは夏海ちゃんの卒業式以来だ。
亜弥が呼んだらしく、彼女は「久しぶり」と聖良さんに声をかけた。
「学校はどう? 担任になったって聞いたんだけど」
「そうそう、新しく入ってきた1年生担当。もうやんちゃ坊主ばかりで大変。でも、楽しいよ」
いつも何か亜弥に対して敬語が自然に取れている。
この2人も随分と仲が良くなったな、なんて思いながら彼女たちを眺める。
「あ、そうだ。まだ言ってませんでしたね」
聖良さんはそう言うと俺の方を向いて改まった態度になる。
「ご結婚、おめでとうございます。末永くお幸せに」
ニコッと彼女は笑みを浮かべた。
そんな風にかしこまった言い方をされると、こちらこそ……と俺も恐縮してしまった。
ペコリと頭を下げる俺の様子が面白かったのか、聖良さんはプッと笑った。
「なんですか、その反応」
「すみません、こういうのに慣れてなくて……」
すると会場が盛り上がり始めた。もうすぐ試合が始まろうとしている。
夏海ちゃんは1年生ながら部活のベンチ入りを果たしていた。
まだレギュラーではないそうだが、いずれレギュラーの座を奪ってみせる、と電話越しに意気込んでいた。
その証拠に、ベンチで座る彼女の目はメラメラと闘志が燃えている。
「夏海ちゃん、大きくなりましたね」
隣で聖良さんが口にする。
卒業式から半年も経っていないのに、中学時代の夏海ちゃんと比較すると明らかに大人びている。
高校に進学していろいろなことにぶち当たって、様々なすったもんだを経験したのだろう。
顔つきが中学時代と比べてとても頼もしくなっている。
「はい。自慢の娘です」
胸を張って言える。夏海ちゃんは亜弥にとって、そして俺にとっての自慢の娘だ。
亜弥が常に誇らしげにしていた感情が、今になってわかる。
「頑張れ」
ベンチに座る夏海ちゃんに小さく声をかけ、俺はコートで活躍する彼女たちに拍手を贈った。
今度は、夏海ちゃんがこの場所で活躍できることを信じて。
元カノの娘 結城柚月 @YuishiroYuzuki
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