第4話 松平都は神に召される
ーーこれは、今春の花嫁が捧げられる1週間前の話だ。
都と椿は対立する家門の家柄だったが、仲がよかった。
椿には姉がおらず、都には妹がいなかった。だからなのか、まるで姉妹のように毎日を共に過ごしていた。
「都お姉ちゃん、おめでとう!」
今春の花嫁、松平都に眩しいくらいの笑顔を見せるのは鳥居椿だ。
「椿、ありがとう」
都は巫女の末裔の家門、松平家の長女だ。と、言っても上には兄が一人いるのだが。
この村では、春に豊作と平和を祈って神に花嫁を捧げる風習がある。花嫁は、基本的に巫女が選ばれ、それはとてもとても名誉なことである。それと共に、巫女として産まれた娘の義務とも言える。
この、巫女としての義務を全うできることに都はとても誇らしげだ。
「都お姉ちゃん、凄いなあ。私も14歳になる頃には選んで貰えるかしら」
椿は、心底羨ましそうに都の腕に纏わり付く。
「椿ならなれるわよ。村一番の器量よしは、間違いなく椿だもの」
「都お姉ちゃんには叶わないわ!」
正直、村一番の美人は椿である。都ももちろん、美人の類いではあるが、椿は別格だ。健康的に光る長い黒髪に、白雪のような肌。林檎色に染まる頬に、神秘的な透ける黒い瞳。洗練された美しさがある少女だ。
都と椿は仲がよかった。そのため、比較されることも多かった。同じ黒髪でも、椿のような艶はなく、肌も小麦色だ。睫だって、椿と比べたら短い気がする。
都だって女性だ。容姿はどうしても比べては、嘆いてしまう。
しかし、巫女としての一番の名誉である”神の花嫁”になれたことで、ようやくこの真っ黒にもやつく感情を捨てれそうだ。だからこそ、本当に花嫁になれることは嬉しかったのだ。
「もうすぐ禊に入るから椿とはもう会えなくなるね」
都はの瞳には、寂しさが見える。女性らしい嫉妬を椿には感じてしまうものの、本当に彼女のことを妹のように思っていた。
禊は3日間続き、その後花嫁として御社に入る。禊を含めた10日間は、巫女であろうと御社には近づけないしきたりだ。
「椿も寂しいな…。でも、すぐに花嫁になって都お姉ちゃんに会いに行くから!!」
それまで神様と一緒に待っててね、と椿はにやりと笑う。
「ふふ!待ってるわ」
都は花のような笑顔を見せる彼女に、くすくすと口許を押さえながら微笑する。寂しいのなんて、ほんの少しの間よね、と椿との再開を楽しみに、二人は別れた。
*
「これから花嫁に入るまでの3日間、禊を始める」
宮司の厳しい声が御社に広がる。都と宮司、そして、その見習いしかいない御社はとても静かだ。花嫁に儀は確かに厳格なものだけど、お祝い事なんだから賑やかにやってもいいのにな、と都は思う。
そんな中、ついに禊が始まった。
禊とは、この場合は神に花嫁として捧げる身体を清めるために絶食を行う行為である。許されるのは水のみで、かなり過酷である。その上、花嫁に入るときは神に捧げる春の舞も披露する。体力勝負だ。
だけど、舞が終わったら好物をひとつ食べてから花嫁の儀式に入る。都は、大好物のわらび餅を食べる予定だ。
「舞の練習をさせていただきます」
宮司に断りをいれ、春の舞の練習をするために神楽殿に移動した。小さな村の小さな御社ではあるが、拝殿、本殿、神楽殿まできちんと建てられている。少々、狭苦しくはあるが。
神楽殿には、舞をするための神楽鈴が用意されていた。木製の柄に沢山の黄金色の鈴が付いている。柄の下からは紫の長い紐が10本ほど垂れ下がり、都がくるりと舞うと、ヒラヒラ踊った。
初日だからいいけど、3日も絶食して踊れるものなのかしら、と不安が過る。
なにせ、花嫁になった者は神の物となるので村には帰ってこない。その後の一生を神の下で過ごすのだ。なので、全く情報がない。禊から嫁入りまで、外部との接触もできないので正直、寂しい。
「あーあ、神力があればよかったのに」
都はぼそり、と声を漏らした。
これからは、視えない神様と二人きりか。
もし、神が視える眼があれば花嫁生活も寂しくはないだろうな。あ、でも先に花嫁になった巫女たちがいるから賑やかなのかな、と想像してみるとちょっと面白い。
花嫁のなかには神力がある巫女もいるかもしれない。そしたら、神様がどんな人か教えてもらおう。そう考えると、わくわくした。
でも、視えないのにどうやって神様は私を迎えに来るにかな?と、考えようとしたが、考えるのを止めた。
*
「これより、花嫁の儀を行う」
宮司の変わらない冷めた声により、儀式の始まりを告げた。
禊は2日目が一番辛く、なんなら発狂しそうだった。巫女の家系は全て、満足な食事が与えられている。村人たちと違い、空腹に慣れていないのだ。だが、それを乗り越えたら空腹も忘れることができた。心配してた舞も、きちんと踊れそうだ。
禊を始めて、4日目の朝。都が、花嫁として召される日だ。柔らかな春光の中、花嫁の儀は行われようとしていた。
都は純白の花嫁の衣装を身に纏い、手には神楽鈴を持ち、春の舞を始めた。
神楽殿の角には宮司と見習いが控えている。観客は神様のみ。本当に神様のためだけの舞だ。
シャン、シャン、と鈴の音が踊る。
舞が終わると、都は神楽殿の中央に正座をする。
すると、見習いが最後の食事とお神酒を目の前に用意した。あ、お願いした通りわらび餅だ。
お神酒を一口頂き、わらび餅を食べる。口いっぱいに甘い黒蜜が広がる。美味しい。
「花嫁よ、こちらへ」
「はい」
食事が終わると、本殿の方へ移動した。いよいよ神様とご対面か。視えないけど。
「花嫁よ、そちらではありません」
「え…、ですが本殿の中に入るのではないのですか?」
「本殿は神のみが入ることができる場所です。花嫁といえど、人間なので別の場所で神に迎えに来てもらうのです」
なるほど。でも、そう言うことは前もって教えてほしい。都は少しの恥ずかしさを覚えたが、宮司に心の中で文句付けることでかき消した。
本殿を過ぎ、穏やかな山道を暫く歩くと開けた場所にたどり着いた。辺りには無数の祠が建ててあり、なんだか不気味だ。
「花嫁よ、こちらです」
宮司がそう言って示した場所には人一人が入れる程度の大きさの穴が掘ってあった。
都は戸惑いながらも、穴を覗き込む。穴はかなり深く、一度入ると、一人では抜け出せそうにない。
「えっと、こちらですか?」
「はい、こちらです」
宮司は都の問いに被せるように答える。
都はあからさまに不安を表情に出した。すると、あの厳しい顔しか見せなかった宮司が微笑んだのだ。
「説明もなく花嫁として連れてこられて、不安を感じていますね」
「…はい」
「大丈夫です。神も分かっていらっしゃいますよ」
宮司は都の肩に優しく触れ、言葉を続けた。
「穴の中に一人で入るのは不安でしょう。ですが、これは花嫁として神に迎えて戴くのに必要なことなのです」
都は更なる説明を求めて、宮司の顔を見上げた。
宮司はぽんぽん、と都の肩を叩き鈴をひとつ渡した。都の手のひらに乗る程度の大きさの鈴で、神楽鈴と同じ、紫の紐が付いていた。
「これは…」
「これは、神を呼ぶための鈴です。穴に入り、鈴を鳴らしながら豊作と平和を祈って頂きます。そうすることで、神が花嫁の祈りを受け取りに訪れるのです」
宮司はそれはそれは穏やかな表情で都を諭す。
そうか、それなら仕方がないか。穴の中のほうが集中してお祈りできそうだし、きっと、たぶん、大丈夫。神様が迎えに来てくれるし。でも、あれ?穴に入る必要ってあるのかな?あれ?そうだ、巫女は考えてはいけないんだった。いけないいけない。ただ言われたことを聞き、巫女としての勤めを果たすことが大切なんだった。そうだった。だって、これは名誉なことなんだし、そうだよ。ほら、神様が迎えにきてくれるし?あれ?
「巫女としての勤めを果たしてくれますね?」
「はい」
都は自らの足で穴に入った。すると、穴には蓋がされ真っ暗になった。
大丈夫、大丈夫。今までの花嫁もやってきたことなんだし、名誉なことだし、幸せなことなんだ。大丈夫、すぐに神様が迎えに来てくれるし。
都は懸命に鈴を鳴らしながら祈りを捧げた。
祈りを捧げて5日目の朝、都は天に召された。
しかし、月白色の瞳をもつ神は、その事実を知らない。
神に愛されし少女よ、死を選べ 胡麻しじみ @cheesecake1617
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