【短編小説】神様と別れたあと、わたしたちは。

天音

第1話

 絵に描いたような入道雲が空を押し上げている、真夏の午前。

 セミに負けないくらい子どもたちの笑い声が響いている。

 遊具の影が揺らめくほど暑い中で、わたしたちは首をつたう汗なんて気にもせずに小さな石を集めていた。

 準備できたよと、嬉しそうな声がかかる。

 その声を合図に、わたしはキラキラと陽の光が葉の間から差し込んでいるクヌギの木の下に走っていった。

 目配せをした後。

 手のひらにあつめていた小石は一斉に宙を舞う。

 

 ――これは、わたしたちの傍にまだ神様がいた時の記憶。

 

 大きな大きなクヌギの木が立っている近所の公園。子供の頃はいつもそこが遊び場だった。入り口から入って、少し進んだところ。その公園は比較的新しいんだけど、クヌギの木はとても老いていた。ピカピカの遊具とは対照的にその幹は太い。大人の手でも回らないくらい。

 そんなクヌギの木がシンボルだったから、みんなくぬぎ公園って呼んでいた。どんぐり公園って呼んでる子もいたな。正式な名前は知らない。多分第3なんちゃら公園とか、そんな味気ない名前だと思う。


 そして新しい公園には似合わない、非現実的な噂もあった。


 この公園には神様がいるっていう噂。

 突飛な噂話に聞こえるかもしれないけど、その話は遊びに来る子供たちには有名な話だった。

 どうして有名かっていうと理由は単純で、神様は子供たちの前にときどき姿を現したから。例えば、かくれんぼや鬼ごっこをしているときに知らない子が混じっていることがあるとか。砂場でおままごとをしていたら、いつのまにか妹役が増えてるとか。お気に入りのおもちゃをなくして泣きながら探していたら、男の子が見つけてきてくれたという子もいるらしい。

 気味が悪いなんていう大人もいたけど、そのご神木らしいクヌギの木はとても穏やかに立っていたから、なんとなく受け入れてしまう空気があった。子供に危害を加えないっていうのもあるかもしれない。きっと子供好きの神様なんだろう。


 わたしも神様と遊んだことがある。

 鉄棒の練習をしていたとき、隣で遊んでいた子は知っている子じゃなかった。狭い町だ。公園で遊ぶような子はだいたい顔見知りなのに。


 でも、わたしがその公園の神様を信じているのは一緒に遊んだからだけじゃない。


 わたしと幼馴染の夏恵かえには、二人だけの秘密があった。

 二人の間では“石占い”って呼んでいたもので、遊びの内容はそのまま。幼稚園の頃、いつだったかも忘れたし、どっちが始めたのかも忘れたけど。公園内の小石を集めて、クヌギの木の傍で神様に質問をしながらそれを地面に撒くという遊びだ。

 占いと呼んでいたのは、もちろん投げたその小石が普通の動きをしないから。なんとも不思議なことに、そうすると小石は地面に散らばらずに明確な印を作るのだ。

 ……格好つけて言ったけど、印は簡単なもの。

 地面に表れるのは○×の記号だった。


 神様はわたしたちの小さな問いかけに、丁寧に何回も答えてくれた。


 明日の遠足は晴れますか? 運動会は中止になりますか? お母さんは今日のご飯にピーマンを入れちゃいましたか? 土曜日のお泊りキャンプに、お父さんは来れますか? 

 来年もいっしょの組になれますか?


 神様の答えはすべて命中した。あれは占いではなくて、宣託・・というものだったんだなと中学生になった今ならわかる。宣託なんて信じるのもどうかと思うけど、本当に全部その通りになったし形ができるのだから信じるしかない。おかげで来年は同じクラスにはなれないことを示す【×】が出たときは、二人して号泣しながら家に帰った。もちろん別々の組だった。


 いつから始まったかわからない石のお告げは、終わりも唐突だった。

 小学校に上がってから少し。二年生になってたかなくらいの時期。

 あんなに親切に答えてくれていた小石は、どれだけ投げても地面に四散するだけになった。

 きっとわたしたちは、純粋なこども・・・という枠から外れてしまったのだろう。


 それからは公園で遊ぶことも減った。減っていって、きっぱりなくなった。石占いのことも忘れた。


 でも、わたしと夏恵はずっといっしょだった。



 6月、学校帰りの土曜日の午後。

 わたしは夏恵と自室で課題を解いていた。折りたたみ式のローテーブル。狭いから、二人で向かい合うとプリントがギリギリ重ならないくらいの距離だ。

 エアコンがゴリゴリと除湿している音をききながら、懐かしいことを思い出したなと思う。帰りにあの公園の前を通った時、道路にボールが出てしまった小学生に投げ返してあげたからかもしれない。あそこで遊んでいた頃の記憶がよみがえった。数学のプリントは一向に解けない。

 向かい側に座っている、同じように手が動いていない夏恵を見た。うんうん考えているが問一から全く進んでいない。しかめっ面でプリントをみている。

「……全然わからん」

 顔をあげずに夏恵は文句を垂れた。返事を期待しているような声じゃなかったから無視をしたら、さらに独り言を続けられた。

「無理だ。どうしよう……。あのさ」

「なに」

 一応独り言じゃなかったらしい。机に頬杖をついて返事を促された。夏恵の方へと視線を向ける。

「この前、先生に呼び出されたんだよね。このままじゃ東条はきついぞって」

「数学と英語が壊滅的だもんね」

 ふてくされてシャーペンを放り投げる様子を見て、ちょっとだけ笑った。あの高校を志望校に書いたら、夏恵の成績じゃ忠告されることなんてわかっていたことなのに。

 笑ったわたしに気づいたんだろう。ちらっとこっちを見た夏恵は、今度は消しゴムをかるく投げた。

「笑うな!」

「ごめんって」

 夏恵はむくれた顔を隠しもせずに、荒い手つきでカバンから水筒をだしてお茶を飲んだ。一息ついて転がった投げたペンを手に取って、再び課題に立ち向かう。

 おたがいしばらく無言で課題をやっていた。わたしはこの課題はぎりぎり解けたから、答えを教えてあげてもいい。

 ちらりと夏恵に目を向けると示し合わせたように夏恵もわたしに目を向けた。なにか聞きにくいのか、うかがうような視線だ。

「……何かあるの」

夏生なつきは、どこの高校?」

 視線を外す。そろそろ聞かれることはわかっていた。

「……東条」

 ほっとした顔の夏恵を盗み見る。気分が晴れたのか解きかけの問題に取り掛かっていた。

 罪悪感から、今度はわたしがまっすぐに夏恵の顔を見れなかった。


 父の転勤が決まったのは、もうだいぶ前だった。わたしが中学を卒業するタイミングでこの街を出る。夏生の受験のさまたげにならなくてよかったと笑っていう両親に、何も言うことはできなかった。二人ともわたしの生活がいびつに分断されることを心配してくれていたから。もう、向こうで受ける高校は決まっている。住むマンションも。生活は滞りなく流れる。

 決まっていないのは私の覚悟だけで、まだわたしは夏恵に引っ越しのことを言えずにいた。

 どうやって言おうとか、いつ切り出そうとか。そういうことばかり悩んで、迷っている。

 怒るのかな、泣き虫だから泣くのかな。

 悲しんでほしくないけど、泣かれなかったら悲しいな。

 

 ――違うね。言えないのはわたしがさみしいだけだ。

 

 引っ越すといって、夏恵の態度が変わることが怖い。ただそれだけで、ずっと何も言えないでいた。



 夏恵に進学先をはぐらかしてから少し経った。文化祭が終わって、そろそろ夏休みを見据えてクラス中に浮ついた空気がただよっている時期。それと同時に緊張も。受験生の夏だ。夏休みの予定には、夏期講習がこれでもかと詰まっていた。

 小さなため息をつきながら生徒指導室を出る。今日の昼休みには担任と短い面談があった。期末テストの結果や今後の話を軽く話しあい、希望する高校と現状を確認するためのものだ。一応このままなら大丈夫だと言われたが、気を抜くなよとお決まりのセリフで釘も刺された。教室へと戻ると、いつも話す女子たちが輪を作って話している。そこに夏恵もいた。わたしも話に混ざろうと輪に近づく。昼時、みんなが教室内をよく動くときだから、わたしが面談から戻ってきたのにはだれも気付いていないようだった。

 

 耳に飛び込んだ話題に、思わず足が止まる。


「え、ナツキのお父さん、来年転勤らしいよ。うちのパパと会社一緒だからさ」


 噂してたと無責任に拡散している志乃の声がやけに遠くで聞こえた。転勤と引っ越し。わかっていたことなのに、クラスメイトの口から言われると、なぜか父さんから初めに聞いた時よりもその言葉が暴力的に思えた。

 そしてその時、わたしが戻ってきたことに輪の中の一部の女子が気がついた。悪いことを話していたわけではないはずのに、彼女らは驚いた顔をしたあと気まずそうにした。

 ――引っ越すってほんと?

 遠慮がちに当然の質問をされる。「そうなんだよ」と気にしていないように答えると、たくさんの質問を受けた。

 いつかとかどこかとか、そんな質問。

 多分、条件反射みたいにふつうの顔で会話をしていたと思う。さみしくなるねと言われたから、その子に向かってすごく残念そうな顔ができた気がする。みんなでいることを惜しむように。でもあまり悲観に染まりすぎないように。

 ちょうど先生が教室にはいってきて、みんなでそそくさと席へ戻った。座って教科書を机の上に出していると、隣の席のゆりながもう一度遠慮がちに聞いてきた。

「やっぱり高校も違う?」

「うん、向こうのを受けるよ。先生にももう言ってる」

「そっか……、さみしいな。休みには会おうね。うちも九州いってみたいし!」

 気を使ってくれているのはわかるし、気を使っていることもわかっているだろうから、きちんと笑ってありがとうと言った。先生の準備が整ったらしく、教卓から号令の指示がかかる。

 右斜め前の席でぺこりと礼をしている夏恵と、さっきは一度も話さなかったのには気づいていた。


 引っ越すことが知られてもあまり変わりない日々だった。当たり前か。高校はみんなバラけるし、ひとりいなくなったところで大した変化ではない。たいそうな気を使われることもなくて、わたしは何をこわがっていたのか思い出せないくらいいつも通りだった。

 

 夏恵と、あれ以降何もはなしていないこと以外は。


 何回か話しかけようとしたけど、そのたびにふいと避けられてしまう。それが続くと、わたしも拒否されるのが嫌で夏恵に近づかなくなった。

 わたしと夏恵はいつも一緒だった。周りからはセットで認識されるくらい。

 でも別におたがいにほかの友達もいる。

 英会話や体育のペアだってほかのクラスメイトで苦労なく成り立つ。わたしと夏恵があまりに露骨に話さないから周りはみんな驚いていたけど、徐々になれていったようだ。いまの地理のペアディスカッションも、ゆりなと話し合っている。

 夏恵とは一切話さない。まるで来年からの予行練習みたいだと思った。


 夏休みって、夏期講習でも相変わらずだった。

 一言も話さない。ただそれだけ。

 8月はわたしと夏恵の誕生日でもある。ふたりが遊ぶようになったのもこれが一因だった。同じマンションで同じ幼稚園に通って、誕生日が一日違い。名前に夏がついている。夏恵ちゃんとおそろいだねと周囲の人にいわれるのがうれしかった。

 そんな環境だったから、今年は初めて夏恵と一緒じゃない誕生日を迎えた。受験だし仕方ないといいきかせて、さすがに不審に思っている両親にもなにも言わなかった。

 

 夏休みが明け、秋になってもこの関係は変わらなかった。最後の体育祭だ。

 業務連絡はする。でもやっぱり前みたいには話せない。当たり障りなく会話して、ほとんど目も合わせなかった。打ち上げにも参加しなかった。夏恵が行ったかどうかは知らない。


 そして冬休みになった。冬期講習ももちろんある。そこでもあまりはなさない。この時期になると周りの子たちもあまり話していなかった。もくもくと勉強をして、わからないところがあれば教卓にいる担当教員に聞きに行く。ひとりでいって一人で帰る。

 

 最後の一年がこんなに味気なく早く過ぎるなんて思わなかった。


 お正月、毎年一緒に行っていた初詣もいかなかった。さすがに両親はわたしと夏恵が疎遠なんてかわいい言葉で表現できる関係ではないことに気付いているようだった。それでも転勤は変えられない。わたしだってわかってる。だから何にも言われなかった。

 お互いに気まずくなるだけだから。

 マフラーでぐるぐる巻きになって前を歩いている夏恵を見ながら、そろそろわたしがさみしさに耐えられないだろうことを感じていた。


 *


 冬休みがあけて一週間。新しい年になってもやっぱり話すことはできない。いじっぱりな相手に無性に腹が立つのと同時に、原因はどうしようもないこととはいえ自分にあるのだから、そんな八つ当たりみたいな感情はお門違いだともわかっている。それでも悔しいし悲しい。

 今年いちばんの冷え込みだという夜、ずっとこらえていた涙があふれてしまった。家のすみっこの自分の部屋で、声を抑えて泣く。自分の部屋にいるのに、息ができなくておぼれたみたいだった。

 日付が変わってようやく落ち着いたころ、控えめな靴の音がわたしの部屋の前をすぎていったことに気づいた。わたしの家が1005号室で、夏恵の家が角部屋の1006号室。いま通った人はエレベーターのほうへといったから、堀川家のだれかが家を出たことになる。

 夏恵だと、直感的に思った。

 おじさんやおばさんの可能性もないこともないけど、たぶん夏恵だ。妹の春奈ならもっと追いかけなくてはいけない。自分に関係ないことだと思っても気になってしまい、わたしも音をたてないようにしてこっそりと部屋をでた。

 涙はいつの間にか引っ込んでいた。

 冷え切った廊下にでると、もう誰もいなかった。エレベーターで降りたようだ。10階からゆっくり降りていくエレベーターを追うように、わたしも階段で下に降りた。階段からエントランスに出る重い鉄の扉を開けると、すでにエントランスを潜ってどこへと向かう人が見えた。

 予想通りあの後ろ姿は夏恵だと確信する。

 

 ――こんな、夜中に。

 

 まさか大事な時期に非行に走ったのかと少し焦る。しかし歩いていく夏恵は、悪いことを

しに行くような雰囲気ではない。落ち着いた足取りでまっすぐに進んでいる。夜中に抜け出す理由はわからないが、非行の類ではなさそうだ。あの子は頭はあんまり良くないかもしれないけど、そんなことをする子じゃない。

 パジャマの上からコートだけを羽織った格好でついていく。時々見えなくなるくらい離れては歩調を早めて追いついた。ここまであとをつけて確信したことがある。

 夏恵はくぬぎ公園へ向かっている。

 前を歩いているのが夏恵だと思ったのと同様に勘だ。でも15年も一緒にいる幼馴染を舐めないでほしい。

 夏恵の方はきちんとした服装でいるのに対し、わたしは急いで出たからつっかけを選んでしまった。歩きにくさから速度の違いは明確で、どんどん遅れてしまう。ついに見えなくなった夏恵を追いかけて、しかしそれと同時に確信を持ってわたしはくぬぎ公園へと向かった。

 ようやくくぬぎ公園に到着した。暗い公園の中で、ぽつぽつと街灯が立っている。あまり役割を果たしていないそれは、それでも園内でしゃがみ込んでいる夏恵の姿をぼんやりと照らしていた。入り口から、そっとわたしも公園内に入った。ゆっくりと夏恵に近づく。夏恵はわたしに気づいてはいなかった。

 何かを拾い集めているのを見て、今更思い至る。くぬぎ公園に行っていることからすぐにわかったはずなのに。ここにくる理由は多分これ以外思いつかない。

 あっちこっち移動しながら、夏恵が懸命に集めているのはおそらく小石だ。

 夏恵は、ここで石占いをしようとしているのだ。

 ――ほんとうに、バカみたい。

 衝撃か呆れかそれ以上近づけず、立ち止まるわたしをよそに夏恵は石を集め終わったようだった。そのまま小走りにクヌギの木の近くに駆け寄る。そして、予想通りに拾い集めた小石を放り投げた。街頭のわずかな明かりの中で、まき散らされたちいさな礫が地面へと落ちていくのが見えた。

 ぱらりと小石がまかれた直後。地面をじっと見た夏恵は膝をついて大泣きを始めた。

 まわりに響くような大声ではないが、明らかに泣きじゃくっている。あまりのことに、冷戦状態だったことなんて吹っ飛んで駆け寄ってしまった。

「ど、どうしたの?!」

 半年近く口をきかなかった幼馴染の前にしゃがむ。夏恵はわたしがここにいることに驚いてはいないようで、無視していたことなんて全く気にせずに差し出したわたしの腕をつかんできた。

 準備してここに来たのだろう。わたしと違ってしっかり着込んでいる幼馴染を支えつつ地面を見ると、そこには小石が大きくはっきりと【×】を形作っていた。

「ばつ……」

「か、かみさまにきいたの」

 まだ大粒の涙を流している夏恵は話しづらそうに声を絞り出す。

「夏生と一緒ですかって。今までずっと無視してたのに、この質問だけ答えるなんてひどいよお~!」

 恥ずかしげもなくなく幼馴染を前に、わたしまでさっき出し切ったと思った涙がまたあふれだしてきた。ほんとうに夏恵はお馬鹿だ。ひどいはこっちのセリフなのに。無視して、わたしと話さなかったのは夏恵なのに。わたしじゃなくて神様に話しかけに来るとか、ほんっとうにありえない。

「……バカじゃないの。ほんとに。すっごい顔冷たくなってるじゃん。大事なときなのに、夜に家出て、事故にでもあったら」

「だって、どうしようもなくなって話せなくなったたんだから、ここで聞くしかないじゃんかぁ」

 薄手のパジャマ越しに当たる、抱き着いて密着した夏恵のコートが冷たい。頬にあたる髪も、凍っているのではないのかと思うくらい冷えていた。

 しばらくグズグズいっていると、だんだん落ち着いたらしい。おたがいに鼻をすする回数がだいぶ少なくなった。一歩離れて向かい合えば、夏恵は濡れた頬を手袋で拭った。

「……夏生に嘘をつかせてごめんね」

 あのときには決まってたんでしょと少しうつむきながら言われる。

「ううん。嘘ついてごめんね」

 ようやく視線がしっかりと合う。夏恵も大概ひどい顔だが、わたしも似たようなものだろう。泣いたせいで余計に頬が冷たかった。

「引っ越すよ。神様にきかなくても」

 その答えをいったとき、いつもよりも弱弱しいけれど、ずっと見たかった笑顔が目の前にあった。


 公園の隅にあるベンチにすわる。おしりがとっても冷たいけど仕方がない。わたしも夏恵もまだ家に帰る気分じゃなかった。夏恵はわたしの予想以上に用意してここにきていたようで、ポケットにはちゃんと財布をいれていた。園内の自動販売機で、ホットのココアを買って渡してくれる。わたしは素手で外に出て来てしまったから、手から伝わる缶の温かさが全身に染みた。

「はい。今度ハーゲンダッツ買ってね」

「……」

「なんか言って!!」

 うるさいなあというと、わたしの文句は聞きもせずに隣に座ってくる。隣り合って座るが、しばらく二人とも無言だった。話さない期間はとても長かったけれど、今更改まって話すこともない。

 ぼうっとクヌギの木を見つめた。暗闇に溶けてしまいそうなほど幹も枝も太い木だ。あの木にはほんとうに神様がいるんだろうか。此処まで占いをやっておきながら勝手だけど、子ども染みたことをしている自覚はあった。いたら、うれしい。わたしに逆上がりのお手本を見せてくれた男の子が、神様だったなら。

 そんなことを考えていると、突然夏恵が話し出した。

「わたし、ここの神様に助けてもらったことがあるんだよね」

「……へー、何があったの?」

 わたしのほうをいたずらっぽく夏恵がみる。

「ちいさいころね。ほんっとうに小さいころ。赤ちゃんくらいの頃の話ね。ほかの子がブランコをめっちゃ漕いでるときに、お母さんから離れて、柵をくぐってブランコの真後ろに歩いていっちゃったんだよ」

「あぶなっ!」

 危ないよねえなんてつぶやいて、ゆっくりとココアを飲んだ。

「そのときに、危ないよって手をつかんでブランコが当たらないとこまで引いてくれた男の子がいたんだよね」

「まじでシャレにならないでしょ……」

「うん。感謝してる。柵の外に連れて行ってくれたのは6歳くらいの子だった。あれはわたし自身も身の危険を感じたことだったからよく覚えてる」

 危険なことだったけれど、夏恵の中ではいい記憶として残っているのだろう。語る表情はやわらかい。しかしその話には疑問がわいた。

「……なんで、その子が神様だってわかるの?」

 男の子なんてたくさんいる。とくに赤ちゃんだったなら、周りの交友関係もまだできてないし、近所の子かそうじゃないかなんてわからないだろう。

「6歳くらいの男の子だったんだよ。その子がね、ほら、鉄棒教えてくれた男の子とそっくりで」

 思わず目を見開いて夏恵のほうを見た。夏恵は楽しそうに笑っている。

「小学校にはいってすぐくらいにさあ、一緒に鉄棒練習したじゃん? あのとき、隣で知らない子がおしえてくれたでしょ。あの子。ぜったい同じ人だった。服まで覚えてるもん」

「……青いポロシャツ」

「そうそう! ブランコの時助けてくれた子も青いシャツだったんだよ! それでブランコ事件が4年は前なのに、鉄棒を教えてくれた子も6歳くらいだったのおかしいでしょ!」

 絶対神様だよと息を巻いて話す夏恵に、わたしもうれしくなった。風が吹いたのか、クヌギの木がざわめいた気がする。指先の冷たさに缶を握る手に力を入れた。

「そうだね。……わたしも鉄棒を教えてくれたのは神様だとおもってた」

 とっておきの昔話だったのだろう。夏恵は満足そうにうなずいて、もう一度ココアに口をつけた。

 半年断絶していた二人の間の空気は、完全に元の流れに戻っていた。

「4年生の運動会、リレーで夏恵がこけたじゃん?」

「なんで覚えてるの!? わすれてよ!」

「あと、去年の文化祭の演劇ではセリフ間違えたよね」

「やめてってば!」

 お返しとばかりにわたしが適当に課題を提出したせいで、一週間教室掃除追加という古典的な罰を受けた話を持ち出される。それこそ忘れてほしい思い出だ。

 一度流れだしてしまえば、もうせき止めるものはない。思い出は次々と2人の間から溢れてくる。

「幼稚園の夕涼み会、すきだったなあ」

「夏生の浴衣の色がかわいくてさ、わたしあの色ねだっちゃったんだよ。黄色がいいー!って。すごい困らせた」

 もう自分の浴衣着てたのにねと笑う夏恵に、わたしも思わず笑った。そういえば初めて参加した夕涼み会は、夏恵がはじめ泣いていたのを思い出した。まさかそんな事情があったとは。みんなに赤い浴衣をほめられて、途中からはきげんが治った気がするけど。

 お誕生日会はいつも一緒でうれしかった。運動会で組が分かれたときは、戦争かと思うくらい対立していたこと。クラスが違っても、いつも体育ではペアをしたし、帰りは一緒だった。

 カラオケで勉強したこととか、課題を分担してやったこと。はじめてディズニーランドに行った修学旅行で、夏恵が興奮しすぎて鼻血をだしたこととか。

 引っ越すことが決まってからずっと、こんな思い出話はしたくなかった。でも、いまでは全部わらって話せる。わたしだけが思い出を大事に抱えていたように思えて寂しいような気がしてたけど、一緒に一つ一つ確認して、同じ時間の流れに流せたことですっきりとした。

 ひとしきり話してから、手に持ったココアがもう冷め切っていることに気づいた。覗き込んでみれば、夏恵も満足そうな顔をしている。

「……かえろっか」

「うん、寒くなったしね。夏生大丈夫? ごめんマフラーくらい貸せばよかった」

「大丈夫。このコートかなり厚いから。前閉めたら鉄壁」

 勢いよくベンチから立ち上がる。空き缶を捨てるために屑籠に向かえば、小石でできた綺麗な【×】が目に入った。「一緒ですか」に対する神様の答え。改めて見るとあからさまというか冷徹で、一瞬たちどまってしまう。すると先に缶を捨てた夏恵が、さっき投げた小石をしゃがんでまた拾い始めた。

「なにしてるの」

「もっかいやる」

 手袋をとって小石を集めている手が寒々しい。制止しようとしたが、それよりも夏恵が石を集め終わるほうが早かった。

「はい、いくよ」

 にっこり笑ってこっちを振り向く。おわん型にした手には、しっかりと小石がかき集められていた。

「夏生とこれからもなかよしですかっ」

 パラパラと小さく音を立てながら、石は地面に打ち付けられた。足元に散らばる小石は、何の形も示してはいない。残念な気がするが、なんとなくこうなるだろうとわかっていた。

「何もならないね」

「もー、せっかくまた答えてくれるんならこっちも答えてほしかった!」

 愚痴をこぼしているようだが、夏恵もさっきの占いとは違って明らかに晴れ晴れとした表情だ。手を払ってからきちんと手袋をはめる。いつもよりも大きな歩幅で歩きながら公園の入り口を目指しだした夏恵を、遅れないように早足で追いかけた。

「かえろっ! 明日はお昼にジュース買ってよね!」

「はいはい」

 公園を後にしてマンションを目指しながら、神様に心の中でお礼を言った。神様にすがるしかなかった夏恵の質問にこたえてくれたことを。公園で遊ぶような子どもではなくなるまで、たくさん見守ってくれていたことを。神様がわたしたちの前に姿を表した時が、初めて逆上がりが成功した時だった。優しく笑ってほめてくれたことを今更ながらに思い出す。

 夏恵と話さなかった期間は、引っ越してからの練習だと思っていた。多分、当たり前に寂しいから。これからは今までと同じようにはいかないから。でも、明日からは長い間話さなかった分もっとたくさん話そうと思う。

 重圧や束縛から解放されたような気持ちだ。こんなに心が軽いのは久しぶりだった。家に向かう足取りも軽い。

 マンションの前につくと、わたしの家と夏恵の家には電気がついていた。カーテンの隙間から光の漏れる窓を見て、2人して気分は一気に落ち込んだ。自然とうなだれる。まず何よりも先に親への言い訳をエレベーターの中で話し合った。


 *


 引っ越しの前日に近所の部屋の人には挨拶をすませている。朝早く出るから、友達にも見送りはいらないといっておいたために引っ越し業者が来るまではとくに何もすることはなかった。家具と段ボールだけになった慣れ親しんだ部屋を見渡す。次の家もきれいなところだった。本音を言うと不安しかないけど。

 ちょうどグループラインに「もう業者来た?」というわたしへの問いかけが投げられた。それに対してすぐに「まだだよ」と返す。最後までしっかり気にかけてくれるから、やっぱり離れるのは寂しい。

 リビングではパパもママもあわただしく段ボールの整理と確認をしていた。パパが面倒くさがって、段ボールに分類を書くのを忘れてたから叱られてる。その様子を見て余計にそわそわして、理由はないけど玄関を開けて廊下へと出てしまった。

 春になる前の季節。少し冷たい風を頬に感じながら、頭を塀から出してマンションの下をのぞいてみる。まだトラックは来ていない。不安と焦りをかきけすように大きめのため息をつき、それを振り払うように勢いをつけて塀に背を向けた。

 ふと、何かが視界に入って足を止める。

 わたしと夏恵の家の真ん中くらいの床に、何か落ちている。それを見つけて、昨日からやけに夏恵が静かだなあと、何となく違和感があったのに気づいた。グループラインでも、個人でも。一度個人ラインに来た「あとで片づけるから!」という、送信ミスだと思ったメッセージ以外夏恵は何も発言してなかったのだ。あのメッセージは親に送るのを間違えたんだと思ってた。

 

 廊下に落ちていたのは、細かい小石。

 それが大きく【○】を描いていた。

 

 神様が答えてくれなかった最後の質問を思い出す。今までの石占いはイカサマなんかじゃない。でも、この完全なイカサマがわたしにとっては何よりもうれしかった。

 ……そしてきっと、これは神様が答えを出すものじゃないはずだ。

 手に持っていたスマホで写真をとる。何枚も。

 目の前の印と、画面の中の印。

 ただの、【まる】だ。

 でもこれは、わたしにとってあらゆる不安を打ち消すものだ。

 幼馴染の子供みたいないたずらを、絶対に忘れたりなんてしないだろうけどしっかりと記録に残す。

 再び玄関を開けて家に入ったとき、チャイムが鳴った。 

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【短編小説】神様と別れたあと、わたしたちは。 天音 @kakudake24

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