重ねあわせの千鳥さんと梅野くん

小田舵木

Side_千鳥さん

「人生はただ一度なのだから、後悔しないように生きなさい」

 誰の言葉だったかな?ふと思い出すその言葉。

 眼の前を流れる川は、その流れを止めない。ただただ、流れ続ける。一時いっときも止まらず。

 私はその光景を見ていると、たまらなく虚しくなる。みずからの人生にオーバーラップしてくるのだ。

 毎日与えられる無限に近い選択肢。毎回正解を選べるほど賢くない。ややひねくれた観点から見るなら『正解』って何なんだ?と問う事も出来る。

 要領の良い人間ならこんなといは立てないだろうな。

 だって、この問の『正解』を知りるのは、神くらいのものなのだから。


 通学路の途上、大きな川にかった橋の上。

 私の脇を車と人々が通り抜けてゆく、目的地を目指して。

 私くらいのものだろう、この橋で立ち止まり、川を眺め、考えこんでいるのは。

 断っておくなら。

 私は特別感傷かんしょうひたりやすい人間ではない。流れる日々を浪費するクチだ。


                    ◆


 私は少し前まで、学校なんてロクに行ってなかった。

 この街に引っ越してきて、この街の中学校に入学し、そこで浮いてしまったのだ。

 その上、面倒なタイプの同性に嫌われ、しつこい嫌がらせを受るハメになってしまった。

 ―こうなってくると、学校に行くことにメリットを見いだせない。

 勉強なんか、個人でどうにでも出来るし、友達なんて要らない。

 親は世間体せけんてい的に学校に行けとうるさかったけれど、私が懇切丁寧こんせつていねいに学校の不要性をいたら折れた。

 まあ、高校はなんとかせい、と条件をもうけられはしたけれど。


 そんな訳で―膨大な時間が私の手元にはあった。

 勉強は夜にちょちょいと済ませれば良い。

 問題は朝から昼の時間。下手に動けば補導ものだが―幸い私は老けた見た目なので、中高生には見えないらしい。

 

                    ◆


 当時の私の一日は、仕事に行く親を見送った後、家事をすることから始まっていたように思う。

 掃除と洗濯。

 洗濯カゴの中身を洗濯機にかけ、家中に掃除機をかける。さして広い家でもなく、家族の成員せいいんは少ない。よって、すぐに片付く。

 後は夕食の準備だけど、今から準備するのは早すぎる。

 こういう時は―図書館にでも行くかな。あそこならタダで時間が潰せる。


 私の家から、少し歩くと橋がある。

 川と海の境界に掛かる橋だ。片方を見れば川が流れ、もう片方を見れば海に流れ込んでいる。

 その橋の上をのんびり歩いていく。上を見ればあわい青の空。気持ちの良い陽気。

 それと比べて私は、なんて殊勝しゅしょうな事を考え始めてしまう。これはよろしくない。

 そういう思考の行き着くはては行き止まりだ。傷つくのが嫌で他人に問題を押しつけがち。


 本当に悪いのは、この事態を呼び込んだのは。

 私だ。 

 言われんでも分かっている。

 とは言え。どうすれば良かったというのか。

 たられば話は人生の友、と父はよく言う。母は切り替えろ、と言う。

 要するに。

 人生は長いから気にすんな、という結論におちつく話なのだけど。

 人生の長さを具体的に感じるには私は若すぎる。だって14だ。

 だから、初めての挫折ざせつなり失敗が死ぬほど身にしみているのだ。


 私を思考の袋小路ふくろこうじから戻ってきたのは、ある人物が目に入ったからだ。


 私が通って『いた』学校の制服を着たその人物。性別は―多分、男…だと思う。言い切れないのは髪が長いからだ。肩位まで伸びている。

 顔立ちがおぼろげに見える。その顔はユニセックスな見た目だ。目元が綺麗ではっきりとしている…少しタレ目…女の子と見ても問題なさそうな見た目。

 その人物は川原で、水切りをして遊んでいる。

 よく制服でこの時間帯に歩き回れるな、と思う。世話好きに見つかれば学校なり警察なり呼ばれるだろうに。

 私は―スルーを決め込もうと思ったのだけど―そうは行かなかった。


「おーいそこいく少女!お前、千鳥ちどり―私の名字―だろ?」

 なぜ、私の名前を知っているんだろう?私が学校に行かなくなったのは、中1の秋からだ。そこまで有名人ではなかったはずだけど。

「そういうあなたは誰だっけ?」

 と思わず問うてしまった。好奇心は猫を殺す。

「とりあえず―こっちに来なよ」と橋から一段低くなった川原に呼ばれる。


 近寄ってみると―その人は男だった。要するに彼。

 顔立ちこそ、女っぽいけど、喉仏がわずかに隆起りゅうきしている。

「なにやってんの?千鳥?」

「図書館にいく途中―で、あなたは一体誰?悪いけど記憶にないよ?」

「俺?梅野うめのだよ…同じクラスの。っても、お前来たことないか」

「二年になってから一度も登校してないからね」

「初めまして―ではないんだな、コレが」

「一年の夏までに、何かしらの関わりがあったのかな?覚えてないけれど」

「ん〜ま、関わりはなかったかな。俺が一方的に知ってるだけ」

「なら。初めまして、でも問題ないかな」

「ま。以後よろしくどうぞ」

「よろしく、っても私は学校に戻るつもりはないから、今日限りの縁だと思うけど?」

「人生は長いから、何かしらあるかも、だぜ?」

「と、言っても。私、この辺の高校いくつもりもないけど」

「そーかい。ま、俺も今日、そういう心持こころもちになったが」

「…トラブったんだね?」

「ま、この見た目だ。支障がない訳でもない」

「見た目だけで学校行くの止めたくなるかな?」

「…ま、性格にも難があるんだろうな、周りとトラブるからには」

「と、思うよ、私も人の事言えないけど」

「これから、よろしく頼むわ」

「…まあ。良いけど」



 これが、彼、梅野くんとの出会いだった。

 この事がきっかけで人生が大きく動く、という事はない。

 ただ、私の人生に登場人物が一人増えただけのハナシなんだけど。ドラマというのはキャラが増えるほど、複雑さを増す。



                   ◆


「なあ、千鳥や」隣に座る梅野くんは私に問う。

「どうかした?」私達はあの出会いの場になった川原に2人座り込んで、時間を浪費している。

多世界解釈たせかいかいしゃく、って言葉知ってるか?」

「エヴェレットが唱えたアレ?」何故、私が物理学の概念を知っているか?それは単純に読書好きだからだ。ジャンルを問わず読書をすれば、変な知識もつく。

「そ。それ…コレって人生に応用していいのかね?」

「たられば話に拘泥こうでいするのは男の人の悪い癖だよね」と私は嫌味を投げる。

「このご時世に、『男は』なんて主語を使うのはどうかと思う」

「とは言え、そういう傾向があるのは事実じゃない?」

「否定はせんが―納得は出来んな」

「頭悪いなあ、梅野くん」

「お前に言われたかないね」

「セクシャリティの話は答えがないから置いといて…人生に多世界解釈を持ち込む話だけど―マクロな事象にミクロの理論を持ち込むのはどうかと思うよ」私は案外リアリストなのかも知れない。

「量子力学から起こった言葉だからなあ…そういうのは分からんでもない」

「でしょ?人生を生きてる人間はマクロな存在なんだからさ」

「でも、人間を構成しているのは、ミクロな粒子りゅうしだろ?」

「まあね。でも、そのミクロはかなりの数を積み重ねないとマクロな事象たり得ない」

「よって―ゆらぎなどない、か?」

「そ。選んだ事は戻らない。だから人生は取り返しはつかない」

「でもさあ…選ばれなかった可能性が在る宇宙が―何処かに在るって素敵な考えだと思わないか?」

「ロマンチストだね、梅野くんは」

「夢をみるのは男の特権だ」

「セクシャリティの問題持ち出したの、君の癖に」

 

                 ◆


 人生は取り返しがつかない。

 これが―私の口癖だ。

 一度きりの人生、後悔しないよう選択をしなければならない。

 だが。 

 人が選べる事なんてほとんどない。こんな簡単な事実を見落としていたのは、私の頭が悪いからだろうか?


 目の前で、梅野くんが、吹き飛ばされるのを、ただ、見ているしかなかった。


 簡単な交通事故。

 私が―鍵を落としてなければ。梅野くんが拾いに行かなければ。あのトラックがよそ見運転していなければ。

 無限に広がる可能性。でも。可能性たちは干渉しあい、ただ一つの事象に収束する。


 そうして―リアリストの私は、ただ一つだけの現実を受け入れざるを得ない。

 さよなら。梅野くん。ロマンチストの君が運命に殺されるのは皮肉でしかないけれど。


                  ◆


 人の死というのは力強い。

 何処か宙に浮かんでいた私の人生を、地球の上に縛りつけ直した。

 ―要するに。

 独り家に籠もるのは止めた、という訳だ。

 

 人が一人、地球上から消える。それは宇宙的な規模で見ればミクロな事象。

 しかし。私にとってはマクロな事象。取り返しはつかない。受け入れる他ないのだ。


                  ◆


 『シュレーディンガーの猫』

 創作物で量子論に言及する時、必ずと言って良いくらいに持ち出される思考実験。

 無知な私は量子論のプロバガンダの為に編み出されたものだと思っていたが、実際は違うらしい。

 シュレーディンガー方程式で量子論を記述出来るようにしたシュレーディンガーは、量子論の『ありえなさ』を訴える為にこの思考実験を編み出したのだそうだ。

 

 つまり。

 確率に支配される世界を信じたくなかった、

 という風に私は理解している。

 『神がサイコロを投げる』のを否定したかったのだ。

 もっとも『神』と『サイコロ』を持ち出し、量子論を否定したアインシュタインも量子論の成立に深く関わっていて、ノーベル賞の受賞理由も『光量子説』にるものだ。


 私は、シュレーディンガーとアインシュタインを後知恵で間違っている、と断じることが出来る。

 だが、彼らが信じていたかった、確率に支配されない世界観にはシンパシーを感じる。

 それを人間本位ほんい、と感じる人も居るだろう。

 でも。確率という不確かなもので、決まっていく世界に何の救いが在るというのか?

 私がいくらあがいても、決まった確率のテーブルの中で選ばれたものだけが実現していく世界なんて―あまりに残酷で救いがない。


 私は今日も、いくつもの確率のテーブルの中を選択し続け生きている。

 私が観測することで世界は確定していく。

 何時だか梅野くんが持ち出した『多世界解釈』。

 宇宙の地平線の向こうには彼が生きている宇宙が在るのだろうか?

 リアリストの私は、ボーア流でこう思う、

「私が観測した時点で―世界は収束し、選ばれなかった可能性は消えていく」

 ロマンチストの彼は、私の言葉を受け入れないだろう。

「千鳥、俺は『向こう』の『世界』でよろしくやってるぜ?」

 彼のニヤケ顔が目に浮かぶ。でも、その輪郭りんかくは時と共にボヤけ、いつか思い出せなくなってしまうだろう。

 それを思うとたまらなく切ない。

 この先の人生で、彼と同じくらい気を許せる相手は現れないような気もするし。

 17の小娘が何を分かったような事を、と諭す大人も居るだろう。

 忘れてしまいなさい、と諭す大人も居るだろう。


 でも、ティーンエイジャーの短い人生の中では、人の死という事実はあまりに重いのだ。

 あまりに少ない知り合いの中の1人がこの宇宙から消えたという事実は重いのだ。


                    ◆



 あれから。

 幾年いくとせがすぎたのか?

 いくつの可能性を虚空に追いやって来たのか?

 私は海辺のあの街を19の春に出て、そのまま、29になった。

 梅野くんの思い出が詰まった海辺の街を捨て、都会に出た。

 数多あまたの人々が往来おうらいする都会の中、私は可能性を選んでいった。


 では、何故、今更、街に帰って来たのか?

 大した理由ではない。ただ、結婚するだけだ。伴侶を両親に会わせるため、街に帰ってきた。

 人は独りで人生を全う出来るほど強くない。だから、私はチームを組む事に決めた。

 梅野くんの事を忘れた訳ではない。

 でも、薄れていく彼の思い出をよすがに生きていくには人生はハード過ぎる。


 あの川は相変わらずだ。

 びっくりするほど、あのままだ。

 開発の手はここまで伸びてきていないらしい。川原に降りれば―あの頃を思い出す。

 でも、梅野くんの像はひどくボヤけている。何ならどんな声をしていたかすら、忘れつつある。

 足元に落ちていた平べったい石を拾って、水面を切るように投げる。いくつかの波紋はもんを残しながら、石は飛んでいく、そして、沈む。

 そこに人生のメタファーを見てしまうのは、想像力がたくまし過ぎるだろうか?

 水面に残る波紋をぼんやり眺めて居ると、梅野くんとの思い出が蘇りはするのだけど。

 彼の像はひどく曖昧で…思い出せない自分が嫌になる。

「そろそろ…梅野くんの事、忘れなきゃいけないのかな」

 とこぼしてしまう。その言葉を口にするのは―良くない。そうしてしまうと、世界が決まってしまうような気がして。

 でも。私の手元には永い時が残っていて。コイツをなんとか消化していかなければならない。

 その為に私は新しくチームを組む。そのステップを踏みにこの海辺の街に帰ってきた。


 だから。

「さよなら、ロマンチストの梅野くん、向こうの『宇宙』で頑張ってね」


 なんて、未練がましい言葉と共に私は去っていく。

 振り向き際に見た川の水面の波紋は薄れ、消えつつあった。



              【Side―千鳥】

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