第八十七節 平和を達成するために必要な代償

万見まんみ仙千代せんちよ小姓こしょう[従者のこと]に伴い、織田信長は正親町おうぎまち天皇に拝謁はいえつする。


「信長よ。

このみやこで、一体……

何が起こっているのか?」


御簾みす[貴人を隔てるために使う、すだれのこと]の向こう側から話しているせいなのだろうか……

みかどの声はおごそかに響く。


陛下へいかのお心を乱し、まことに申し訳もございません。

それがし。

上京かみぎょう[現在の京都市二条通りの北側]を焼き討ちにしております」


「何かゆえ[理由のこと]あってのことと思うが……

都に住む民の、何千人が犠牲に?」


陛下へいか


「何万人もの民が犠牲に!?

そこまでの『代償』を支払わねば、し得ないことがあると申すのか?」


御意ぎょい

「それは?」


「『戦国乱世に終止符を打ち、平和を達成すること』

です」


「……」

「陛下は、それがしに……

こうおおせになりました。

天下てんか静謐せいひつ[現在の近畿地方の平和のこと]を邪魔する賊を討つためのいくさなら、むを得ない』

と。

覚えておられましょう?」


「覚えている、が……

ここまでしなければならないのか?

やり過ぎでは?」


「こう申す者が大勢いると聞きます。

『武力を用いるのは野蛮で愚かな行為だ。

話し合いで解決すべきだ』

と。

確かに、話し合いで解決できるのならば……

それが一番良い方法なのは明らかでしょう。

ただし!

いくさに必要なモノを作って生活が成り立つ民が、生活を犠牲にしてまで平和を求めるでしょうか?」


「……」

「あるいは。

いくさに必要なモノを売りさばいて銭[お金]を儲けているやからが、儲けを失ってまで平和な世を望むでしょうか?」


「……」

「あるいは。

何の信念も、何の意思もなく、誰かから勧められるままにいくさを他人からモノを奪い取る絶好の機会ととらえ……

戦に参加しては行った先でせっせと略奪に励むクズどもが、戦のない世を歓迎するとでも?」


「……」

「『何事も、みんなで最後まで話し合えば、必ず平和的に解決できる』

など、世迷言よまいごとはなはだしい!

いくさに必要なモノを作って生活が成り立つ民に対して、戦に必要なモノを売りさばいて銭[お金]を儲けているやからに対して、誰かから勧められるままに戦に参加しているクズどもに対して、話し合うなど時間の無駄むだ


「……」

「それにも関わらず。

『みんなで話し合えば、必ず平和的に解決できる』

こんな世迷言よまいごとさえずるのは……

世の中には正義か悪のどちらかしかないと考える、頭の中に一面のお花畑が咲いているおめでたい連中か……

正義の味方が悪の権化を退治するという浅い空想の話ばかり聞いて育った、頭の中が妄想もうそうだらけの連中くらいでしょう。

相手にする必要などありません」


「信長よ。

ちんも、十分に心得ているつもりじゃ。


陛下へいか

この戦国乱世は、百年以上にわたって続いてきました。

率直に申し上げますが……

今。

『本気』でいくさを終わらせようとしている者が、それがしの他に誰がおりましょう?」


「……」

「どの大名も。

どの国衆くにしゅう[独立した領主のこと]も。

ただただ、領地や財産を得たいとの欲求のままに……

そして。

上京かみぎょう[現在の京都市二条通りの北側]に巣食すくう武器商人どもからあやつられるままに……


「……」


 ◇


一呼吸を置いて、みかどが口を開く。


「そなたは上京かみぎょうの武器商人こそが天下てんか静謐せいひつを邪魔する『真の敵』だと考え……

それを討つために、この焼き討ちを実行したと?」


「討つためではなく、根絶ねだやしにするためにです。

陛下へいか


「……」

「奴らは兵糧や武器弾薬で銭[お金]を儲けるために……

大勢の者をだまし、あざむき、あやつってきました。

例えば。

およそ8年前に三好みよし一族を操り、天下てんか静謐せいひつを目指していた足利義輝あしかがよしてる公を殺害しました。

陛下が任命された、征夷大将軍せいいだいしょうぐんたる御方をです。

覚えておいででしょう?」


「覚えている」

「そして。

奴らは、それがしが三好一族を追い払って再興した幕府にも手を伸ばし始めました。

欲深い幕臣[幕府に仕える家臣のこと]どもを銭[お金]で釣り……

幕府がそれがしを裏切るように仕向けたのです」


「幕府が裏で銭[お金]を受け取っていたことは、ちんも知っていた。

武器商人たちから莫大な銭を受け取っていながら……

荒れ放題にされていた、この御所を直すためには一銭も使おうとしなかったことも」


「幕府は腐り切っています。

みかどを守り、大名や国衆くにしゅうの争いを調停ちょうていする使命を忘れ、京の都の武器商人どもと手を組んでおのれより弱い者から領地や財産を奪うみにくやからと化しているのですから」


「その一方で。

そなただけは、率先して銭[お金]を出してくれた。

この御所をきれいに直してくれた……」


「……

陛下へいかの民の一人として、当然のことをしたまでにございます」


ちんは、よく分かっているつもりじゃ。

そなたがおのれのためではなく、誰かの役に立ちたいとの純粋な思いで働いていることを。

だからこそ。

朕は、そなたに申し伝えた。

天下てんか静謐せいひつを邪魔する賊を討つためのいくさなら、むを得ない』

と」


「陛下。

この上京かみぎょうの焼き討ちは……


「信長よ。

一つ、問いたいのだが」


「はい」

「今、焼き討ちにされている上京には……

武器商人『だけ』がいるのではない」


「存じております」

「兵糧や武器弾薬とは無関係なあきないで生活している人々も大勢いる。

この焼き討ちは、そんな大勢の無関係な人々まで巻き込んでいるのでは?」


「陛下。

率直に申し上げますが。

誰が兵糧や武器弾薬の商いに関係していて、誰が無関係かを……

はっきりと『区別』できるでしょうか?」


「……」

「例えば。

くら[倉庫のこと]に兵糧や武器弾薬があるからといって、武器商人とは限りませんぞ?

ただ銭[お金]を貸すための担保として預かっているだけかもしれません。

あるいは。

くらに兵糧や武器弾薬がないからといって、武器商人ではないとも限りませんぞ?

人々が生活するための必需品と偽っているだけで、実際は武器弾薬の原料となるものを取り扱っている可能性もあります」


……」

御意ぎょい

それよりも。

こう、考えられては如何いかが?」


「どう考えろと?」

「武器商人どもを放置すれば……

そのあきないの結果として、大量の兵糧や武器弾薬が世に出ることでしょう。

ある者はこう考えるかもしれません。

『これだけの兵糧や武器弾薬があれば、争っている相手に対して勝てるのではないか?』

と。

また他の者はこう考えるかもしれません。

『本来ならば嫡男ちゃくなんが跡を継ぐべきであるが……

無能な兄の風下に立つなど耐えられない。

それならば、いっそ、兵糧や武器弾薬を買い揃えて兵を挙げ、兄を倒してしまうのはどうじゃ?』

と」


「……」

「こうして。

いくさが始まり、それに伴う虐殺や略奪で『大きな』犠牲が出てしまいます」


「それと比べたら、この焼き討ちによる犠牲は……

はるかに『小さな』犠牲に過ぎないと?」


「『しょうの虫を殺してだいの虫を助ける』

まさに、この言葉の通りでありましょう」


「やはり。

何の代償も支払わずに平和を達成するなどできないのか。

そうだとしても。

殺される小の虫の側が、おのれの親、兄妹、一族であったなら……

それは到底受け入れられるものではないだろう」


「『覚悟』なら、出来ております。

陛下。

これはいくさなのです。

戦は、勝たねば意味がありません。

それがしは、勝つためならば手段など選びません。

焼き討ちに巻き込まれて親、兄妹、一族を一方的に殺され……

それがしを深く恨む者たちが生まれるとしてもです」


「……」

「そして。

いつの日か。

その者たちの手によって、それがしが討ち果たされる日が来るとしても……

『是非もない[致し方ないという意味]』こと」


「そなたに、それほどの『覚悟』をさせたのは、一体……

誰なのであろうか」


陛下へいか

その娘には安全で、何不自由ない豊かな生活が保証されていたにも関わらず、自ら進んで死地へおもむきました。

『わたくしは……

お父上から都合の良いことだけを受けて、都合の悪いことを受けないのですか?』

と」


「……」

「そして……

戦いの黒幕たちとの全面対決の『引き金』を引き、その命を散らしたのです」


いくさは、もう始まっているのだな」



【次節予告 第八十八節 選ぶように誘導された人々】

天皇の脇にいた関白・二条晴良はこう言います。

「こう申す民が増えていると聞く。

『誰が支配者に相応しいか、我ら自身で選ぼうではないか!』

と」

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大罪人の娘・前編 最終章 乱世の弦(いと)、宿命の長篠設楽原決戦 いずもカリーシ @khareesi

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