第197話「愛してる」

 夕食を終えた俺達は、そのまま彼女の家に向かった。

 俺達が家族になるという報告を、夏海ちゃんにするために。


「ちょっと緊張してきた」

「どうして緊張する必要があるの」


 クスクスと俺の隣で彼女が微笑む。

 だけど亜弥もどこか思うところがあるようで、ぎゅっと俺の服の裾を掴んで離さない。

 これもきっと彼女なりの甘えと強がりなんだろう。


 亜弥が部屋の扉を開ける。

 するとトタトタと夏海ちゃんが玄関の方に駆けてきた。


「おかえり……って、先生もいたんだ。」

「大事な話が合ってね、夏海ちゃんに」

「大事な話?


 彼女はきょとんと眼を丸くしていたけれど、すぐに察しがついたのか、ふーん、とニヤニヤした様子で亜弥を見る。


 リビングに向かい、席に座る。

 普段と違い、俺の隣の椅子に亜弥が座り、俺達の正面に夏海ちゃんが構える。

 彼女は今から何の話を聞かされるのか、と今か今かと待ち構えているようで、目をキラキラと輝かせていた。

 こんな反応をされたら先程まで抱いていた緊張は吹っ飛んでしまったけれど、ここまで期待されると逆に落ち着かない。


「えっと、どっちから言おうか」

「そりゃ、私からでしょ」


 それでも亜弥はいつもキリッとした様子だったので、少し安心する。

 亜弥は夏海ちゃんの方を真っ直ぐと、優しい瞳で見つめた。


「私、洋介と再婚しようと思うの」


 うん、と夏海ちゃんは相槌を打つ。

 その反応だけだと、肯定なのか否定なのかを判断することが難しい。

 おそらく前者だろうけれど。


「やったじゃんお母さん、おめでと」

「反対しないのね」

「そりゃ、お母さんが先生にベタ惚れしてたの知ってたし、先生いい人だし、お父さんに似てるし。遂にかーって感じ」


 ベタ惚れ、と聞いて思わず俺は亜弥の方を振り向く。

 彼女はそっぽを向き、誤魔化そうとしていたけれど、耳が真っ赤であることを見逃しはしなかった。

 夏海ちゃんの方に目線をやると、彼女は頬杖をついて余裕そうにニヤリと亜弥を見てほくそ笑む。


 まあ、夏海ちゃんの許しが貰えてよかった。


「改めてだけど、よろしく、夏海ちゃん」

「こちらこそよろしくね、先生。いや、お義父さんと呼んだ方がいいのかな。いっそのこと区別のためにパパと呼んでみるのも……」


 ぶつぶつと夏海ちゃんが呟く。

 お義父さんはともかく、パパと呼ばれるのは少々恥ずかしい。

 それに夏海ちゃんから呼ばれると、なんだか破壊力がすさまじかった。


「別に好きな呼び方でいいよ」

「じゃあ、パパで」

「やっぱり今まで通り先生にしてくれないかな」


 え、と夏海ちゃんは不服そうだったけれど、俺の心臓が耐えられない。

 そこに、ようやく戻ってきた亜弥が会話に入ってくる。


「ともかく、これからは家族3人、支え合って生きていくの。いい?」

「はーい」


 嬉しそうな声で夏海ちゃんは返事をした。


「じゃあさ、せっかくだし記念写真でも撮ろうよ」


 そう言うと夏海ちゃんは自身のスマートフォンをテーブルに置いた。


「ほら、タイマーセットしたから早く早く」


 夏海ちゃんに急かされるまま、俺達は窓側を背に立つ。

 俺の隣に亜弥が立ち、俺達の間に夏海ちゃんがニコッとした顔でスマホのカメラを見る。


 パシャリ、とシャッター音が鳴った。

 夏海ちゃんが写真の確認に向かった。


「うん、よく撮れてる」


 本当か、と少し疑い、俺達は夏海ちゃんの写真フォルダを覗いた。

 確かにちゃんと3人分画角には映っているけれど、俺と亜弥の表情はなんだか歪だ。

 まあ急にカメラを向けられて「今すぐ撮る」と言われたら、表情もちゃんと用意できないのも無理はない。

 とはいえ、ちゃんと家族写真にはなっていると思う。


「私、ちょっと変な映り方してないかしら」

「大丈夫だよ。心配なら、また今度撮りに行こう。今度はちゃんとしたやつ」

「まあそれもそうね、よく見るとこの写真もなんだか味があっていいかもって思ってきた」


 えへへ、と夏海ちゃんが照れ笑いをする。

 今日はよく笑うな、なんて思いながら、俺は彼女の頭を撫でた。


「ちょ、先生、どうしたの?」

「いや、夏海ちゃんが俺達を繋げてくれたんだなって思って」


 考えてみれば、夏海ちゃんと俺が出会っていなければ、俺と亜弥は出会うことはなかった。

 俺は塾講師として平凡な毎日を過ごしていただろうし、夏海ちゃんも勉強や進路に向けて真剣に向き合うことなんてなかっただろうし、亜弥も心に翳りを持ちながら生きていたかもしれない。

 それを全て変えてくれたのが夏海ちゃんだ。本当にありがとう。


 亜弥もぴとっと俺の横に引っ付いてきた。

 どうやら実の娘に嫉妬してしまったようだ。

 可愛い奴め、なんて思いながら彼女の頭をわしわしと撫でる。

 そして、両手いっぱいに広げ、彼女たちを抱きしめた。


「出会ってくれてありがとう。俺、これからも頑張るから、ダメなところがあったら支えてほしい」

「私も、まだまだ未熟なところがあるから、そこはあなたと夏海に引っ張ってもらいたいわ」

「私なんてまだ子供だから、お母さんと先生にちゃんとついて行くからね」


 俺達は3人でぎゅっと抱きしめ合った。

 ポカポカとぬくもりが体の芯まで伝わってくる。

 これが家族になる、ということなのだろうか。


 その後2人分のぬくもりを堪能したけれど、今日はひとまずこれでお暇することにする。

 夏海ちゃんと亜弥が玄関までお見送りに来てくれた。

 もうこんな風に「次はいつ会えるだろう」とワクワクすることもなくなるのだろうか。

 それはそれで切ない気もするけれど、それ以上に亜弥ともっと一緒にいれる喜びの方が大きい。


 また、と俺が外に出ると、一緒に亜弥も玄関の外に出た。

 夏海ちゃんはニヤニヤした様子で俺達を見ると、静かに玄関の扉を閉める。


「どうしたのさ」

「いいえ、なんでもないわ。ただ、私も伝え忘れていたことがあったから」

「伝え忘れてたこと?」


 一体何だろう、と思考を巡らせていると、亜弥は突然俺の両肩を掴んで、優しく唇を重ねてきた。

 2、3秒ほどの静寂の後、超至近距離で亜弥は呟く。


「愛してる」


 たったそれだけの言葉、だけど抜群の破壊力だった。


「…………俺も、愛してる」


 今度はさっきよりも長い間、沈黙が俺達を祝福した。

 全身に幸せと喜びが染み渡っていく。

 俺達は人の目も気にせず、ドア越しに夏海ちゃんがいるということにも気に留めず、口づけを交わした。

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