03 好かれるとしても
落田静は夜が好きだ。――いや、正確には“昼が嫌い”と言う方が正しいかもしれない。
当然と言えば当然だが、夜間学校でも無い限り登校するのはいつも日中帯である。それ故、自分のトラウマを刺激するスイッチは昼に出会うことが良くあった。
あの授業参観も、季節は違えど今日のように太陽昇る暖かい日だったことを覚えている。
あれ以来塞ぎ込みがちな自分は、これからの将来を見据えるまでは暫く朝日が出ている時間帯でも外へ出るつもりは無かった。知り合いに会いたくないし、誰かが不幸な目に合っているところを見たくなかったから。
(人、いっぱい…………)
今の時間は昼の12時。平日ということもあり、自分と同じ中学生は基本的にこのスーパーで会うことは無い。が、その代わり大人は沢山いるため、落田の心持ちは変わることなかった。
では何故こんな場所に来たのか? 特に買いたい物があるわけでもなく、かといって気分転換のために足を運んだわけでもない。この行動は、加賀と誓った約束が全て。
「私の好きなジュースとお菓子と……イカのスルメ」
先日、もう何度目か忘れた会合の別れ際に渡された小さなメモを見て呟く。とても綺麗に書かれたその字に、どこかギャップを感じた。
「あの、その」
「? はい」
「和菓子とかって、どの辺りにありますか?」
親と、たまに会う先生と、そして加賀以外と話したのは一体いつ以来だろう。記憶が正しければそこまで過去の出来事という訳ではないが、自分から話しかけるという行動は小学生の頃にまで遡るかもしれない。
「和菓子ですね。こちらです」
別に、人と会話する事に恐怖も緊張も無い……と落田は思っている。加えて店員などは善悪に関係なく、ただ仕事としてこちらの質問などに答えてくれる存在。自分が聞けば、笑顔を振りまきながら該当する場所に案内した。
「……あ、ありがとうございます」
「いえいえ」
――とはいえ、久しぶりになる他人との会話は落田の心臓を大きく跳ね上がらせた。
店員の姿が見えなくなったのを確認した後、深く深呼吸をして“イカのスルメを”手にする。自分はここまで暗い人間になってしまったのか……という事を実感しながら、残りの買い物を進めていく。
「――以上五点で、780円になります」
加賀のメモに書かれていた内容物は三つだったが、落田はふいに自分が好きなお菓子を追加でもう一つカゴに入れていた。ということは、その分お金が掛かる訳である。
「…………1000円で」
ポケットから取り出した、少し皺のある千円札を渡してお会計を進める。このお札は、昨日の夜加賀から貰ったお金。流石に盗んだり嘘をつく事はしないが、約束よりも多めに買ってしまった時、彼は一体どんな表情をするだろう? 怒るだろうか? それが気になったために、お菓子を追加で買ったのだ。
(私にこんなことやらせたんだから、多めに買っても良いよね。お菓子)
自分の私利私欲のため、というのも少しはあるようだったが。
――――――――――――――――――――――――
――――――――――――
――――――
「さて、ちゃんと買ってきたのか確かめるとしよう」
落田静は夜が好きだ。理由を考えれば、それは“夜”という時間帯に不思議な魅力があるからだと答えることが出来る。しかし、最近それとは別に好きな理由が増えた。
「……お金は――「いや要らん。お駄賃ってことで」……そう」
ビニール袋を手渡された加賀は、中身をちらりと拝見してしっかり買っていることを確認する。暗がりで見えづらかったとはいえ、明るい色が施されているジュースとお菓子のお陰でそれが分かった。
「ん、思ってたより多めに買ったな?」
「そう、だけど。もしかして怒ってるかしら」
怒るかもしれない。という理由で買ったにしては、少し臆病な返し方だった。たかが数百円の違いと揶揄されたとしても、人から貸されたお金を無駄に使ったとなれば多少なりとも表情に出るのでは。
「まさか。クソガキらしくて可愛いじゃねーか」
そう考えた落田に反し、加賀は何も変わらず……いや、むしろ今までで一番の笑みを浮かべていた。一体何がそこまで嬉しそうなのかが彼女には分からず、困惑したままにビニール袋に入れていた小銭を受け取る。
「――そんで、だ。
お前の親は今日居ないんだよな? 家に」
打って変わって小さく囁いた加賀の言葉に、落田は首を縦に振る。そもそも、自分が真昼間にスーパーに出向かされたのはそれが原因だった。
昨日の夜、加賀に対し「明日は親と妹が旅行に行ってる」と不意に呟いたことで無理やり誓わされた約束。何故行かせるのかという訳を聞こうとしても、今は秘密と言われたことを覚えている。
「よし。じゃあ堂々とした感じで俺の家まで入ってこい」
「分かっ……え!?」
無論、今更それを嫌がるつもりはない。むしろ十回以上こうして会い、話しているにも関わらず今まで一度も見せなかった家の中が気になっていた所だった。とはいえ急に入れと伝えられれば、大きな声を出さずにはいられなかった。
三つからなる石段を登り、自分の背丈より当然高い玄関のドアを見上げて息を呑む。後ろには加賀が居て、鍵は開いてるから先に入れと急かされたために心の準備が出来ていない。
「お、お邪魔します」
落田にとって他人の家に邪魔する事など人生で数回しかない出来事だった。勿論その数回も小学生の頃まで遡るほどに昔のため、こうやって年上の男性が住む一軒家に足を踏み入れる行動は不思議などきどきを含んでいた。
(……以外に礼儀正しいな)
「そこまっすぐ進んで、右の部屋に行ってくれ」
恐る恐る奥に進んでいく落田自身ではなく、丁寧に揃えられた靴を見てひとり思う。彼女が不登校なのは知っているが、何故なのかという理由は知らないしこちらから聞くつもりは無い。しかし少なくとも、この年齢と立場では思っていたよりもしっかりとした面持ちと感じる。
(前見た時より、随分馴染んでやがる)
以前靴ずれが起きていたスニーカーを見て微笑んだ後、すでに部屋へ入っている彼女の元に向かった。
「……これって」
予想通りの反応をしてくれている落田の背を軽く叩くと、中央にある小さなテーブルを囲うように置かれている椅子に座れと促す。そのテーブルに置かれていた物は、とてもおいしそうな焼肉だった。
正直なところ、落田はこの部屋に来る前から肉が焼ける臭いは感じていた。だがまさか本当に鉄板が張られた焼肉セットを用意しているとは夢にも思わず、椅子に座ったは良いものの落ち着かない。
――ふと壁に掛かってある小さな額縁を見ると、そこには加賀に似た人物ともう一人小さな女の子が描かれた絵があった。あれは一体、誰なんだろう。
「やっぱ肉ってのは誰かと食わなきゃいけねーよな」
「ただ俺は肉奉行じゃないから、自分の分は自分で焼くんだぞ」
そう言いながらも、既に丁度良く焼かれていた数枚の豚肉を、落田の手元にある小皿に乗せていく。思わず涙が零れそうになるほどに、その時の顔は優しかった。
「……どうして」
落田が昼に買ったジュースとお菓子もテーブルに置き、次々に焼かれる肉と野菜を見て呟いた。
「ん?」
開封済みの容器を見れば賞味期限は明日まで。ということは、恐らく今日買った肉だ。最初から自分と食べるために、いや、それよりも。
「どうして、私に買わせたの?」
聞きたいのはそれじゃない。どうして“ここまでしてくれるのか”を聞きたいのに、何故か口から出てくる言葉は別だった。
「どうしてって……そりゃーお前“慣れ”だろ。慣れさせるため」
「お前、普段から外に出ないとか良く言ってたし」
言っている意味が良く分からなかった。確かに自分は不登校で殆ど家から出る事は無く、確かに今日スーパーで店員と会話した時もハマらないパズルのピースのように歪な緊張感はあった。しかし、それをわざわざ計画してくれたのは何故なのか。
「……それだけじゃ、分からない」
「あー?
いやだから、お前と出かけた時に困るだろうが。主に俺が」
「――っ!」
さも当然のように言い放つ加賀を見れば、既に用意してあったビールを勢いよく飲んでいた。この男にとって、落田の性格や気持ちなど関係ないのだ。そしてそれが、落田にとっては何よりも安心できる相手なのかもしれない。
「……ほら、まず一枚食え」
「…………」
しっかりと両手を合わせ、落田は肉を口に運ぶ。食べたのも久しぶりだったが、こうして誰かとご飯を食べる事が何よりも久しぶりで楽しい時間。だから、今ここで自分の全てを伝えたかった。
「……私ね、小学生の頃に――
ぽつりぽつりと語られる落田の話に、加賀は黙って耳を傾け続けた。
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