第8話 赤黒い光柱

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 探索に出るため樹上から降りた黒とルナは、地面に突き刺さった円状のベッド棒の前に立っていた。


「それでどの方向に行くの?」


 健気な瞳を黒へと向けて、首を傾げているルナはわくわくしていた。今までは逃げるのに必死で景観を楽しむ余裕がなかったルナにとって、ある程度安全の保証された森を行くのは初めてであるからだ。


「そうだな……今日はこっちにしようと思う。それでいいか?」


 黒が指さすは昨日行った方向の左。

 相も変わらず鬱蒼として、奥が見通せない程薄暗い森であるが、左の方が比較的明るい気がしたために選んだのだ。


「うん。黒に任せた!」


 ルナは満面の笑みで黒に選択を委ねた。


「おう!じゃ、行くか!」


「行こう行こう!」


 楽しそうに同調するルナを見ては、つられて笑ってしまい、簡槍を右手に草木をかき分け先頭を行く。


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「黒って森での行動は慣れてるの?」

「ん?まぁな。ルナこそ素人のくせして、森を逃げるなんて芸当、よく出来たな?」

「ぁ、はは。なんか、昔からやろう!って思えば大体の事は出来たんだよね。流石に、地上八メートルの地点から降りるなんて、やろうとも思わなかったけどね?」

「降りようとしたのか?怖かったろ?」

「そう思ってるなら、なんであそこに作ったのさ!?」

「安全だからだ!」

「断言した!?昨日は動揺してたのに!?」

「事実。一度も襲われていない。」

「落ちるという事は考えなかったの?」

「……。寝相は良い方だ。」

「どうだか……。」


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「大丈夫か?ついて来れそうか?」


 森を行くこと三十分。振り返った黒は、問題なさそうについてきているルナへと尋ねた。


「今のところは大丈夫だけど……もしかして、あたしのペースに合わせてる?」


「かなりな。」


「うっ!包み隠さないとこ……嫌いじゃないよ。」


「靴は問題なさそうか?」


「うん!今のところは大丈夫かな!」


「眠たくないか?」


「うん?……まぁ、少し眠たくはあるけど……。」


「体調は?」


「うん。大丈夫だけど……。」


「……!そういや怪我してたな!?大きな怪我とかはないか!?」


「かすり傷だよ!?全部全部かすり傷!!てか心配し過ぎだよ!?」


 黒の心配の嵐に逆上するルナは、黒の脇をくぐり抜け、先頭に踊り出て振り返る。


「あたしは見ての通りちょ〜元気!」


「っっ!!……悪い。いつも先導される側だったから……する側は慣れてなくて。」


 少し落ち込んだ黒を見たルナはくすりと笑う。


「じゃぁ、あたしは黒の斜め前を行くね!そうすれば安心でしょ?」


「いや、それは普通に邪魔。」


「おぉい!?黒!?包も包も?もう少し優しさで包も?」


「なんなら、背におぶさって居てもらった方がいろいろと気が楽だ。」


「あぁ!言っちゃった!あまり言わない方がいい事まで言っちゃった!」


 耳を塞ぎイヤイヤと首を振るうルナを見て黒はくすりと笑い、その頭を撫でる。


「冗談だ。」


「本当?」


「半分だけ。」


「あぁあ!あぁあ!!」


 耳をぽんぽん叩いて叫ぶルナは、黒に構わずずんずんと進んでしまう。


「ルナ?もう少しペースを……」


「黒遅い!」


「……っっ!!……はは。」


 ルナの拗ねた様子を、昔、祖父にいじられ拗ねた自分と重ねてしまい、乾いた笑いが出てしまった黒。懐かしさに浸りながらも直ぐにペースを変え、その後を追い始める。


(休憩は直ぐになりそうだな。)


 そんな事を思いながらも、黒は前方で「ぅわっ!?」と叫び転ぼうとしているルナの手を取る。


「ありが」


「やっぱり俺の背に乗るか?」


「っっ!!いじわる!!」


 い〜!と、ムキになったルナは、歩き出そうとするも、その細腕を黒の手が掴み前進をさせない。


「残念だったな。俺に掴まれたが運の尽きだ。」


「逃げれ……ない!?」


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「黒ぉ……。どこまで歩くのさ……。」


 三時間の進行の末。幾度となく休憩を挟んだものの、もともとたまっていた疲労が抜けていなかったのもあってか、ルナは黒の背に乗り運ばれていた。


「水が見つかるまで。」


「そんな……。全然水の気配しないよ……?そもそもこんなに離れて……拠点の場所は分かるの?」


「直感で帰れるし、いざとなったら木につけた印を辿るから問題ない。」


「……そっか。」


 ガサガサと草木をかき分け進む黒は、あまりの水気の無さに眉を寄せ首を振る。


「もう少し歩いてみてダメなようなら帰る。」


「分かったよ!」


 元気よく返事をしたルナは、チラリと木々の隙間から光が漏れているのを目に映した。


「ねぇ黒!あっち開けてるみたいだよ!」


 ルナが指さす方向を見た黒は、確かに鬱蒼とした森に珍しく、しっかりと陽の光が入っている様子に、悩んでしまう。つまりは、進行方向を諦めそちらへ向かうか、このまま進むか。と言っても、それは悩むまでもなかった。


(このまま闇雲に歩いてもな。開けてた方がまだ可能性はあるか。)


「よく見つけたな。行こうか。」


 黒に褒められたルナはくすぐったい思いになりながらも、黒の背中でわたわたと動く。


「それ行けぇ……!」


「おう。ちゃんと掴まっておけ……よ!」


 タンッ!と黒が跳ぶ。


「……ぇ?」


 樹上へ移った黒は、状況の理解が追い付いていないルナに楽しんでもらうため、木々の間を駆けたり、樹上から飛び降りたりする。


「いやっ!?ちょっ!?へぇぇえ!?」


 体験したことも無い黒の行動に目を白黒させてしまうルナは、恐怖故に黒を強く抱きしめ、目が半開きながらも移りゆく景色を見ていた。


「楽しいか〜!?」


「わかんないぃぃぃい!!」


 しかし、半開きのルナの目は少しずつ開いていく。


「でもぉぉお!!胸がざわざわする!!」


 ざわざわと胸の中で波立つ思い。それは、瞬間に過ぎていく衝撃の数々を恐怖し、楽しいと思う前の感情であった。


 タンッ!タンッ!と軽快に森を駆ける黒はやがて、ガサッ!と森を抜け、開けた地へと飛び出した。


 ぶわっと暖風が吹き付け、視界に映るは木一つない一キロ範囲の原っぱ。懐かしき青空の下、真上まで昇った太陽の光が黒とルナを優しく照らす。


「ぅわぁぁぁ……!」


 ルナは半開きであった目を見開き、恐怖を持っていた瞳を、まるで絶景を見ているかのような喜び一つに染めて行く。


「凄い凄い!!」


 胸に抱くざわざわが爆発し、思いのままに叫ぶルナ。そんな彼女の様子にくすりと笑いながらも、黒は渋い顔をする。


(やっぱり、水源はない……か。)


「黒!黒!降ろして!走りたい!」


 黒の肩をたんたんと叩き、遊びたい衝動を抑えているルナは、じたじたと暴れ始める。


「分かったから落ち着けって……。」


 あまりの陽気さに笑顔も引きつってしまう黒は、ゆっくりとルナを地面に降ろした。


「ねぇ!見てよ黒!ここだけ木が一本も生えてないよ!!ん〜〜!!日が気持ちぃ!!」


 たったっと駆け出したルナが気持ち良さげに伸びをし、黒に振り向いて笑う。揺れる銀髪のポニーテールが日に照らされキラキラと煌めき、ルナの笑顔も相まって'素晴らしい'と言うに値する景色がそこに出来上がっていた。


(ま、水源がなくてもいっか。)


 ルナの楽しそうな様子を見てそう思う黒。

 祖父母を失うと言う精神的負荷がある中で、真っ暗でジメジメとした森の中を歩き続けていたのだ。

 そんな黒にとって、目の前の穏やかな原っぱも、楽しそうに笑うルナの様子も、ムカムカとする感情を癒してくれる。


「黒も早く!!置いてくよ!?」


 わくわくを抑えきれないルナは、見守る姿勢を取っている黒を焦れったく思っていた。


「今行く。そう慌てんなって。」


 苦笑いをする黒が一歩踏み出せば、そよ風に吹かれて綿毛がさらわれ、風に乗り空高く飛んで行く。暖かな日の光と、雲一つない青空が黒の活力をよみがえらせると、黒は自然と頬が緩み肩の重荷がおりたような気分になる。


「ルナ!あまり走るな。危ないぞ?」


 我慢できずに走り出したルナに、背後より声を掛ける黒であるが、ルナは黒から逃げる様にどんどん中心へ向かって行く。


「黒遅いよ〜!大人ぶってないで子供になろぉ!!」


 などと、ルナは前も向かずに走りながら黒へ言う為に、当然足元の石にも気づかず。足が突っかかり勢いそのままに、体は前のめりとなった。


「ぅ……あ!!」


 ルナは自分が転ぶという事実を理解して、恐怖故に、驚き見開いた目を直ぐにギュッと閉じた。


「だから……。」


 黒は地面を踏み込み、ダンッ!と駆け出し、空いたルナとの距離をあっという間に詰め、ギリギリの所でルナの手首を掴み、腹に手を回し、自らの体へと引きつけた。


「危ないって言ったろ。これで二度目。次はデコピンだからな?」


「助けは……してくれるんだ?」


 ホッと安堵のため息を吐きながら、黒は気まずそうに捕まっているルナの赤い瞳を見据える。


「子供になりすぎる奴が居るなら、見守る保護者も必要だろ?」


「うぅ……。」


 ルナは赤くなって行く顔を伏せる。それは、黒に抱き寄せられているからか、自分のミスを助けられたからか、助けられた事が嬉しかったからか。


(……いじめたくなるなぁ。)


 黒は、顔を伏せ耳まで真っ赤にして恥ずかしがるルナを見て、ニヤリと笑った。その顔は、悪巧みをする狂乱爺と近しい何かがあった。


「分かっているのか?」


「み、見ないでぇぇ!!」


 ルナは黒に顔を覗き込まれると、恥ずかしさに耐えきれず両手で顔を覆う。


「顔が赤いな?体調でも悪いのか?」


「んんんん!!」


 黒から離れようとじたばたと暴れ始めるルナであるが、黒の拘束から逃げられるはずがなく。


「ビクともしない……。嘘でしょ……あたしの力が及ばない……!?」


「残念だったな。これが保護者の力だ。」


「うぅ……。負けたぁ……。」


 敗北を認め、黒の腕にもたれるルナ。しかし、その姿は傍から見ると楽しそうであった。

 そして、それは事実であった。楽しいと言う感情を抱けるほどの余裕が今までにあったはずがなく、遊ぶのも笑うのも。久しぶりであった。


「ねぇ。黒。」


 故に。ルナは不安を抱く。


「黒は……死なないよね……?」


 原っぱの中心。

 無数の蝶がぱたぱたと優雅に飛び、鮮やかな色の花に止まって羽を休め。爽やかな風が、黒とルナの髪を僅かに揺らして、ふわふわとした植物の綿毛をさらい空へ飛ばす中。


 黒はルナの不安に揺れる赤い瞳を見据えていた。


「……なんだ突然?」


「……その。」


 言葉に詰まり俯くルナ。その様子を見た黒はルナを離しその頭を撫でる。


「大丈じ」



 異変が起きたのはその時であった。



 ブワッ!と吹き荒れる強風がどこからか分厚い雲を運んで来ては、鬱蒼としている森を揺らし、八十メートルを超える木々をしならせれば、黒とルナも吹き飛ばそうと吹き付ける。


「なっ!?なんだ!?」


 黒は仰け反りながらも、ルナが吹き飛ばされない様にその身を強く抱き締める。後方へ一回転した後に、右手を地面に食い込ませ、体勢低く踏ん張る。


「ルナ!?何だこの異常気象!!」


「分からない!!……ただ!いい気はしないよね!!」


(チッ!!考えても分からねぇ!とにかく森に入れば少しは和らぐだろ!)


 その様に判断した黒はルナを抱き上げ、強風に抗いながらも必死に森を目指して、ゆっくりと歩き始める。

 風に抗い移動するのは、風向きに進み強風を背に受け森に突っ込むのは逆に危険と考えたからだった。


「やべぇな!この風!!こんなのがザラに起きんのか!?」


 強風が黒とルナの進路を妨害する。黒髪と銀髪がかきあげられ、目すら閉じてしまう黒は尚も自然の猛威に反抗する。


「黒ぉぉ……!!ごめぇぇん……!!」


「……なんだぁぁ!?」


「あたしはぁぁ……!!あたしはこんな時だって言うのにドキドキして……胸が苦しいぃぃ!!」


「そりゃぁ良かったなぁぁぁ!?」


 突然起きたそれの対応で手一杯の黒は、ルナとの会話に付き合う程の余裕はなかった。


 刹那。


 黒の足元から無数の紫色の光線が浮かび上がり、周囲へと伸び始める。ジワジワと複雑に交差するそれは、何かを形作ろうとしていた。


「チッ!!」


 ルナを担いだ黒は、危険を承知で風向きの方へと全力で駆け出した。


 長い間祖父母に鍛えられた危機察知能力が……。ドクッ!ドクッ!と力強く胸を叩く心臓が……。黒を形成する全ての細胞が……。動物に備わっている野生の本能が……警鐘をガンガンと響かせて訴えていた。



 '逃げろ'……と。



 しかし、黒の速度よりも早く紫色の光線は伸び行き、刻一刻と完成へと近づいて行く。


「クソッ!間に合え!!」


 叫ぶ黒。その様子を見たルナは既に泣き出しそうであった。それ程までに場を支配する空気は不気味であった。


 そして、'それ'が完成したのは、黒がギリッ!!と歯を軋ませた時であった。


 直径五百メートルにも及ぶ巨大な円。その内には、体感したこともない恐怖をもたらす、紫色の光を発する六芒星が創り出されていた。


「魔法陣!?なんでこんな所に!?」


 驚き涙のたまった目を見開くルナはしかし、刻まれた見たこともない紫色の文字と、異様な雰囲気に圧倒される。


「黒!!早く!!魔法陣が発動しちゃう!!」


 故にルナは叫ぶ。

 魔法陣が発動した時、何かとんでもないことが起きてしまうのでは無いかと懸念し、焦燥に駆られていた。


「分かっ」


 その時。ギィィィン!!と頭の中まで響く音が発せられる。


「「いっっ!!」」


 黒とルナは同時に頭痛を覚えた。

 同時に理解した。この魔法陣は痛い所で済ませるようなものでは無いと。


 それが正しいと言わんばかりに、魔法陣上に生えている草花は生気を失い枯れ行き、危険を察知して逃げようと飛んでいた無数の蝶もみるみる減速し、ついには絶命し地面に落ちた。


「く……黒!!」


「分かってる!!」


 ズンッ!と地面を踏み締める黒。

 べこりとへこむ足元。そこにどれ程の力と体重が乗せられているか。黒が焦れば焦るほど力は加わり、そのへこみは深くなって行く。


 ゴゥッ!!と風の力も相まって、魔法陣の端まで到着した黒は、そのまま森まで駆け抜けようとしていた……が、あと一歩の所で魔法陣の外へ出れると言った時。


 黒だけ見えない壁にぶつかった。


「なっ!?」


 ゴンッ!!と鈍い音が鳴り、反発する衝撃で黒は後方へ、担がれていたルナは魔法陣の外に飛ばされる。


「うっ!?……てて。何が……。」


 ごろごろと地面を転がるルナは傷だらけの体に傷を増やしながらも、振り返ると目を疑った。


 何も無い空間に血が付着していたのだ。その血は黒が見えない壁とぶつかった時に眉間から流血し付着したものであった。


「……は?なんだこれ!?」


 当然、何が起きたかも分からない黒は、自らの血が付着したその見えない壁を叩いた。ドンドンッ!!と黒は固く握った拳を振るい、見えない壁が何かはわからないが、とにかく壊してしまおうとするも、壊れず。


 黒が慌てる中、魔法陣の中央には六つの朱色の魔法陣が新しく顕れ、まるで何かを待つようにゆっくりと回っていた。


(なんなんだクソ!!俺だけを狙っているのか!?)


 黒のドクドクと異常に早く脈打つ心臓が'急げ急げ'と常に訴え、焦燥のまま、拳に力を込め全力で叩き込むも、見えない壁はやはりビクともせず、通れる気配など微塵もしなかった。


「黒!?大丈夫!?」


 ルナが魔法陣の外から見えない壁を叩きながら叫ぶが、それは黒に聞こえていなかった。


「なんだ!?何て言ってる!?」


 見えない壁を壊せないと悟った黒は、ルナが打開する方法を知っていると思い、耳を澄ませるも外からの音は壁を叩く音以外は全てが遮断されていた。


「聞こえてないの!?ねぇ!!黒!?」


 必死に黒へ語りかけるルナ。物を叩き慣れていないその手は徐々に赤くなって行く。

 その様子を見た黒。自分より焦っている彼女を見て、責任感が生じれば逆に冷静になり、落ち着き、そっと話しかける。


「ルナ……聞こえるか?聞こえるなら叩くのをやめてくれ。」


 黒の声を聞いたルナは、ピタリと見えない壁を叩く手を止め、コクリと小さく頷く。


(こっちの声は聞こえてるのか。)


 ルナから黒への声は遮断され、黒からルナへの声は通る。訳の分からない状況にギリッと歯を軋ませる黒であるが、不安に涙をためているルナを見ては事実を述べる。


「俺は出れそうにない。すまん。」


 見たくない事実を突き付けられたルナはそれを別れの言葉と受け取った。


「ぃ……いやだ!!いやだよ黒!!」


 その顔色は真っ青になり、嫌だ嫌だと泣き叫び、フルフルと首を横へ振るう度に、目にたまった涙は辺りへ飛び散る。


 ルナのその様子に苦虫を噛み潰したような顔になってしまう黒は、理不尽への怒りを抑え、静かに口を開く。


「さっき。俺に死なないかって聞いたよな。」


 黒が口にするは先の回答。

 嫌だ嫌だと訴えていたルナはピタリと止まり、黒の頭痛を堪えているような顔を見ては更に不安に陥り、黒の背後にドス黒い魔法陣が一つ顕れ、六つの朱色の魔法陣と重なるのを見ては涙がポロポロと流れ落ちる。


(なんで……今……。)


 黒が今のタイミングでその話をするということは、黒もルナと同じで、頭のどこかで諦めているのだろう。その様に考えたルナの目からは大粒の涙がボロボロと流れ落ちる。


 目の前に広がる巨大な魔法陣が発動して、中の人間が魔法陣から放たれる膨大な魔力に耐えられるはずがなかった。


 故に思考が至る。


(黒は……もぅ……。)


 またルナが自分を責めようとした時。黒が口を開く。


「一体何が不安か知らないが、生き残れる可能性を作れるなら足掻き続ける。そうして来たから俺は今生きているし、それはこれからも変わらない。」


 そっと、壁越しに黒の手がルナの手に重ねられる。


「死ぬかもしれない。それでも俺は、死ぬつもりなんてない。」


 ルナは断言する黒の瞳を見て気づく。自分の考えが間違っていた事に。


(なんで……なんでこんな状況でも……笑えるの……?)


 黒は笑っていた。

 頭痛に頭を侵され、背後で七つの魔法陣がグルグルと回転し、足元の紫色の魔法陣が異様な光を発している、訳も分からない、この先もどうなるか予想がつかない、死ぬかもしれない異様な状況。


 そんな中で笑っていられる黒を見て、ルナは疑問と同時に希望を抱いた。


(もしかしたら……黒なら……。)


 耐えられるかも。そのように考えた時、ルナは理解した。


(あたしに……心配させないため……。)


 ぐっと込み上げる涙。泣いてばかりのルナには、黒の顔が歪んで見え、胸の中で渦巻く感情が複雑に入れ組み、ぽつりと呟く。


「死なないで……。」


 当然その声は黒に届かない。しかし偶然か、黒は振り返り、中心でグルグルと回転する魔法陣へ向けて歩き始めながら言う。


「必ず帰る。だから泣くな。」


「っっ!!」


 苦悶に歪むルナの顔。

 '死'へと向かって歩いて行く姿を見て。今まで見てきた人の中で誰よりも大きく頼もしい背中を見て。ルナは黒という男を見て涙ながらに叫ぶ。


「死なないでっっ!!……黒ぉ!!」


 黒が回転する魔法陣の中心に立った直後、魔法陣が一際強い紫色の光を発した。


 黒は込み上げる吐き気を抑えながらも、ガンガンと痛む重い頭を無視しながらも、不敵にニヤリと笑って見せ、ルナへ向けて拳を突き出し、親指を立てる。


「……っっ!!」


 赤く充血した目を見開いたルナ。

 黒のそれから伝えられるメッセージ。それは'心配するな'という黒の意思であった。


 ルナはその場で膝から崩れ落ち、口を塞いでしまう。


(いやだ……いやだよ……。お願いだから……)


「死なないで……。」


 泣き崩れたルナ。その様子に胸が締め付けられる思いになる黒は、震える唇を噛み締め脳が訴える恐怖に抗う。


 異様に光る魔法陣から'始まり'を察して、今出来る限り優しい声で黒はルナへ言った。


「また……後でな。」


 魔法陣の紫色の光が最高潮に達した。

 眩い光に目を瞑り、腕で遮ってしまうも、光は特に何かある訳でもなく徐々に止んで行く。


「っっ!!」


 目を開けた黒は、透明な腕を貫通して見えた景色に目を疑う事になる。


 眼下には脱力して呆然と立ち尽くす自分と、それを心配そうに見つめるルナが居り、異様な雰囲気を放つ紫色の魔法陣と、グルグルと回転する朱色の魔法陣が六つに、ドス黒い魔法陣が一つ。


(これは……どういうことだ?)


 現在、黒は上空から自分の体を見ていた。

 疑問を抱いたものの、自分が透明である事を理解したのはすぐであった。


(意識だけ隔離されたってことか?)


 精神体の黒は酷く冷静であった。


(俺の体に何をするつもりだ?)


 そう思い全てを見ようと、僅かな変化すら見逃さない様に注意深く自分の体を見据える。


 その時、宙に浮きグルグル回転している朱色の魔法陣とドス黒い魔法陣が強烈な光を発する。


 赤と黒の光が混じらず交差し、赤黒い上天へと向かって徐々に光柱を形成しようと伸びて行く。


(……なんだ?あれは?)


 山を超えた向こう側に、それと似て非なる淡白い光柱が、淡白い輝きを放つ分厚い雲に向けて伸びていた。

 疑問を抱いた精神体の黒はしかし、自らの体に朱色の魔法陣とドス黒い魔法陣が入るのを見た直後、引きずり込まれるような感覚に陥る。


(次から次へと……!!……クソ!状況の理解すらで出来ねぇ!!)


 ギリッと歯を軋ませる黒。しかし、精神体が自らの身体に触れては、再び意識がとんでしまった。

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