内緒ないしょの綿毛草

探求快露店。

***

 長い冬が明けた。

 メインストリートに足を運べば右へ左へ、芽吹いたばかりの草花に見守られながら寒苦の爪跡を消そうと、荒れた道の整備に勤しむ仲間たちの姿がある。

 春の風物詩とも言える光景を前に温かな空気を胸いっぱいに吸い込んだ景子は整備の手伝いに加わるべく気持ちを切り換え――。

「なぁ、ちょっと耳貸せよ」

 出鼻をくじかれた。

 半ば伸し掛かるようにして肩に腕を回してきた相手を振り返りざまに睨む。

「ちょっと奏太郎、いきなりやめてよ」

 幼馴染の奏太郎は「悪い悪い」と軽口調で答えた。

 ……絶対に悪いだなんて思ってないでしょ。

 反省の色を見せない彼に景子は頬を膨らませるが、使用済みの食器を片付けるかのような雑さであしらわれて眉尻を吊り上げ直す。

「それでな」

「やめてってば」

綿毛草わたげそうを見付けたんだ!」

 興奮しきった声が耳を打って、ピタリ。

 アイコンタクトを交わす。

 ……仕方ない。

 景子は奏太郎の振る舞いを許すことにした。

 押し退けようとしていた手を止め、目を光らせている監督役の意識が他所に向けられていることを確かめて、見付からない内にと急いで場所を移す。

 葉っぱの影に身を隠した二人は周囲に気を配ったまま慎重に話を再開させた。

「本当の本当に間違いなく見付けたの?」

「ああ、間違いない。太陽程もあるっていう黄色い花は見なかったが、綿が付いてるのを確認した。あれは開いたらデッカいぞ!」

「モドキの方じゃないの、それ」

 期待半分。疑い半分。

 胡乱気な視線を向ける景子に奏太郎は間違いないと繰り返す。

 ――綿毛草。

 それは空を飛ぶことを可能とする幻の草。

「大きさが明らかに違うんだ。見れば分かる」

「そうね。見ていない私に真偽の程は分からない」

「俺は今すぐにでも向かうつもりでいるがもちろん一緒に来るだろう?」

 当然だと景子は頷いた。

 置いて行くようなマネをしたら一生呪い続けてやる。


 朔の日の水底より深く深く、深く。

 暗く晴れない闇が至る所に染み付いた穴倉生まれの景子と奏太郎。

 二人の夢は光の向こう、その日その時々で表情を変える空の中にある。

 それを穴倉の創設者たる女王陛下は“罪人の証”と仰ったけれど。

 周囲の色を写し取って輝くはねの美しさに心を奪われた二人は願わずにいられなかった。

 一度きりでも構わない。

 快晴ブルー曇りグレイ夕暮れオレンジ星夜ネイビー

 大玉の水が降る日は大変だけど空の色を手にして、ただただ自由に飛び回れたならどんなに素敵なことだろう。


 ナナシ草のトンネルを抜ける。

 石ころ峠を一つ、二つと迂回して、水溜まりの横を細心の注意を払いながら進む。

 全ては抱いた夢のために。

 危険を冒す。未知を侵す。罪を犯す。

 自らの愚かさと向き合わされるような道程みちのりを迷うことなく進む。

 奏太郎の背を追いながら景子は思わず口を開いた。

「すごいわね」

「本当にな。でも、この道の先にあるんだ」

「違う。道の話じゃなくてあなたのことよ」

 残した足跡の数だけ心も体も穴倉から離れていく。

 重ねた裏切りの数を否応無しに自覚させられてなお、前を見据えていられる強さにひたひたと沁み入るような驚きを覚える。

 彼はこの道を景子のためだけに引き返したのだ。

「なんだよ、今さら後悔してるのか」

「そういう訳じゃないけど」

「じゃあ別にすごくなんてないだろ」

 返そうとした言葉が口の中で溶けて消える。

 数秒頭を悩ませたが消えた音を紡ぎ直すのは難しいと悟って「そっか」と頷くに留めた。

 ……そっか。

 奏太郎にとっては当たり前の行為で、だから別にすごくなんてない。

 朝日に照らされた雫のようにまばゆくも儚い夢を追い求め続けた日々を思い起こしながら景子は空を見上げた。

 ……私たちが手にするのは晴れた空の色スカイブルーだ。

 期待に膨らむ胸は隠しようがない。

 それと同時に抱く感情が不安ではなく愛おしさであることが面映く、奏太郎の存在を際立たせて景子の足を軽くする。

 ワン。ツー。ワン。ツー。

 空を飛べはしないけれど翅を得たみたい。

 ステップを踏んで地面からき立つ罪悪感をかわす。


「見えたぞ! ほら、あれだ」

 長く続いた灰色の崖がようようにして途切れた直後。

 開けた道の先を奏太郎が指し示した。

 促されるまま視線を移した景子は驚きのあまり体の自由を失って口を利くことさえ儘ならなくなる。

 ――けがれを知らない純白の綿は大きく球状に開き、まるで月のよう。

 太陽の光を浴びてキラキラと煌めいていた。

「な? 言った通りのデカさだったろう?」

 誇らしげな声が石化の魔法を解く。

 景子は一拍置いて叫んだ。

「すごい! 本当にデカい!」

「下手すりゃ太陽よりもデカいぜ」

「そりゃあだって太陽には近付けないもの」

「分かってるよ」

 冗談に決まってるだろ、と唇を尖らせた奏太郎に景子はクスリと笑みをこぼした。

 改めて綿毛草を見直す。

 ……あの綿にしがみつけば空を飛べる。

 きっと間違いなく夢が叶う。叶ってしまう。

 驚嘆に耽る景子たちを急かすかのように一際強く風が吹いた。

 数本の綿毛が種子をさらって舞い上がる。

「やべ、急ぐぞ景子!」

 乗り遅れたら一から探し直しだ。

 駆け出した奏太郎の後を追う。

 ……もしそうなってしまっても構わない気がしてる、なんて口が裂けても言えないけれど。

 走りながら取り込んだ空気を全て音に変える勢いで吐き出して最大音量。

「ねぇ次はどんな夢を追いかけようか!」

 気が早い! と、奏太郎は叫び返してきた。

 綿毛草は目前。

 しかしまだ手中に収めた訳じゃない。

 分かってる。

 ただ夢を追い求めた日々は、あの日憧れた翅に勝るとも劣らない鮮やかさで景子の記憶を彩っている。

 ――夢の終わりが奏太郎との関係の終わり。

 ならば“次”を用意すれば良いなんて、少し安直過ぎただろうか。

 天を衝くように伸びたくきを駆け上る。

 二人同時に“夢”を掴んで数秒。小休止。

「……次は穴倉でも造るか」

 奏太郎の口からこぼれ落ちたのは話の続きであり、景子が投げ掛けた問いに対する答えだった。

「……二人だけの?」

「悪くないだろ?」

「そうね。きっと素敵な場所になる」

 春の風は心まで拐って希望を宿した芽に雨を運ぶらしい。

 世界が空の色に染まる。

 明るく美しい色に染まる。

 眼前に広がった景色は鮮やかな思い出に連なって他の何よりも輝いて見えた。

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内緒ないしょの綿毛草 探求快露店。 @yrhy

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