hermaphroditus
春が終わり、季節は過ぎて冬が訪れた。
東京には珍しく雪が舞い、世間はホワイトクリスマスであるとかないとかロマンチックな話題で溢れていた。
そんな冬、銀座のある小さな画廊で数か月ぶりの東叶の個展が開かれた。しばらくの間、休業していた人気画家の復帰であるということもあって、冬なのにもかかわらず長蛇の列が出来るという大盛況ぶりであった。
「叶さんの絵はやっぱり美しいですね」
「そうですねえ。先生の絵はとっても美しいわ。こんな素晴らしい絵を描いている人から絵を教えてもらってると思うと、なんだか鼻が高いわねえ」
静かだけれども混み合う人によって雑然としている画廊内で、ブラウンのコートを着た紫のマスターと白いコートを着たトモさんはひそひそと会話を交える。二人とも優し気な笑みを浮かべており、また二人とも壁に掛けられる美しい絵に見惚れている。
飾られている絵は以前の叶の絵よりも生き生きと、叶自身の芸術が描かれている。特に叶が得意とする人物画は大きく変化しており、それまでは一人の人物しか描かれなかったが、今冬の絵は家族の絵や恋人の絵などが多く描かれていた。また、表情にも変化が生じており、それまでは淡白な笑顔や無常観の溢れる真顔が多かったが、現在の絵は朗らかで感情豊かな表情がうかがえる。この作風の変化は、叶の絵を評価してきた評論家たちに賛否両論の議論を巻き起こした。
しかし、評論家たちの二極化する議論は絵を鑑賞する大多数の人々からは見向きもされなかった。それどころか、今までよりも温かみを持つ叶の新作は世間一般に歓迎された。
ただし、それは個展に展示された叶の絵に限ったことである。
つまり、叶以外の絵が個展に展示されていたということである。
その絵は個展の最後にたった一つだけ、しかも協賛枠という異様なくくりとして飾られている。描いた画家の名前も世に一切知られておらず、今冬の個展において初めて名前が知られたという程、無名の画家であった。この無名の画家が東叶という人間に協賛しているという事実自体も驚くべきことであったが、何よりも団欒とした温かい雰囲気の中で、狂気的な雰囲気を放っているということが目につくのであった。
そして、紫のマスターとトモさんは最後の特異な絵を前にして立ち止まる。
「潮ちゃんの絵、苛烈ね」
「そうですね。あの気弱な青年がこんなにも狂気的な絵が描けるとは、思いもしませんでしたよ。未だにあの日、光さんが連れてきた青年が描いた絵とは思えませんよ。それこそ先生が描いていたような絵のようで」
「確かに旦那の絵に似てるわね。あの人、私にプロポーズする時もこの絵と同じ題名で、似たような画風の絵を持ってきたのよ。男性としてどうかと思うでしょう?」
「まあ、確かに先生が奥様にプロポーズする際、渡すと言っていた絵を先生から見せてもらったときは正直どうかと思いましたよ。当時は天才と呼ばれた人の感性は人とは違うんだなと思いましたけど、先生が亡くなった今考えてみるとありえませんね」
「でしょう? やっぱり、好きな人に贈る絵は美しい絵の方が良いわ。それこそ、潮ちゃんが描く風景画のようにね」
「ええ、そうですね。けれど、芸術家は自分の絵の中に伝えたい想いを込めているんですよ」
二人は洗面鏡ほどの大きさの狂気的な絵を見つめながら、数年前亡くなってしまったとある芸術家に想いを馳せる。
青空や泉、そして太陽や流れる白雲はありのままの自然を描写したように美しく描かれている。泉の周りを囲む灌木の葉と草花の緑は、生き生きと描写されている。
ただ、泉の中で佇む両性具有の神は狂気的に描かれており、肌は流動的なベージュを地に、緑や青紫で彩られており、陰部は黒と赤を混ぜ込んだ血生臭い色を誇っている。また、恍惚としながら空を見上げる神の顔は、奇妙に彩られた皮膚が爛れているように見える。なのにも関わらず、グロテスクな神の右手に握られた一束の白いブバルディアと一輪の小さな向日葵、左手に握られた一輪の青紫の撫子と三本の青い薔薇はありありとした自然の色彩と形でもって描かれている。そして、何よりも奇妙なのは、徹頭徹尾ありのまま自然と人工的なグロテスクを別けて描いているのにもかかわらず、不思議なことに一枚の絵に収まって完璧な調和が取れているということである。
美しい自然とグロテスクな神、背反する二つが調和を成して描かれた絵は『ヘルマプロディートスと愛の告白』と題されており、絵の右端には筆記体で松野潮とサインが施されている。
「随分と遠回しな告白ね」
「ええ、けれどあの少年らしいじゃないですか」
二人は狂気的な絵を鑑賞すると満足そうに微笑みながら個展を後にした。
ある青年と姉弟たちの二重色 鍋谷葵 @dondon8989
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます