【短編・コミカライズ】婚約破棄した伯爵令嬢は幸せな宝石鑑定士になりました

和泉(ピッコマ連載中:真面目な悪役令嬢)

婚約破棄した伯爵令嬢は幸せな宝石鑑定士になりました

「さよなら」

 小さな声でつぶやいたミシェルの声は誰にも届く事はなかった。


 今日は学園の卒業記念パーティ。

 女生徒達の憧れは、婚約者のエスコートで参加し、ファーストダンスを踊る事。

 もちろん友人同士の参加も可能だ。


 婚約者であるフェラーズ伯爵家嫡男ラルフとの関係は普通に良好だと思っていた。


 30秒前までは。


 綺麗な水色のドレスの裾を持ち、ダンスを踊るかのように軽やかに向きを変えると、扉に向かって脇目も振らずにミシェルは歩いた。


 まだ泣いてはいけない。

 淑女は人前では泣かないのだ。


 艶々なストレートの黒髪が風になびき、さりげなく身につけた頭飾りのリボンが揺れる。

 クラスメイト数人とすれ違ったが挨拶する余裕も、微笑む余裕もない。


 ミシェルは会場から逃げるように消えた。



 今朝届いたラルフからの手紙。


『体調が悪くなった。

 卒業パーティに行けなくてすまない。


 1人では行かないように。

 他の男にエスコートさせないでくれ。

 本当にすまない』


 手紙は受け取ったが友人にどうしても会いたくて、ミシェルは1人で参加することを決めた。

 友人は卒業後に領地へ帰るためもう気軽に会えない。


 ドレスだって両親がせっかく準備してくれたし、着ないなんて勿体無い。

 ダンスは踊らず、少しだけ友人と話したら帰ろうと思っていたのに。



 ラルフと踊っていたのは友人だった。

 ミシェルが会いたかった、お別れを言おうと思っていた友人だ。


 楽しそうにワルツを踊る2人。

 見つめ合い、まるで恋人同士のようだ。


 体調不良は嘘。

 ラルフは私をパーティに参加させたくなかったから嘘の手紙を送ってきたということだろう。

 

 一生に一度の卒業パーティなのに。

 酷すぎる。


 友人とラルフが付き合っているなんて知らなかった。

 3人でいることは多かったが、私の友人だと思っていた。


 まさか私の方がオマケだったなんて。


 ミシェルは馬車に乗ると声を上げて泣いた。

 御者に聞かれても構わない。

 馬が驚いたって構わない。


 我慢したって仕方がない。


 私が踊るはずだったダンス。

 エスコートされるはずだったパーティ。

 結婚するはずだった婚約者。


 もし今日パーティに行かなかったら、何も知らないままラルフと結婚したのだろうか?


 泣きながら家に戻ると、母と姉が一生懸命慰めてくれた。

 怒った父はラルフの手紙を持ってフェラーズ伯爵邸へ。


 ラルフの帰りを待つことなく、あっさり婚約は破棄された。



「もー、お嫁に行けない」

 18歳。

 適齢期に婚約破棄になった訳あり令嬢だ。

 だからといってラルフと結婚するのはもっと無理。


 ミシェルはベッドに横になり溜息をついた。


 うちとラルフの領地は隣同士。

 同い年で、一緒に遊ぶうちにいつの間にか婚約者だった。


 特にラルフが好きだったということではなく、自然に『いつか結婚するのだろうな』と思っていた。

 ……私だけが。

 ミシェルは苦笑する。


 学園は卒業してしまったので行く必要がない。

 卒業後は結婚してラルフの手伝いをする予定だったので、仕事は探していなかった。


 つまり暇人。


 婚約破棄をしたので、もうラルフの手伝いはしなくて良い。

 いや、手伝いができない。


 ラルフの家、フェラーズ伯爵家はこの国で二番目に有名な宝石商だ。


 一番はウィルズ公爵家。

 ここは取り扱い商品が桁違いだと言われている。


 世界中からレアな宝石を取り寄せることができる信頼と実績。

 もちろん王室御用達。

 店は紹介状がないと入れないので、ミシェルは商品を見たこともない。


 ミシェルは子供の頃からキラキラ光る宝石を見るのが好きだった。

 フェラーズ伯爵家の工房によく出入りし、カラフルなたくさんの石をルーペで真剣に見る大人達に憧れた。


 あまりにも頻繁に出入りするので、いつのまにかラルフが好きだと勘違いされ婚約者にされたのだろう。


 たくさんの目利き職人に少しずつ教わり、今ではそれなりに鑑定できる。

 宝石にあまり興味のないラルフの代わりに2年ほど前から鑑定をしていたが。


 もう鑑定もできない。

 もう綺麗な宝石を見ることができない。


 ラルフと婚約破棄したことよりも、宝石に会えないことの方がショックかもしれない。


 ミシェルは今日何度目かの溜息をついた。


「あら、泣いてないじゃない」

 つまらないわと姉のロザリアが笑った。


 ノックもせず勝手に部屋へ入ってきた姉ロザリアは、1枚のチラシをミシェルの目の前に突き出す。


「面白そうじゃない?」

 目の前でピラピラされるチラシは近すぎて字が見えない。

 ミシェルはチラシを手に取ると目を見開いた。


『宝石鑑定に自信のある者。王太子妃に相応しい装飾品を選べ』


 年齢不問。

 性別問わず。

 資格不要。

 大会主催者が準備した数々の装飾品の中から王太子妃に相応しい最も価値が高い一品を選べ。


「……鑑定大会?」

 ミシェルが首を傾げた。


「王太子がね、妃殿下に贈り物をしようと思ったら大臣達がこぞって準備したんだって。どれがいいかわからないから鑑定させて大臣全員を納得させたいらしいわ」

 どれでも、何個でも、妃殿下が欲しいものをあげればいいのにね。と姉ロザリアは笑う。


「最高級の宝石がたくさん見られるわよ」

 興味あるでしょ?

 姉ロザリアは優しい瞳で微笑んだ。



「なんでお前が参加するんだ」

 2ヶ月ぶりに顔を合わせたラルフは眉間にシワを寄せた。


 裏切られたのは私の方なのに。

 なぜそっちが嫌な顔をするのだろうか。


 ミシェルはラルフを無視し、自分のために用意された11番の席に着いた。

 椅子の数が参加者だとすると、全部で13人。


「……鑑定士?」

 女の子が珍しいね。と見知らぬ青年がミシェルに話しかけた。


 背が高く、身なりが良い。

 身分が高い貴族の御子息様だろう。

 綺麗な金髪が眩しい。


「いえ、宝石が好きなだけで鑑定士ではないんです」

 ミシェルが申し訳なさそうに笑うと、青年はミシェルのネックレスを指差した。


「それ、自分で選んだ?」

「えっ? あ、はい。色が気に入って」

 小さな青い石のネックレス。

 小さすぎて石の価値はほとんどない。


 高価なネックレスを買って着飾るほど美人でもないし、贅沢できるほど裕福でもない。

 これは自分の小遣いを貯めて買った物だ。


 そういえば、ラルフの手伝いで鑑定をしていたがお給料をもらったことは一度もなかったな。

 もらったのはお菓子くらいだっただろうか。


「キレイだね」

「えっ?」

 予想外の言葉にミシェルは驚いた。


「似合っているよ」

 青年は優しい瞳で微笑むと6番の席に座る。


 この石を褒めてくれた人は初めてだ。

 それだけでも今日ここに来て良かった。


 ミシェルは少し心が温かくなった気がした。


 司会者が登場し、キラキラした装飾品が会場の中へ。

 指輪、ネックレス、ブレスレット、ブローチ、ティアラ。

 あれは何? という置物まで。

 大きさも色もバラバラな50点ほどの装飾品。


 すごい!

 早く近くで見たい‼︎

 ミシェルの目が輝いた。


「ではルールを説明します」

 鑑定時間は1時間。

 王太子妃に相応しい最も価値が高い一品を選ぶこと。

 選んだ物は時間内に自分の番号が付けられた指定の場所へ置くこと。

 人が選んだものを持って行くのは禁止。

 キープは2個まで。ただし最終的には1つに決めること。


 簡単な説明だけで鑑定スタートとなる。

 参加者達はそれぞれ気になった商品から自由に鑑定を始めた。


 ギャラリーを飽きさせないために司会者は王太子と王太子妃の馴れ初めなどを語り始める。


 出会った場所、運命的な出来事、惹かれ合う2人。

 ドラマチックなストーリーだ。

 きっと半分くらいは盛っているだろう。


 ミシェルは手袋をはめると1つ目の指輪を手に取った。

 普通のルビー。大きさもよくあるサイズ。


 2つ目のネックレスは普通のエメラルド。


 『価値が高い』は値段が高いで良いのだろうか?

 大きい石?

 たくさん石がついている物?

 総額が高いのか、メインの1つが高いのか。

 悩みながら3つ目、4つ目を手に取ると、ニヤリと笑うラルフと目が合った。


 ラルフの手にはたくさんの宝石がついたネックレス。

 首が疲れそうなくらい大きな装飾品だ。

 ラルフは3番へ置くと、もうこれで良いとばかりに席に座った。


「おぉーっと、もう決定ですか? さすがフェラーズ!」

 司会者の言葉にギャラリーがどよめく。


 フェラーズといえば、国で二番目に大きな宝石商。

 さすがだと褒め称える声が聞こえてくる。

 ラルフは自信満々に口の端を上げた。


 2人目、3人目と選び終わり席に座っていくが、ミシェルは気にすることなく宝石を見続けた。


 キレイな宝石なのに可哀想。

 もっと素敵なカットをしてもらえば良いのに。


 これはせっかく石が大きいのに台座がイマイチ。


 7つ目、8つ目と鑑定をしていくが、なかなかコレという物がない。

 ミシェルは首を傾げた。


 12個目に手に取ったのはシンプルなブレスレット。

 色はほんのり淡い桜色だ。


「……キレイ」

 思わず感嘆の声が出る。


 プレート部分には繊細な花の模様。

 他の装飾品に比べれば石もかなり小さく、デザインもシンプル。

 石が小さいので値段はきっと高くない。

 でもこのブレスレットはキープかな。


 ミシェルは他の参加者に選ばれなかった全ての装飾品を見た。

 もともと宝石が見たくて参加したのだ。

 じっくり見るに決まっている。

 もう一生見る機会がない高級品ばかりだ。


「おい、ミシェル。早くしろよ、あとお前だけだぞ」

 待つのが面倒臭いとラルフが溜息をつく。


 せっかく楽しんでいたのに。

 ミシェルは肩をすくめると11番にブレスレットを置いた。


「散々時間かけてそれかよ」

 ラルフが鼻で笑う。


「参加者のみなさん、あと10分ありますがよろしいですか?」

 司会者は会場を見渡し確認したが、みんなが頷いたため制限時間前だったが締め切られた。 


 1番のおじいちゃんが選んだティアラは真珠がメイン。

 真珠のティアラはすごく珍しい。

 綺麗だけれど真珠の大きさのせいだろうか、デザインが崩れている。


 3番のラルフのネックレスは派手でごちゃごちゃした印象。

 幅も広いので肩幅がある人しか似合わない。

 あんなのを首に着けたら重たそうだ。


 一番値段が高いのはおそらく6番のネックレス。

 私のネックレスを綺麗だと言ってくれたあの金髪の青年だ。

 見る目がある人に褒められたとわかり、ちょっと嬉しくなる。


「では、王太子殿下と妃殿下をお呼びします。拍手を!」

 盛大な拍手の中、会場へ入る2人。

 優しそうな王太子が、美人というより可愛い系の王太子妃をエスコートして入室する。


 ミシェルは自分が選んだブレスレットを見た。

 淡い桜色は王太子妃に似合いそうだ。


 値段で選ぶのならば、このブレスレットは絶対に違う。

 石も小さくて、安くはないが高くもない。

 ブレスレットのプレートも悪くはないが最高級ではない。


 でも、『価値が高い』は値段じゃなくても良いのではないだろうか?

 私のこのネックレスのように。

 

 ミシェルが拍手をしながら王太子妃を見つめていると、偶然にも目が合ってしまった。

 ふわっと優しい笑顔を見せてくれる王太子妃。


 これは惚れるわ。


 王太子、瞬殺だったでしょう。


 柔らかい雰囲気の王太子妃にあのブレスレットは似合うと思う。


 ラルフと違ってお店を背負っているわけではないし。

 私の選択はこれでいい。


 ミシェルはみんなが選んだ物を見て不安だったが、自分の選んだ物に後悔はなかった。


「では1番からお一人ずつ、なぜその装飾品を選んだか理由の説明と、他の方が選んだものの評価をお願いします」

 1番のおじいちゃんから熱い説明が始まる。


 細工が、工法が、と専門的な話が多く、真珠に詳しくないミシェルにとってはすごく勉強になる話だった。

 おじいちゃんは他の人の商品の批判をすることなく、席に着く。


 2番目のおじさんは産地、大きさ、デザインなどの説明をしたあと、たまたま隣だった1番のティアラはデザインがあまり好きではないと言い、反対隣のラルフのネックレスはごちゃごちゃしていると批判していった。


 ラルフはもちろん私が選んだブレスレットの批判だ。


「石は小さく、色がついてくすんでいる。プレートだって普通。素人は本当に見る目がない」

 ラルフが馬鹿にするように笑うと、会場からもクスクスと笑い声が聞こえた。


 ラルフは私のつけているネックレスも好きではなかった。

 そんな小さなクズ石をつけているのが婚約者だなんて恥ずかしいと言われ、ラルフの前で着けるのはやめた。


 そういえば、ラルフから贈り物をもらったこともなかったな。

 そんな安物ではなくて、これをつけろ! と素敵なネックレスの1つや2つくれてもよかったのに。


 うん。やっぱり婚約破棄してよかった。

 ラルフとは結婚してもうまくいかなかっただろう。


 ミシェルは目を逸らし肩をすくめた。


 その態度がラルフをまた不愉快にしたのだろう。

 こんなに素晴らしい装飾品がたくさんある中で、こんな一番価値のないものを選ぶ女には安物のネックレスがお似合いだとミシェルの身なりまで批判してラルフは席に座った。


「……3番の彼はこの11番のブレスレットがお気に召さなかったようだが」

 6番の金髪の青年は、手袋をはめるとミシェルの選んだブレスレットを手に取った。


 全ての装飾品を確認したはずだが、これは見た覚えがない。

 おそらく自分よりも先に彼女が手に取りキープしていたのだろう。


 確かに石は小さいけれど……。

 細部を確認した青年は驚いた顔をして止まった。

 その行動に会場が静まり返る。


「私は棄権します」

 あぁ、王太子も意地が悪い。こんなものを忍ばせていたとは。

 青年はミシェルを見ながら困ったように笑った。


「は? え? 棄権!?」

 焦る司会者は青年に説明を求めたが、青年は11番の彼女に聞くといいと肩をすくめて席に座った。


「えっと、順番は飛びますが11番の方? 説明をお願いしても?」

「えっ!?」

 まだまだ自分の番は先だと油断し、何を言うかちゃんと考えていなかった!

 ミシェルは慌てて立ち上がり、前へ出た。


 ど、どうしよう!

 まだ考えてない!


「えっと、石はピンクダイヤモンド、意味は『完全無欠の愛』です」

 ダイヤモンドの色は無色。

 ピンクダイヤモンドなど聞いたことがない人々がざわついた。


 ラルフが『くすんでいる』と表現したのは、ダイヤモンドに色がついているはずがないという先入観からだ。

 この淡い桜色はどこからどう見てもくすんだりはしていない。


「お題が『妃殿下に相応しい最も価値が高い一品』だったので、始めは値段が一番高い商品を探そうと思いました。でも、」

 ミシェルは手袋をはめ、丁寧にブレスレットを手に取った。


「値段は高くなくても良いのかと」

 ミシェルの説明にラルフが「何言ってんだよ」とヤジを飛ばす。

 ギャラリーからも「意味がわからない」という声が聞こえてきたがミシェルは気にせず話し続けた。


「このプレートの花は、海の向こうの国で有名なリーンワイスの花。ピンクダイヤモンドが採れるのも同じ国。そしてお二人が出会ったのも、その国ですね」

 ミシェルが微笑むと、王太子妃もふわっとした優しい顔で微笑んでくれた。


「……だから、値段よりも思い出の方が価値が高いのかと」

 ここで一番値段が高いのは、6番だと思います。と付け加えながら、ミシェルはブレスレットをそっとテーブルに戻した。


「はぁ? なんでお前が出会った国とか知ってんだよ」

 適当なことを言うな! とラルフが言う。


「あ、私が説明しました。開始してすぐ、こちらの皆様方に」

 司会者が手を挙げて、ねぇ、みなさん。と同意を求めると、ギャラリーたちは頷いた。


 ミシェルは手袋を取り、自分の席に戻る。

 睨んでくるラルフ。


 6番の金髪の青年はミシェルに優しく微笑んでくれた。


 ふはっ。

 イケメンの微笑みは危険!

 破壊力満点な微笑みに、ミシェルの心臓がドクンと跳ね上がる。

 

 7番以降の人たちはただ値段が高いものを選んだと言い、ミシェルのブレスレットの方が良いと言ってくれた。

 1番のおじいちゃん、2番、4番、5番のおじさんも。


 ラルフ以外全員だ。

 

「どうやら優勝者が決まったようですね」

 司会者の言葉を聞いたラルフの眉間にシワがよる。


「優勝は11番! ミシェル・サザランド伯爵令嬢! みなさん拍手を!」

 司会者は、前へ出るようにミシェルを呼ぶ。


 信じられないと、驚いた顔で固まったミシェルの前に6番の青年が手を差し伸べた。

 まるでエスコートのように出された手。


 どうしたらよいかわからず、ギャラリーに混じっている姉ロザリアに目で助けを求めると、早く手を取りなさい! と怒られた。


 手を取り、ゆっくり立ち上がる。

 

 そういえば、ラルフにこんなふうにエスコートされた記憶はない。

 人生初のエスコート!!


「おめでとう」

「あ、あ、ありがとう……ございます」

 破壊力満点な金髪の青年の笑顔に顔が赤くなる。


 右手と右足が一緒に出てしまいそうだ。

 不自然な歩きのまま前へ着くと、スッと手が離された。


 爽やかすぎる!


 年頃の男性は幼馴染のラルフしか知らない。

 もしかして人生を相当損していたのではないだろうか?


「では、こちらのブレスレットを王太子殿下へお渡しください」

 司会者のアリエナイ振りにミシェルが凍り付く。


 王太子殿下に渡すの!?

 私が!?


 いやいや、そんな偉い人に近づくなんて!


 さぁ、早くと司会者に微笑まれ、ミシェルは再び手袋をはめてブレスレットを手に取った。


「……どうぞ」

 震える手で王太子へ。


「ありがとう。これに気づいてくれて」

 王太子は嬉しそうに微笑んだ。

 

 王太子は受け取りながら、これは自分が買ったものだと告げた。

 公費ではなく、自分のお金で買える範囲のものを買ったのだが、大臣達に反対され贈る勇気がなくなってしまったのだと。

 

 高価なものでなくても贈って良いのだと背中を押してほしかったのだと微笑んだ。


「ウィルズが気づいてくれると思ったんだけどね」

 王太子の視線が金髪の青年へ向かう。


 ウィルズ?

 ウィルズ公爵!?

 この国で一番の宝石商!!

 ミシェルは目を見開いた。


「私はこれを見ていないので、彼女の方が先に手に取ったのでしょう」

 完敗ですとウィルズ公爵家嫡男、ロバート・ウィルズは肩をすくめた。


「では、あなたにマイスターの称号を」

 王太子の言葉にギャラリーがざわついた。


「ま、ま、マイスター!?」

 宝石鑑定職人の最上位の称号だ。

 王太子からメダルが授与され、ミシェルは固まった。


「おめでとう」

 王太子妃が優しくミシェルに微笑む。


「あ、ありがとう、ございますっ」

 あぁぁ、近くで見ると無茶苦茶かわいいです!

 遠くても可愛いけれど。


 ミシェルの心の中はもうパニックだ。


 首にかけられたメダルをそっと手に取る。

 ずっしり重たいメダル。


 これがあれば就職できる?

 宝石鑑定の職業に就けるかもしれない!


「殿下、私、これから彼女に装飾品の相談がしたいです」

 やっぱり男性と女性だと好みが違うでしょう? と王太子妃が首をコテンと傾けた。


 あぁぁ、可愛すぎます、王太子妃!


「あぁ、そうだね。ミシェル、君の店はどこ?」

 王太子に尋ねられ、ミシェルは困った顔で微笑んだ。


「私、働い……」

 働いていないんです。と言おうとしたミシェルの言葉はラルフの声でかき消された。


「フェラーズです! 彼女は俺の婚約者です」

 急に出てきたラルフに、ミシェルは驚いて振り返った。


 は?

 何を言っているのこの人!?


「ちっ、違います!」

 ミシェルは思いっきり首を横に振る。


「照れるなよ」

 ラルフの手が腰に添えられ、ミシェルは悪寒がした。


 この数年、手さえ繋いだ記憶がないのに、いきなり腰⁉︎


 マイスターの称号をもらい、王太子妃がこれから贔屓ひいきにしてくれると聞き、慌ててやってきたのだろう。

 王室御用達になれるチャンスだ。

 当然お客も増える。


 どこまで酷い男なの!?


「触らないでラルフ。私達、婚約破棄したでしょ」

 婚約破棄の言葉に、周りがざわつく。


 わざわざ自分から傷物令嬢だという女性はいない。

 しかもこんなに大勢の前で。


「……婚約破棄……?」

 金髪の青年ロバートも驚いている。


「そうよ! そいつの浮気のせいで! 学園の卒業パーティに他の女をエスコートするような奴と結婚できるわけないわ!」

 姉ロザリアの援護射撃も入り、会場内は一気にラルフに注目した。


 卒業パーティで?

 アリエナイ。

 え? でも今、婚約者だって。

 儲かると思ったんじゃない?


 ひそひそと話される会話に耐えられなくなったラルフは走って逃げだした。


「お見苦しい所をすみません。……私、働いていないのです」

 ミシェルはメダルを大切に手に持った。


「でも、コレがあればどこかで働けると思うので、いつか妃殿下のために宝石を選ぶことができたらうれしいです」

 ミシェルが王太子妃に微笑むと、王太子妃は待っているわと微笑み返してくれた。


 会場からどこからともなく拍手が沸き上がった。

 まるでがんばれと言ってくれているかのようだ。


「ミシェル嬢」

 金髪の青年ロバートがミシェルの名を呼んだ。

 聞きなれない声で呼ばれ、あわてて振り向く。


「もしよければ、うちで、ウィルズで働かないか?」

 ロバートの真剣な眼がミシェルを見つめる。


 ウィルズは国で一番の宝石商だ。

 世界中からレアな宝石もたくさん入り、取り扱いも多い。


 毎日たくさんの宝石が見られる!


「あぁ、それなら相談もしやすいな」

 王太子もいいじゃないかと頷き、王太子妃も微笑む。


「……もし、今、婚約者もいないのなら……その……、そちらの方も名乗りをあげたいのだが……」

 真っ赤な顔で口元を押さえるロバート。


 何を言われたのか理解するまでに時間がかかったミシェルは、数秒遅れて顔が真っ赤になった。


 それって求婚!?

 すごい、マイスターメダル。


 ミシェルが思わずメダルを見ると、ロバートは困ったように笑った。


「いや、マイスターだからではなくて」

 ロバートはミシェルのネックレスを指さした。


「会場で最初に見たときから、この子とは趣味が合うだろうなと」

 思わず声をかけてしまったとロバートが照れながら微笑む。


「姉の私が許可します! ミシェルの永久就職、よろしくお願いしまーす!」

「ちょ、ちょっとロザリア!!」

 手を上げ、OKポーズを取る姉ロザリア。


「では、お姉さんの許可が出たので」

 ロバートはミシェルの右手を取り、甲に口づける。


「よろしく、ミシェル」

 優しく微笑まれたミシェルはどうしたらよいかわからず固まった。


 宝石鑑定職人の最上位マイスター資格の取得。

 国内最大級の宝石商ウィルズへの就職決定。

 ウィルズ公爵家嫡男ロバート・ウィルズとの婚約。


 嘘でしょう!?

 急展開すぎて信じられない。


「良かったわね」

 姉ロザリアは嬉しそうに微笑んだ。



 高いモノだけを取り扱っていると思っていたウィルズ宝石商は、クズ石と呼ばれ捨てられてしまうような宝石達も美しく加工し、別の店舗で安く販売していた。


「買ったのは街の普通の店で、値段もそんなに高くなくて」

 ミシェルのつけていた青い石のネックレス。

 ウィルズ製品のはずないよとミシェルは言う。


「ここを見て」

 台座の裏に彫られた小さなRW。

 ロバート・ウィルズ(Robert・Wills)だ。


「どんな小さな石も大切にしたいからウィルズの名前は出さずに売っているんだ」

 新事業としてロバートが始めたことなのだと教えてくれる。

 名前を出すと流通が変わって値段が高くなってしまうからねとロバートは笑った。


 紹介状がないと入れない店なので、ウィルズは貴族だけを相手にしている敷居の高い店だと思い込んでいた。

 それなのにミシェルでも買える商品をこっそり販売しているなんて。


 いやだ、かっこよすぎる。

 どうしよう。


「ねぇ、ミシェル。君が好きな青色の石で婚約指輪を準備したのだけれど、受け取ってくれる?」

 差し出された指輪は、台座のデザインはシンプルだけれど美しい輝きのブルーダイヤモンド。

 水色よりも少し濃い色で、ビーナスアローカットが美しさを引き立てている。

 台座の裏にはもちろん小さくRWの刻印。


 ブルーダイヤモンドの意味は『絆を深める』だ。

 ミシェルは泣きながら頷いた。



 ウィルズ宝石商には、世界でもめずらしい女性マイスターがいる。

 そして彼女の隣には優しく見守る男性マイスター。

 王室からの信頼も厚く、実績もある老舗の宝石商。

 ここは『お客に寄り添った提案をする店』と評判だ。


 一方、国で二番目に有名なフェラーズ宝石商は最近、質が落ちたと噂されている。


 毎日たくさんの宝石を鑑定できる充実した日々。

 多くの人の手元に宝石達が旅立っていくのがうれしい。

 あの鑑定大会のチラシをもらってきてくれた姉には感謝してもしきれない。


「母上、あげる~! お誕生日おめでとう~!」

 クズ石を美しい指輪へと加工してしまう手先が器用な息子、7歳。


「石は僕が選んだからね!」

 どんな小さな傷も見逃さない鑑定眼を持つ10歳の息子。


 そしてお腹の中にはもう1人。


「2人がそんなにすごい物をあげたら何を贈ったらよいか困るじゃないか」

 これは困ったと微笑む金髪イケメンの旦那様。


 はっきり言って幸せです!!

 ミシェルは大きなお腹をさすりながら微笑んだ。



 婚約破棄した伯爵令嬢は幸せな宝石鑑定士になりました。


 もしあなたの持っている装飾品に小さくRWと入っていたらウィルズ製品かもしれません。

 紹介状がなくても、いつでもご来店を歓迎致します。

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