血潮よ、熱く滾れ!

 巨大樹きょだいじゅが、燃える。

 ヨギを切り離したことで、その枝葉の広がる勢いが止まった。

 そして、周囲に咲き誇る無数の花が散ってゆく。

 今まさに、日が傾き始めた黄昏時たそがれどき……数え切れぬ花びらが風に舞い散った。それはどこか、幻想的でとても美しい。

 変化はそれだけではなかった。


「リュカ君っ! 見て、周りの森が! 枯れてく、縮んでくよっ!」


 頭上でマヨルが叫んだ通りだった。

 ヨギの広げた森が、しぼむようにしなびてゆく。あれほど暴力的に茂っていた緑が、どんどん土色に枯れていった。

 そして、それに呼応するように周囲へ突然の秋が広がってゆく。

 花びらが乱舞する中、北の大地を閉ざしてきた樹海も一緒に消え去ろうとしていた。


「リュカさん、森が……自分の出した森だけじゃないです、あの禁地が」

「……役目を終えたんだろうな、きっと。そう思った方が、救われる気がする」

「役目を、終えた?」

「そろそろ人間も魔族も、共存の可能性があることから目を背けるな……そういうメッセージかもしれない。さて!」


 微動を足元に感じる。

 リュカとヨギが立ってる太い幹も、震えながらしぼみ始めた。

 終わりが始まったのだ。

 もう、大冒険と乱痴気騒らんちきさわぎも終焉の時である。

 尊いと美化するには、あまりにも沢山のものが失われた。でも、全てをなくしたわけではないと、今は思える。隣にヨギがいてくれるから、リュカはそう信じることができた。


「おーい、マヨル! 飛翔竜を近づけてくれ! そっちに飛び乗る!」

「ほいほーい。んじゃ、ドラゴンちゃん、いい子だからあそこにゆっくり降りてね」


 何故か飛翔竜は、ニッコニコのマヨルに素直に従っている。

 なんだか、ちょっとに落ちない。

 リュカはあんなに苦労したのに、マヨルはやすやすと近くの枝に飛翔竜を着地させた。羽撃はばたきが舞い上げる風圧の中で、リュカはヨギと一緒に走る。

 丸太よりも何倍も太いこずえも、ぼろぼろと崩壊を始めていた。

 そして、太陽が沈み始めたその時だった。


「ヨギ、先に乗って。落ちるなよ!」

「は、はい! ……あ、あれ? 太陽は、西で……ッ! リュカさん、あれ!」

「あれは……なんの光だ?」


 朱色に染まる空に、徐々に夜のとばりが近付きつつある。

 天を仰げば、薄闇の中に強い星から瞬き始めていた。

 そんな中……北の空を切り裂くように光の柱が屹立きつりつしている。

 眩い光は、まるでもう一つの太陽だ。

 そして、リュカは思い出す。


「あの光……北氷壁ほっぴょうへきってのか? 方角はあってるけど、なにが」


 とても神々しく、七色に輝く虹のような光だ。

 すぐにリュカは、上をヨギに譲って飛翔竜の脚にしがみつく。合図を送れば、見様見真似のマヨルの手綱捌きが竜を飛ばせた。

 なかなか堂に入ったものだが、彼女も驚いているようだ。


「リュカ君、あの光! あれって……わたし、知ってるかもしれない! ああいう光に飲み込まれて、この世界に来ちゃったんだもの!」

「じゃあ、やっぱりゲートみたいなのがあるのか!? こっちとあっちを繋げる門が」

「行ってみようか、リュカ君。ヨギ君も、いい?」


 戦いは終わった。

 だから、最後にやるべきことは決まっている。

 ついに、マヨルを家に帰してやる時が来たのだ。


「僕は大丈夫だ、このまま飛んで」

「自分も平気です……なにか、手伝えることも、あるかもしれないし」


 悠々と飛翔竜は飛ぶ。

 近付くにつれ、その光が世界の輪郭をあらわにしてくれた。

 北の果て、やはり森がどんどん消え始めている。その向こうに、薄く輝く氷の壁があった。光の柱の向こう側は、空まで届く氷の絶壁がそびえ立っていた。

 恐らくあれが、教会の伝説にある北氷壁なのだろう。

 ならば、マヨルの世界はあの壁の向こうなのかもしれない。

 そう思った瞬間、音が走った。

 乾いた響きに、突然飛翔竜が暴れ出す。


「今の音、銃です! リュカさん!」

「くそっ、どこからだ!? マヨル、高度を下げてくれ! 飛翔竜に当たったかもしれない」

「う、うんっ! どーどー、大丈夫だよ、落ち着いて。どーどー」


 飛翔竜の甲殻と鱗は、どんな刀剣も通さぬ天然の装甲だ。

 だが、あの銃とかいう武器は未知数である。

 そして、高度が下がると見えてきた……天へと昇る虹の前に、甲冑姿の男が立っている。

 またしても、立ちはだかるのはあのアシュラムだった。


「またあいつ! 伯父貴おじきは無事なのか? ……ええい、ままよっ!」


 だいぶ高度も落ちたところで、リュカは一気に飛び降りた。そのまま着地して転がり、衝撃を殺しつつ立って走り出す。自然と石剣を抜刀して振りかざしていた。


「アシュラム! そこをどくんだ!」

「行かせぬ……御子みこがいれば、白邪はくじゃを根絶やしにすることができるのだ! 役者にはまだまだ、舞台に立ってもらわねば困る!」

「だったらお前が、お前一人だけでやれっ! マヨルを……他の人間を巻き込むんじゃないよ!」


 返答は銃口だった。

 アシュラムは既に、狂気にとりつかれた目をギラつかせている。

 直線距離にして、あと数十歩……だが、向こうは指先一つでリュカを殺せる。

 だが、ここで立ち止まることはできないし、回避も考えなかった。

 リュカなりに考えもあって、難しいとわかっても石剣を引き絞る。直線的に鉛弾なまりだまを飛ばす道具らしいから、音にタイミングを合わせて……弾丸を斬れるかもしれない。

 でも、そんな大博打に命を賭ける瞬間はやってこなかった。


「お別れだ、少年! ――ぬぅ!? そんな、バカな!」


 風が歌った。

 象術によって強化された矢が、背後からリュカを追い越す。次の瞬間には、銃の先端にすっぽりと矢が突き刺さってるのが見えた。文字通り蓋をした形で、こんな神業レベルの芸当をやらかす仲間は一人しかいない。


「走れっ、リュカ! 俺はもう、矢が尽きた!」

「助かる、ヤリク!」

「おうよ!」


 振り返らなくても、朽ちてゆく森からヤリクが這い出てきたのがわかる。彼は眼前の光景を見てすぐ、最後の矢を躊躇ちゅうちょなく放ったのだ。それが、銃口に真っ直ぐ突き立っている。

 射撃が不可能と見たアシュレイは、銃を捨てた。

 その時にはもう、一撃必殺の距離にリュカは踏み込んでいた。

 渾身の力を込めて、斬撃を振るう。

 自分の全身がもっていかれるくらいのフルスイングだった。

 だが、紙一重で避けたアシュラムもまた剣を抜く。


「決着をつける時だな、少年。忌々しい……白邪など、一匹残らずこの私が!」

「寝言は寝て言え、アシュラムッ! もう、こいつを喰らって、寝てろぉ!」


 やはり、力と技とでリュカは劣っている。だが、気迫だけは負けない気持ちで石剣を振るった。だが、アシュラムは巧みな剣捌きに踊りながら、あっという間にリュカの攻撃を封じてきた。

 鍔迫つばぜり合いに持ち込まれ、純粋な腕力の勝負に持ち込まれた。

 膝が震えて、リュカは今にもへたり込みそうになる。


「勝負あったな、少年! 貴様はあまりにも貧弱! ただの頭でっかちな子供でしかない!」

「それが、どうした……ンギギギ!」

「貴様には、この私は殺せない!」

「もとより、殺す気なんか……どうしてそう、怒りや憎しみだけで戦えるんだ! あんたはっ!」


 リュカの中で何かがぜた。

 途切れ途切れになりそうな集中力が、研ぎ澄まされてゆく。

 身の内に宿る火の象精アーズが、紅蓮の炎となって全身から吹き出しそうだった。

 そして、その熱が刃に伝えば……石剣が真っ赤になった。そのまま白煙を巻き上げ、押し返そうとするリュカの力に呼応してゆく。

 信じられない光景に、一瞬だけアシュラムが怯んだ。


「ば、馬鹿な! 鋼の剣が……剣が、断ち割られるだと!?」

「石を溶かして鉄を取り出し、火で鍛えたのが鋼だ! だったら……僕の炎でだって!」


 ゆっくりと、まるでバターを切るようにアシュラムの剣に真紅が食い込む。赤熱化した石剣は、そのまま一気に剛剣を溶断してしまった。

 リュカが剣を振り抜くと、アシュラムは溶けた剣の残滓ざんしを手に膝を突く。

 高熱で千切られた切っ先が、背後で乾いた音を立てて転がった。


「これまでだ、アシュラム!」

「……殺せ。生き恥はさらさぬ」

「断る! お前の命にはまだ、死んで何かを癒せるような価値なんてない!」

「手厳しいな……捕虜として連れ帰り、奴隷にでもするか?」

「そういうのはもう、うんざりなんだよ。ただ……ヨギ、こっちに来て」


 振り返ると、マヨルとヨギが駆け寄ってくる。

 リュカはしばし逡巡した後、ヨギに向かって自分の石剣を取るように促した。


「ヨギ、親父さんはアシュラムに殺されたんだ」

「この人が……人間が、父さんを」

「どうする? 仇討ちは魔族でも人間でも、ほまれというけど」


 だが、ヨギは静かに首を横に振った。


「この人を殺しても、父さんは帰ってこない。それに……これから帰って、父さんを弔いたいんです。その気持ちを今は、血でけがしたくないです」

「わかった。……アシュラム、お前も来いよ。顛末を見届ける責任くらい、感じるだろう? マヨルはこれから帰るんだ。元いた世界の、自分の家へ」


 そう、別れの時が来た。

 目の前に今、巨大な光の柱が輝いている。音もなく静かに、大陸の北の果てにある絶壁を照らしている。それを門と呼ぶなら、その先に伝説通りの結果が待っている筈だった。

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