02 好かれるまで
「…………」
落田静が外に出向く理由は、主に二つある。
一つは、日も暮れた夜の時間、ふと食べたいものがある時に向かう買い物。昔は日中帯に行く時もあったが、知人と出会った事が軽いトラウマとなり今は行っていない。
(ここを曲げって、それから……)
そしてもう一つは、たまにある通信教育の兼ね合いで向かわないといけない学校。これが最悪だった。どうして人と会いたくないからと入学したのに、時折とはいえ校舎へと足を運ばなければならないのか。
語りたい愚痴等は沢山あったものの、落田にとってそれを打ち明ける人物など存在しない。つい最近5歳になったばかりの妹に話したこともあったが、自分の満足いく対話など出来るわけがないと気づいて止めた。
「…………久しぶりだね、おじさん」
――だから、ここに来ることを新しい理由にした。
あの日、あの場所で出会った加賀という人物の元へ。
「また来たのか……あと俺はまだ二十代っつっただろ、クソガキめ」
二人がこうして顔を合わせるのはこれで四度目になる。会う時間は常に太陽が落ち切った時間帯で、落田が向かえば加賀は毎回煙草を吸って空を仰いでいた。
しかし、特段仲が深まっているかと言われれば答えはNOである。何故ならば彼女たちは会話らしい会話をするために出会っているわけではないためだ。
「おじさんも、私に会うためにここで吸ってるんでしょ」
「そんなわけねぇだろ。俺は星を見るのが好きなだけだ」
強いて言う変化は、落田から加賀への態度の軟化。これは加賀の性格上“敬語”を使われることへの嫌悪感と、落田の数少ない話しを聞いてくれる人物という結果から生まれた作用だった。
今日も彼女は民家の塀に寄り掛かり、斜め上から漂う煙草の臭いを感じて微笑む。妹が生まれる前に父親が吸っていた時のことを思い出したために、嫌悪感は最初からない。
「……で、お前が来たってことは何か話したいことがあるんだろ」
ため息を吐きながら視界を下に降ろし、揺れるつむじ頭を見る。加賀にとって、彼女が何者なのかを自分で知るつもりは無かった。
時間が時間だけに通報の危険性はあれど、それを度外視すればいい暇つぶし相手になる。ただ、その感情だけと思っていたが。
「今日、久しぶりに登校したんだけどね……そこで色々あってさ」
「へぇ」
最初に会って別れた時から、不思議と気になる存在になってしまっていた。それを落田本人に教える気はない。が、既にそれを勘付かれている気もして口を尖らせる。
落田から語られるその日のエピソードに、ただただ相槌だけを打って少し経つ頃。気づけば煙草の火は消え、服の隙間に入ってくる冷たい風にクシャミが出そうで鼻頭を押さえる。加賀のそんな行動に察したのかは分からないが、落田は自分の話を止めた。
「思ったより、長く話したかも」
「俺ぁ結構前から感じてたよ。
今までで一番遅い時間だってさ」
「そっか……じゃあ、もう帰ろうかな」
二人の周りに時計が無いため、正確な時間は分からない。が、過去の傾向と落田が来る前の時間から逆算すれば今は深夜の1時程度だろうか。
あまりにも暗い、外の世界。まだ少女と称される年齢の彼女を一人帰らせるのは、どう考えても得策ではないだろう。ならば、自分が家まで送らないと。
初対面の時から舐められた口を聞かれてはいるが、こういう時に行動するのが少しでも出来る行いである。
「あー、流石に家まで一緒に行ってやるよ」
「とか言って、私の家を知りたいだけでしょ」
与えられた優しさを素直に受け取らないことは、もう何度か経験済みだった。加賀にとって唯一本当の「ありがとう」が聞けたのは最初に絆創膏を渡した時限りか。
「お前なぁ……」
そう呟いて玄関に至るまでの門に歩みを進めていると、そういえば彼女の前で全身を見せるのは初めてということに気づく。
特段おかしい姿ではないけれど、そういえば“これ”を見せればどんな反応をするだろうか?
「私の家、結構遠いけど大丈――……!」
落田の視界に入ったのは、出会ってから初めて見る加賀の全身。どう考えても寒い黒のタンクトップから下に目を向ければ、右足には大きな大きな傷跡があった。
「リアクションが悪いぜ……可愛くないやつだ」
チカチカと電灯が消えかかる。落田にとって、この傷跡を見ても“可哀想”なんて感情が湧くことは無い。それよか、何故こんな冬も近い11月に膝上のショートパンツなんか履いてるのかという方向に意識は向いている。
「車乗せるからついてこい」
「…………」
が、何故この怪我をした理由は気になる。喧嘩? 事故? これまで落田自身の境遇や身の上話をすることはあれど、加賀本人が語ることは一度たりともなかった。
煙草が好きで、強面で、実は二十代で――こんな自分の話をただ聞いてくれる男が怪我をした原因。
「……おじさんは――「はよ乗れクソガキ。あと場所教えろ」……ん」
周りの民家から灯る数少ない光と電灯を頼りに、足早に歩く加賀を追って考えた。家の裏にあるガレージまで辿り着き、助手席に乗るよう促された落田は質問する間もなく睨みを利かされ従うしかない。
車には詳しくないが、思ったよりも広く、とても綺麗な内装だった。見た目は暗く不鮮明だったものの、中の事を考えればきっと汚れなんて付いていないだろう。
「――んで、俺が遮った話題はなんだよ?」
ただただ無言のドライブ、それも絶景なんかどこにもない住宅街をバックにする微妙な時間。それが十分程続いたころ、加賀はふいに問いかけた。
「…………おじさんは」
「人を、本気で嫌いになった経験はある?」
怪我の理由を聞かなかったのは、今じゃないと頭で判断したから。恐らく答えてはくれるだろうけど、きっと、自分が聞くよりも加賀が言ってくれる時が来ると予感したため。
「……まあそりゃ、人間ってのは好き嫌いあるもんだろ」
「そっか」
予想していた回答が返ってきて、どこか安心する。もしもこの男の口から“無い”と帰ってきた暁には、嫉妬にも似た気持ちの悪い感情をぶつける可能性があったかもしれない。
「でも」
「それ以上に“好き”な奴ってのは沢山いるもんだ」
一拍置いた加賀は、ぽつりとつぶやく。その言葉は落田に対しての言葉というよりも、まるで自分に言い聞かせているようだった。
落田はその“好き”という感情を理解していたが、それを体験したことはない。元より自分のような外面は良くて中身の悪い女を好む者など存在しないと知っていたからだ。
加賀の怪我をした足を見て、自分でも気づかない微笑を浮かべていた自分など。
「少なくとも、俺はお前を嫌ってねーが」
「…………え?」
再びぽつりと呟かれた言葉が耳に入ってくると同時に、今まで聞こえていたエンジン音はピタリと止まる。横目で外の景色を見れば、自分が住んでいるマンションのすぐ近くまで到着していたようだ。
「ほら降りろ。もし誰かに見られたら俺がヤバい……って前も言ったなこれ」
ハンドルに顎を乗せ、これから一人になる事を理由に煙草を口に加えて助手席のロックを外す。どうやら、先ほど聞こえた“呟き”に対しての突っ込みは無しのようである。
「落田」
「?」
「……落田、静。
一応教えておくよ、私の名前」
そう言い残し、助手席から降りた落田は丁寧に一礼してマンションの中へ入っていった。珍しく礼儀正しいことに少しの驚きを感じながら、窓を開けて煙草を吹かす。
「お前の呼び名は変わらずクソガキだよ、バカ」
誰もいない助手席に目を向け、消えそうなくらい小さな声で言い放つ。それは、仮に落田が居ても聞こえなかったくらいに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます