04 好かれるために
彼の家で、一緒に焼肉を食べたあの日から。
彼のベッドで、暖かさに包まれたまま寝た日から。
同じ毛布に入るのはどうなのかという気遣いで、ソファーに寝ていた彼。
自分の過去を洗いざらい話して、だけど顔色変えずに聞いてくれた彼。
落田静の日常は、ほんの少しづつ変わり始めていた。
――もう少しで、桜が咲く。
――――――――――――――――――――
「おじさんの車に乗るのも、すっかり慣れたね」
助手席に座ってそう呟く姿を横目で見れば、いつもより若干ラフな格好をした落田がいる。目的の場所にたどり着けば虫刺され用のスプレーを使うとはいえ、半ズボンは如何なものか。
「……お前におじさんって言われるのも慣れたよ、俺は」
ため息を吐きながら高速道路を進んで暫くが経つ。度々挟まる落田の話に耳を傾けていると、一時間以上の運転も苦にはならない気がした。
カーナビに映る時刻は20時を過ぎ、出発当時は明るかった外も今は薄暗い。ガードレールに一定間隔で設置されている赤のライトを視界に納めながら、法定速度を守って車を走らせてる。
「このままどこかに連れ去られたりして」
落田は窓の外を見つめて呟く。か弱い少女を助手席に乗せ、筋肉質な成人男性が車を運転している状況は、一見すると“そう捉えられても”おかしくないかもしれない。
「んなわけあるか」と言い返す加賀に微笑んだ。だって、それでも良かったから。落田にとって、このまま未成年を誘拐して犯人となる加賀と共に逃避行をしても良いとさえ思う程に。
「――今日、久しぶりに小学校の同級生と会ったよ」
「へぇ」
二人だけでいい。自分たちが行った行動が、結果的に他者を傷つけていたとしても、構わないと言い切れる。数年前から心の奥底に蠢いていた思想は、加賀と出会い、親しくなったからこそより膨れ上がる結果となってしまっていた。
「おじさんが最近「練習だ!」とか言って色んな所に一人で行かせるときにね。
……私をいじめてた女と、ばったりそこで会った」
悪い事をする奴は嫌いで、それを見て見ぬふりする奴も大嫌いだ。公園で見かけたあの女は後者だった。普段は真面目で学級委員に選ばれていたくせに、先生と一緒で“いじめ”を止めたことなど一度も無い。
「そりゃ、良かったな」
「!」
加賀の口から出た一言は、まるで全てをお見通しかのような喜びの言葉。表情に出てしまっていたのか、それとも言葉尻が高くなっていたか。
―――――――――――――――――――――――――
『あの時は本当にごめんなさい! わたし、落田さんの事ずっと見てるだけで……』
『もしも、もしも許してくれるなら……これから仲良くしてくれませんか?』
―――――――――――――――――――――――――
「初めての友達が出来てよ」
落田は人の温もりを知らなかった。学校でも、家でも、自分に向けられる暖かさなどない。少しやんちゃなクラスメイトが、物心つき始めた妹が、いつだって全てを落田から引き離していた。――少し前までは。
「……うん」
ガタン、と大きく車体が揺れる。どうやら山道に入っていたようだ。
「――この山は知人の所有物で、俺は特別に入る事を許可されてる」
窓を大きく開け、右手に携えた煙草をいつもの如く吹かしながら舗装が行き届いていない道を進む。恐らく大丈夫だろうと分かってはいるものの、恐怖という感情が少しだけ落田を襲う。
「おいおい、普段から夜中に帰ってるクソガキがビビってんのかよ」
「そんな訳ないでしょ。おじさんの運転が下手だから心配なだけ」
が、加賀とくだらない言い合いをすれば恐怖なんてどこかへ吹き飛ぶ。初めて会った時から、やけに話しやすい相手だった。
そのままずんずんと進み、もう少しで頂上にたどり着く地点で車を停める。「ここから歩きで」とだけ伝えると、乱雑に虫避けスプレーを噴射して先へ歩みを進めていった。
「……ここは」
落田の視界に広がったのは、満天の星空。普段ならば遮ってくる屋根も街灯も雲もない。人生で初めてみたその光景に、口を開けたまま眺める事しかできなかった。
間抜けた姿に加賀からバカにされるかもしれない。そう思って我を取り戻し、ふと横を見れば、加賀も無言で空を見上げていた。
(そういえば、星を見るのが好きって言ってたっけ)
普段からは想像もできない穏やかな目で上を向く加賀に、数か月前に聞いた覚えのある会話を思い出す。――ああ、そういえば。
「おじさんと初めて出会った時、私は“旅に出たい”と思ってた」
「!」
木々は少なくなり、崖に少しづつ近づけば加賀は焦るような表情を見せる。当然、死ぬつもりなんてない。ただもうちょっとだけ高い所で星を眺めたかった。その表情を見たいがために近づいたのも、少しはあったけど。
「――おじさんは、良い人ではないよ。
今日ここに連れてきたのだって、私じゃない誰かの虚像を追ってきたからだよね」
それが嬉しい事なのか悲しい事なのかは分からなかった。しかし、こうして崖の選択に近づけば近づくほどに加賀の顔は強張ってくる。
「やめろ。……それ以上はダメだ」
大きな腕で二の腕を掴まれた。痛みはない。あとも残っていない。残っているのはその温かみだけ。
「元より今日言うつもりだった。俺の、過去を」
「……あれは、俺が中学生の頃――
落田静は黙って聞き、そして知った。自分に良くしてくれる理由、右足の怪我跡、家に貼られていた二人の絵……その全てを。
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