第9話 生きる理由

 --

 -


「……っぅう。」


 目を開いた黒を迎えるは赤黒く分厚い雲。

 ガンガンと痛む頭を抑えながらも起き上がると、黒はまず初めにルナを見た。


「黒っっ!!黒ぉっっ!!」


 魔法陣の外にて起き上がる黒を見て、ルナは涙で顔をくしゃくしゃにしながらも叫んだ。喜び故に。安堵故に。


(……何言ってるかは分からないが、ずっと……壁を叩いてたんだな。)


 血にぬれたルナの手。見えない壁にはルナの血が多量に付着し垂れていた。

 ルナは黒が倒れた時から、見えない壁を何度も何度も叩いた。それはルナにとって、'痛い'よりも居場所を失う方が、黒を失う方がずっと辛かったからだ。


(終わった……そう思いたいが。)


 痛々しいルナの手を見て、駆けつけたい思いに駆られるが、黒はそうしなかった。ルナの血が見えない壁に付着している、それはつまり、まだへだたれているという事。


(壁が消えてない。まだ何かあると思った方が良いだろうけど……結局なんなんだこれ?)


 体に何も異変がない故に抱いた疑問。

 どこかが痛い訳でも、だるい訳でもない。至っていつも通りの体。魔法陣が自分の体に入って行くのを黒は確かに見た。


(何も無い……訳ないのだろうが、今は考えても仕方ないか。とにかく出る方法を)


 黒が紫色の魔法陣を注意しながら立ち上がった時、ドクンッ!と、心臓が胸を突き破らん勢いで鼓動する。



「ッッッ!!グゥゥゥゥゥ……ァ……!?」



 心臓が強く脈打つと同時に、全身くまなく殴られているかのような、引き裂かれるような、体の内側から何かが食い破らんとするかのような痛みに襲われ、黒の口から痛みをこらえると、うめき声がもれる。


(なんだ突然に!?まさかさっきの魔法陣が関係あるのか!?どうでもいい!!早く移動を)


 胸を握り締め、痛みに耐えながらも黒は移動しようとする。しかし、足がまるで杭に打たれたかのように地面から離れず、動くことが出来なかった。


(チッ!呼吸がっ……!!)


 呼吸が出来ない。故に心臓が酸素を寄越せと更に強く胸を叩く。その度に黒の内で何かが暴れ、その度に痛みの質が変わる。


 なんでこうなったのか考える間もない。とにかくこの場から逃げ出したいという思いだけが、黒の脳内にて幾度となく繰り返されていた。


(逃げる方法が思い浮かばねぇ!!)


 ガンガンと警鐘を鳴らす脳。それは体の限界が近い事を黒に知らせる。同時に、逃げ出す事も出来ない今、黒の脳内で自然と'死'の影がうっすら浮かび上がってくる。


(クソッッ!!死ぬのか!?俺が!?)


 尋常じんじょうではない精神で叫ぶ事を耐えている黒だが、それも時間の問題である事は理解していた。


 全身の血管がくっきりと浮かび上がる。ドクンドクンと心臓が鼓動する度に、凄まじい勢いで血が全身を駆ける。見開かれた黒の瞳。真っ赤に充血した瞳には、一人の少女が映り込む。


 ルナであった。


(ルナが見てる、死ぬな……。耐えろ!!)


 ルナの不安そうな顔を見て、手を挙げ無事を伝えようとする黒であるが、ギチギチと鳴る体は、少しでも動かそうとすると筋繊維がちぎれそうであった。


(クソッ!言うこと聞け!!)


 無理にでも動かそうとした時、やはりブチッと嫌な音が鳴り、右肘裏からだらだらとあふれ出る。


「いっ……ぐぅ……ぅ!!」


「どうしたの……?……黒?……黒!?」


 黒の顔が苦悶に歪み、明らかに異様なうめき声を上げ始めたため、ルナは直ぐに不安で胸をいっぱいにする。


「ル……ナ。安心しろ……。俺は大丈じょッッ!!!ぐぁっ……ぅぅう!!」


 ギリッと歯を軋ませ痛みに耐える黒。パンッと血管が破裂し、至る所から血が吹き出しては、猛烈な痛みに襲われる。


「見、るな……。聞くな……。」


 発せられる呟き。しかし、掠れた黒の声はルナに届いていなかった。

 心臓を抑え何かに抗う様子の黒を見て、ルナは抱いていた不安が爆発し、ドンドンと見えない壁を叩き始める。既に血まみれで痛々しい手は更に流血し、醜くなって行く。


(目をつむってくれ……耳を塞いでくれ……。痛てぇんだよ。叫びてぇんだよ。)


 ガフッ!と黒の口から血が吐き出され、赤く染った歯はギリギリと軋み、充血した瞳からはだらだらと血があふれ出る。ボタボタと地面に血溜まりをつくるほど、黒の出血は酷いものであった。


(お前が見てたら……こらえるしかねぇだろうが……!!)


 ミシミシと全身に力を入る。黒は自らを襲う痛みに抗って抗って抗い続けた。


 食いしばる歯の隙間から血が噴きだす。張り詰めた筋肉がパァンッ!と弾ければ、鮮血が飛び散り、痛み故に見開いた真っ赤な目。しかし、諦観はなかった。


 体の至る所から噴き出る血で地面を染めていく中、黒は構わず力を入れ続けた。抜いたが最後、倒れてしまうと思ったから。気を緩めてしまえば叫んでしまうと思ったから。そんな自分を見ればルナが更に悲しむだろうと思ったから。



 黒は絶え間なく力を入れ続ける。



 ドドッ!ドドッ!と心臓が脈打つ度に、体のどこかが張り裂け血を噴く。必死に呼吸をしようにも得られる酸素は少なく、やはり心臓がもっと酸素を寄越せと胸を強く叩く。


 絶え間ない痛みを処理しきれない脳が、ガンガンとひたすらに警鐘を鳴らし、パァンッ!とこめかみの血管が弾け鮮血が舞う。



 しかし、黒は耐え続けた。



 魔法陣の外でルナが泣いているから。ルナにもがき苦しむ姿を見せる訳にはいかないから。ルナがようやく見つけた新たな居場所を失ったと考えないように。込み上げる叫び声を堪えて、吐き出しそうになる思いを堪えて、泣き出しそうになるのを堪える。


 ブチッ……。何かが切れる音と同時に、右腕がダランと脱力しぶら下がる。


(右腕が……!?)


 一番負いたくない損傷を負ったが為に目を見開く黒であるが、右腕に次いで左腕もバキッ!と骨が折れるような鈍い音と共に、曲がってはいけない方向へ折れてしまう。


(ヤバいっ!どうする!?何とかしねぇと本当に死)


 そこまで考えた時であった。痛みがピタリと止んだのだ。


(なんだ……?)


「はぁ……はぁ……。おわ……ったのか……?」


 グラグラと揺れる視界。意識が途絶えようとしているのだと、黒が察するのはすぐであった。


 そして、魔法陣が光る。


(っっ!!また始ま)


「……ん?……治ってる……のか?」


 ボロボロだった黒の体は治って行った。ガンガンと響く頭痛も、心臓の鼓動も、右腕の脱力も、左腕の骨折も。まるで何も無かったとでも言うように。


 そして、また魔法陣は光る。


「っっ!!ぐぅっっぁ……!?」


 そこから始まるは、際限なく繰り返される破壊と再生。


 紫色の魔法陣から放たれる異様な光は、黒の体をひたすら壊してはその度に治し、ボロボロになるまで壊しては、形だけは元に治す。黒の体から飛び散る血の量は既に致死量を超え、一人分では収まらない量まで達している。


(なんで俺を……?なんでこんなことをする?俺が何をした?)


 ミシミシメキメキと体が骨が軋み、異様に響く中、黒の頭を過ぎるは'普通ではない人'の日々。居場所が限られた者の日々。'後継'の足枷を付けられた者の日々。


(これじゃ生き地獄じゃないか……。いくら普通とそれた暮らしをしていたとは言えこれは……。)


 朦朧もうろうとする意識の中、黒の右目がうっすらと赤黒く染まっていく。


(理不尽だろう……!!)


 ピシッと魔法陣にヒビが入ったと同時。魔法陣の破壊を阻止するかのように、放たれる光が一際強くなる。


「ゥグッッ!!ァ……ァァアアッッ!!!」


 魔法陣に入ったヒビが修復されて行く中、先程までとは一線を画した苦痛が黒に襲いかかる。それは、あれ程耐えていた叫び声を出させてしまう程。


 ルナはボロボロと涙を流しながらも、黒の発する叫び声に耐えきれず、ついには耳を塞いでしまった。しかしそれでも聞こえてくる黒の叫び声。


「もぅ……嫌だ……。嫌だよ……。」


 大粒の涙は地面に落ちては水溜まりを作っていく。


(なんで黒がこんな目に会わなきゃ行けないのさ……!……あたしなの?あたしが居たからなの!?)


 その赤い瞳に映る黒は、酷く苦しそうであった。


(ダメだ……あたしがしっかりしないと。あたしが泣いてたら黒は自分のことに集中できない。)


 ゴシゴシと目を擦るも涙は枯れず。血に濡れた手は震える。ルナの中では黒を失う悲しみと恐怖が色濃くあり、'しっかりする'などと思っても体が言うことを聞いてくれない。


「いつもそうだ、誰かに頼ってばかり……。あたしは自分を責めても何も変わろうとしない……。」


 黒は全身から血を流し、数人どころではないだろうほどの血が辺りに飛び散り、酷く血なまぐさい。


(黒はあんなに辛そうでも、叫び声も上げないで、地面に膝をつかないで、ひたすらに耐えてる。)


「黒に助けられたんだ。ルナ。ならあんたは今……何が出来る?何をするべき……?ただ泣いているだけ……?」


 唇を噛み締めたルナは顔を上げた。その瞳には、黒を失うことに対する悲しさも恐怖も感じられた。しかし、キッ!と黒を見据えるその瞳には、共に戦おうとする'覚悟'が見られた。


「がんばれ!!黒ぉっっ!!!」


 送る声援が黒に届かないという事はルナも知っている。それでもルナは何分も。何十分も。一時間経とうと。喉がガラガラになりながらも、激痛に苦しむ黒へ絶え間なく声援を送り続けた。


(何時間経過した……?)


 一時間を超えた頃には黒の精神はボロボロであった。


(痛い。思いのままに叫びたい。苦しい。呼吸したい。辛い。地面に転げてしまいたい。)


 全身を襲う痛みを黒は味わった事がなかった。祖母でももっと優しく気絶させるし、祖父でも毒の量を考えて使う。だからこそ黒は魔法陣を創った者に憤りを覚えていた。


(殺したいなら一思いに殺りやがれ……。)


 頭の血管が何十と弾け、終わらない苦痛に泣きそうになってしまいそうになる頃、ようやく黒の視界にルナが映った。


(ルナ……?何を言っている……?)


 ボロボロと涙をこぼしながらも、口から血を吐き出しながらも、目も当てられない血にぬれた手で壁を叩きながら、彼女は何かを叫んでいた。


 必死に読み取ろうとする黒であるが、ブチブチとグチグチと嫌な音を立てて体が壊される度に思考が乱される。


 その時だった。黒とルナの目が合ったのは。

 

(黒……!!)


 ピシッ!と魔法陣に先程より大きなヒビが入っては、内側にルナの声が響き渡る。


「がん……ば……れ!!……黒……がんばれ!!」


「っっ!!」

 

 げほげほと咳き込み、血を吐き出す彼女に、黒は目を見開いてしまう。それは、彼女が長い間声を出し続けていたという事。


(たった一日の付き合いだろ……。)


 黒はルナがどれ程自分の無事を願っているのかを知った。同時に、わずかに抱いていた罪悪感がふつふつと湧き上がる。


(俺は……少しでもルナを疑っていたんだぞ!?)


 思い出されるルナと過ごした時。

 黒がルナを敵認定しかけた事など、一度や二度だけではなかった。ルナが不審な行動を取る度に心の奥底で疑っていたのだ。


(なのに……ルナは……。)


 黒の目に映るは、長い時を一緒に過ごした者が死んでしまうと言わんばかりに涙する少女の姿。喉がやられてもなお、必死に声援を送り続けるルナの姿。


(生きないと、守らないと……ルナの隣に俺が居ないと……。)


 黒が一歩足を前に出すと、ボキッと膝が折れては行けない方向へ折れ、ギリッと歯を軋ませる。


(俺が、ルナの居場所なら……。ルナが……俺の居場所だから……。)


 折れた足を持ち上げては、折れた足は治り、そのまま地面を踏み締める。


(もう……失いたくないから……!)


 ズンッ!と地面を踏みしめた黒の目がルナだけをとらえる。


 ピシッ!ピシピシッ!と魔法陣のヒビが広がって行く。


(俺の居場所は……。もう、誰にも奪わせない!!)


 ズンッ!と黒が地面を踏み締めた直後、パリンッ!と割れる音が辺りに鳴り響き、透明なガラスのような物が地面へ向かって落ちる。


 同時。魔法陣の放つ紫色の光が辺り一帯を染め上げる。


「ッッッ!!!」


  自身へ襲いかかる痛み。それはもはや痛みですらなかった。一瞬で全ての感覚が麻痺し、治り、麻痺し、治りを繰り返す。叫ぶことすら出来ない、耐える事など許されないそれは黒に'死'を見せる。


(これは死ん……)


 ---


「いいか?黒。」


 諦めかけた黒の頭を過ぎるは、祖父と森の奥まで行って、罠の掛け合いをしていた時の記憶であった。


「相手が罠に掛かっても絶対に油断しちゃならんのじゃよ。」


「手足を縄で縛られ、逆さ吊りの状態で首に刃物。下には落とし穴がある状況で何言ってんだ?」


 黒の細められた瞳は勝ちを確信していた。


「ふぉっふぉ。伝え方が悪かったの。馬鹿孫。」


「なっ!?」


「良いか?主は今'もしも'を見ていない。」


 祖父は不敵に笑う。その笑みを不気味に感じた黒は、言葉が出てこなかった。ただ、うっすらと'まさか'と思えてしまえたのだ。


「生存の要は'死'に立ち向う芯の強さで決まる。」


 グンッと身をのけ反る祖父。刃物から離れ戻ってはそれに噛み付き、口の端を切りながらもへし折れば、顔を赤くしながらもその身を起こし、足を繋ぐ縄を切断する。


 宙に浮いた祖父の体は当然、重力に従い背中から落下し、ガサッ!と落とし穴へハマり、土煙が上がる。


「爺ちゃんっっ!?」


 たった十秒ほどで穴に落ちた祖父。流石に予想外であった黒は、祖父が死んだのでは?と、心臓が締め付けられた。


「'生'と'死'は常に対象の位置。だが、以外にその距離は狭くての。」


 しかし、黒の心配を他所に返ってくるは余裕そうな祖父の声。


「片方を強く望めば万の内の一つを……引くぐらいあるかもしれぬの。」


 土煙が晴れる。鋭い竹槍の尖端を後ろに縛られた手で掴み、ギリギリの位置でカラカラと笑って止まっているその者……祖父は生きていた。


「マジかよ……。」


 ---


「……ははっ。」


 黒は思い出した。あの日、生きていた祖父が言い放った言葉を。

 ゴホッ!と咳き込めば、大量の血が滝の如く吐き出される。しかし、黒の口元からは乾いた笑いが出ていた。


(あの時俺は、爺ちゃんが死んだと思った。でも爺ちゃんは'生'への執着で生き延びて見せた。)


 黒の瞳に映るは銀髪の少女。魔法陣のヒビが直っために声は聞こえないが、今もなお、応援しているのだろうと黒は分かっていた。


(今……ルナは俺が死ぬかもと思っている。あの頃の俺が今のルナで、俺は……。)


 血で真っ赤に染まった歯を噛み合わせ、ニヤリと不敵に笑う。


(俺が死ねばルナが悲しむ。誰を責めていいか分からない彼女は恐らく自分を責める。そして更に居場所がなくなる。また独りになってしまう。その先は途方もない生き地獄だ。)


「ル………ナ……。笑ぇ……!」


 故に黒は叫んだ。

なおも肉体を壊し続ける力に抗い、自らを鼓舞して立ち続けた。全てはルナ一人を不安にさせないため。


「ぉ……れゔぁ……!!」


(俺が倒れては、叫び狂えば何を思う?たった十五年生きただけの少女が……どう思う!?)


「死ななぃ……!!」


 宣言する黒の瞳にはルナだけが映っていた。今、黒が生きる理由が目の前の彼女だけだった。家も居場所も独りで生きる力もない。そんな自分と同じ境遇の彼女を黒は守りたいと思った。


 故に。


(俺は生き残る……!'生'を渇望する!!)


 ルナの赤い瞳と黒のうっすらと赤黒い瞳が合った同時のこと。ピキィン!!とガラスの割れた音が鳴り響き、魔法陣は木っ端微塵に砕け散った。


「っっ!!黒!!……けほっ……くろぉぉ!!」


 紫色の粒子が宙に舞い散り黒を包み込む中、互い間を遮る壁が消えたと知ったルナは、躊躇すらせずに黒の元へ走る。その足取りはおぼつかず、ふらつき転びながらも前へ進む。


(終わ……った。)


 黒の瞳が黒色に戻った時、安堵故か限界故か、意識は遠のいていく。脱力した体。しかし、黒は倒れる事なく立ったまま意識を失ってしまう。


「黒っっ!!黒ってば!!返事して!!黒ぉ!!」


 ギュッと血にぬれた黒の体を抱き締めたルナ。悲しみに満ちた声が森に響く。しかし、既に意識を失っている黒が返事出来るはずがなく。


「……お願い。死なないで……。生きて……!生きて生きて生きて……黒ぉ!!」


 無事か否かを心配するルナは、もはや気が気じゃなく、ボロボロとあふれる涙が黒の服に染み込んでいく。


「黒……。」


 ルナはただ黒を抱き締めることしか出来なかった。今更痛み出した自らの手も、ジンジンと痛む喉も。あふれる涙の量を増やすだけだった。


 --

 -


「……ぅっ……。」


 パチリと黒の目が開かれ、黒色の瞳には満天の星空が映っていた。


「……綺麗な星だ。」


 ボソリと呟いた黒。


(今までこれ程まで美しい星空を見たことがあったか?)


 生死の境から生還した黒は今、激痛からも解放され、体のどこにも異常はなく、清々しい思いで見る星空に感動していた。


(どうでもいい……綺麗であることに変わりはない。)


 穏やかな笑みを浮かべる黒は、自らを強く抱き締めている者を見た。黒の目に映るは、もう離さないと言わんばかりに抱き締めるルナの姿。


「ルナ……。」


「怖かった。」


 ガラガラ声でそのように呟くルナ。

 既に涙は枯れ果てていた。黒が目覚めるまでの幾時間。ルナは泣きながらずっと黒が目覚める事を祈っていた。気が狂わなかったのは、黒の心音が'生きている'とルナに伝え、落ち着かせていたからだった。


「黒が死んじゃうと思った。あたしのせいでまた人が死ぬと思った。もう……一人は嫌だって思ってたのに……。」


 ルナの顔が悔しさ故に歪(ゆが)む。


「あたしは……無力だった……!!」


 黒を強く抱き締めるルナ。何も出来なかったのだ。黒が苦しんでいる間、自分は泣き叫び声援を送っただけ。そのように考えるルナは、何も出来なかった自分を何よりも恨んでいた。


(思い返せば全部あたしの無力が招いた悲劇だ。あたしに力があれば誰も傷つかず、誰も迷惑を被らなかった。)


 黒を抱き締める力が更に強くなっていく。


「……。」


 黒はなんて声かけるのが正解か分からず、口をつぐんでしまう。


「……黒が死にかけた。」


「……。俺は生きてる。」


「でも……辛そうだった。」


「今は少し苦しい。」


「それは……ごめん。」


 しかし、ルナはなおも力強く黒を抱き締めていた。


「……なんで弱めない?」


「……ぅるさ……ぃ。」


 ルナは黒が生きているという事実を全身を使って感じていた。自らの手が痛かろうと、嫌な血の臭いに満たされていようと、黒が困っていようと。今は黒を離したくなかったのだ。


 抱きついて離れないルナを見た黒は、一瞬困った顔をするが、その頭を撫でてはそっと口を開く。


「正直、何度も死んだと思った。俺の命はここで終わり。理不尽に負けて終わり……何度もそう諦めかけた。」


「……?」


「でも、ルナが泣いていた。俺の名前を呼んだ。頑張れと言った。それだけで俺は耐えようと思えて結果、生きている。」


 ルナが顔を上げ、首を傾げて怪訝そうに黒を見つめる中、黒の頭の中ではふぉっふぉ!と笑う祖父が過ぎっていた。途端に自らを無力と叫んだルナを、当時の自分と重ねて優しく問う。


「力ってなんなんだろうな?」


「……ぁ。」と声をもらしたルナは、次の言葉が出てこなかった。その様子を見て微笑む黒は、ルナの頭を撫でて周囲を見渡す。


「そろそろ移動しよう。血を流し過ぎたし、肉食獣でも来たら厄介だ。ルナ……歩けるか?」


「……ぅん。」


 ルナは黒から離れると、へたりと地面に座り込んでしまう。


「……どうした?」


 ルナは一瞬驚いたが、直ぐに理由を察した。


「……。ごめん……黒。」


「……?」


「安心して腰が抜けちゃった……はは……。」


 黒はみるみる赤くなっていくルナを見てクスリと笑う。


「仕方ないな。」


 簡単に抱き上げられるルナは、ただでさえ赤かった顔を更に赤くして行く。


 空を見上げたルナは、懐かしいと言わんばかりに目を丸め、黒の顔が近いこともあって、頬が緩んでしまう。


「黒。」


「ん?」


「……星が綺麗だね。」


「……?……ぉう。そうだな?」



ーーー


おまけ


「結局。あの魔法陣ってなんだったんだろ?」

「ルナが知らない事を俺が知ってると思うか?」

「……。黒が知らない事って底が知れないね……。」

「魔物危ない。知っている。」

「……。そだネー。」

「魔獣もっと危ない。知っている。」

「そだネー。」

「……。……魔族マジ危ない。知ってる。」

「そだネー。」

「俺って馬鹿だよな?」

「そだn」

「ぅわ酷」

「ちょっ!!待って!!今のなし!!」

「はは。」

「どっち!?その笑みはどっち!?」

「はは。」

「怖い!その笑み怖い!!」


「ま、魔法陣がなにかなんて考えても分からないし、今は生きていることを喜ぼうぜ。」

「……そうだね。うん。そうだね!」

「あぁ。」

「へへっ。黒……。」

「ん?」

「生きててくれてありがと!!」

「……。おう。約束したからな。必ず帰るって。」

「……うん。本当に良かった……。黒が……生きてて……くれ……て……。」


「……ルナ?……寝たか。」

(……。ありがとう……か。)

「こっちこそ、ありがとうな。」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る