第八十六節 勝てば官軍、負ければ賊軍

上京かみぎょう[現在の京都市二条通りの北側]を焼き尽くす炎が、まだ20歳にも満たない若者の頬を片方だけ赤く染めている。


たった今。

万見まんみ仙千代せんちよは……

あるじから愛娘、殺害の真相を聞いた。


そして。

呆気あっけに取られたままの仙千代を尻目に、主は話題を目前の敵・『室町幕府』へと移していく。


「さて。

この炎が消える前に、ろうしておきたい策がある。

付いて参れ」


「はっ。

何処いずこへ参られるのです?」


みかど[天皇のこと]のおわす、内裏だいりへ」

「内裏?

正親町おうぎまちの帝に拝謁はいえつなさると?」


「ああ。

室町幕府と和平を結ぶ『勅命ちょくめい』[天皇の命令のこと]をたまわるために、な」


「え!?

幕府と和平を結ぶのですか?」


「そうじゃ」

「お待ちください、信長様。

そもそも。

国境を守る兵を根こそぎ引き抜いて5万人もの大軍を集めたのは、幕府を滅ぼすためだったのでは?」


「その通りよ」

「ならば。

『わざわざ』みかどに頼んでまで、幕府と和平を結ぶ必要などありましょうか?」


「……」

「しかも。

和平を破れば、みかど勅命ちょくめいに逆らう朝敵ちょうてき[天皇に逆らう賊という意味]となってしまうことに……」


「ああ。

その通りよ」


「……

ん!?

ま、まさか……

信長様!

これは、幕府に確実に勝利するための『策略』の一環だと?」


「ははは!

よくぞ我が策略を見抜いたのう。

見事じゃ」


信長が思わず笑顔を見せる。

日頃から可愛がっている側近が、自分の考えを理解してくれたことが嬉しいのだろうか。


 ◇


仙千代せんちよよ。

そちが見抜いた策略の内容を申してみよ」


「はっ。

幕府は今、絶望的な状況に置かれています。

最も頼りにしていた『東国』の雄、武田信玄が死に……


「うむ。

いとから届いた書状に何度か書かれていたが……

四郎しろう勝頼かつよりは、父の信玄を超えるほどの実力の持ち主であるとか。

みかどを守り、大名や国衆くにしゅう[独立した領主のこと]の争いを調停ちょうていする使命を忘れ、京の都の武器商人どもと手を組んでおのれより弱い者から領地や財産を奪うみにくやからと化した幕府。

その頂点に君臨くんりんする武士の棟梁とうりょう[代表のこと]でありながら、誰かから勧められたことを、ただ勧められるままにやっているだけの行き当たりばったりで無能な将軍、足利義昭あしかがよしあき

こんな『雑魚』と手を組む意味などないことくらい、容易に理解できるだろう」


おおせの通りと存じます。

続いて。

次に頼りにしていた『西国』の雄、毛利家も……


小早川隆景こばやかわたかかげ

毛利元就もうりもとなりの三男にして、山陽道さんようどう[現在の広島県、岡山県]を任されている男か」


「はい。

勝頼と同じく清廉潔白せいれんけっぱくにして、実力、人望は次男の吉川元春きっかわもとはるをも上回るとか。

隆景が幕府に援軍を出す可能性は、ほぼないと存じます」


「で、あろうな」

「加えて。

幕府軍と一緒に二条城にじょうじょう[現在の京都市中京区]に立て籠もっている足利義昭あしかがよしあき公は……

京の都の実質的な支配者であるにも関わらず、燃え上がる上京と、上京の人々への情け容赦ない略奪に対して何の手も打ちませんでした。

我らが提案した和平に応じるわけでもなく、焼き討ちの中止を頼むわけでもなく、城門を固く閉ざして逃げ惑う民に一切の救いすら差し伸べず、灰と化す京の都をただ眺めているだけであったのです」


「奴らなど、ただの傀儡くぐつ[操り人形のこと]ではないか。

何の意思もなく、京の都の武器商人どもから勧められるままにわしを裏切り、わしが提案した和平の提案を何度もって、ついには自ら焼き討ちを招いたのだからな。

民が義昭を支配者と認めることは二度と『ない』だろう」


「まさしく。

四面楚歌しめんそか[東西南北どこも敵だらけという意味]とは、まさにこのこと。

だからこそ……

信長様。

?」


「ああ。

その通りじゃ」


 ◇


仙千代せんちよよ。

誰かから勧められたことを、ただ勧められるままにやっているだけの行き当たりばったりな奴らが……

物事を深く考えられると思うか?」


「いいえ、常に『浅い』と思います。

真摯しんしに学ぶことをおこたり、おのれの頭で筋道すじみちを立てて考えることを怠り、誰かに付いていけばいいと楽をしているのですから……」


「そんな者どもが。

勅命ちょくめいによる和平の成立で我が軍勢が帰国するのを見たら、どう考える?」


「絶望的な状況を覆す絶好の『機会[チャンス]』到来と考えるでしょう。

諸大名へ出陣を催促する書状を送り始め、兵糧や武器弾薬を集め始めるに違いありません」


「うむ」

「こうして。

幕府は、『みずから』勅命を破ってしまうことに……」


「ははは!

その通りじゃ」


「我らはその証拠をつかんだ上で、こう訴えれば良いのです。

『幕府は勅命を破っていくさの準備をしているぞ!

幕府こそが朝敵ちょうてき、逆賊である』

と。

これで。


「うむ。

いかに幕府が腐り切っていようと……

幕府の頂点に君臨する将軍は、武士の棟梁とうりょうでもある。

我らが武士である以上、棟梁を討つのを躊躇ためらうのはむしろ当たり前のことであろう。

これでは勝利を確実なものにできない」


「信長様。

それがしは、たった今……

確実に勝利する方法を知れた気が致します」


「ほう」

「機会[チャンス]があると勘違いさせ、敵に『自ら』一線を超えさせることが肝心なのでしょう?」


「うむ」

「それをおおやけの前で糾弾きゅうだんし、敵を逆賊に仕立て上げた上で、正義の名のもとに堂々と成敗し、始末する……」


「一を聞いて十を知るとは、さすがではないか。

兵は詭道きどうなり[戦争は敵をだまし、あざむくことが大事という意味]とは、まさにこのこと」


「人は大抵たいてい……

おのれの目で見える範囲の、しかも表面だけを見て判断してしまう傾向があります。

『誰か』が狙った方向へと巧みに誘導され、ときにみずから一線を超えてしまう」


「愚かだな。

発した『誰か』がいる以上……


「思えば。

あの比叡山ひえいざん焼き討ちのときも……

信長様は、『わざわざ』みかど勅命ちょくめいで比叡山と和平を結ぶことで人々をだまし、あざむくことに成功なさいました」


「ああ……

そうであったのう。

比叡山も、そこに立て籠もった朝倉あさくら浅井あざい連合軍も、勅命による和平の成立にお祭り騒ぎであったとか。

『喜べ!

にっくき織田軍を追い払うことに成功したぞ!

これで。

京の都は、わしらのもの!』

とな。

朝倉・浅井連合軍は安心して帰国し、比叡山の僧兵どもに至っては……

警戒を解いて女子おなごや子供を買い漁り、遊び三昧の日々を送り始めた。

奴らは気付いてさえいなかったのじゃ。


「朝倉・浅井連合軍も。

比叡山の僧兵たちも。

勅命による和平が、わずか1年程度で破られるなど夢にも思っていなかったに違いありません。

その結果。

守護する朝倉・浅井連合軍が一兵もおらず、遊びほうけた僧兵たちが守りをおろそかにしている状況で……

比叡山は、突如として信長様が率いる3万人もの大軍に包囲される事態に陥りました」


「あれは、いくさではなかった。

むしろ。

一方的な虐殺よ。

奴らは何の準備もできていなかったのだからな。

普段は死を恐れない強靭な精神力で挑んでくる僧兵どもも、戦うどころか逃げ回って混乱を広げ、味方の足を引っ張る有り様であった。

わしは……

その背中に銃弾を浴びせ、槍を突き刺すだけで厄介きわまりない数千人もの僧兵をいとも簡単に始末できたのじゃ。

そして。

比叡山を守れなかった朝倉あさくら浅井あざい連合軍の評判は、地にちた。

『朝倉・浅井に付いて行って大丈夫か?

比叡山の二の舞いになるぞ!』

こう危機感をつのらせた周辺の国衆くにしゅうどもが、先を争うようにわしに寝返り始めたからのう」


「もはや。

朝倉・浅井連合にかつての勢いはありません。

朝倉は家臣の中から信長様に内通する者まで出始め、浅井に至っては、居城の小谷城おだのじょう以外はほぼすべて信長様に寝返る事態に陥っているとか。

勅命という策略によって、信長様は……

比叡山、朝倉・浅井連合を各個撃破戦法かっこげきはせんぽうの『餌食』にしてしまわれました」


仙千代せんちよよ。

これはいくさぞ。

戦は、勝たねば意味はない。


「勝つためならば……

真摯しんしに学ぶことをおこたり、おのれの頭で筋道すじみちを立てて考えることを怠る者たちを『徹底的』に利用し尽くのは申すに及ばず、ときにみかどさえも利用なさると?」


「ああ。

そうじゃ」



【次節予告 第八十七節 平和を達成するために必要な代償】

「『何事も、みんなで最後まで話し合えば、必ず平和的に解決できる』

など、世迷言も甚だしい!」

万見仙千代を小姓に伴い、正親町天皇に拝謁した織田信長はこう言い放つのです。

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