救世主、光の御子のド根性
その船はもう、沈んでいた。
完膚なきまでに破壊され、巨大な樹木に引っかかっている状態である。
そして、甲板上では逃げ惑う者たちによって混乱が生じていた。
そんな中で、小さな少女が懸命に声を張り上げる。
「駄目ーっ! まずは怪我人、それから女性とお年寄り! 動ける人はなんとか、少しでも火を消してくださーいっ!」
だが、人間も魔族も彼女の声に耳を貸そうとはしない。
光の
普通で、無力で、それをわかって身を声にして叫んでいる。
上空から見やるリュカには少し切なかった。
そして、やがてパニックは暴力的なストレスに屈し始める。
「黒い髪……お前、例の光の御子かっ!」
「おい、この方は我らが救世主! 白邪ごときが汚い手でさわるな!」
「救世主! 光の御子様! 我々を助けてください! 全て、全て
「くそっ、おい人間! まずはこの子の言う通りやるしかねえんじゃないか!」
「そうだ! 怪我人を……まず、負傷した人間から」
「こっちにだって怪我人はいるんだ! 何故魔族を後回しにするんだ!」
マヨルは困り果てておろおろしている。
しかし、それでも頬をぴしゃぴしゃ叩くと、彼女は真っ直ぐ前を向いた。そのまま、ぴょんと甲板から飛び跳ねる。空の風が長い黒髪を洗った。
マヨルは、落ちれば即死という高さで、甲板の手すりの上で振り向く。
「はいっ、みんな注目っ! わたしは光の御子って言われてるけど、普通のただの子供です! だから、当たり前のことしか言えない……でも、聞いてっ!」
日が傾き始めた午後、風は強く吹き付けている。
ちょっとしたことで、マヨルは落ちてしまいそうだ。リュカはすぐに彼女を拾いたかったが、
そんな中、どよめきがやがて静寂を連れてくる。
人間も魔族も、黙ってマヨルを見詰めていた。
「負傷者は、傷の深い人から! 人間も魔族もないです! 重傷の人が優先です!」
「あ、ああ……わかったよ」
「お、おう。それなら、まぁ」
次々とマヨルは指示を発した。
そのどれもが、ちょっと考えればわかるようなことばかりだ。怪我人の次は、老人と女性、そして子供。弱い立場の人たちが下りるまでは、動ける人間で消火活動をする。
当たり前のことを言っている。
それを、この混乱の修羅場で平然と言ってのけることに驚いた。
話を聞いてもらうために今、マヨルは自分の命を危機に晒しているのだ。
「それと、パラシュートの余りがあったら、それも使ってくださいっ。魔族さんは、えっと、魔法……ああ、象術! 火の象術を駆使すれば、パラシュートで上手く降りれると思う」
「それって……?」
「おい、ガキの頃に隠れて火遊びしてみただろ! 空気を温めて膨らませるんだよ!」
「風船みたいにか! よし、じゃあ俺たちはそれで降りてみるぜ!」
「準備する班と、その間に消火作業で時間を稼ぐ班にわかれよう!」
先程までいがみあっていた大人たちが、次々に動き出した。
それを見渡し、胸を張っていたマヨルが小さく溜息を零す。
先程までの威勢が嘘のように、彼女は
が、飛翔竜の大きな影に気付いて、マヨルはふと空を見上げる。
そこにリュカを見つけてくれて、心底安堵したように微笑んだ。
「あれっ、リュカ君? 無事だったんだ! よかったあ」
「マヨル! 危ないからすぐに降りろ! まったく、無茶をするなよ」
「そ、それがね……こう、膝がガクガクいって、あ、歩けないっていうか……今になって、すっごく怖くなってきちゃって」
「弱ったな、誰か人を呼んでくれ。僕はこれから、ヨギを助けに行くんだ。できれば……君にもついてきてほしい」
「う、うん……でもわたし、なにもできないよ?」
「いてくれるだけでいいさ」
「うわ、真顔で言ったし……そんなの、殺し文句だしぃ……は、恥ずかしいなぁもう」
何故か赤面しつつも、マヨルは再び毅然と身を正した。
そして、ドン! と胸を叩く。
「いいよ、一緒にいこっ! ヨギ君を迎えに――っと、とと? お? ……ちる! 落ちるぅ!?」
「バカッ! なにやってんだ!」
得意満面で背を反らした反動で、マヨルが無様なダンスに踊った。そしてそのまま、脚を踏み外して落ちてゆく。
慌ててリュカは急降下、どうにか飛翔竜を飛ばせた。
どうにも自分には懐いてくれてないようで、それでも竜の翼がしなって唸る。
落下するマヨルを追い越すと、緑の波間に拾って上昇した。
空中でマヨルの細い腰を抱き寄せ、そのまま手綱を片手で引く。
こんな曲芸は二度とごめんだと心底思った。
「大丈夫か、マヨル!」
「う、うん……ありがと、リュカ君」
「ああ。気にしないでくれ」
「気にするよぉ……気になるもん。ほんと、心配したんだから」
「じゃあ、改めてだけど。一緒に来てくれ、マヨル」
そっと彼女を支えつつ、自分の後ろに座るように促す。
マヨルは飛翔竜におっかなびっくりで、そして好奇心が隠せないような顔をしていた。そういう表情を取り繕っているのに、耳まで真っ赤になっていた。
おずおずとマヨルは背後に回って、リュカの腰に両手を回してくる。
「え、あ、お、おおう……うん、い、いいぜー? やだもぉ、すっごい恥ずかしいなあ」
「助かる! 多分、あの巨大な木の中にヨギはいる」
「……絶対、助けなきゃね。お父さんとも、もっと話せばきっと」
マヨルの言葉に、敢えてリュカは小さく頷いた。
ヨギからの強烈な否定と拒絶を受けて、それでもと奮起したのに……父親のダグラは死んでしまった。アシュラムの銃とかいう武器に殺されたのである。
今はまだ、心にしまっておきたい。
落ち着いてからマヨルに、なによりヨギに話さねばとリュカは心に結んだ。
自分が今こうして生きているのは、ダグラが庇ってくれたからなのだ。
「とりあえず、一度あの木の頂上まで行く。真上から見てみれば、なにかわかるかもしれない」
「オッケー! っていうかこれ、ドラゴン的な? こゆの持ってたんだ、リュカ君」
「飛翔竜は気難しいし、数も少ないから族長クラスしか乗れないんだ」
「凄いねえ、なーんかファンタジーって感じ」
「ま、また、よくわからないことを言う」
「いーの、いーの! んじゃ、ドーンといってみよー!」
マヨルが妙に元気で、自分にまで活力が湧いてくるような気がした。
背中にじんわりと、彼女のぬくもりが伝わってくる。
しかも、柔らかい。
互いの鼓動が急接近で、慌ててリュカは頭をブンブンと振った。
そして、飛翔竜をゆっくりと上昇させる。すぐに人間たちの空中戦艦を追い越し、さらに上空へ。ようやく巨大樹の全てを見下ろせる高さまで登ると、空気は身を切るように冷たかった。
「ん、見て! リュカ君っ!」
「うん?」
「あそこっ、開いてく!」
その巨木は、それ自体がそびえ立つ森だ。その密度は、周囲に広がる密林の比ではない。かつて光の御子の村……マヨルの母親が開いた村を守るため、土の象精を暴走させて禁忌の森が生まれた。多くの
そして、マヨルの指差す先に異変があった。
花だ。
まだ
木が木だけに、そのサイズも家屋や蔵よりも大きい。
「なんだ……一つだけ、蕾が」
「見て、咲くよ!」
「ヨギ、お前なのか?」
花びらが、八枚。
それぞれ、八方向に広がってゆく。
暗い紫色で、まるで毒草のような禍々しさだ。
そして、その中心にゆっくりと人の姿が浮かび上がる。
その名を呼んで、リュカは慎重に手綱を引き絞った。
「ヨギッ! 無事だったのか!」
花の中央に、ヨギが立っていた。
だが、様子がおかしい。
ぼんやりと虚ろな目でこちらを見上げて、その場から動こうとしないのだ。よく目を凝らせば、ヨギの下半身は花と一体化している。
まるで、ヨギ自身が巨木の中へと溶け消えるような、その途中のような光景だった。
慎重に高度を落とせば、風の鳴る中に言葉が空気を震わせる。
「やあ、リュカ……さん。どうも、無事だったんですね」
「さん、はいらないさ。ヨギ、君もね。でも、無事って雰囲気じゃなさそうだ」
そこには、以前のヨギの
姿格好こそいつものヨギだし、先程分かれた時と同じ服装だ。
しかし、その目が違う。
怯えたような慎重さがない。
今のヨギは、諦めを極めた境地に身を浸しているようだった。
妙に落ちつたヨギの姿に、リュカは不安を膨らませてゆくのだった。
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