狂い咲く中でさえ、燃え焦がれて

 ヨギが咲いていた。

 まるで、夜の闇に咲く毒の徒花あだばなだ。

 巨大な花の中心で、彼は酷く穏やかな顔で見上げてくる。

 リュカには彼が、憑き物が落ちたかのようにさえ見えた。


「やあ、リュカさん。マヨルさんも。無事だったんだね……よかった」


 言葉に嘘は感じられない。

 ヨギは昔から、気弱で引っ込み思案だが優しい少年だった。こんな状況でなければ、互いの無事が嬉しくて子犬のように駆け寄ってくるような奴だったのだ。

 だが、今のヨギには奇妙な雰囲気がある。

 もしかして、人間が言う神という概念はこういうものなのだろうか。奇妙な達成感と、諦め。そう、全ては終わったと言わんばかりにヨギは澄み切っていた。

 人間であれ魔族であれ、情熱や欲望、願いや望みの色を持っている。

 でも、今のヨギは無色透明な存在に思えた。


「ヨギ、そこから出られるかい? まず、一緒に下に降りよう」

「そ、そうだよっ、ヨギ君っ! お父さんも待ってるよ! きっと待ってる! もっと話そうよ!」


 マヨルの言葉にも、ヨギは穏やかな表情を崩すことはない。

 逆にリュカにだけ鋭く刺さって、深くえぐった。

 ヨギの父親ダグラはもう死んでいるし、それを知っているのはリュカだけだから。


「父さん……いや、もういいんですよ。自分はもう、戻れない……取り返しの付かないことをしてしまったんです。しかも、しかもですよ」


 とても穏やかな、音楽のような語り口だ。

 言の葉の調べには、力みもないし喜怒哀楽きどあいらくが感じられなかった。

 同じ感想を抱いて不安になったのか、ギュムとマヨルが背中にしがみついてくる。気付けばリュカも、腰に回る彼女の手に片手を重ねていた。


「しかも……僕、後悔してないんです。悲しくもないし、辛くもない。酷いことして、この場所にあった集落をこんなにしてしまった。それなのに、なにも感じないんですよ」

「ヨギ、お前……」

「これって、自分があの男の息子だからでしょうか。やっぱり、心も気持ちも知らない親からは、同じような子供が生まれるんでしょうね」

「違うっ! それは違うよ、ヨギッ!」


 確かにヨギが言うように、ダグラはいろいろなものを見失っていた。情や尊厳、共同体での連帯感や責任感。全て、人間たちが扱う黄金色の金属片コインに魅入られた結果だった。

 だが、本当に見えなくなっていただけだ。

 見えなかっただけで、そうした全てをダグラはずっと持っていた。

 ただ、胸の奥に沈んで眠っていただけなのである。


「ヨギ、聞いてくれ。君は間違いなく、ギナ族ダグラの子、ヨギだ」

「ですよね……だから、自分はこんな」

「だからこそ、ヨギが卑劣で卑怯な男ってことはないし、むしろ逆だ。ヨギには、親父さんと同じ温かな心がある」

「……まさか、そんなことは」

「僕はさっき、親父さんに救われた。命を拾ってもらえたんだ。親父さん、今は気持ちを改めてる。改めて自分を顧みるだけの心がちゃんとあったんだよ!」


 悲痛な思いを飲み込み続けて、祈るようにリュカは説得を続ける。

 もしヨギが、今の静まり返った終焉に沈み続けてゆくなら……最後にどうしても、リュカは真実を告げる必要にかられてしまうだろう。命を賭して自分を救ってくれたんだ、そういう立派な人なんだと言わねばならない。

 ヨギにはいずれ真実を告げたいし、マヨルにだってそうだ。

 だけどそれは、今じゃない。

 筈だった。


「父が……リュカさんを、救った?」

「そうだ。僕は例の聖導騎士アシュラムに撃たれたんだ。なんだかよくわからないけど、銃っていう恐ろしい武器だった」

「ああ、銃……父さんが言ってました。火薬というものを使って、なまりの弾丸を撃ち出すんです」

「そ、そうか、知ってるのか。なら、僕を助けてくれないか? ヨギ」

「リュカさんを、僕が? ……父みたいに? いや、あの男が他人を助けるなんて」

「正直、銃とかいうのが恐ろしい。でも、ヨギは詳しいみたいだから――」

「……父さんの方が詳しいですよ。父さんに、優しい優しい父さんに聞けばいいじゃないですか!」


 初めてヨギが、反応らしい反応を見せた。

 彼は両手の拳を握って、叫んだ。

 手の中に食い込む爪が、ミシミシと聴こえてきそうな緊張感だった。

 激怒、激昂げきこうといってもいい。

 そして、ヨギの激情に反応するように……周囲に次々と蕾が膨れ上がった。紫色は日没の色、黄昏たそがれの色だ。暗く深く、どこまでも濃厚な闇の色である。


「リュカさんっ、父さんが他者を救うなんてありえないっ! あの男は、金に目がくらんだ欲の権化ごんげですよっ! そして、僕はその息子なんです!」

「違うっ! 欲は誰にでもあって、誘惑を前に堕落する者は後を絶たない。そういう意味では、親父さんは間違えた! でも、手段を誤っても、目的だけはわかってやれよ!」

「どうわかれって言うんですか!」

「親父さんは……僕たちと同じだったんだ。どうしても、周りと違うから馴染なじめない。氏族の連帯の輪に加われない。けど、知識と度量だけで人間との商売に挑んだんだ」


 ――お前のため、ヨギのために!

 そう叫んだ。

 身を声にして、全身で訴えた。

 リュカは勿論、仲間たちもそうだった。自分を卑下することもなかったし、自暴自棄にもならなかった……けど、やっぱり周囲の目は少しだけ冷たかった。冷たかったから、そういう者同士で身を寄せ合って温まるしかなかったのかもしれない。

 けど、リュカは自分も仲間たちも可愛そうな存在とは思ったことはない。

 ヨギにだって、そんな失礼な感情を抱いたことはなかった。


「親父さんは後悔してた。なら、その後悔の懺悔ざんげにお前は向き合うべきだ、ヨギッ!」


 それはもう敵わない。

 けど、そう口にしたからには隠し通すことはできなかった。

 自然とリュカは、許しを請うように手に力を込める。背後でマヨルが驚く気配があったが、彼女の手を握り続けた。


「ヨギ……親父さん、亡くなったよ。さっき言ったろ? 僕を銃から守ってくれた。その時、僕を庇って」

「父さんが、死んだ? ……そんな、嘘……ありえない。あ、いや、せいせいしますよ!」

「強がりはよせ! 僕はお前に親父さんの死を、その真相を伝える。そのためにも、お前はこんなものに埋まってちゃ駄目なんだよ!」


 周囲でついに、無数の蕾が綻び始めた。

 開花で一斉に、周囲の空気が濃密になってゆく。

 酷く甘い匂いが立ち込めて、飛翔竜が僅かに苛立って身を揺する。リュカはそんな飛翔竜を落ち着かせつつ、ゆっくりと言葉を選んだ。


「ヨギ、そこから出てこい。いや、出るまでしなくていい……出たいと言ってくれ」

「で、出られないんです」

「出たいかどうかを聞かせてくれ! なあ、ヨギ……一緒に親父さんを弔ってやろう。ヨギの親父さんは、色々間違ったこともあったけど、それを認めて自分を正せる男だった」

「……、……、――たい、です」


 見上げてくるヨギの目に、涙が溢れていた。

 それでもう、言葉は必要なくなった。


「出たいです、リュカさん! 父さんに、会いたい……でも、出られないんです。自分がこの巨大樹だから。僕の象精が憎しみに染まった、その結果がこれなんですよ!」

「わかってる! 誰だって間違うし、僕なんかいつもだよ。マヨル、ごめん。手綱を頼む」

「えっ? ちょ、ちょっと、リュカ君! もーっ、おじさんのこと黙ってたし! 死んだの、秘密にしてたし。その上でなんだよー、もー!」


 むくれて怒ったが、マヨルは手綱を受け取った。

 リュカは彼女の腕の中から立ち上がると、一度だけ振り返る。


「ごめん、マヨル。今度、お詫びになにか埋め合わせるよ」

「うん、期待してる! なんかおごれー、クレープとかー、たこ焼きとかー、グランドピアノとかー!」

「な、なにかな、ちょっとわからないけど……ピアノ? 人間たちが嗜む、楽器の?」

「そ! うちじゃ買えないし、置けないから。でも、弾いてみたいから言っただけ。冗談だぞ、冗談! ほら、ちゃっちゃとヨギ君を助けて! しっかりね、リュカ君!」

「うん。じゃ、行ってくる!」


 既に周囲は、毒花が百花繚乱ひゃっかりょうらん

 その中で、リュカは飛び降りた。

 けど、石剣は抜かない。

 その必要がないし、なんならここで捨ててもいい。


「ヨギ、手を! 僕に手を伸ばせ! 必ず掴まえてやる、引っこ抜いてやるっ!」


 それほどの高さではなかったし、花びらが弾力でリュカを受け止めた。

 這うようにがむしゃらに、リュカは無様でもみっともなくてもヨギに詰め寄る。

 正直、頭が痛かったし、意識が朦朧もうろうとしてきた。どうやら、この大きな花が空気中に花粉を撒き散らしているらしい。その証拠に、賢い飛翔竜はマヨルを乗せたまま高度を上げた。

 見るものが揺れてブレて、ヨギの姿も無数に分裂して見えた。

 けど、その全てに同時に差し出す気持ちで腕を伸ばす。


「ヨギッ!」

「リュカさんっ! 自分のために、そんなに……どうしてですか! なんで」

「友人だからだ! 友達、仲間だろう! だったら理由も必然も、必要、ないっ!」


 ヨギの手を掴んだ。

 しっかり握れば、握り返してくる。

 そこでリュカは立ち上がった、渾身の力を振り絞った。だが、非力な腕力ではヨギはびくともしない。彼の下半身は、完全に巨大妖花の中心に埋没していた。

 けど、それくらいはリュカだって知っていた。


「ヨギ、ごめん! ちょっと熱いけど、我慢してくれっ!」


 もう片方の手に炎を呼び出す。今、身の内で火の象精が煮え滾っていた。その力を、繊細かつ大胆に収束して拳に込める。

 リュカは一点集中で練り上げた高熱高温を、振り上げて、解き放った。

 あっという間に、ヨギの周囲で花びらが燃え落ちる。

 そのタイミングで、リュカは渾身の力を振り絞ってヨギを引きずり出した。彼自身が呪った全てから、呪いごと引き抜いたのだった。

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