第10話 黒づくめの襲撃者

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 月光が真上から血に染った原っぱを照らす中、ズズズ……と、木影から姿を現す者が三人。グランツ王国精鋭第二部隊……アインス、ツヴァイ、ドライであった。全身を黒布でおおった忍者のような格好をした彼らは、目の前の光景を見て目を細めた。


「アインス。どうやらここが例の光柱の発生源で間違いなさそうだな。」


 小柄で筋肉質な者……ツヴァイが鼻を突き刺す嫌な臭いに眉を寄らせながら言う。


「ぅわ……ぐちょってした!気持ちわるぃっ!!」


 最初に原っぱへ踏み出すはドライ。

 一般男性と大差ない体型で、これといった特徴のない彼は、踏み込んだ足が、ヌメッと地面に沈む不快感に顔をしかめる。


「アインス……。まさか原っぱ全体が……。」


「血だね。何十人規模の出血だ。」


 ドライの肩に手を置き、足をかけ、容赦なく押し出す細身の男性……アインスは、「うわっ!?ちょっ!!倒れっ!」と叫び倒れるドライを見て、意地悪い笑みを浮かべる。


「アインス……。」


 ヌチャッ……と音を立てながらも立ち上がるドライの声色には、若干の怒りが含まれていた。


「なぜ怒るんだい?とても似合っているじゃないか。血まみれの君も嫌いじゃないよ?」


「……ぇ!?」


 ドライは思いもよらないアインスの発言に目を丸めてしまい、照れ隠しに後頭部をかく。


「そ!そうですか……!似合ってますか……。ほ、本当に?」


「僕が君に嘘つくはずないじゃないか。」


「じ、じゃあ本当に……。へへ……。」


(馬鹿なヤツ。)


 アインスは適当に吐いた言葉を鵜呑うのみにしているドライを見ては、心の内で嘲笑あざわらう。


「アインス……お前って奴は……。」


 事の成り行きを後ろで見ていたツヴァイは、ドライが自分に憧れていると知っていても、構わずに虐めるアインスに呆れていた。


「じゃ、ドライ。周辺の調査を頼んでいいかい?ほら、この中で一番、君がそういった事に向いているだろう?」


「アインス……。はいっっ!!僕にお任せください!!抜かりなく調べてきますよ!!」


 憧れから頼られ大きく胸を張るドライは、誇らしげな笑みを黒布の奥で浮かべ、シュッ!と姿を消した。


「不審者は捕まえるんだよ〜。」


 消えたドライへ向けて言うアインスは、一息ついた後に、原っぱの中心へ向けて歩き始める。踏み締めればグチャッと音が鳴るはずの地面。しかし、アインスが歩くと、音どころか足跡すら残らない。


「アインス……本音は?」


 同じく無音で原っぱを進み、アインスの斜め後ろを行くツヴァイは、無邪気に調査へ出かけて行ったドライを不憫ふびんに思いながらたずねた。三人の内で一番劣っているドライが、一番危険な調査に向いているとは思えなかったのだ。


「嘘はついてないよ?」


 ツヴァイに返される一言。一瞬思考が停止したツヴァイは、途端に嫌な予感がして、声を震わせながらもアインスへ尋ねる。


「……まさか、一番向いてるって……。」


「さぁね?」


 肩をすくめるだけのアインスを見てツヴァイは確信する。


(これは黒だな。)


「俺も調査に出てくる。この惨状だ。最悪の事態も起こり得る。」


 そう言いながらツヴァイは森に向けて歩き始める。


「ツヴァイは世話焼きだね。僕にもそれくらい優しいと嬉しいんだけど?」


「なら、もう少しお前の気分に振り回される身にもなったらどうだ?」


「ふふ。多分無理かな?」


「だろうな。」


 クスクスと笑うアインスは、木影に入ったツヴァイが月光を遮った途端、音もなく消えたのを見てため息を吐く。


「……つまんないの。」


 不機嫌そうにつぶやいたアインスは、ツヴァイの消えた方向から目をそらし、振り返り、原っぱの中央へ向けて歩き始める。


(ドライには血の臭いもついてる。接敵する可能性は高いだろうし、上手く行けばこの惨状を起こした原因が見つかる。ま、餌にかかる可能性は低いだろうし、適当な魔獣に当たるのがいい所かな。)


 無音の中、原っぱの中央に到着したアインスは、泣く泣く魔獣への対処を強いられるドライを思い浮かべクスリと笑う。しかし、上がった口角は直ぐに下がり、現場を見据える。


(……原っぱの中心。ここから波状に周囲へ血が飛び散ってる。ここが起点とするのならば……。)


 その細められた緑色の瞳がとらえるは、湿った地面を踏み締める幾つもの足跡。


(……。先客が居たみたいだ。魔獣とかの争いではなく、本当に居たのだろう。もう一人の'転移者'が。)


 アインスは、青い筋の目立つゴツゴツとした石……'記憶石'を片手に握り、足跡を撮りながらたどって行く。


(相手は人間。足跡の大きさからして男。大体百七十かな?そしてもう一人は……)


「子ども?転移者は二人じゃないのか?百六十程の女……何故?」


 アインスは思考を続けながらも周囲を見回し、次の足跡を見つけてはたどり始める。


(足跡は中心付近で一つになった。百六十程の子供を持ち上げても尚、男の歩幅は変わらず。筋力のある男……?)


 やがてアインスは眉をひそめた。森へ向けて一直線に進んでいた足跡が、急に乱れ、進む方向が変わったのだ。


(方向を変えた?ここで何かを見たのか?乱れ方からして警戒したのか?この方向に何が……。)


 アインスはそっと、視線を足跡の進む方向へと向け、再現するように歩き始める。


「……。ここで止まる。」


 しかし辺りには'何も'無かった。


「……。しばらくここに留まったのか?……ここだけやけに足跡がハッキリしている。何を見ていた?」


 ゆっくりと目をつむったアインスが、周囲の警戒をしながら、熟考すること十数分。


(餌にはかからないようだし、もう近くには居ないのかもしれない。男がまだ近くに居るのなら捕まえるんだけど……。)


 アインスはため息を吐くと、記憶石をふところにしまうと、振り返り中央へ向けて歩いて行く。


「僕の仕事はここらの調査。別に転移者を捕らえる事じゃない。転移者と思しき男と、子供の足跡があったと報告すれば十分でしょ。」


 原っぱの中央まで戻ったアインスが、腰にある杖のような長剣の柄を握ると、地面が盛り上がり、簡易的な椅子が創り出される。


「……この位の任務なら僕じゃなくても良いだろうに。はぁ、まだかなぁ?……早く帰りたい。」


 椅子に座っては足を抱え、ゆっくりと目をつむるアインス。それは、浅い睡眠へ入ろうとする前兆。


(ま、しばらくして、帰ってこなければ、探しに行ってあげよう……。)


 やがて、虫の鳴き声が聞こえる程度の静かな原っぱには、すーすーと小さな寝息が加わり、元の静かな原っぱへと戻って行く。


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「……。」


 黒は気配を消し去っていた。

 その瞳には何の感情も含まれて居らず、ピタリと止まって動かない体は、自然と混じり一体となる程。


 原っぱから拠点へ帰ろうとしていた黒だったが、少し離れたところでガサッと音が鳴るのを聞き取り、放置していたところ、数分後にまた聞こえたのだ。


 その時に黒の頭の内を過ぎったのは狂乱爺。森の中で、気配を感じさせない人間に追われるという感覚が似ていたのだ。


(いつからかは知らないが、多分……人間。だが……感じられるはずの気配もない。それすら消せる程の熟達者か……。厄介だな。)


 狂乱爺を思い浮かべながらも、黒は自らの腕の内で眠るルナを見た。


(気持ち良さげに眠るな……。完全に俺を信じやがって。)


 '傷が一つも見当たらない綺麗な手'で黒の袖を握るルナは、ぐっすりと眠っていた。それはまるで、黒のそばに居れば安全だと理解し、安心だと思っているかのように。


(……。相手が爺ちゃん並みなら、こうして隠れていても、見つかるのは時間の問題だ。)


 くちびるを噛み締める黒の顔は不安に染まるが、腕の中で眠る彼女の頭を'傷だらけの手'でなで、にへらと笑った顔を目に映す。途端に感じていた不安の質が変わった。


(俺は、ルナも守りながら行かなきゃ行けないのか……。)


 黒が感じるは命の重み。

 他人や魔物らとは全く違う。何よりも重たい命を、守らねばならないと考えた途端、不安に染まっていた顔は'覚悟'に変化する。


(やってやる。)


 覚悟を決めた黒は、ルナを背負う形に直した後、'簡槍'を右手に握る。


「ルナ。ちょっと動くけど……許せよ。」


 タッ!と樹上へかけ上る黒は、見つからないように、立てる音を最小限におさえながらも、タンッタンッと樹上をかけていく。


「少しでもこの場から離れ」


「見っけ……!」


 刹那。黒の目前に迫るは闇に紛れる黒色の剣。わずかに月光を反射し迫り来るそれをとらえた黒は、あえて体勢を崩す事で、ルナを重りとした急な方向転換を可能とし、ギリギリ回避するも、額を切り裂かれてしまう。


「くっっ!!」


(見つかるのが早すぎる!!)


 歯をきしませ痛みに耐える黒は、樹上から落ちながらも一回転し、ダンッ!と地面に着す。同時に周囲への警戒度を最大に引き上げる。


(……まずいな。思ったより早く見つかったし、相手の殺意が高い。それに……。)


 瞬時。黒が右足を引き、半身にすると、真後ろから伸びた足が過ぎる。飛び蹴りをしようとしていたその者は、ズザザァ……と地面に着しては、スッと立ち上がる。それを見た黒は「やっぱり……」と目を細める。


(こいつの動き……何か変だ。)


「……何で分かった!?」


 全身を黒布でおおった忍者のような格好をした、特に特徴のない男……ドライは、自分の奇襲を二度も避けた黒に驚いていた。


「……お前が何者か答えたら答えてやるよ。」


 対照的に、黒はひどく落ち着いていた。否。自分の命を守る為に細心の注意を払い、普段より一段と興奮していた。


「今の俺は少し冷静じゃない。答え次第では……。」


 フォン……!と軽い空洞音が鳴れば、黒の簡槍が

 構えられ、切っ先がドライへと向けられる。


「怪我するぞ。」


 夜目の利くドライの目は、気持ち良さげに眠る少女を背負う、黒の堂々たる姿をはっきりととらえていた。


(この人、絶対に強い……。)


 黒色の剣を構え、腰を下ろしながらもドライの顔は少し険しくなる。


「し、職業柄……言えないんです。だから……その、そこをなんとか……答えてくれません?」


「……なんで敬語だ?気持ち悪ぃ。」


「だって僕の攻撃を二度も避けましたし……。」


 ドライの変わり身に調子が狂いそうになる黒であるが、'命を狙って来た'という事を思っては、ドライを見逃さないように鋭く見据える。


「……じゃあ何で俺を殺そうとする?」


「あぁ!それなら答えれます!不審者は'殺せ'と命令を受けてるからですよ!」


 アインスの命令をよく聞いていなかった、と言うよりは、よく聞き取れなかった上での断言。

 明るい声でとんでもないことを口走るドライに、黒は何と言って良いのか分からず、ただ、簡槍を握る力を強めるのみであった。


(殺すって……さっきの攻撃からして嘘じゃなさそうだし、それに命令……?仲間が居るのか……?戦うとしても長期戦は避けなければ……。)


 ドライの発言に目を細めた黒は、ドライだけでなく周囲の警戒も怠らない。


「分かったのは勘だ。これでいいか?」


「なっっ!答えになってな」


 刹那。黒はダンッ!と駆け出す。


(ダウンさせてさっさと逃げる!)


 一気に間合いを詰めた黒は、簡槍の矛先をドライの足目掛けて突きつける。


「っっぶな!!」


 半身になって回避したドライ。しかし、黒は簡槍を横になぎることで、回避したつもりのドライの横腹に簡槍を強く打ち付ける。


「ぐっ!」


 後方へ弾き飛ばされるドライは、木にぶつかる直前姿を消し、再び黒の背後から切りかかる。


「殺った……です!」


 黒色の短剣が黒の首裏を突き刺そうとする時、勝ちを悟ったドライは、アインスに褒められると思えば笑みを浮かべる……が、その笑みはやがて戦慄に変わる。


 ゴッ!!と黒色の短剣を握っていた手が、黒の持つ簡槍に打たれ、短剣は少し離れた地面に突き刺さる。


「な、なんで……見えて……。」


 短剣を弾かれたドライの体が硬直し、その目が驚きで見開かれる中、黒は後目で完全にドライをとらえていた。


「在り来りなんだよ。」


(に、逃げ)


 ゴスッと黒は、ドライが消える前に、みぞへ肘を打ち付け、そのまま顎を強打。ザクッと地面に簡槍を突き刺し、それを支えに身をよじれば、ドライの横腹を蹴り飛ばす。


「がっ……はぁ!!」


 ドゴッ!と木に打ち付けられ、たまらず息を吐き出してしまうドライ。直後、バチッ!と、ドライの打ち付けられた木の背後から雷が走り、黒の左腕を貫通しては痺れさせる。


「っっ!!なんだ!?」


 思いもよらぬ痛みに驚き、後退する黒は直後、背後から横腹を蹴られ、体がくの字に曲がるほど強い力が働けば、ドゴッ!と木に打ち付けられる。


「……チッ。……痛てぇな。」


(やっぱり一人じゃないか……。)


 ビリビリと痛む流血する左腕でルナの体をおさえながらも、鋭くなる黒の目は、小柄で筋肉質な人間……ツヴァイを映していた。


(ギリギリ間に合った……。)


 ほおを伝う汗をぬぐったツヴァイは、右手だけで'簡槍'を構える黒を視界の端に映しながらも、意識が朦朧もうろうとしているドライを見る。


「ツヴァイ……さん。すいません。油断しました……。」


「気を抜き過ぎだ。なめてかかったな?」


「……そんな事ないです!……ただ、僕の想定を超えていたのは確かです。」


 ドライの顔が悔しそうにゆがむ。

 それは、結果を残してアインスに認めてもらいたかった思いと、先輩に助けられる不甲斐なさからなる思いであった。


「……そうか。じゃ、帰ったら訓練だな?増し増しで。」


「は……はは。ツ……ヴァイさ……。笑えな……です。」


「あぁ、たしかに笑えないな。」


 カラカラと快活に笑うツヴァイは、ガクリと気絶したドライの頭をなでて振り返る。同時に、濃密な殺意が黒へ向けられる。


「部下がやられてちゃな。」


 ツヴァイは怒っていた。

 本来、任務中に部下が傷付けられて怒るなど、暗殺を主とした部隊に有るまじき行為なのだが、それでも、ツヴァイはアインスとは違った。人を殺す事が出来る冷酷さと同時に、仲間が傷付いたら怒る程度の人情を持っているのだ。


「……。」


 ツヴァイの殺気を向けられた黒は、自然と'手加減'の制限を外した。それはツヴァイが放つ殺気から、質こそ違うものの、天災婆に近しいものを感じたためであった。


(なるほどな。婆ちゃんレベルがごろごろと居る世界か……。)


 フッ!とツヴァイが姿を消した直後、黒は地面に突き立てていた簡槍を蹴り、回転させた後、瞬時に真横へ突き出す。


(バレてるだと……!?だがっ!!)


 迫る簡槍を見て驚くツヴァイは、ギギィッ!と簡槍を短剣でおさえながら、黒との距離を詰める。


「外れたようだな!!」


「くっ……!」


 ツヴァイの気迫に危機感を覚えた黒が、そのまま簡槍を横へなぎる。しかし、それを予想していたツヴァイはその上を跳び、地面に突き刺さっているドライの短剣を引き抜くと、流れるような動作で切りかかる。


「これはドライの分だ。」


 黒色の短剣が黒の顔を下から切り付け、ほおに大きな傷を残す。


「そして、終わりだ。」


 短剣の柄頭が黒の首に打ち付けられようとした時、引き伸ばされた一秒の中でツヴァイは見た。黒の目はツヴァイの攻撃をとらえており、左手は柄頭と首の間に伸び、右手は簡槍を離し固く握っていた。


「っっ!!」


 悪寒がしたツヴァイは瞬時に攻撃を止め、後方へ下がると、ドライの短剣の血を拭った。冷や汗がほおを伝う中、ツヴァイの頭を過ぎるは、回避を取らなかった世界線の自分。


(今頃、こいつの足元で膝をついていただろう。)


 もろそうな簡槍を拾い、右手で構える黒の堂々とした姿。それを前にしてツヴァイは迷っていた。


(……怪我なしで勝利は厳しいな。ドライは気絶してるし、最悪人質として使われるかもしれない。)


 ツヴァイは、二振りの短剣を握り締めると、黒の動向を警戒する。


(原っぱから大体数キロ離れた地点。アインスが来る可能性は……無いな。アイツは来ない。仕事を部下に任せてダラける様な奴だ。間違いなく原っぱの中心で座って、星空でも見上げているだろう。)


 体育座りをして星空を見上げているアインスを思い浮かべたツヴァイは、あまりのウザさに舌打ちしてしまうも、直ぐに決断をする。


「俺を良く見ておけ。直ぐに消えるからな。」


 ツヴァイは黒を見ながらニヤリと笑う。警戒した黒は、簡槍を強く握り、鋭くツヴァイを見据えた。


 フッ!とツヴァイが消えた直後の事であった。入れ替わるように、その場には光り輝く球体が現れ、破裂する。


「ぐっっ!!」


 ピカッ!と放たれた光を片腕でさえぎろうとする黒であるが、間に合わず。一時的に視覚をうばわれ、戻る頃には……誰も居なかった。


「……チッ。逃げたか。なんなんださっきの雷といい光る奴といい……。」


 黒が周囲に警戒しながらも、振り返り歩き出した直後、タッ!と背後より迫る影があった。


「だから、在り来りだっての。」


 黒の目がそれをとらえ、回し蹴りをした直後、その影は消え、刹那の内に黒の背後から現れる。


「なっ!?」


 あまりの離れ業に目を見開く黒であるが、とっさに突き出した簡槍を握った拳。突き飛ばすは……気絶しているドライであった。


(フェイク!?)


 ズンッ!と黒の腹に黒い短剣が突き刺さる。


「……マジか。」


「あぁ。残念なことにな。」


 黒の腹に短剣を突き立てるはツヴァイ。


(出来るなら……殺したくなかった。)


 その瞳には、わずかであるが、強者への尊敬の念と悲観が込められていた。


 ルナの重さも相まってふらつき、木にもたれる黒は、左手で傷口をおさえ、顔を青くしてしまうが、それでも簡槍を構えていた。


「なぁ……。はぁ……はぁ……。最後に一ついいか?」


 頬の切り傷から、腹の切り傷から、ダラダラと血が流れる中、荒い息が黒の口から吐き出される。ツヴァイは黒の終わりを察し、少しだけ胸が締め付けられた。


(最後の情けだ。一つくらいは聞いてやるか。)


「あぁ。なん」


 ツヴァイがまばたきした極わずかな時間であった。

 ズンッ!と、ツヴァイの下腹部に衝撃が走る。襲い来る痛みに目を見開いたツヴァイが見るは、自らの腹に突き刺さっている簡槍であった。


「な……。お前……限界じゃ……?」


 ツヴァイは、ふらつく足で地面に踏ん張ると、目の前を向いた。


「勝手に決めんな。」


 ドッ!と黒が簡槍の先を蹴ると、ツヴァイは木にぶつかり、崩れてしまう。


「あまりこう言った事は慣れてない。痛めつけるのだって嫌いだ。」


 荒い息を吐き出すツヴァイから短剣を没収した黒は、ツヴァイのアキレス腱をわずかな躊躇ちゅうちょの後に切り裂き、グチャッと簡槍を引き抜く。


「だから……さっさと吐け。お前らは何者だ?」


 黒の握る簡槍の切っ先が、ツヴァイの目前で止まる。


「……。答えなければ……どうなる?」


「お前らは俺の命を狙った。分かってるだろ。」


 否。黒の手はわずかであるが震えていた。拳を振るったことは多々あれど、人を殺したことなど一度しかない。しかし、そんな嘘ですら、今この場では最大の効力を持っていた。


「……。黙秘を許してくれるならば、答えよう。」


 ツヴァイは最大の譲歩をする他なかった。


「それでいい。まずどこの誰だ?」


「……黙秘だ。」


「他にも仲間は居るのか?」


「居る……が来ない。」


「なぜ?」


「極度のめんどくさがり屋だからだ。」


「……。俺を殺した後はどうするつもりだった?」


「殺すつもりは無かった。重症を負わせて倒れた所で回復をし、捕らえるつもりだった。」


「回復?応急処置じゃなくて?」


「……?そうとも言うな。ともかく、殺すつもりは無かった。」


「信憑性にかける。気絶しているお前の仲間……ドライか?俺を殺すつもりだったぞ?」


「ドライは入って数ヶ月の若手だ。緊張していたのやもしれん。」


「'不審者は殺せ'と命令を受けたらしいぜ?」


「それは誤りだ。正しくは不審者は捕らえろだ。」


「見ろよ俺の怪我。血ぃだらだら。それでも信用しろって?若手よりベテランの方が信用出来ないんだが?」


 目を細める黒は、ツヴァイの一挙手一投足見逃すつもりはなかった。ツヴァイもそれを理解している為に、下手な気を起こすつもりは無かった。岩を持ち、黒の背後に立つドライを見るまでは。


「奇遇だな。丁度今、俺もベテランの方が信用ならないと思っていた所だ。」


「……なに?」


「お前の負けって事だよ。」


 ハッ!とした黒が瞬時に斜め前方へ跳ぼうとするも一歩遅く、ドライは、ゴンッ!と'ルナ'の後頭部を巨大な岩で強打する。


「っっ!!」


 しかし、ダメージが入るのはルナではなく'黒'。

 跳ぼうとした勢いのまま、バタリと地面に崩れる黒は、あまりの衝撃に目を見開いていた。キーンとひどい耳鳴りに襲われて、チカチカと暗闇のはずなのに眩しかった。


「だ……大丈夫ですか?ツヴァイさん……。」


 ドライは倒れた黒を他所に、アキレス腱を切られ、思うように立てないツヴァイを支える。


「何とかな。それより、あの男を……。」


 ツヴァイが倒れた黒へ視線を向けると、そこに居たはずの黒は……居なかった。


「僕!追ってきます!」


「いや、深追いはよせ!」


「でも!相手は手負いです!僕一人でも」


「情報は十分だ!手負いの敵が一番危険な事くらい、お前も知っているはずだ。」


「……。……はい。」


 苦虫を噛み潰したような顔で頷くドライは、黒の消えたであろう方向を見据え、この経験を胸に刻んだ。


「僕……強くなります。」


「あぁ。そうしてくれ。」


 そして、情けなさに顔をゆがませるのは、ツヴァイも同じであった。


「戻るぞ。アインスが待ちくたびれてる。」


「……はいです。」


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「はぁっ……。はぁっ……。はぁっ……。」


 ザクッ!と地面へ突き立てる簡槍に体重を預けながらも、黒は森を歩いていた。


「……くそ。今日は踏んだり蹴ったりだ。水は手に入らねぇし、魔法陣に捕まるし、変な輩に襲われるし。結局……何も分からなかったし。」


 嫌な汗が黒の頬を伝い、地面に落ちる。ルナを背負い、ふらつきながらも歩き続ける黒は理解していた。今の状況がかなりまずい事に。


(追っ手は?……怪我が酷い。……血を流し過ぎた。ルナは無事だよな?頭痛ぇ……。……死ぬかもしれねぇ。)


 色々と考える黒はギッ!とくちびるを噛み締めた。


(自分の力を……過信していた……!)


 胸に抱くは悔しさ。今まで負けた相手が祖父母ぐらいのため、大抵の相手は見下していたのだ。その事に気付かされた黒は簡槍を握る力を強める。


(この世界は……殺らなきゃ殺られる……!)


 暗い森を行く黒。

 魔物の襲撃や、追っ手の存在、ルナに対する心配、流しすぎた血に、残し過ぎている痕跡。死ぬか否かの瀬戸際にて黒は複雑な感情のまま、歩き続けた。


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「アインス……!」


「……ん?」


 パチリと目覚めたアインスは、顔を上げると直ぐにクスリと笑う。


「ドライ。ツヴァイ。なんだい?その格好。凄いボロボロじゃないか?」


「うるせぇ。アインス。回復を頼む。」


「えぇ……。自分で出来るくせに?」


「俺は応急処置ぐらいしか出来ん。」


 困り顔のツヴァイを見てニヨニヨと笑うアインスは、少し考える様なフリをした後、口を開く。


「君達の報告次第でやってあげるよ。」


「……。分かった。ドライ。頼む。」


「また僕ですか!?いい加減分かりますよ!?アインスもツヴァイさんも僕を雑用として見てますね!?」


 ムキーッ!と怒るドライ。明らかに面倒くさそうな顔をするアインスと、顔を逸らすツヴァイを見て、怒りが増すのは当然であった。


「確かに新人ですけど!それでも他の先輩方を抜いて、実力は三番手に入るじゃないですか!ていうより、もはや主戦力じゃないですか!」


「ドライ。敬語。」


「ぁ……はい。」


 アインスの冷えきった声を聞いて、ドライの怒りが鎮まるのは当然であった。


「ドライ。勘違いは良くない。僕はね、いち早く君に成長してもらいたいんだ。」


「……ぇ?」


「確かに君は他のよりも優れている'記録'ではね。僕は部下のプリンを取るような上司だよ。でもね、それと、部下に経験を積ませたい思いは別だよね?」


「……たし……かに?」


「ドライ。僕は君に期待を寄せているんだ。その分、仕事を回しちゃうけど、これは君が有能な証なんだよ。君が見たものを、君が言葉にして報告することってとても大切な事だと僕は思うんだ。だから、はい。言って?」


「はい!疑ってすいませんでした!報告します!!」


 元気よく手を上げるドライを、ニコリと笑いながらアインスは咎める。


「だから敬語。」


「はい!すいませんでした!」


「……はぁぁ……。敬語をやめろと言っているんだ。分からないかい?」


「はい!申し訳ありません!!」


「ドライ……。君は何度言えば」


「分かりません!!」


 二人のやり取りを後方で見ていたツヴァイは思う。


(どっちもどっちだな……。)と。


 --

 -


 ガサ……と草木をかき分けた黒は、もはや、自分がどこを進んでいるのか分かっていなかった。


「……あぁ。これやべぇ。」


 徐々に手の力が抜けていく中、それでも背中に背負っているルナの手は離さない。


(寒ぃ。温まらねぇと……。でも、もっと遠くに行かねぇと……。俺もルナも助からねぇ……。)


 しかし、思いとは裏腹に、体は音を上げているのか、地面から露出した木の根に足を取られれば、そのまま前傾に倒れてしまう。


(冷……たい?)


 湿った地面に顔を付けた黒の、朧気な瞳に映るは、ちょろちょろと流れる水。


(今更……かよ……。)


 黒の震える手が徐々に水へ伸び、あと少しで触れそうになった時。力は抜け、伸ばされた手は地面に落ちる。


(ルナ。すまん。少しだけ寝る……。)


 黒の目が閉じた時。

 その頭を過ぎるは、魔法陣から開放された後の事。帰ろうとした途中で顕れた、紫色の石版に書かれた内容だった。


 ---


 名


 --時宗黒


 称号


 --魔王の再臨


 スキル


 '抗う者'

 自分より優位な相手との戦闘時、身体能力が倍増。維持される


 '窮鼠きゅうそ

 傷が増える度身体能力が一時的に倍増。


 '身代わり'

 対象への攻撃・痛みを全て自身へ受ける。指定後・固定。対象・一人。


 '複雑回帰'

 ……???


 ---


おまけ


「ねぇツヴァイ。」

「なんだ?アインス。やっと反省する気になったか?」

「いや?僕が怒られてる理由が分からない。」

「原っぱ中央で寝てたのは誰だ?しかも、わざわざ椅子まで創りやがって。」

「酷い……これでも隊長なのに……。」

「お前……実力があるからこそ許されてる態度だぞ?能力が平均だったら腹パンだぞ?」

「なんだよう……。君だって、ドライが傷付けられても怒らずに、冷静な対応をしてれば少しは変わったんじゃないのかい?」

「……それは……。まぁ……。ぅむ……。」

「ま、どちらにしろ、襲いかかって負けてたんじゃ、精鋭部隊の名に泥塗ったのと同じだね。帰ったら特訓〜!」

「……分かった。」

「ドライもだよ〜。」

「はいです!ツヴァイさん!頑張りましょう!」


「……。そうだな。だが、その前に我が君へ報告だ。」

「……。ツヴァイにパスし」

「ダメだ。」

「だって……爺の右腕は苦手なんだよ。」

「あ!分かります!怖いですよね!キリッとした所とか!」

「……は?違うよ。彼は僕の日課を邪魔するんだ。」

「……日課?なんて言われるんです?」

「仕事は終わりましたか?ってさ。ツヴァイがやってるのに!って言い返しても、ではこの仕事をお願いします。って。酷いでしょ!」

「今度、リン殿にはお礼をしなくてはな。」

「ちぇっ。ツヴァイは右腕の仲間かい。」

「拗ねるくらいなら、少しくらい仕事をやってくれ。」

「……。……善処するよ。」

「……ぁと、僕のプリンも……食べないで欲しぃ……ですぅ……。」

「……それは、どうだろ?」

「うぅ……。」

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欲にまみれた世界へようこそ。〜時宗黒の物語〜 ゆ。 @yuluyulu

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