最終話 自爆した。
電車を降りると、幸奈は「じゃあまたね」と言って帰っていった。どうも兄が真面目に頑張ってる姿を見ていたいらしい。なんとなく、彼女が兄のことを心配して俺に話を持ち掛けた理由が、実感として腑に落ちた感覚があった。
「じゃあ、俺たちも解散するか」
夕陽が差している駅前広場で、俺は二人に向かってそう言った。
綾瀬とは家がほぼ同じだから、帰る方向も同じだが、千佳は違う。名残惜しいと言えばそうだが、迷惑だろうし引き止めるわけにもいかない。
「う、うん……また……」
そう言う彼女も名残惜しそうに見えるのは、俺の勝手な願望だろうか? 千桂の表情は少し寂しそうに見えた。
「じゃあ、ここで別れましょうか」
「綾瀬?」
「多分まだ生徒会の仕事終わってないと思うから、私は今からそっちに行くね。冬馬くん、今日はありがとう。あと千佳ちゃんも」
やっぱり問題あるんじゃないか。と言いかけたが、元はと言えば誘った俺が悪いのだ、これは生徒会の面々に改めて心の中で謝っておこう。
彼女自身が買った荷物を渡すと、綾瀬は振り返ることなく歩いていく。ちょっと寂しい気もしたが、そんな風に思える自分が少しおかしかった。
「……あ」
綾瀬の後ろ姿を見ながら、そんなことを考えていると、ある事に気づいた。今、千佳と二人きりだ。
彼女の方を見ると、向こうもそれを察したようで、両手をせわしなくもじもじと動かしていた。
「えっと……冬馬!」
「お、おお」
千佳の声に圧倒されつつも、俺は冷静を装って返事をする。彼女の雰囲気からは「また明日ね」と言う気配は無かった。
「その、ちょっとフードコートよっていき、ません、か!?」
「そ、そうだな……」
前のめりな彼女の提案に、若干気圧されつつ、俺たちはいつものフードコートに向かう。千桂はカフェオレ、俺はウーロン茶を買って席に着いた。
「……」
お互いに座ったのを確認したところで、また沈黙が横たわる。千桂と一緒なら、どんなに沈黙が続いても別に構わないのだが、気まずさがあるのは確かだ。何か話さないと、と思って話題を探す。
「そういえば――」
「はいっ!」
「そんなに身構えるなって、俺達、いつもここに集まるようになったよな」
始まりは田中の漫画原稿を見た時だったか、そのままなし崩し的にここで集まるのが当然となっていた。
「う、うん」
千桂は何かを気にしているのか、緊張した面持ちで話を聞いている。別にただの世間話だって言うのに、何をそんなに気にしているんだろうか。
「いや、だからどうしたって話ではあるんだが、なんとなくお前らと会えたのがありがたく思えてな」
俺が今ここにいるのは、達が居なく千桂たちが居てくれたおかげだ。それは間違いない。
「……わたしたちも、ううんわたしも、冬馬と会えてよかったですよ」
「え?」
緊張した面持ちのまま、慎重に言葉を選ぶようにゆっくりと、千桂は言葉を紡いでいく。
「冬馬と会わなかったら、石倉くんはバスケで点を入れられなかったし、田中ちゃんはずっと一人だったし、わたしは――色んな楽しい事を、知らずに過ごしていたと思う」
彼女がゆっくりと、しかししっかりとした声で言った言葉に、俺は言葉が出なくなった。
ずっと、ずっと俺は、みんなからいろいろなものを受け取ってきたと思っていた。腐っていた俺を引き上げてくれた千桂、自分の中での成功にこだわった石倉、認められることではなく、実力を測るために頑張る田中。あいつらからは、俺が返しきれないほどのものを受け取っていたと思っていた。
だけど、違うんだ。そうじゃない。俺もみんなに何かを与えていたんだ。石倉には成功体験の手伝いとして、田中には頑張り続けるための支えとして。
「そうか、ありがとう」
「いえいえ、これは言っておかなきゃと思ったんで!」
にこりと笑う千桂を見て、口の隙間から息が漏れる。千桂の暖かな笑顔は、いつでも俺の心を解きほぐしてくれる。
やはり俺は、邪険に扱ったにもかかわらず、諦めずに構い続けてくれた彼女にこそ、返しきれない恩があると思えた。
「俺、千桂に何かしてやれたか?」
そう思ったら、聞かずにはいられなかった。ひたすら慈善家で、明るい彼女に、俺は何を返せていたんだろう。
「えっ!? ――っとぉ……」
途端に言いよどむ。なんだろう、そんなに言いにくい事なんだろうか? それとも、やはり俺への気遣いで言っただけか……?
「そのー、言わないとダメです? まだ心の準備が」
心の準備って何だよ。心の中でツッコミを入れる。
「大丈夫だよ、千桂には助けてもらいっぱなしだと思ってるんだ。どんなことでも――馬鹿にはしない」
笑わない。と言いたかったが、もう既に口元が緩んでいた。笑わないのは無理だ。例えば、メロンパンを譲ってくれたとか、肉まんを譲ってくれたとか言われたら、俺はそれこそ大笑いするだろう。
「えっと、最初は地味な男の子だけど、一緒のクラスだし仲よくしようって思っただけだったの」
「ああ」
そうだな、俺は最初、そうだった。期待されることを恐れて、比べられることから逃げて、ひたすら一人で居たがった。
「メロンパンの時も、肉まんの時も、嬉しかったけど、それが冬馬からしてもらったことじゃないの」
俺は無言でうなずく。そんな事だったら、つり合いが全然取れていない。俺は、千桂からもっと大事なものを貰っている。
「はじめは、球技大会の後」
石倉と三点だけ返した試合の後、確かに千桂と話した覚えがあった。だが、その時も特に何かをした覚えはないんだが。一体俺は何をしたんだ?
「次は、遊園地に行った時」
――「そんな、なんにでも全力で頑張っていて、優しい冬馬と一緒に回れて、最後は一緒に観覧車に乗れて、最高の一日でした」
遊園地……そう言われて、観覧車での出来事がフラッシュバックする。
千桂が冗談だといったあの会話――今思えば、彼女の本心だったんじゃないだろうか。期待と同時に、そうじゃなかった時の落差が怖くて、俺はどうすることもできない。なにせ俺は――
「さいごは、二人だけの勉強会」
「えっ」
思わず声が出た。
だって、俺はあの時、完全に拒絶されたと思っていた。それが違うとすれば、俺は彼女に振られていない……?
「でも千桂、お前あの時……」
「嫌じゃなかったの、ただちょっとびっくりしただけで」
千桂は首を振って、うつむき気味で言葉を続ける。その顔は髪の毛がふわりと掛かって伺えないが、髪の隙間からは真っ赤な肌の色が見えた。
「……」
長い沈黙が訪れる。口の緩みが無くなり、代わりに息苦しいほど全身が強張っているのを感じる。俺は何を言う事もできず、ひたすらに彼女の言葉を待った。
「冬馬がわたしにしてくれたことは、わたしに恋をさせてくれたこと。それは、とっても嬉しい事だった」
「――」
その言葉を聞いた瞬間心臓が跳ねた。
身体の強張りがすべて震えに代わり、今すぐにでも立つ上がり、叫びながら走り出したいような衝動に襲われる。
「冬馬は――どう? 迷惑じゃ、ない?」
自信の無い瞳が髪の隙間から覗く、その姿が、たまらなくいとおしく思えた。
「いいのかなって思った」
「え……?」
「俺を立ち直らせてくれた、太陽みたいな人が、俺なんかを好きでいてくれるなんて、虫が良すぎる。これが夢だって言われたら、信じそうだ」
鼓動が早い。
息ができているか分からない。
俺が今、どんな顔しているのかも。
それでも俺は、精一杯嬉しさを表現する。他の誰にも伝わらないとしても、目の前にいる彼女、千桂にだけは伝えたいと思って。
「じゃあ――」
目を輝かせて俺を見る彼女の顔が眩しすぎる。
その表情に応えるように、俺はゆっくりと、一言ずつ口にしていく。
「ああ、俺も、千桂が好きだ。どうしようもないくらい。これ以上、千桂から受け取っていいのか、不安になる」
「――」
言い切ると、彼女は両手で顔を覆って声にならない声を上げた。
――
「落ち着いたか?」
「……おっす」
いや「おっす」ってお前。
しばらく完全にフリーズした俺達は、ようやく復帰して飲み物を飲んでいた。
「付き合い始めたけど、変に意識するのは無しにしような、日常生活送れなくなるから」
「う、それは同意ですな、意識すると冬馬の顔見れなくなっちゃいますんで、今はなんとか、もじゃもじゃ頭を見て必死に意識逸らしてますけど」
なんか視線あわないなと思ったらそんな事を……
ちょっとそれがおかしくて、俺は少し笑った。
「おっ、千桂ちゃんに碓井じゃん!」
「偶然ですね」
「ん? ああ、石倉、田中、どうした?」
声の方向を見ると、二人が紙袋を片手に歩いて来ていた。
「いや、田中が新しい液タブ? だっけ? それ買いたいって言うから付き合っててさ。まあ俺も新しいヘッドホン買いたかったし? ついでにな」
「お父さんに話したら、本気で目指すなら道具も揃えなさいって言ってくれて、それで買う事にしたんです」
満足げに笑う二人を見て、俺は良かったな、とだけ返した。
「……」
「……?」
ふと横を見ると、千桂が完全に固まっていた。
「で、お前ら何やってんの?」
「デートじゃないですっ!!」
『……』
盛大な過剰反応を起こして千桂がそう叫ぶと、石倉と田中は目を丸くした。
「あっ、い、今の無し! まだデートじゃない! ……あっ、そうじゃなくて、今告白成功したばっかりだから!」
「あー……」
「なるほど……」
「……まあ、そういう事だ」
滅茶苦茶テンパった千桂の発言により、俺たちが付き合っていることは速攻でバレたのだった。
完
――あとがき
はい、楽しく書かせていただきました。元々今書いてる長編の『田舎に帰れよ』の息抜きで書いた物でしたが、いかがでしたでしょうか?
できればこっち評価するより『田舎に帰れよ』の方評価してほしいなぁーとか思いつつ、でも両方評価してくれんのが一番うれしいなとか思いつつ、ここで筆を締めたいと思います。明日か明後日くらいには『田舎に帰れよ』を再開しますので、待ってる人はこうご期待! という事でまた会う日まで。
陸奥由寛
頑張ったところで馬鹿にされるなら、もう本気を出すのはやめよう。そう決めたのにお前はさあ!! 奥州寛 @itsuki1003
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