それでも手紙は

服部ユタカ

それでも手紙は

 暁の青みを帯びた雪原の上空を、無人輸送機が征く。


 高速航行にも関わらず、柔らかくひゅるひゅると風を切る回転羽根はやがて晴天の下に到達する。


 積載物は植物の種子と加工された肉製品が主で、南方離れた地域にある単独生活用コアから送られたものだ。遺伝情報の共有化を旨とした交換の数は、目的地とだけですでに二桁から三桁台へと移ろうとする頃であった。


 北方コアにはただのひとりの青年がいた。管理者でしかない彼は、本来的に識別番号のみの名ではあったが、自身で旧世代の映像作品からとってトミーと名乗っていた。


 無人輸送機がカメラで認識した半径五百メートルの半球形コア。その南側にある接続ハッチへ接近すると、双方からダクトが伸びて繋がる。これから、積荷は内部へ自動搬入され、三種の除染ののちにトミーの元へと届く。


 トミーは浅黒い肌のアジア人だ。背はひょろりと高く、四肢など針金のようでさえある。彼は輸送機の接近信号に際し、コアの中心から降りられる地下、安楽室にいた。ダクトを経由して訪れる外的危機から身を守るためだ。


 ソファに浅く腰掛けたトミーが搬入完了サインを壁のランプで認めると、少年のように顔を輝かせて地上階へ、さらに二階部分へと駆け上がる。


 過剰運動確認、冷静に行動を、との警告。管理者もまた管理される世界にあって、彼はその電子音声を消音した。それだけ、彼にとっては待ちわびた荷物だった。


 東南に位置するコアでは機械制御でまかなえない土壌と気温により、甘味となる果実が生産されている。この荷には遺伝情報共有の目的外となる、嗜好品の類ともなる余剰物資はもちろん、彼の待ち望んでいたものが同梱されていた。これが彼の足取りを軽くさせた。


 梱包材は三重で、薄い鉛板、絶縁ビニル、密閉コンテナから成る。手順通りトミーがそれぞれを丁重に外し、再利用のために管理ボックスへと収めると、それぞれを端末にチェックしていった。だが、彼は指先で操作するとき、五度も間違えた。燻製肉など在庫リストとの出納が合わなくなりビープ音が鳴るほどだ。


 仕分けが終わると、彼はついに薄いファイルを一枚の花弁とともに発見する。それらは、穀物袋の間に挟まっていた。


 トミーが慎重にファイルを持ち上げ、花弁の色を照明に透かして嘆息する。やわらかな紅は、生命力をまだ保っている。


 彼は気に入りの、三階層にあるワンシーターに腰掛ける。今度は、深く背もたれに体を預けて。ファイルから紙片を二枚ゆっくりと抜き取り、黙読して噛み締めると、上端に目を戻して音読する。


「やあ、トミー。元気にしているかい。こちらはまた高波が来て水没してしまった土地があるんだ。海抜が上がり続けているということは、どうもまた気温が上昇傾向にあるようだ。それでも、僕らには関係がないことだけど。だって、そうだろ?

 僕は今年、君は再来年に引退だ。できることを確実にするだけさ。次の管理者が音をあげるとしたら、それは彼らの問題だしね。それより、教えてもらった映画の解釈だけど、僕は少し違うと思うんだ。それは次の手紙に書いてある。それじゃあ、今回はここらで。

 君からの手紙を楽しみにしているよ。友愛を込めて、南の海を臨むコアより。 ──ダグ」


 流暢に読みあげたトミーがにやりとしてから、二枚目の手紙に目を向けて、それは違うぞダグ、とひとり言を繰り返した。とても、とても嬉しそうに。繰り返し、繰り返し。



 ふたりが文通を始めたのはつい半年前のことだ。はじまりはトミーが起こした些細な荷物の管理ミスによるもので、分散保管する必要のない動物遺伝子を南方に送ってしまったことだった。もちろん遺伝資源は重要であるが、それ以上に旧世代のように「あるべきではない場所」に動物を置かないと決めた世界的なシステムに従うと、郵送してはならないものだった。


 ダグは他の生物種の遺伝子検知により、積荷の一割を廃棄せねばならなかった。汚染との区別が不可能なためである。これにより、ダグは生まれて初めて自発的に文字を書いた。教育プログラムにより共通語の書取りは行ってきたが、自ら意味のある文章を求める必要がなかったのだ。


 書きあぐねたダグはひとまず、苦情を真っ直ぐに伝え、加えて名前を問うた。お互いに当時は名を持たなかったのだ。


 ひどく整った文字に表れた性格は、文章にも伴っていた。すなわち、トミーの非を認めさせるに十分な静かな圧力。これを受けてミスを棚上げにした彼が急ぎ用意した補充物資に添付した手紙には、短い謝罪と自身が名乗らぬ非礼を糾弾する長い文言、それにとってつけた名前が記載されていた。


 手紙の往復は、こうしてはじまった。


 ダグは若いアングロサクソン系の女性である。ただ、告げる理由もないために、また、一人称に区別のない共通語のために、性別を伝えることはなかった。北方からの輸送機が訪れる日、彼女は早朝のシャワーを済ませて栗毛の長髪を乾かしていた。


 その日は輸送機の到着にやや不安のある荒れた空が、東から黒々とした重金属雲を運んでいた。輸送機は大まかな座標に向かって飛び続け、コアの周辺電波を拾ってようやく細かな接近を目指す。中継基地から方位と距離をプログラムされていようが、正確な位置を示す人工衛星はもはや機能していない。なればこそ、このような空の下には不穏さが漂うのだった。


 とはいえ、ダグは十分な覚醒状態でも眠そうなまぶたを窓の外に向けてから、視線をゆるりと切った。三階に用意された遊戯盤へ向かうと、白と黒の盤上に駒を並べてから専門人工知能を相手に対戦を始める。彼女にとってはこれが一番落ち着く時間のようだった。先を読むこと、切り捨てる手を打つこと、裏をかくこと。そういった読み合いが人間相手ならばどれだけ難しいかはいつの世も議論の槍玉に挙げられるが、果たして、彼女にとってはどうなのだろう。


 輸送機はその頃、電波障害の中で最終手段の赤外線通信を試みていた。受光部のついた、コアを囲うアンテナが信号を拾えば応答し、反応速度から彼我の距離が計算される。半径五キロメートル圏内には、そうした指針となる仕組みがある。ただ、この日はそれすらも難航した。


 雨天では多くの事柄がうまくいかない。とりわけ、動植物を全て拒絶するような惑星であるから、風雨だけがその例外というわけにはいかないものだが。再度地球が地球であるといえるような豊かな環境になるまで、人は道を歩けず、当然輸送機も真っ直ぐ目的地へと向かうことができない。それに、いつしか人間は他国を恐れて国交を絶ってしまったからこそ、道と呼べるものはもはや存在しない。


 国際的分断の以前に、内部ですら対立が起こっていたのだから、さもありなんといったところだった。思想の統一を目指す者たちへの反発がゆえに「多様性」との言葉が叫ばれ、それ自体がむしろ「相手を自分の色に染めてやろう」という捻じ曲がった目的に用いられることが増えてしまった。


 差異を認めること。これを強要する思考が、さらに別の反発を産む。すると、言葉ではなく暴力が横行し、人口は爆発的に増えた後、壊滅的に減少していったのだった。いまでは、保存された遺伝情報にのみ、多様性は残されている。尊重し合うには数が増えすぎた人類は、ただ、戦争の傷痕を機械治療に任せて眠るのみとなった。


 風雨が強い。煽られた輸送機は進路であると計算上では示されていた軌道を大きく外れて、むしろ目的地へと近づいていく。すると、ようやく赤外線通信が行き来した。


 動物的な直感による動きができるほどに、機械単独の技術は完全なものに成熟しなかった。そういった文明へ割かれるはずであったリソースは種の保存のために用いられ、あるいは、除染技術へ注がれたために。


 ダグが相手の黒い駒を自分の白い駒でぱたりと横倒しにした。ちょうど、輸送機接近のランプが点灯した。彼女は規定のルールに従って、最深部へと降りる。積荷の搬入が済むまで、概算で二時間はかかる。旧世代の映画を見繕い、観賞し終えるのにちょうどいい。


 この時、彼女が選んだのは以前トミーが観るべきだと教えてくれたデータだ。表面上は感情的で俗っぽくもあるが、要所が複雑で静かな作品は、どうも彼女の好みと共通するところがあったらしい。とても旧い映画であったが、データ上に管理されているタイトルは指先ですぐに呼び出すことができる。ダグはソファに深く腰掛けて、読み込み中に水をグラスに注いでから、不器用に口の端を上げた。投影された画面に、ライオンが吼える。


 三時間後、ダグが見つけた手紙の言葉は荒々しい字で、スペルミスの目立つものだ。それがむしろトミーの人間性を表しているともいえた。ダグは一度黙って通読し、意味の通るようにスペルを青いペンで修正すると、音読する。


「元気か、ダグ。こっちは冷えて冷えて仕方ないんだ。そうじゃない日があればいいんだが、俺らは極所管理者だから、暑いか寒いかしかないんだよな。まったく、いったい全体どうして人間ってやつは仕方ないことをするんだ。もちろん、俺ら以外のハナシ。

 引退の話があったけど、やめようぜ。どうも先の話は苦手でよ。何をしてもどうしようもないって気分になる。大事なのはいまだ、いま! さっき送ってもらったヤシの実をいくつかの料理に使ったんだ! あれは慣れたらとても美味かった! そういう話をしたい!

 それとも今回もあの映画についての意見の相違について語ろうか? お前の意見はもっともだ。十五分二十八秒からのシーンはとても悲痛なメッセージにも取れるけど、俺はそれだけじゃないと思う。否定はしないが、とことんぶつけ合うことは有意義だ。

 感じ方が違うから面白い。だろ? 人間性の違いについては別紙に。と思ったけど品評についてのみ。長いし。そういや高波は心配だな。でも言いたいことはさっき書いた。じゃあな、いまを楽しもうぜ。クソ寒い山の中腹から、クソ暑い海辺へ。 ──トミー」


 まったく、とダグは言いつつ、手紙を丁寧に折りたたむ。二枚目の紙片はベッドサイドに運び、一枚目は最深部の映画鑑賞ソファの横、テーブルに置いた。整然と並んだ手紙たちは、劣化する要素の少ない環境下で、折り目が弱っている。


 ダグはそれから日中、三階の窓辺から荒れている海を見据えた。そして、少し何かを思い出してから吹き出し、ひとつだけ、愉快なやつだね、と言った。



 無人輸送機が空を征く。北から南へ。南から北へ。時折中継基地で自動メンテナンスを受け、また同様の航路を取った。


 その往路では遺伝子異常により生まれた生物が輸送機を仰ぎ、復路では同種の生物に襲われていた。


 ある時は、北の雪崩でコアが三日間埋まり、放熱でハッチが露出するまで延々周辺を旋回した。またある時は、南の津波でアンテナが倒壊し、一週間復旧まで基地に停泊せざるを得なくなったこともあった。


 他愛のない言葉は行き来し、皮肉めいた軽い冗談は翻り、友情の温度が交換され、不出来な詩が舞う。こうしたやりとりは最短で二週間に一度行われた。それ以上の頻度は、おそらく彼らにとっては過剰だった。


 手紙の到着を待ち望むトミーは、ダグの引退の日に向けて気の利いた台詞を練った。無駄になった紙片を再利用機械に放り込む数が二桁に到達した頃、思い直した表情でいつも以上に短い言葉を綴って積荷に挟んだ。


 ダグはその日、引退することがわかっていたからこそ、二重にした密閉コンテナの中に手紙を入れたものとともに冷凍睡眠装置のそばにいた。次の管理者が、またはその次の管理者が、正しく人類に適した惑星を確認し、覚醒させるまでは肉体と共に凍結させるために。


 彼女は、最後の手紙が活動期限内に届くのかは問題ではない、という風な顔をしていた。いつものように少し眠たげな目元を窓の外に向けることは少ない。これまでの着荷目標日にそうするより、ずっと。


 装置に入るよう促す電子音声がする。ダグはひとつだけ窓から空を見た。珍しく雲がない。この彩りを、陽光の眩しさを留めておくためか、彼女はペンと紙片を手にした。そして、置いた。


 冷凍睡眠装置が起動する。ダグは識別番号の印字されたカプセルの中で、まぶたを閉じる。彼女の脳波が停止すると、次の管理者の蘇生が始まった。同時に、無人輸送機接近のランプ。


 名もなき管理者は伸びをしてから、さっそく命じられたタスクに向かっていった。そして、荷物を紐解く中で紙片を見つける。管理者は不審な物質を排除しなければならない。だが、彼女はおもむろにそれを読み上げていた。


「俺は北のコアに住むトミーって管理者だ。よろしく。もし名前が必要ならダグって名乗ればいい。俺の最高のダチの名前なんだよ」


 栗毛の長髪を耳にかけると、眠たげなまぶたを少し開いた管理者が少しだけ、ほんの少しだけ、口の端を上げた。それはとても不器用な表情の作り方だった。


 彼女は、愉快なやつだね、と言った。



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