ヨグバ・クリードの『統一言語論』/♡

「生きてる……」

 ふとした感想を呟くだけで喉が焼けるようだったが、それでもまだマシな部類の痛みだった。


 家……だろうか。丸太を連ねた天井が視界の大部分を占めている。


「ここどこ⁉︎ ――あぁ、だめだ……」


 未知の環境に飛び起きそうになったが、叶わなかった。体のあちこちがダメになってるから、っていうのももちろんだけれど、それより何よりこのベッドだ。あるいはボクはもう死んでいるのでは? そう錯覚するほどふかふかふわふわの寝心地で、いっそこのまま死んでもいいと思えるほどだった。よくない。


「言葉の綾だよ」

「アヤダヨ?」

 ……。


 にゃん、と。マオちゃんがボクの顔を覗き込んできた。柔らかい顔が頬にかかってくすぐったい。


「ね。起きた? 起きたんだね? 会ってくれるね? 会ってねご主人にね。ね?」


 じゃれつくように畳み掛けて、少女は大きくにゃあと鳴く。すると部屋の……ベッドとボクたち以外が全て曖昧になって、暖炉のあるリビングみたいな部屋に変化した。みたいな、というのは、ボクが暮らしていた北部統括地区の造りがレンガで、ここが木組だからだ。見た目の色合いとかが全然違ってて、少し混乱する。


「…………」

 ギィ、と。


 安楽椅子が、音を立てて揺れる。

 

 ボクは、この男に見覚えがある。


 前人未到、通過するにも難儀する『猫の庭』。そんな辺鄙なところに「辺鄙なところってなんだ」家を構えて住んでいるような男を、ボクは見た……いや、視たことがある。


 ナイフを持って、ウロコイヌと対峙し、言葉を発した少年だ。


 安楽椅子の揺れる音。

「……」

 肘掛けに肘を乗せ、頬杖をつく、色白で少し伸びた髪を後ろで一房にまとめた彼は、暖炉の火を見るようにボクを眺めた。


「…………」

「…………。いや、なに」

「……別に」

 別にってなに。


「ご主人、ご主人。『統一言語論』なのにそうじゃない。なんだろうね? なんだろうね!」


「……ふぅ」


 マオちゃんに膝を叩かれ頬を擦り付けられ、彼はやれやれとも堪能ともつかないため息をついて、瞼を下ろす。


「【話せ】」


 耳から、ではない。

 意識の背後、というべきか。耳元で囁かれるように、と言うべきか「そのどれとも違う」。


「ぁ、――」

 それは約束のように。誓いのように。


「これは、『ラプラスの魔』、だ」

 喉が、舌が、無理やりに音と声を絞り出す。


「う、ゲホ、げっほ!」

 まるでボクの体を使って、ボクじゃないものが話したような。その無理が祟って、咳き込んだ。


「…………」

 だから、なんか言えよ。心配としないのかよ。血ぃ吐いてんぞ ボク。床汚れてんぞ。いいのか。いいのかそれで。


「客人。客人、死ぬなよ。死ねないだろうけど死のうとするなよ」

 突っ伏したボクを、マオちゃんが抱き起こしれくれた。そのままワンピのフリル部分でで口元を拭ってくれて、あちゃーって顔をしてそのフリルで床を拭いて、汚れたところをちぎって捨てた。


「な、ご主人。なんだろうね!」

「だから、『ラプラスの魔』だよ。そうか。しかし……」


 しかし、なんだよ。ラプラスの魔ってなんだよ。

 ギィ、と安楽椅子。

 パチパチと暖炉に焚べられた薪が弾ける。

 じっと見つめる右目に、左目の景色がダブる。


「【話せよ】」

「……なるほど。これは確かに『統一言語論』だね。そして使い方が上手い……語り掛けが話題ではなく俺に向いている。参ったな。どこまで話すことになるんだ……」


 はぁ、と一際大きなため息。


「マオ。俺が両手を挙げたら喉を掻き切ってくれ」

「あいよ」

 そうして、観念したように、彼は言葉を紡ぎ出した。


「俺は……うん。ヨグバ・クリードだ。全てと言葉を交わせる『統一言語論』の所有者。麒麟の亡者、星狩りのヨグバ・クリード」


 ヨグバ・クリードは、うたた寝しそうな面持ちのまま喉を揺らし続ける。


「目的があって、マオの『猫の庭』に居座っている。『庭』は箱庭だ。有り得ないことは有り得ないし、有り得ないなんてことは有り得ない。全て真実で、全て虚実なのがこの箱庭の正体だ。きみが『ラプラスの魔』を拾ったのも、きみが生まれた時から決まっていたのかもしれないし、ふとしたとききみが選びとったからなのかもしれない。どちらにせよ、きみが掴んだ仮説空論与太話は、なるほど、『ラプラス』だったわけだ。なんの因果か知らないが、ボクたちとは全く別の見方をするチカラだ。――――……」


 それからしばらく、ヨグバ・クリードは話し続けた。

 話す調子や声が心地よかったからずっと音としては耳で受けていたけど、星座がホントは罪人が張り付けられてるんじゃないった話が始まってからずっと、ボクは擦り寄ってきてくれたマオちゃんを撫で愛でていた。



 ラプラスの魔。ヨグバ・クリードという童話にもあるワルイヤツの名を借りる彼が生きていた世界で発生した、ある時点での事柄からその前後全ての一切を観測できるという悪魔。棒が倒れたとして、棒が立っていたこと・棒が転がっていくことを考察・予見できるような。

 それから星と重力の話。木の板に掘られた溝を走る水……これは人が、時間が、重力に乗って彫んだものと同じらしい。『ラプラスの魔』はそれを見つけ、なぞるのだという。

 


「それで、ボクをどうするの? 殺すの?」

 彼は揺れる安楽椅子に深く座り込んだまま、首を横に振ってみせる。


「殺さないならどうするの? イジめて遊ぶの? ボクはなにをされる?」


 洞……とした昏い瞳に、初めて感情の色が差した。困惑の色だ。


 イジワルをされたような反応をされたのは意外で、ボクは自然と、彼に少し這い寄った。


「なにか喋ってみてよ」

 きみの言葉で「やだよ」やっぱりこっちも聞こえてるんだ。


「…………」


 目の奥をよぅく観察する。これは……言葉を選んでいるときのような、少し自分の中に潜っている、といった具合だろうか。


「……名前」

「なまえ?」

「名前を、聞いていいかな」

 とてもゆっくりと、言葉が紡がれた。


「パルマ、だけど」

 ヨグバ・クリードが初めて微笑む。見ているこちらの心が綻ぶ笑顔だった。


「きみの本名を聞きたい」

「それはとてもトクベツなことだよ? わかって聞いてる?」


 ヨグバ・クリードのおはなし。本当の名前を知られてしまうと、彼のドレイになってしまうらしい。こうして対面してみると、『統一言語論』で名指しできるからだろう。変なところで合点が入った。


「……そうか」

 少し思案。


「イザヤ。朝倉イザヤが、俺の名前だ」


「朝倉……イザヤ」

 妙に口に馴染む音だった。


 って……

「待て待て待て待て待って! 待って! なんで名乗った⁉︎」


 名前を与えたということは、すでに溝の彫られた板を与えたというのと同義だ。やりたい放題できるんだぞ? ボクも使えるんだぞ? 『統一言語論』!


「必要だから名乗った」

 打算になってない……!


「わかんないことを言う! ……あぁ、もう! パルマ=コス・デミィデア・アウローラ! これでいい? 満足⁉︎」


「そのきみの桃色の髪は、両親からの遺伝でいいのかな」


「リアクションが薄い! ウソだろ⁉︎ パパ譲りだよこれは。パパはもう少し鮮やかな赤色だったけど、ボクはでき……出来損ない……。出来損ない、ふぐ、だから……ぐすっ、こんな薄い色になっちゃって……」

「……そうか」

「それだけ⁉︎ 人のこと泣かせといてそれだけ⁉︎」

「……そうだったか……」


 ギィ、と安楽椅子を強く揺らすヨグバ・クリード……朝倉イザヤ。

「ケガをしている?」

「今更かよ!」


 悪いヤツじゃないけど嫌なヤツかもしれない。悪くないだけのヤツなのか?


 ついに立ち上がるヨグバ。……クリード。朝倉イザヤ。……イザヤ。この名前はここで分けたほうがいいやすいね。


 ふんふん、と鼻を鳴らして観察されるボク。

「左目、両足……あと肝臓がダメそうだね」

「右手もだよ! モロに無いだろ……肝臓⁉︎」

「お酒、好きなの? ごめんね、ウチにはないんだ。へぇ。ふうん……」


 検分するようにイザヤは立ち上がり、ボクの周りをゆっくり歩いて、

「そうなんだ」

 そっけない言葉とは裏腹に、とても優しく髪を撫でられた。

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恋愛能無敵型追放系ダメカワピンク救世主伝説/ピンク髪ちゃんが後方保護者面前作主人公魔王と盲信ヤンデレお嬢様蜘蛛属性に挟まれて救世主になって褒められるやつ 人藤 左 @kleft

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