しっぽの続き

夏生 夕

第1話

喫茶店のメニューって、どうしてこう懐かしい味がするのか。


湯気を立てて運ばれてきたナポリタンは、オレンジ色の跡形だけを残して平らげてしまった。充足感に溜め息をつく。

無心で食べ進めたから残像はおぼろ気だが、鮮やかな緑のピーマンは玉葱ともども小気味良い食感だった。

ウインナーも、パリッと、大変よい存在感だった。

実家のナポリタンは食材すべてがしんなりしっとりで、茶色に近いソースに覆われている。それはそれで好きだけども。

先日のグラタンだって具材からチーズの濃さからうちとは違っていた。


違うのに、ナポリタンもグラタンも何故かものすごく懐かしいのだ。隣の席に届いたカレーも奥の席のポテトサラダもきっとそう。

ざぁっと店内を見回してみる。

『カフェ』より『喫茶店』がまさしく似合う内装で、もちろんその雰囲気も作用しているとは思う。いくら考えたところでこういうことは例えレシピを教わっても分かりそうにもないが、その一端を掴むには・・・。


うん、もう一品頼むしかないですね。


実のところ充足感はあっても満腹ではない。

良くも悪くも時間はある。もう一度店内を見回して、店員さんを探す。

あ、


「すみません、」

ん?


今、カウンターの上を何かが横切らなかった?

そちらを振り返ってみたが、近付いてきたエプロンにちょうど視界を遮られてしまった。


はい。カレーと、食後にプリンをお願いいたします。・・・では、トッピングのアイスはコーヒー風味を。


注文が終わり店員さんが行ってしまうと、さっき視界の端にうつった物体は影も形も無かった。気のせいか。疲れているのだろうか。原因は分かりきっているが。


先生の原稿が上がってこない。


締切は明日。

昨日までのかれこれ一週間くらい先生と音信不通だった。いつも通りに。

今朝部屋を強行突破すると、デスクにめり込まんばかりに突っ伏した姿があった。いつも通りに。

ひとまずデスクから引っぺがし、水を飲ませ窓を開け。

気分転換に散歩へ放り出し帰ったところでコーヒーを与えた。ここまでもいつも通り。

最後に夕方頃また戻るからそれまで少しでも書き進めろと暗示をかけてきた。ここは少しいつもより念入りに。

だからそれまでは、この未知の郷愁感に身を委ねよう。

そうでもしないと居ても立ってもいられない。創作のステージにおいてわたしは無力だから。


もともと筆が早い方ではないけれど、最近は私生活の変化によって調子を上げていた。この店だって人からの受け売りだったとしても先生が教えてくれたのだ。

人付き合いが薄く出不精だった先生が、だ。

それでもいざ締切が目前に迫ると煮詰まってしまう習性は変わらなかったらしい。

でもその方が・・・、



ん!?


右足に、モフみと生温かさをずっしりと感じて思考が停止した。

なんかきた・・・!

テーブルの下を恐る恐る覗くと、浅い暗影からこちらを見上げる金色の二粒と目が合った。一瞬びくりとしたが、眠そうに細められた瞳がとても愛らしい。

ぬ、と足から重量感が消え、テーブルから小さな頭が這い出てきた。三角の耳が小刻みに羽ばたいている。


まっくろい黒猫さんだ。


優雅に伸びをしてこちらをまた見上げてきた。

く・・・、かわいいですね、看板猫さんなんですか?

一周その場でくるりと円を描くように小さく歩き回った。なんですか、その撫でてもよいぞという顔は!

ダメです、わたしにはカレーが来ます。来るんです。


「お待たせしましたー。」


ほらぁ!いただきます!

足元のモフ欲を目の前の食欲でなんとか打ち消そうとする。

スプーンを手に取ると、ふん、と一瞥して猫さんはそのまま別のテーブルへ行ってしまった。力強くばしばしと尻尾を振る後ろ姿と、軽やかな足取りに見覚えがある気がした。

ともあれカレーだ。



あ、あの猫さんは!!!?!


カレーの銀皿はとっくに回収され、プリンのガラス皿もすっかり綺麗になった。

味わいを振り返って呆けていたら天啓のように突然思い出して、思わず声が出そうになる。


もしや猫さん、あの時のお方では。


姿を改めて確かめようとカウンターの方へ目をやると、足元でにゃあと言う。

やっと分かったか、と物言いたげな瞳で見上げてくる。いや実際は分からないけど。普通に撫でろってだけかもしれない。

では。いざ。

失礼します!

ぐっと体を折って伸ばした手を猫さんの頭に置く。さりさりと額を親指で往復すると、手のひらに頭をこすりつけてきて左耳が折れたたまる。


はぁ~~~~~~やっぱりきっとそうだ、このなめらかな毛艶と巧みな尻尾づかいに小悪魔な仕草・・・。

あの日、道案内をしてくれた猫さまだ。

前脚に力を入れたかと思うと、ぴょいと膝に乗ってきだああああこれは反則ではないですか!?



春の終わり頃、ここで初めて先生と待ち合わせをした日。

住宅街の塀地獄に捕らわれ店に辿り着けないでいると、どこからともなく現れたのがこの猫さまだった。まるで「ついて来い」のように揺らせる尻尾に誘われてしまい、この街のことはこの街の者いや猫に、と先導していただいた次第であった。

おとぎ話じゃあるまいにと後からは思ったし、結局は店と違う方面に連れられた。


しかし、わたしはきちんと目的の場所に送り届けられていた。


「あの時は、助かりました。ずっとお礼が言いたかったんですよ。気づいたらいなくなってしまったから・・・。

猫さまにご案内いただいた先で、ようやく先生とお会いすることができました。」


わたしはあの時、店へ、ではなく先生の元へ、という思いで猫さまに道を預けていたのだろう。


「ありがとうございました。」


それこそ、おとぎ話じゃあるまいに。

それでも物語が生まれる光景を間近で見ている者ならば、多少のドラマを否定する訳にはいかない。あんな削り出すように一つの小さな「世界」を創る背中を見てしまっては尚更だ。

わたしは信じると決めたんだ。


そわわわっと尻尾が顎の下を通過した。


「にゃおん。」


いいってことよ、なのか、手が止まっている、なのか。

膝の上でぐりんと反転して無防備なお腹がこちらを向いた。


はぁ。


あなたに幸せな時間をいただくのは、これが2回目ですね。この時間が続けばいいなと思います。

いえ、困りますね原稿はいただかないと。そろそろ先生の様子を見に戻ります。

さて。

そら。

よいしょ。

立ち上がれわたし。

あ、ダメですやめて、尻尾を腕に絡ませないで・・・


はぁ。

猫って、どうしてこう可愛らしいのか?


もちろんこれもいくら考えたところわかりそうもない。喫茶店メニューの不思議な既知感と同じで、謎のままだろう。もしもその一端を掴もうとするならば・・・。


うん、今しばらくモフらせていただきます。この企画書を読み終わるまでの時間だけでも。



膝の上で猫さまが大きな大きなあくびをした。左右のひげがファサファサ揺れる。

そろそろいい時間ですもんね。どうぞ、ご自身の特等席でゆったりあたたかくなさってください。

ととっと膝から飛び降り、首から上を振るう。少しボサボサになった。

そのまま行ってしまうかと思ったが、最後にもう一度こちらを振り返ってくれた。


「にゃおん。」


素敵な時間を、本当にありがとうございました。



会計を済ませて外に出ると、淡い青空にぼんやりとオレンジの雲が浮かんでいる。水色と橙って相性いいんだな。

目線を正面に下ろすと、大いに見覚えのある猫背が目の前にあった。


「先生?どうしてこちらに。」


「あ、いえ・・・散歩、を・・・。」


はい?


思わずレシートを握り丸めてしまった。散歩て、あなた。


「お昼間に、お散歩、しましたよね。」


「につ、煮詰まってしまって、あの・・・。」


くしゃりと少し泣きそうな、というか、子どもが怒られる直前のような顔で呟いた。


「先生、置いておいた昼食は召し上がりました?」


「え。」 


「え?」

まさかですよね。そんな。


「忘れてましたか。」


照れ笑いで誤魔化さないでください。

ひたむきというか何というか。

これでは、一緒に連れ立ってしまった方がよかった気がしてくる。


「ひとまず帰りましょう。まだ時間はあります。きっと大丈夫ですよ。」


こんなふうに隣町まで歩いてしまうほど頭を悩ませて構築されていく小さな世界。

それが報われないのだとしたら、物語なんてうそだ。


「大丈夫ですよ。」


不安げな目の奥にもう一度伝えて、わたしは先を歩き始めた。これほど一生懸命な方が、見届ける甲斐がある。


「そういえば、意外です。」


後ろから先生に話しかけられた。


「猫、お好きなんですか?」


ぎしりと立ち止まって振り返る。


「スーツ、猫の毛だらけですよ。」


わたしと同じであまり上手いとは言えない笑顔だった。

見ると、腿のあたりを中心に黒い毛がかなり残っている。少し苦い顔をしたわたしに先生が付け加えた。


「ここの黒猫、かわいいですよね。」


「・・・遊び呆けていたわけではないんです。」


「そんなのわかってますよ。」


わたしの鞄からはみ出た出版社の封筒を指さして先生は言った。

さっきよりも砕けた笑顔だった。


「意外だっただけです。」

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