人は言葉の奴隷なり

海沈生物

第1話

2021/11/04(木) 晴れ

 先日、SNS上に素晴らしいツイートをする人を見つけた。「潔良子いさぎよしこYosiko Isagi」というアカウント名の方だ。いつもフォローしている人々へ有用な情報を配信してくれており、オフラインのファン交流会も時々開催しているらしい。近年はコロナ渦の関係で開催が出来ていないようだが、今後数ヶ月以内に百人規模で開催する予定そうだ。


 今日はフォロワー数十万人記念のオンライン交流会(交流費用は五千円。まぁまぁ財布が痛い……)の方に参加した。いつものツイート以上にタメになる話をしていて、話し方の上手さについ聞き惚れてしまった。これが五千円とは本当に安い。高いけど、安い! ……ただ、気になることもあった。それは「アンチ」の存在だ。

 彼女も交流会の途中で少し嘆きをこぼしていたが、フォロワー数が増えるということは「敵」も増えるということである。アンチもおのずと増える。実際、彼女の名前でエゴサーチをすると、


『潔良子とかいうやつ、一度スピード違反で捕まったことがあったんじゃなかったけ。知らんけど』

『マジで潔良子とかいうヤバい教祖を推しているやつおかしいよ。まぁ、毎月数万円推しに貢いでいる俺が言える話でもないが……』


と根も葉もない噂を信じた人による誹謗中傷が見受けられる。もちろんそれだけではなく、私のようなファンによるリテラシーを持ったツイートも多くあった。ただ、それが彼女のフォロワー数が増えていく度、日に日に増えているのも事実だった。

 大半は通報とブロックをして済ましているのだが、やはりそれにも限界がある。時折彼女が真夜中に「辛い」と呟いている(すぐに消す)のを見ると、心が痛んだ。彼女はそんな悪い人間ではない。異常なのは誹謗中傷する彼らの方なのだ。


 多くの人々は自分たちが見ている世界が正しいと思い込んでいる。アンチによって言葉の「悪い」部分だけが切り抜かれ、人々は粗悪品として加工された虚構へ怒るように仕組まれているのに気付かない。

 けれど、私はそんな嘘を信じない。私だけは、私だけでも彼女を信じる。この噓だらけの世界で、彼女だけを信頼するのだ。




2021/12/02(木) 晴れ

 彼女がまた炎上した。またアンチによる切り抜きツイートが原因らしい。今度は彼女が水素水を飲んでいたことを批判したようだ。仲の良いファンの方が教えてくれた。

 私も以前のオンライン会の時に特別価格として売られたものを飲んだが、特に健康への害はなかった。味は水道水……いや、美味しかったし、飲むようになってから健康になったような気がする。彼女曰く、「水素水は飲めば飲むほど肝臓が良くなる」らしい。この前の人間ドックの数値はあまり変わってなかったが、これはまだ飲んで一か月しか経ってないのが原因だろう。ちゃんと続けていれば変わるはずなのだ。


 そんなことを日記に書いていると、ちょうど彼女が水素水を飲んでいる画像をアップロードした。

薄給から毎月の水素水を購入する費用を捻出するのは大変だが、こうやって彼女が美味しそうに飲んでいるツイートを見ていると、「自分もちゃんと飲まなければ」という気持ちになる。再来月にはオフラインでの交流会も開催する予定らしいし、彼女に罪悪感を感じる自分でいたくない。

 言っておくが、別に強迫観念から飲んでいるわけではない。私は彼女の奴隷というわけではない。私が胡散臭……美味しい水素水を飲んでいるのは、彼女を信頼している故の行動である。決して『このリプ欄にいるやつ、潔良子の奴隷みたいで草』というアンチのツイートにイラついたわけではない。ないし……




2022/02/14(月)晴れ時々曇り

 今日はなんだかイライラすることがあった。職場でいつものように昼ごはんを食べていると、隣の席のカップルが彼女を非難したのだ。胸に怒りが込み上げてきたが、さすがに職場で怒鳴り散らすようなことはしない。さすがに大人としての自覚はあるのだ。来月にはオフライン交流会もあるし、彼女のためにもそんな粗相をするわけにはいかない。

 だが、家に帰っても胸の中に仕舞った怒りは収まらなかった。癒しを求めて彼女のツイートを見に行くと、今日はバレンタインだと呟いていた。長々と「聖バレンタインが——」と語っているツイートに読む気が失せて目を伏せると、壁に貼り付けられたカレンダーを見る。十二月からめくっていない。そういえば、めくるの忘れていたっけ。一月から続く繫忙期に忙殺されて、予定を書くこと自体忘れていた。友達がいないので書くような予定がないわけではない。職場で話す相手程度ならいるし……仕事内容についての話ぐらいだけど。


 カレンダーをめくると、二月には巨大なチョコをプレゼントする女性の絵が描かれていた。愛もチョコも重そうな女は果たして、誰にチョコを渡しているのか。これが友チョコだったら、それはそれで面白いなと頬を緩ませる。そういえば、こうやって自然に笑ったのはいつぶりだろうか。数ヶ月ぶり? というか、彼女を推す以前から笑っていなかったのか。ちょっと憂鬱になってきたので、今日も水素水を飲む。最近はめっきり水素水を飲むツイートをせずにブランドのバッグばかり持つようになったが、彼女は今でも飲んでいるのだろうか。分からないけど、最後の一人になっても彼女を信じると決めたのだ。今更、その決意を変えることはできない。




2022/03/13(月)雨

 ホワイトデーを前にして、彼女が逮捕された。どうやらコカインをやっていたらしい。またインターネットでは炎上している。今度ばかりはいつもの仲の良くしていたファンの間でも、『これは彼女を貶めようとした人々による陰謀だ』派と『こうなってしまったら、もう仕方ないよね』派で分裂が起こっていた。私はもちろん前者に付くべきだったが、どちらの派閥の勢いに乗ることが出来ずにいた。

 馬鹿らしく思えてきたわけじゃない。ただ、心が空っぽだったのだ。逮捕された以上、これから彼女からのツイートはない。癒しは供給されることはない。それなのに、私は何のために彼女を信頼しているのか。いや、それ以前にここ数ヶ月は彼女のツイートすらまともに見ていなかった気がする。有用だと感じていた情報も、毎日見ていれば飽きてくる。そこには一切のユーモアがなく、ただ自己顕示欲の塊をぶつけられているような気がしていた。

 けれど、そんなものをここ数ヶ月の間「癒し」と呼んでいたのだ。内容もすぐに思い出せないようなものを、どうして癒しなどと思っていたのか。



 

 過去の自分の日記を読み返しながら、私は考える。過去の私は「素晴らしい人」なんて彼女を褒めている。今から考えれば、ただの笑い者だ。その素晴らしい人は国内で違法な麻薬をキメる犯罪者へと成り下がった。

 そんな人間を信じていたやつが、『彼女はそんな悪い人間ではない。異常なのは誹謗中傷する彼らの方なのだ。』なんて書いていたのは笑い者だ。これがネットではなく日記帳に書いていたから良かったものの、公開していたとしたら、今の炎上に対して火に油を注ぐこととなっていただろう。インターネットにいらないこと書いてなくて良かった。とはいえ、今使っているアカウントはもう使えそうにもないが。


 ページをめくっていると、ふと「奴隷」という文字が目に付く。これも今振り返ってみれば、二重に最悪な表現と化している。「社畜」という名の奴隷であった私と、「信頼」という言葉の上で彼女の奴隷だった私。自分で書いておいてなんだが、まるで物語のような伏線の回収だ。

 いや、むしろ言葉の表現というものは全て「物語」になるのかもしれない。それを文章という形にした時点で、意図しなくても、人は物語という名のをついてしまう。あの私が怒っていた水素水まとめだって、悪意のあるアンチが書いたものでなく、善意を持った人間が生み出したなのかもしれない。それを言葉にした時点で、もうありのままの真実なんて存在しないのではないか。


『けれど、私はそんな嘘を信じない。私だけは、私だけでも彼女を信じる。この噓だらけの世界で、彼女だけを信頼するのだ。』


 始まりの日記の最後の行を見る。これが信頼の始まりだったのか。

 数ヶ月前の私は、本気で彼女本人を信頼していると信じていた。だが、実際は彼女という存在を……彼女が生み出す「物語」を信頼していただけだった。


 物語にもう更新はない。だが、私はその物語を十分に楽しめた。社畜として辛い現実を、なんとか彼女の物語のおかげで乗り切ることができた。だから、それでいい。彼女ではなく、彼女が生み出した物語が最高であった。私が信頼するべきものは、それだけで良かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

人は言葉の奴隷なり 海沈生物 @sweetmaron1

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ