狙われた宝石〈後編〉

「そ、それは本当かね!」

 驚きと入り混じった表情を見せながら警部が言った。


「ええ、恐らく私の推理に間違いはないでしょう」


 右目の片眼鏡モノクルを人差し指で触りながらハウスズが自信たっぷりに答えた。


「予告状を出したことによって、侵入できそうな場所は全て警察が押さえてしまった。とすれば、侵入する方法はただ一つ――」


 警部は名探偵の口から次にどんな言葉が飛び出すのか、ゴクリと唾を飲み込んだ。周囲の警察官たちも微動だにこそしなかったが、ハウスズの推理に聞き耳を立てていた。


「――最初からこの部屋に侵入しておけばいいわけです。それならどれだけ厳重に警備体制が敷かれていても問題ありません」


「最初から侵入しているだって? つまり君は怪盗ルブレッドが既にこの部屋に隠れているというのかね?」


 少々声を荒げて警部がハウスズに言った。大声を出すのも無理はない。警部と精鋭の警察官八名がずっと見張っていたこの部屋に、既に怪盗ルブレッドが潜んでいるなんて……信じられないことだった。きょろきょろと部屋を見回しながら警部が再び口を開く。


「しかし、隠れられそうな場所なんて何一つないじゃないか! 一体どこに隠れていると言うんだね、ハウスズ君!」


 警部の言う通り、ここ美術館の最上階にある特別展示室は中央に置かれた台座以外何一つ物はなく、隠れられそうな場所も一つとしてなかった。天井にも、忍者のように張り付いて隠れられそうな場所はない。


「はっ、隠し扉! 隠し扉があるというわけか!」


 名探偵が何か言おうとしたのを遮って飛び出した警部のその言葉に、微動だにせずに後ろ手を組んでいた警察官の一人が口を開いた。


「お言葉ですが警部、この部屋に隠し扉などの怪しい壁がないことは我々が既に調査済みです……。もちろん床も天井も全て調べました。隠れる場所などございません」


「ほらみろハウスズ君! どこに隠れているのか教えてくれたまえ!」


 ふう、とハウスズが一つ息を吐いて再び右目に装着された片眼鏡モノクルを人差し指で軽く触れると、事件の真相を語り始めた。


「そもそも、怪盗ルブレッドがなぜ予告状を出したのか……それは警部をはじめとする警察官をこの部屋に配置させたかったからに他ありません」


「し、しかしそれで警戒されて侵入できないのではないか!」


「一つだけ方法があるんですよ、全く怪しまれることなくこの部屋に侵入できる方法が……ねえ、そこの警察官のキミ」


 そう言ってハウスズが鋭い視線を向けた先には、一人の警察官が後ろ手を組んで立っていたのだった。


「まさか! 怪盗ルブレッドが警察官に変装して侵入していたというのかね!」


 警部が信じられないと口を開けて、名探偵が見据えた先にいる警察官に視線を向ける。しかし怪盗ルブレッドが変装していると思われる警察官は特に動揺する気配も見せず、冷静に話し始めた。


「ちょっと待ってくださいよ。自分が怪盗ルブレッドなわけないでしょう。証拠も何もないですし」

 その言葉に素早くハウスズが反応する。


「いいえ、先ほど私が『ではこれにて……』と帰ろうとしたとき、ほとんどの方が動揺した。しかしあなただけは違った。あなた一人だけどこかホッとしたような表情を見せたのを、私は見逃さなかった」


 まさか、あの不機嫌そうに帰ろうとしたのは犯人を見つけるためにわざと行ったことだったのか! 警部はハウスズの緻密に計算され尽くされた行動に感心しながらも、若干の恐ろしさを覚えた。


「いや、それは名探偵であるあなたを警部が引き留めたときに安心して……」


「もう一つ証拠があるんですよ。一階にある美術品倉庫……そこに見ぐるみを剥がされた警察官が一人倒れていたのを確認しています」


 苦し紛れの言い訳をする警察官と理詰でそれを潰していく名探偵ハウスズ。そんなやりとりを聞きながら、警部が疑わしき警察官に無言で手錠をかけた。

 そして「怪盗ルブレッドを警察署へ連行するのだ! いいか、どんな手を使って逃げ出すかわからん! 残りの者全員で一時ひとときも目を離すな!」と指示を出した。「だから自分は違い……」といまだに言い逃れをしようとする自称警察官を、残りの精鋭たち七人が強引に特別展示室の外へと連れ出していった。


「しかし、ハウスズ君の推理はさすがだった。まさかあの行動にも犯人を探すと言う裏の目的が隠されていたとはね」


 再び静寂が訪れた部屋で、警部が嬉しそうにそう言いながら自分の腕時計を見た。現在午後十一時五十八分。名探偵のおかげで犯行時刻前に怪盗を見つけ出し、無事逮捕できたことを喜んだ。


「ところで警部……私が休暇を取っている場所はどこかご存知でしたか?」


 ハウスズが突然変なことを尋ねてきた。ははぁ、さてはせっかくのバカンスを台無しにされたから報酬をはずめと言うのだろうな……そんなことを思いながら、警部は彼の方を振り向いた。


「隣国の海岸沿いの街にんです。さすがに連絡を受けてから半日で帰ってこられる距離ではありませんよ」


 そこにはいつの間にかガスマスクをはめたハウスズが立っていて、スプレー缶のようなものを持ち、警部の顔面に向けていた。


 シュ−ッ! という音とともにガスが噴射され、警部は「ゴホゴホッ!」と咳き込むと、苦しそうに膝をついた。


「ま……まさか……お前が……」

「そう、私が怪盗ルブレッドです。まさか名探偵ハウスズに変装していたとは思わなかったでしょう。この姿が一番怪しまれずに堂々と美術館に入って来られるのでね」


 もう警部の目に怪盗ルブレッドの姿は映っていなかった。だんだんと薄れゆく意識の中、彼の声だけが頭に響いていた。


「安心してください。ただの催眠ガスです。命に別状はありませんよ……では、本物の名探偵によろ――」


 そこで警部の意識は途絶え、頭から床に崩れ落ちた。ルブレッドの言う通り、倒れてしまった警部だが胸はゆっくりと上下している。どうやら本当に眠らされているだけのようだった。


「さて、コーラルサファイアをいただくとしますか」


 怪盗ルブレッドは警部が動かなくなったことを確認すると、ゆっくりと部屋の中心に置かれているピンク色の宝石のもとへ近づき、それを手に取った。


「ん?」


 彼は宝石の下に一枚の羊皮紙が敷かれていることに気がついた。

 いぶかしげにそれを手に取ってみると、そこには流暢な文字で手紙が書かれていたのだった。


「親愛なる怪盗ルブレッド君。私は、君が私に変装して宝石を奪うということはあらかた想像がついていたよ。だから警部にバレないように美術館の職員を使って、宝石はレプリカにすり替えておいた。信じるかどうかは君次第だが、そのままレプリカを持ち帰るのなら、明日の朝刊に『怪盗ルブレッドは偽物を嬉々として盗み出していった』という記事が載り、世間に君の慧眼けいがんの無さが知れ渡ることになるがね……。休暇を満喫しているハウスズより」

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裏の裏の裏は裏 まめいえ @mameie_clock

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