7.エピローグ
終わりと始まりと
あの戦いの日々から、既に三日が経っていた。
ヨギの感情と共に膨れ上がった広大な森は、巨木ごとゆっくり枯れて消えた。まるで、周囲に昔からある鎮守の森と溶かし合うようだった。
そして今、光の
リュカも今は、武器を手放し復旧作業に汗を流していた。
「おいおい、リュカ。もうへばったか?」
「ああ、そうだよ
「そんなに元気に開き直られてもなあ。どれ」
巨大な切り株を引っこ抜こうと、リュカは鉄鋼の棒を突き刺し掘り返そうとしていた。テコの原理を使うという発想はよかったのだが、どうにもリュカ自身のパワーが圧倒的に足りない。
すぐにヤリクが来てくれて、二人で体重を乗せて力を込める。
あちこちでこうした作業が続いていて、村はとりあえず輪郭を取り戻しつつあった。
「ふう。ヤリク、あとはまかせるよ……僕はもう、降参だ」
「おいこら、まだ作業は山ほど残ってるんだぜ? 少し休んだらあっちの区画だ」
「……人には適材適所って言葉があると思うんだ。僕には机で書類仕事なんかが」
「それはもう、ヨギやアガンテの親父さんがやってるじゃないか」
「参ったな……あの二人の方が、事務仕事に向いてるよ。適性がある」
仕事は多岐にわたるが、どれも楽なものではない。
今、光の御子の村は新しい再生の真っ只中にあった。
ここでは、人間と魔族が共存している。そして、外から来た人間と魔族も、そのルールに
村の者と外の者、異なる世界の住人同士が連帯を分かち合っていた。
「それで? リュカ、お前はどうすんだ」
「なにをだい?」
「なにを、じゃないだろ。今後のことだ」
「そうだね、とりあえずこの村は中立地帯になるだろうし、外界との定期的な交流手段を構築するのが一番だと思う。で、この村を起点に……外界の人間と魔族にも話し合いを定着させる」
「ま、いいんじゃないか。で?」
「で、って言われると」
ヤリクは額の汗を手の甲で拭うと、ニヤリと笑みを浮かべた。
それでなんとなく、リュカにもなにを問われているかが伝わってくる。
「まだ、なにも考えてない。まさか、こんなことになるとは思わなかったんだ」
「お前、突っ走ってたからなあ……それって、どういう気持ちで暴走してたんだ?」
「暴走じゃないさ。だって、泣いてた。だから、家に帰してやりたいと思ったんだ。人間側の
そう、マヨルを助けたのは単純な動機だった。
そして、彼女との別れの瞬間を思い出す。
それは、なんでもなくて、ありふれて当たり前な時間だった。そして、予想もしない結果をもたらし、今のリュカに繋がっている。
時はしばし巻き戻り、リュカの脳裏にあの日の光景がありありと浮かび上がった。
その前へと、おずおずとマヨルが歩み出る。
彼女は振り返ると、今までで一番の笑顔を見せてくれた。とても穏やかで、明るくて、そしてリュカの心臓を射抜くような刺激に満ちていた。
そこにいるのは、もう光の御子ではない。
十四歳の普通の女の子、ただの人間だった。
「えっと、じゃあ……一応、光の御子として最後のお仕事、するね?」
そう言ってマヨルは、リュカを見て、ヤリクやヨギとも視線を交わす。
そして、皆の頷きを拾うと、キリリと表情を引き締めた。
その視線の先に、一人の男が
マヨルは決して、アシュラムのことを忘れていなかった。
「アシュラムさん、お世話になりました。それと、えっと……」
「……私は、負けました。いかなる罰をも受ける所存です、御子よ」
「うーん、そういうんじゃないんだけど。最後に教えてください。どうしてそんなに、魔族のことを憎めるんですか? 教会の人たちも極端だったけど、あなたはもっと別でした」
それはリュカも感じていた。
アシュラムという男は、教会の教えに心酔しているようでもなく、人間社会のための
強いて言うなら、嫌悪、憎悪、怨念……あらゆる負の感情が個人的に感じられた。
ただ嫌だから、憎いからのように見えていたのだ。
そして、そのことを裏付けるようにアシュラムはちらりとリュカを見た。彼は大きなため息を零して、静かに語り始めた。
「私は……
「それは、どうして? わたし、もう帰っちゃうし、いなくなるから。誰にも知られないから、吐き出しちゃった方がいいかなって思って」
「……私は、戦災孤児です。そして、赤子だったころ白邪に拾われ、育てられました」
衝撃の事実だった。
あまりの驚きに、リュカは思わず口を挟んでしまった。
「なら、何故! 育ての親を憎むようなことを、どうして!」
だが、答えはあまりにもシンプルだった。
そして、そのことをアシュラムは疑うこともできない。
「……私が人間だからだ。そして、人間は白邪の社会では害悪とされていたからだ」
「そんなことで……」
「そんなこと? 少年、君にはわかる筈だ。異物でしかない自分に対して、周囲がどう接してきたかを」
「そ、それは」
「半分が人間である君を、白邪の社会は本当に温かく迎えたか? 他の同胞と完全に同じく扱ってくれただろうか。私はそうではなかった……」
その後、アシュラムを養ってくれた養父母もまた、戦争の中で死んでいった。二度も親を失ったアシュラムは人間側に保護され、教会での徹底的な教育を受けさせられたのだ。
こうして、最強の
「だが、私は間違っていたのか……私を育ててくれた白邪の養父母には、確かに愛情を感じていた。それを奪ったのは、私と同じ人間だった。彼らは、私を教会の教えに反しているとして、矯正してくれたのだ」
後悔の念が見て取れた。
だから、リュカは言葉を選んで真っ直ぐに突きつける。
「それは、正しいとか間違ってるとかじゃない。正義とか悪とかでもないと思う。あなたはもう、そのことに気付いてはいませんか?」
「少年……私にはまだ、わからない」
「わからなくても、感じてきた筈。ならせめて、自分のような人間を今後は出さない、そういうことだってできるんですよ」
ヨギやヤリクはなにも言わなかった。
ただ、マヨルだけが大きく頷き、ズビシィ! とアシュラムを指差す。
「じゃ、アシュラムさん! これ、光の御子の最後の言葉です。まず、白邪って言うのをやめましょう。リュカ君たちは、そういう名前ではないのです、うんっ!」
「……はい」
「で、今までのことは光の御子が許します。そのことを教会に戻って伝え、魔族との戦争をまずは減らすことからやってみてください。お互いに先に手を出さない、戦争しない方が得する世界を……少しずつでいいから、やってみてね。いいかな?」
「……わかりました、御子よ。この命を
「あー、そういうの重い重い! 多分、そうしたほうがアシュラムさんも楽で幸せだと思っただけ。うん……今はそう思うだけで十分だな」
それだけ言うと、マヨルは手を振り光の中へと消えた。
最後に彼女は「呼んでる声が聴こえる」と、リュカに小さくはにかんだ。
リュカにも確かに、赤子が泣くような声が微かに聴こえていた。
そして光はマヨルを飲み込み……夜を切り裂くように集束して天に消えたのだった。
そして今、リュカは汗だくで肉体労働に精を出す。
まだまだ復興は始まったばかりだが、人間たちの便利な道具も持ち込まれている。アシュラムが手配してくれた文明の利器が、空飛ぶ船で大量にもたらされていた。
アシュラムにもまた、新たな日々が始まったということだろう。
そう思うと、リュカも彼に対するわだかまりを薄めていけると思えた。
マヨルがもたらした小さな変化は、この大陸の形を僅かに変えたかもしれない。
そして、リュカもそうだし、マヨル自身も変わってゆくだろう。
そう思えるのは、今日も元気な声が響くから。
「おーい、リュカ君! ヤリク君も! ごはんの時間だよー!」
笑顔で手を振るマヨルの姿がある。
彼女は、背に赤子をおぶったままポクポクと歩み寄ってきた。
勿論、本物のマヨルだ。光の御子だった少女で、その過去をそっと埋葬し終えた普通の女の子である。今は、背負った赤子の世話をして暮らしていた。
リュカもヤリクも、休憩と知って頬を崩す。
「やあ、マヨル。なんか、
「しっかしなあ、そいつが次の光の御子なんだろ?
「あのねえ、ヤリク君? そういうの、わたしの世界じゃセクハラっていうの!」
あの日、光が天へと昇った。
そして気付けば、月明かりと星空の下にマヨルが立っていたのだ。
それも、初めてみる小さな赤子を抱いて。
「なあ、マヨル。この赤ん坊、やっぱりこういう色の肌なのか?」
「ん? そだよ、わたしの世界じゃ肌が黒いのも当たり前って感じ」
「へえ……なんか、美味そうな色だよな」
「ちょっともー、ヤリク君ってば。リュカ君、なんとか言ってやってよー!」
「おっ、悪い悪い! そうだ、マヨル……面白いもん見せてやるよ!」
不意にヤリクが、ガシリ! と小脇にリュカの頭を押さえつけた。そして、マヨルに向ってリュカの頭頂部を近付ける。
「今更になってさ、生えてきたんだぜ? もう
「わわっ、ホントだ……ふふ、小さくてなんか、かわいいねえ」
そう、リュカの額に角が生えてきたのだ。
右側にだけ、小さく小さく尖ってて、普段は髪の中で見えない程度の角だ。
何故かはわからないが、血も半分なら角も半端、そして一本だけである。
だが、不思議とリュカは嬉しかったのだ。
「さ、行こ行こ? ミサネちゃんもナーダちゃんも待ってるよん」
「おし、リュカ! 飯だ飯!」
「ああ」
始まりは、小さな変化。
そしてもう、光の御子は伝説から神話へと至って、やがて忘れられていくだろう。
マヨルが育て始めた黒き幼子も、光の御子になることはないのだ。
その証拠に、突然現れた赤子を前にして、人間と魔族は協力して育てることを選んだ。決して光の御子として祭り上げないことも誓ったのだった。
こうして今、リュカたちの世界はようやく混じり交わり進んでゆく。
マヨルもまた、最近は帰りたいと全く言わなくなっていた。
「そうだ、マヨル。午後また、話を聞かせてほしい。とりあえず、人間と魔族の双方に『共有する普遍の法』を作りたいんだ。絶対に守って、不具合がある時は慎重に双方の話し合いで修正してゆく……そういう法なんだけど」
「ほいほい、いいよー? リュカ君、難しいことまた考え始めてるねえ」
「少しでもいい世界にしたいからさ」
後の歴史に、その後三人目の光の御子が生まれたという事実は記されていない。また、北の大地が開かれて後に、人間と魔族とは大陸全土のあちこちで交流が本格化する。
教会は異端審問制度を廃止し、魔族の十二氏族は混血が進む中で自然と消えていった。
黒髪に黒い目の少女は、黒き幼子を連れて魔族の中で生きたが……その最後は忘却の彼方へと薄れて消えるだけなのだった。
終わり始めた物語 ながやん @nagamono
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