Side_梅野くん


 しかるべきパラメータがそろえば、未来は予測できる、全ては決まっている。そういう考え方の極地きょくちにある存在が『ラプラスの悪魔』。

 そんなモノがひねり出されるくらいに、科学はここ2、3世紀で猛発展をげた。


 ただ、世界を創ったヤツは性格が悪いらしい。性質たちが悪い置き土産みやげをしていった。

「ミクロの世界においては―1つのパラメータを確定させるともう1つのパラメータは確定しない」

 何の話をしているのか?量子論の話だ。そして、常人の理解を絶するこの理論の分かりやすい要約は、

「世界は確率で出来ていて、絶対的な予測は不可能」

 だ。身もフタもない。そんな結論がまかり通るのであれば、人生など努力するに値しないとも言えるのだから。


 だから。

 俺が、クラスのド阿呆あほうに目をつけられ、学校に行きづらいのも―ま、確率の行き着くはてだ。気にしてなど居ない、

 と言い切ってしまえるほど、俺は大人ではない。そして、若気わかげは適当な方向にいたる。

 …分かりにくい言葉で誤魔化ごまかしてきたが、俺は今日、クラスのド真ん中で噴火―キレた―し、鎮火活動をした教師に今日のトコロは帰れ、と言われ、帰ってる最中だ。


                 ◆


 俺の住む街は海辺にある。そこには川が注ぎ込んでいて。その川原にはよく通う。

 流れる水を見ていると、色々忘れられて良い。

 複数の動きから出来た流れは複雑だ。先程の量子論を蒸し返すなら、ランダムな現象が積もり積もって、この流れを生み出している。


 水の流れと同様、人間の感情も予測がつかない。


 そりゃそうだ、人の感情を生み出しているであろう脳みそも、ミクロな構成物から成るモノなのだから。そのうち神経科学が思考の生まれる過程を解き明かしはするだろうが、その奥にひそむランダム性はぬぐえないだろう。

 そう思うと憂鬱ゆううつ極まりない。理性がランダムな現象から生まれているんだぜ?不合理なのは当たり前って事になるじゃないか。

 俺を―性別がよく分かんない感じだからってからかうあの阿呆どもも致し方ない、なんて、許容できるほど俺は賢くない。

 ああ。

 明日からどうしたものかな…


                  ◆


 考える事に飽きた俺は、足元の石で、水切りを始める。

 平べったい石を選んで、サイドスロー。低めの放物線ほうぶつせんに沿って石が水面みなもち、波紋がいくつか生まれる。

 人間というヤツは川に人生のメタファーを見ることが多い。日本代表は鴨長明かものちょうめいのおっさんだ。

『ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。』

 短く言い直すなら万物流転ばんぶつるてん。熱力学第二法則で時間の向きを与えられた宇宙は乱雑らんざつさを増していき、変化していく。

 俺が学校でやらかしちまった事も、時が解決するのかも知れない。時という薬は即効性ではないが、よく効く。

 だがしかし。14歳の一時点は、今の視点でみると、大きく見える。

 理屈でなあなあに出来るほど、俺は鈍感でもない。尖りまくった感性は敏感だから、妙に傷口に染みるのだ、と考えたところで視線を動かす。橋の辺りに見覚えがある人影。


                  ◆


 俺が千鳥ちどりを知っていた理由は、大した事ではない。単純に可愛いと思っていたからだ。

 この年頃の男子の頭の中なんて女の事でいっぱいだ。否定などしたところで意味がない。


 俺と千鳥は友達になった。

 俺が学校をサボって川原で時間を潰していれば、図書館に向かう千鳥になんとなくう、というのが日常になった。

 アイツと会話を重ねるにつけ―アイツの変人ぶりを知る事になった。妙に達観しているのだ。同調圧力とマウントの取り合いな女性社会では明らかに浮くタイプだ。

 コイツが男だったらなあ、と俺は幾度いくども思ったものだ。コイツがツレなら何かと面白いだろうな、と思うのだ。

「梅野くんはマジメに学校行きなよ」なんてよく言われた。

「そういうお前はどーなのよ?」と俺は言い返す。

「私?私は君と違って阿呆じゃないからね…学力一本で先に進める」

「俺は阿呆ですか、そうですか」

「学問に好き嫌いを持ち込む時点で阿呆だよ」俺は学校の勉強は先生との相性で得意苦手が分かれるタイプなのだ。

「しゃあないだろ?師匠というのは何かと大事だぜ?」

「言い訳ばかりは達者だよね、君は」

「男というのは、言い訳を重ねながら行きていくもんだ、理屈をこねるとはそういう事さ」

「そういう事にかける時間を勉強に使いなよ」

「ごもっとも」


                    ◆


 ヒュー・エヴェレット3世。

 彼は量子論の中に『多世界解釈たせかいかいしゃく』を持ち込んだ。彼の博士論文のオリジナルにそのアイデアが書かれていた。

 だが、ボーアの『コペンハーゲン解釈』―観測した瞬間、確率が収束しゅうそくする―が支配的であった当時、このような論文を出すのはリスクが高かった。国防総省への就職が決まっていたエベレットは指導教官のホイーラーの指導で穏健な表現に置き換えた論文を提出し、その後は物理学の世界から身を引いている。

 その後、多くの人々が理論に手を入れてはいるが、検証が不可能に近いこの理論は、あくまでロマンの領域に属しているように見える。


 俺は、物理や数学に詳しいわけではない。

 ただ、オルタナティブな宇宙が重ねあわせで存在するのではないか?という彼のアイディアは好きだ。

 下手をすれば、イデア界なんてモノを設定するプラトン主義者と同じ穴に落ちるが、無限に分岐する宇宙というのは中学二年生の心をつかむには十分過ぎる。

 この世にIFは存在しない。だが、俺達は人生の決定権など持ってはいない。出来るのは真摯しんしに向き合うことだけ。与えられた確率のテーブルに向かい、サイコロを振ることしかできない。

「1と2と3と4と5と6。全ての出目でめの宇宙が、世界を満たしている。全ての宇宙が響かせる波動が干渉して消えない」 

 なんて言う俺を千鳥はロマンチストだと言って笑う。彼女は『コペンハーゲン解釈』の方がお好みらしい。


 全く、千鳥はドのつくリアリストだ。

 だが、俺は、そんな千鳥とチームを組んでみたい、と思う。夢見がちな俺とリアリストの千鳥。ふたり合わせれば、このクソ面倒な世の中で楽しくやれるに違いない。

 ま、それをクチに出す度胸がなかった訳だが。


                   ◆


 運命という言葉がある。

 俺はあの時までマジメにその言葉に向き合った事はなかった。

 俺が落とした家の鍵。後ろを歩く千鳥がそれを拾おうとしゃがむ。そこによそ見運転のトラックが突っ込んでくる―

 言葉にすればあまりにシンプルな事象が、千鳥を世界から消した。


 葬式の時、棺桶に入った千鳥を見ても、うまく理解ができなかった。

 人の魂を計量しようとした科学者が居る、結果は21gだったという。正直、体という巨大なシステムにアプローチする、という観点から疑わしいと思っていた。

 だが。この実験がもたらす教訓は―死というモノは外見からは理解し辛い、ということなのでは無かろうか。

 生と死。そこに莫大ばくだいなギャップを見るのは自我だ。そこには多分に主観が入り込んでいる。だが、客観的に見た時、そこには大きな差はない。

 宇宙全体のエントロピーが増えただけ。星のかけらから生まれた俺達がまた、星のもとに帰っていくに過ぎない。


                   ◆


 俺は想像していた以上に千鳥に依存いぞんしていたらしい。

 メンタルのバランスを完全に崩した。

 サボりがちだった学校に向かう足は完全に止まった。

 高校には一応合格はした、だが、通う事はなかった。


 全てが空しく思えた。

 どれだけ努力しようが、自分が制御出来ない運命に左右されるのだ。

 でも、死ぬ勇気もなかった。一度、どこまで首を締めれるか試した事もある。だが、体の反射に逆らえず、俺は息を吹き返す。


 宇宙は熱力学第二法則に方向づけられた時を刻む。留まる事はない。留まってしまっているのは俺だ。そんな事は分かってる。

 アイツが生きれなかった未来を、俺は生きている。

 でも、どう人生に意味を見い出せば良いか分からなくなっている。


                   ◆

 あれから幾年いくとせが過ぎたか?

 俺は19の春に海辺のあの街を出た。高校にはロクに通わなかったが、大学には合格した。ま、親のフォローが実ったという訳だ。


 大学では、普通の人間として過ごした。

 人生の大半に意味を見出してないが、取りあえず与えられた可能性の中で最善を尽くしていった。


 人生は独りで歩めるほどイージーではない。だから、人は寄り集まる。

 だが。 

 俺の存在に空いた一人分の穴を埋めてくれる人間は居ない。

 多くの人は俺がり好みをしている、と言う。その意見に対する反証はないが、あの日に損なわれた千鳥の影を振り切れていないらしい。


 迫るくる未来が過去を押し流していく。俺が属する世界は千鳥なしでまわっていく。いつか俺も千鳥のもとに召されるのだろう、抗いようのない運命の手によって。だが、それは遠い未来の事だ。その未来に進んでいく過程で、どれだけ世界は分かれていくのだろう?


 目の前の川は海に注ぎ込む。エネルギーは高いところから低いところへ流れゆく。その様が時を象徴している。

 これが逆周りしてくれしないだろうか?と甘い期待をしてしまうのは、俺がまだまだガキだからだろうか?それとも失いゆく過程を知った大人になってしまったからだろうか?


 もし。 

 時が戻ったとして。千鳥が死なないとして。

 俺は彼女とうまく生きていけるだろうか?思い出を美化しすぎていないだろうか?

 それに、だ。 

 もし千鳥が死なない未来があるなら―俺は生きていられるのだろうか?意地の悪い創造主カミサマは事象の帳尻ちょうじりを取りたがる気がする。

 それでも。

 生きてるしかばね同様の俺より、千鳥の方が人生をまともに全うするだろう。まったく。なんで俺が生き残っちまったんだ?

「なあ、千鳥、何でだと思う?」俺は虚空こくうに向かって問う。だが、それにこたえる声はない。


 尻を落ち着けていた思い出の川原の地面から立ち上がる。ついでに手頃な石を掴む。そいつを川に向かって投げ込む。

 2、3度水面みなもった石は水底みなそこに沈んでいった。残されたのは微かな波紋。その波紋もやがて消えてなくなるのだろう。

 俺はそれを見ることなく、去っていく。親の葬式で帰ってきた故郷に俺の椅子はない。

 ただ独り、無限に枝分かれする未来に進んでいく。いつか、また、アイツに会う時に何を話すか考えながら。


              【Side―梅野】


        『重ねあわせの千鳥さんと梅野くん』 了


 

   


 ※本作の執筆にあたり、以下の文献を参考にしたことを明記します。


『ニュートン式 超図解 最高に面白い!! 量子論』 和田 純夫 監修 2020 ニュートンプレス 


『時間とはなんだろう―最新物理学で探る「時」の正体』 松浦 壮 講談社ブルーバックス 2017 講談社


『時間はどこから来て、なぜ流れるのか?』 吉田 伸夫 講談社ブルーバックス 2020 講談社


『隠れていた宇宙』 ブライアン・グリーン 著 竹内 薫 監修 大田直子 訳 早川文庫ノンフィクション 2013 早川書房 


『宇宙の始まりと終わりはなぜ同じなのか』 ロジャー・ペンローズ 竹内 薫 訳 2014 新潮社

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重ねあわせの千鳥さんと梅野くん 小田舵木 @odakajiki

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