6. 出発
「ガッ、グッ、ゲブッ」
せめてソロシーを下敷きにしてやろうと倒れ込むワイバーン。
ーー離れろっ!
「分かってる!」
私が伝える前からソロシーはワイバーンから離れていた。
ずぅぅんっ。
「グブッ、ゲブブッ、ゴブゥ……」
口から、腹から血を流していくワイバーン。
私がワイバーンの背中から降りて、ヒマワリとソロシーの元へと歩けば、ヒマワリが何が起きたのか分からないような目で私とソロシーを何度も見比べていた。
そうだろう。正直なところ、翼腕で思い切り叩かれた割には、私自身が驚く程に何ともなかったのだ。
今も痛みはあるにせよ、引きずるほどじゃない。
「取り敢えず、もうちょっと離れよう」
ソロシーが言えば。
「ガッ、ガブッ、ガガッ、ガァッ!」
ワイバーンが血を吐きながら、恨みを吼えるようにこっちを睨んでくる。
「……良いよ、行こう」
ソロシーはワイバーンを一瞥すると、大剣を背中に戻して言った。
「ガァッ、グ、グ、グブッ、グガアッ!! ゲブッ…………グ、グ……」
あのワイバーンも、程ない内に事切れるだろう。
「…………」
それ以上振り返るのは、やめた。
離れてから、ヒマワリの方を向いた。
「ヒマワリ。ありがとう」
頭を下げる。
色々あったけれど、ヒマワリが居なかったらきっと、今回も僕達は死んでいたんじゃないだろうか。
「グゥ」
アコニも続いて、頭を下げた。
「ブルルッ」
そうすると、礼は良い、というように後ろ足を向けてくる。血みどろの後ろ足。
「ああ、うん。川辺まで行こうか」
そう言って川の方を指差せば、足早に歩いていく。
それを追いかけていると、アコニが話しかけてきた。
ーー何とかなって良かった。……本当に。
「……うん。まだ、休めないけど。
トケイさんも弔いたいし、火事も抑えないといけないし」
今日はきっと眠れない。
気合を入れ直さないと。
そう思いながら川辺に出ようとしたら、ヒマワリが別の方を向いていた。
「あ……」
それが何なのか、僕にはすぐに思い浮かんだ。
そして。
「ソロシー、アコニと呼べば良いのか? 近くに居るんだろ?」
想像通り、別のワーウルフの声が聞こえてきた。
少し考えて、僕は川辺に出ないままに言った。
「……すみません、こんな事になってしまって。でも、ワイバーンは殺しました。もう、炎は撒き散らされないです」
「アレを殺せたのか?」
「トケイさんのおかげです。一緒に居た人間を殺してくれたみたいなので」
……聞きたくないけれど、それでも僕は聞かざるを得なかった。
「……トケイさんは」
「死んだよ」
ぼそり、と。ぶっきらぼうにも思えるその声は、けれどそれが事実である事をどうしようもなく僕に示してきた。
「……そう、ですか」
木にもたれる。そうだろうと思っていても、生きていて欲しいと願っていた。こうやって直接聞くまでは死んでいるだろうという事を否定出来ていたのに。
「俺達の事、信用出来ないんだろ? それは別に良い。流石にここまでされたら、火消しにこっちも動かざるを得なかったからな」
「……まあ、はい」
少し、間が空いて。
「ただな、一つ言っておく。トケイが死んでしまった今、お前達を好ましく思わない同胞達への抑止力もなくなった。
お前達に肩入れしている事自体、好ましく思ってる奴も少なかったしな。
だからな、早めにここを去った方が良いぞ」
多少は予想していた事でもあったけれど……、言われると辛かった。
トケイさんが言っていた事とは多少差異があるようだけれど、僕達に肩入れしていないワーウルフからしたら、そんなものなのだろう。
「…………分かりました。ありがとうございます」
「それと」
「それと」
声が被った。沈黙が少し続いて、僕が先に声を出した。
「……弔いは、僕達は出来ないのでしょうか」
「そうだな。来ない方が良い。
ただ、一つだけ。お前達に渡しておくものがある。トケイから万一の時の為に頼まれていたんだ」
「……?」
渡すもの?
「良いか、川に流すぞ。そっちまで行ったら受け取ってくれ」
「……はい」
……何だろう?
流れてきたもの。薄暗い中でも、ソロシーはそれが何だか勘付いたみたいだった。
「あ、ああ」
思わずソロシーが出ようとするのを、私は止めた。
ーーヒマワリに取って来させれば良い。
「いや、あれは、僕が取りに行かなきゃいけないものだよ」
ーー誰かが矢で射って来るかもしれないじゃないか! 話してるワーウルフが本当に信用出来るとしても、他にどこかで待ち構えていないとも限らない!
「……そうだけど、そうだけど」
それでもソロシーは行きたい欲求を抑えられなくて。
そんな様子を見かねたヒマワリが、咥えて持ってきてくれた。
「あ、ありがとう……」
模様を眺めて、本当にそれがトケイのものである事を確認する。
それから顔を上げて、遠くのワーウルフに聞いた。
「……本当に、良かったんですか?」
「残念ながらな、トケイが一番想ってたのは、俺達の中の誰でもなく、お前達だったんだよ。
俺だって思うところはあるけどな、お前達もトケイの事を信頼していたようだからな。
だから、これは俺はお前達に託すべきだと思ったし、弔いも出来ない詫びとしても渡すと決めた」
言葉が詰まったりするようだったら、狙っていたのだろうと分かったが。本当にこれは純粋な善意のようだった。
「…………ありがとうございます」
「だからな、死ぬなよ。トケイの意志を無駄にしないでくれよな。
俺からは以上だ」
「……ありがとうございます」
再び礼を言って。
「じゃあ……行こうか。火消しは、ワーウルフ達に任せていて良さそうだ」
「グゥ」
長い一日は、終わった。
別の隠れ家へと歩き始めて、すぐ。
ぎゅるる……。
「……そういや、朝から何も食べてなかったからね」
そう言ってソロシーが取り出したのは、つまらない味の保存食。……まあ、それでも。
私はそれを受け取って食べた。ソロシーも食べて、それからヒマワリにも渡してみる。
肉の類は入っていない。
「…………」
臭いを嗅いでから受け取ると、もそもそと食べる。何とも言えない表情をしていた。
食べ終えて。
「…………トケイさん、ありがとう」
ソロシーが、トケイの槍を見つめながら呟いていた。
それから。
「……泣きそうだ」
私が空腹を覚えたように、ソロシーも緊張が解けてしまったのだろう。
「でも、泣かないよ。僕達は生きなきゃいけない。つまらない事で死んでなんか居られないから」
ーー……そうだな。
*
*
起きれば、もういつも通りの朝だった。
外に出れば少し遅くまで寝てしまっていたようで、日が登っている。アコニもヒマワリも、そんな僕を起こさなかったようで、腹ごなしをそれぞれで済ませていた。
空を眺めれば、どこでも炎や煙は立ち上がっていない。鳥が囀っている、生き物の気配に満ち溢れた、いつも通りの朝。
……こういう時は、いつも通りの朝が来る事がちょっと憎くなる。雨でも降っててくれ、みたいな。
「まあ、のんびりもしていられないんだけど……」
流石に、四六時中ワーウルフ達に狙われる可能性があると言われれば、もうこの場所には居られなかった。
だからこれから寝床に戻って、準備を整えて、ここを去る。今日中に。
ワーウルフ達が僕達の寝床から何も盗っていない事を祈りながら。
焼け焦げた地面、延焼を防ぐ為に切り倒された木々。
ワイバーンの死体は、もう解体されていた。鎧は当然の如くに持ち去られ、役に立つような皮翼や牙とかは全て剥ぎ取られて、見るも無残な形に成り果てていた。
「きっと僕達も、負けたらこうなる」
ソロシーがさらっとそんな事を言う。
「僕だって負けてたら、多分首を腐るまで晒されていたんだろうなあ」
ーーそんな事言わないで欲しい。気分が悪くなる。
「あ、ごめん」
ソロシーは、やっぱり少し感覚が狂っているように思える。無意識の内に、自分の命を無碍にしようとしている時があるというか。
生きる意志も、私より強いのに。
多分……狩りとかじゃない、もっとドロドロとした、このワイバーンのような死に様を見てきたんだろう。
ーーさっさと行こう。
「そうだね」
私は一言も声を発していないのにソロシーと意思疎通をしているのに、相変わらずヒマワリは奇異の目で見てくる。
ワーウルフが近くに居ない事を確認してから、昨日うやむやのまましていなかった、ヒマワリの後ろ足を小川で洗う。
こびりついた血肉を丁寧に落として、それから鬣と尾毛もちゃんと梳いてやる。今日で一旦最後になるかもしれないから、丹念に、何度もその毒を水で洗い流しながら。
「こんな感じかな」
そう言って終わった事を体で示せば、風下に歩いて、体を震わせた。
「ブルルッ」
心地良さそうにしながら、黒い靄が更に風下へと流れていく。
……色々あったけど、ヒマワリが居なかったら僕達は二回は死んでいたんだよなあ。
ーー私にも。
振り返れば、アコニが僕を物欲し気な、そして半ば恨めし気な目で見ていた。
「あ、はいはい」
すっ、すっ。
母に毛繕いをして貰っていた時や、私自身で出来る部分の毛を整えたりだとか、そういうのとは別の心地良さ。
「ウルル……」
思わず声が出てしまう程に。
私だけじゃどうしようもない背中の毛も、その櫛で梳かれて整えられていく。その後に風を浴びると何とも言えない心地よさに包まれる。
初めて梳かれた時は、正直なところ、母の毛繕いが手を抜いているようにしか思えなくなってしまった位だったし。
すっ、すっ。ぶちっ。
「ギャッ」
「あっ、ごめん」
ーー……ヒマワリの後でちょっと雑になってないか?
「ごめんって」
……かと言って、私から返せるものも余り無いのだけれど。
すっ、すっ。
あー……でも気持ち良い。
「ノミ見っけ」
えっ。
一応また警戒しながら寝床まで戻って来れば、意外と誰も荒らしたような痕跡はなかった。
火消しに尽力してて見つけられなかったのか、ワイバーンから鎧やら翼やらを剥ぎ取るのを優先したのか。
いや、多分、最初に騎士と僕の寝床に入った時に、めぼしいものは大体盗ったと思い込んでいるんだろう。腹が立つけど、幸いではある。
「良かった、鍋もあった。これが無かったら本当に困ったものだったよ……」
荷物を纏め始める。
ただ、そんな多くは持っていけない。たっぷり作った保存食も、罠も、大半を捨てていく事になる。
保存食をアコニにもヒマワリにも分けながら、ロープやら、ナイフやらいつでも役に立ちそうなものを選別して。
ヒマワリも、何となくいつもと違う事に気付いているようだった。
「うんしょっ」
ソロシーが荷物を纏め終える。
私の荷物入れもトケイとゲームする為の木のナイフなどは一切取り除かれ、殺傷力のあるナイフや鉈ばかりが入れられた。それから携帯食料と、水筒も何本か。
ソロシーも纏めた荷物を背負って立ち上がる。
ーーヒマワリには荷物を持たせないのか?
ーーうん。一緒に来るか、怪しいし。
近くに居るのに、直接声を返して来なかった。
ーーそうか?
ーーだって……僕達が交わってるの嫌がってるし。
ーー……そりゃそうか。
納得。
もしトケイが付いてくるなら、そこ辺りは見て見ぬ振りをしてくれそうだけれど、ヒマワリはどうにもイライラしっぱなしになりそうだし。
「それで、最後に寄りたい場所があるんだけど、良いかな?」
ーー……別れを告げに?
「うん」
ワーウルフは、ワイバーンと人間から剥ぎ取った物を加工したり、トケイさんの弔いをしているのかもしれない。
風向きが変わっても、痕跡を注意深く探しても、近くに居るような気配はアコニにも全く感じられなかった。
墓には、特に何の変わりもない。運良く燃えてもいなかった。
「……」
騎士を喪って、アコニが母親を喪って。そしてアコニと出会って、丁度一年か、もうちょっと。その位。
暦は失った。でも、大した事じゃない。
手を合わせて、目を閉じる。
「……まだまだ不安だと思うし、僕自身もそう思うんだけれど。
アコニの近くに居ればこの剣を振るえるようにもなったし、生きる術も結構身につけたんだ。
でも、ちょっと訳あって、ここを離れるね。
いつか帰っては来ようと思うけれど、かなり長い期間だと思う。でも……ちゃんと帰ってくるから、待っていて欲しいんだ」
それから振り返って、一応辺りを見回しているアコニに聞いた。
「アコニも、何かする?」
「グゥ」
「じゃあ」
僕は弓を手に取った。……それからトケイさんの槍も。
……。
私達の身に祝福というものが発生してから初めて弔いに行った時。
何故、死んだ者に対してここまでするのか? とソロシーに聞いた。
ソロシーは少し考えてから、言った。
『結局のところね、死んだ後、どうなるかなんて誰も知らないんだけどね。
仮にでもそうだって信じておかなきゃ、人には耐えられない部分があるんだ。
それに……どうなるのか分からないなら、良い風に信じておく方がお得でしょ』
母は今、どこに居るのだろう。分からないけれど、ソロシーの騎士と共に私達を死後の世界から見守っているとか、そんな風に信じておいても損はない。
最初に弔った時も、自然とそうしていたし。
……母。ソロシーの騎士と何があったのか、私は知らない。けれど、互いに私とソロシーを守ろうとしていたのだけははっきりと分かる。だから、こうしてソロシーと生きていく事も許して欲しい。
……許して欲しいとか思いながらも、もう、何度も交わっているんだけど。うん。
じゃあ、うん。とにかく。
多分、戻ってくるとしてもかなり後になると思うけれど、その時には母と同じくらいにはなっているだろうから。楽しみに待っていて欲しい。
振り返れば、ソロシーはワーウルフの集落があるであろう方にトケイの槍を向けていた。
弔いも出来ない代わりの、ソロシーなりの感謝と、別れなのだろう。
「……グゥ」
「あ、終わった?
……じゃあ、ヒマワリはどうする?」
ソロシーはヒマワリと顔を合わせて、聞いた。
いつもと違う大荷物。それに対して付いてきたヒマワリ。
やっぱり、ここからどこかに行こうとしている事に気付いている。
僕がトケイさんの槍をしまって声を掛けると、ヒマワリは大木の側、少し土が盛り上がっている場所、アコニの母と僕の騎士が埋められている土の上で、腰を降ろした。
まるで、墓守をするように。
「ここに留まるの?」
「ブルルルッ」
行くならさっさと行け、と言うようにヒマワリは首を振った。
……正直なところ、ヒマワリが居なくなる事には不安もかなりある。
ヒマワリが居なかったら、もう、とうに僕達は死んでいるだろうから。ワイバーンに対しても、勝てていたか怪しいから。
けれど……多分、言葉を分かるようになっていたとしても、ヒマワリは同じ選択をしただろう。
僕とアコニは交わった。その結果、祝福が付いた。それ自体がどういう事が理解していなくても、僕とアコニが声も介さずに意思疎通していたりだとか、そういう事には何か理解出来ないような目で見てくる事もあった。
ヒマワリにとって、僕とアコニはもう、理解出来ない関係になっていた。
トケイさんも付いて行くとかだったらともかく。そんな僕達にヒマワリだけで付いていくのは、とても居心地が悪いだろう。
「……今まで、ありがとうございました」
色々あったけど。
「グゥ」
アコニも、付いて行かない事を理解して、頭を下げる。
「じゃあ……行こうか」
ーーどこに?
「北に。確か、この森伝いに行けば、大きな山があるんだ。高山に咲くアコニウムって花、見に行かない?」
「グゥ」
ーー良いね。
*
歩き始める。
振り向くと、ヒマワリが立ち上がって物惜しげにこっちを見ていた。
「またいつか、帰ってくるから!」
ソロシーが言った。すると、ヒマワリはどこかへと歩き去って行った。
程なくして、アコニの縄張りを越えた。
ここから先は、誰がどれだけ居るのかも分からない。
騎士も、トケイさんも居ない。ヒマワリも。
正真正銘、僕とアコニだけの旅が始まる。
少しばかり緊張する僕に、アコニが伝えてきた。
ーー私の毒牙は、トケイすら恐れ慄くものだから。大丈夫、大丈夫。
「……うん、そうだね」
そう言えば、トケイさんはアコニに触る事あったっけ?
聞いてみれば、無かった。
日が少しずつ傾いてくる。
「今日は、この位にしない?」
ーーもう?
「決まった寝床で寝るなんて、もう暫く無いだろうからさ。
まずはちゃんと、新しいこの生活に体を慣れさせていこう?」
ーーそれもそうか。
休むのにいい場所を探して荷物を下ろすと、意外と肩が凝っていた。祝福で体は強化されていたけれど、それでも重い事には変わりないみたいだ。
周りの警戒をしながら罠を張って戻る。それから火を起こして、明るい内にご飯を食べる。
今日は狩りはせず、多めの保存食を少し食べてしまう事にした。
貴重な水も少しばかり飲んで。
昨日の疲れまだが残ってるのか、それとも今日、重い荷物を背負って歩き続けたのか。
食べ終えるともう、少し眠くなってきていた。
目を細くしはじめたソロシーの隣に、私は座り直した。
「……水、貴重だからなあ」
……そういうつもりではなかったのだけれど。
それでも、私は返した。
ーーこの季節、獣だって幾らでも居るし、果物もそこらで成ってるだろう。
「……それもそうだね」
全く。
でも、悪い気分じゃない。全く。
侘しい仔竜と逃亡王子 マームル @ma-muru
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。侘しい仔竜と逃亡王子の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます