見えない人

星尾深久郎

見えない人

「見える人」というのがいる。


本来ならそこにいない人、あるはずのないものを見ることができる人、あるいは見えてしまう人のことだ。いわゆる、霊感の強い人、である。


私には霊感がないので、わからない。だが、感じることはある。


今も、スカートの裾を引っ張られた感覚があった。誰もいないはずなのに。念のために言っておくが、痴漢らしき男もいない。


霊感はない私だが、前から歩いてきた女の人が、ちらりと視線を下げて、私の足下あたりを見たことは見逃さなかった。あの人はたぶん、見える人なのだ。


カフェに入って、コーヒーとサンドイッチを注文した。

スマホを見ながら、遅い朝食を済ませる。


ふと皿を見ると、まだ残っていたはずのサンドイッチがなくなっていた。

スマホに夢中になりすぎたらしい。無意識に食べてしまったのだろう。きっとそうだ。


身に覚えがないのに、部屋のものが移動していたり、残っているはずの食べ物がなくなることが続いている。


誰もいないはずのところから物音がすることもしばしばだ。


だが、私には見えないのでどうすることもできない。


見えなさすぎて、かえって怖いという感覚さえない。


残っていたコーヒーを飲み干すと、トレイに載せ、持ってきた覚えのないお冷やの入ったコップとともに返却口に戻した。


このところ忙しかった仕事が、ようやく落ち着いた。


ほとんどリモートになったとはいえ、あちこちに連絡を取り、オンライン会議をし、メールやチャットアプリでやりとりをし、書類を仕上げ、とやっていると、毎日があっという間だった。


誰にも邪魔されない環境で仕事ができるのは悪くなかったが、リアルに人と会って話をする、ということがすっかりなくなってしまった。


せいぜい、コンビニやカフェの店員、あるいは荷物を持ってきた配達員と言葉をかわす程度。


そんな状態だったので、それを違和感として認識したのはここ数日のことだった。

といって、どうしたらいいのか。いっそ、除霊でもしてもらったらいいのか。

けれど、誰に頼んだらいいのか、皆目検討もつかなかった。


友人とは久しく連絡を取っていないし、地元の親とはすっかり没交渉だ。ましてや、同僚にこんなことを相談できるはずもない。


カフェを出て、といって何をする予定もなかったので、本屋でこういうことへの対処法が書かれた本でも探してみよう、と足を向けた。


本屋に来るのはかなり久々だった。仕事で必要な本はオンラインで購入していたし、雑誌などは読まなくなって久しい。


この街の中では老舗の書店に着くと、私が近づく前に自動ドアが開いた。といって、誰かが出てくるわけでもなかった。


店内をぐるりと見渡しながら、前回は何を買いに来たんだっけ、と思い返していた。


あ、絵本だった、と思い出して、自分でもびっくりした。

なんで絵本なんか買ったんだっけ?


仕事で何かの資料に必要だったのだろうか。理由が思い出せなかった。


癖でつい、ビジネス書のコーナーを覗いてしまったが、今日はそのために来たのではなかった、と思い出した。


スピリチュアルのコーナーに行ってみたが、役に立ちそうな本は見当たらない。

といって、店員にも相談しづらい。念のためもう一度、と、棚の上の方から下に視線を動かし、最下段の平積みのところに目が行った時、思わず叫びそうになった。


絵本が置いてあった。


誰かがそのまま置き忘れたのかもしれない、と思うものの……さっきまではなかったはず。さすがに怖くなって、逃げるように店を出た。


部屋に帰り、コップに水を注いで一気に飲んだ。ようやく落ち着いてきた。


と、玄関チャイムが鳴った。インターホンを見ると、見知らぬ女性が立っていた。


児童相談所から来たという。近所で何かあったのだろうか。疲れを感じていたが、なんとなく誰かと話をしたい気もしていたので、ドアを開けて話を聞いてみることにした。


「なにかあったのですか?」

「いえ、何か、というわけではないのですが……お嬢さんはお元気ですか?」

「え? お嬢さん……って、おっしゃってる意味がよくわからないのですが?」

「実は、あなたに児童虐待の可能性がある、という通報がありまして」

「は? 虐待も何も、私には子供なんていませんよ」


女性が息を飲む音が、はっきりと聞こえた。


「だって、そこに、いるじゃないですか……!」


私の後ろを指したのに吊られて思わず振り返ると、少しやつれた顔の女の子が、そこに立っていた。

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